高野の高暮ダムをすぎて、高暮の集落にはいると、川沿いに小学校の廃校がある。先年この跡地を利用してつくられた「ふるさと高暮村」も閉鎖になっている。
そんな状況の廃校でも、朽ちていってるようにはみえない。校舎には明かりがついていたりする。校庭の桜並木はみごとなものだ。その校庭に、生き写しのような銅像が二つ並んでいる。
平成5年5月5日に設置されたと碑文にある。ひとつは校長先生、もうひとつは都会にでられて業績をあげられたお医者さん。ご両人はこの高暮の集落の出身者だとあった。銅像の足元にはびっしりスミレが広がっていて、木造の校舎とちいさな校庭をかこむ桜並木。その手前に神瀬川がながれている。標高が500mをこしている校庭へふきこむ川風が、キリと肌にさしこむ。そんな春がここの大舞台なのだろう。
その遅い春の5月にこの小学校の廃校の記念行事で、りっぱな郷土の誇りが建てられたことになる。今の日本の誇りといえば「イチロウ」。小生「コヒチロウ」まったく関係ないです。なら、書くなって。
もう一つ校庭に石が積み上げてある。「希望のケルン」と名がついている。基礎の石組みが5つ。これが高簿の集落数。中段の36ケは総戸数。上段の97ケは総人口。平成11年5月5日設立。
中国山地の標高500mをこえてある学校はもう芸北、吉和ぐらい・・?。吉和は小中が一つになってる。
ちいさな分校や山中の小学校は、学校整備される時代に村の共有財産を拠出して作られたものがたくさんあるのだそうで、子供たちにりっぱな教育をしてやりたいと、県に陳情し学校を整備し、そして先生の派遣をしてもらうために、宿舎を用意したという。そして、東京大学の木「イチョウ」が校庭に植えられた。
朝の車のラジオで政党の選挙の演説の解説が聞こえてきてたことを思い出した。「地域社会の一体感を大切に・・・」が公約だという。もう、いいですよ!ここでは「希望のケルン」が、もう出来ています。子供たちの教育が希望だったときと、いまは違ってしまっても、高暮の「希望のケルン」は出来てるのです。あとは、ガンバ!!と思うよりしかたない、のですが。新しい胸像ができるの、待ってます。