こひちろうの独り言 |
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備後の国の西の国境の山中をうろうろ。
赤名峠の備後の番所のあった横谷から、岡三淵の集落へ。 ここは中国新聞が数十年にわたって取材をかさねている「中国山地」シリーズでよくあつかわれ、もっとも深い山中の集落というイメージをもっていた。 日本で最強だった哺乳類は、人でなくオオカミであった時代がながくあって、オオカミから大神を連想していた。もっとも恐れられる神だとしても、おかしくないだろう。江戸時代には狼の集団におそわれ、村が壊滅したという記録もある。 岡三淵・オカミフチの名から、狼を大神としていた人々の集落であっても、・・。番所のあったR54沿いの「室」から分岐を西へはいると、すぐお寺になる。ここに数十の石仏がならんで置いてある。すべて牛の供養だ。そうか、狼にでも襲われたか、などと妄想して登ってゆく。峠からつづらを下ると、あたらしいオシャレなプレハブの家もあるあかるい谷間に岡三淵の集落があった。背景の山々は、標高1000mに近いが、もうそそり立ってはいない。その真ん中におおきな茅葺の民家があった。殿敷・三上家と表示されて、解体整備されたものらしい。門は閉ざされていた。そのりっぱさに。これまでの山中の一番奥まった集落というイメージはふっとんでしまった。 表示に南北朝時代に奈良から下ってきた三加美安房守藤原氏がここから一山越えた、島根県赤名の井戸谷に住み着いた。それから150年たって三加美氏は戦いに敗れ、その子と母がこの岡三淵へと逃げ込み、ここで500年のときをすごすとあった。ここでは三上と名乗っている。 備北には三上の姓は多いときく。この岡三淵から下って、江の川を越えると、御神本という所がある。古いが美しい薬師堂が丘にある。この御神本と同じ名が益田で勢力をもった御神本氏があって、源平時代石見で唯一源氏方であった。のちに益田氏となっている。平家一辺倒のこの地方にあっての源氏はこの一族がただものでないように思っていた。益田氏は石見から安芸にかけて沢山の係累の領地を広げていて、血縁の強い一族であったようだ。 というには、この益田氏の関係地に柿本人麻呂の神社・小野神社や春日神社があって、石見から安芸にかけてに、あるとき中央からの移住がおこなわれたという。すっかり歴史の中の霧の向こうの話ではあるが。 その春日神社がここにあることから、変な連想をはじめたという訳。ここの三上氏は奈良から下るさいに、この春日社をもってきたと、表示されて、そばにりっぱな春日神社が鎮座している。 赤名から落ちのびた道は、最短ては集落の北側の釜崎からの出雲への山越えになる。やっと舗装されている道をたどると、廃屋が一軒あって、そこで道はブッシュになっていた。 三上家にもどって、もう一つ、間道とおもっている赤名からの道をさがした。しっかりとした道がこれも最後の民家でダートへとかわった。赤名でもダートにきざまれた轍があったから、きっとつながっているのだろう。 神社まえには三叉路ができていて、すべて江の川へくだっている。 この岡三淵は、むかしはおおきな交差点であったようだ。いまも6つの道がはいってきてる。その一つは廃道になっているが。 南へくだると江の川の港という町へでる。いま作木道の駅にのあるところだ。河川交通の盛んなころのなごりの「港」なのだろうか。山中の産物と海から運ばれる荷物は、牛の背中で運ばれたのだろう。御神-ミカミ-三上。御神-オンカミ-岡三。そして国に境、「フチ」だろうか。
by forumhiroshima
| 2009-09-25 15:10
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