作木の山を走っている。幾つもの尾根と谷、その間のすこしでも広いところに民家が点在している。といってもすべての民家をたしても、百にはならないだろう。30km四方をはしってみて、そう思っている。
自分の想像を掻き立ててくれる神社は、集落ごとまではいかないけど、けっこう存在していて、よく維持されてるとおもっていた。ところが、この地域にはお寺が少ない。赤名峠すぐの室と、江の川へ下り終えた伊賀和志にある。布野はここでは大きな町でお寺があるのがあたりまえだが、それにしても出会わない。
地図に山中の行き止まりの集落が寺前という地名で、そこにお寺マークがあるのを見つけた。行き止まりは、現在の情勢のなかで起きてることで、この尾根と谷の地形では尾根をこえる往還道はそこいらにあったはず、そうでなきゃお寺と寺前という地名がつくはずがないと思う。ありがたいお寺にちがいなく、有名なものだろうと、登ってみた。
尾根をまいて集落へはいると、広々として、数軒の民家の赤い屋根のなかに、大きなお寺の赤い瓦屋根が構えている。
修験者たちの真言か、浄土真宗か?などと、近寄って驚いた。前面すべて、やぶれ障子。障子の穴から覗いてみると、仏壇やしき台座があるだけ。本道に惹かれたたたみはほこりで灰色。すこし強く降り出した雨の雨漏りの音がどうか、ボウ、ボンと音がする。
これまで廃寺となった寺がいくつも見てきた。たいていご本尊は、どこどこの寺へと、案内があって、お寺はそれでも、集会場のように、座布団や机があったりしていた。
本堂が障子では、この地方の寒さにはいかばかりかと、感じるが、それいじょうに、寒い気分に包まれた。すぐそばの民家からおばあさんが現れた。ここは放棄された集落ではないのだ。
住職なし、本尊なしとなった、寺はただの建物でしかなくなったのだろう。それを、そのまま放置するしかない、ここの皆さんの思いとは?
おばあさんと眼があって、お互い会釈できたが、雨もあって、話できなかった。できなくて、よかったのかも。この廃寺を受け止めているのは、おばあさんなんだから。