こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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太田川・自転車遡江記-7

⑦筏と電力完全一貫開発
 山の木を山師が買うと、広島の材木商との話し合いで出荷の日程がきまる。山師はまず、杣と木挽きで組む「さき山」を現地へ送り込む。杣は木を切り倒し、枝をはつる。それを木挽きが板に挽く。これが終わると、現場(木場)から川に流せる場所(土場)まで搬出する。これを「木出し」という。木場から土場まで数キロにもなることもあった。木馬(キンマ)に乗せたり、木々を並べた滑木路で運び出す。この作業の担い手を木出しという。二十人ほどで泊まりこみで、秋までに二ヶ月ほどをかける。
 秋の出水や、春の雪解けの時期に木材を川へ入れる。これを「木流し」という。吉和の中津谷の奥に、葉が小さくて積雪に枝が雪でしなることの少ない八郎杉と呼ばれる名産がある深い森があって、そこからたくさんの木が伐採され、吉和川へ流された。この川を八郎川というが、国土地理院では主川と記載される。この川の水量がすくないところでは、堰がつくられ、水がたまると堰をきって一気に流す。川幅が広がってくると、モンピと呼ぶ堰をつくりその端にウツと呼ぶ水路に木を導き流す。今の立岩ダム堰堤の下流の打梨あたりから一本の木に前後に二人、また細ければ一人が乗って、岩をさけるように流す。
 これらの作業のために、川沿いに宿が民家をかりてつくられる。吉和では中津谷入口、花原、田尻、駄荷など、立岩ダムに沈んだ集落にも宿が設定されていた。ここまでは、一本バラバラに流される、管流しで、吉和郷の須床で筏に組まれた。中津谷奥からここまで30kmを秋で40日、春の雪しる水で30日かかった。筏は幅3m長さ30mほどであった。
中津谷奥の八郎川(主川)と八郎杉林、ここを木材を一本流しした。
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中津谷から立岩ダムを経由して見える川はとても筏を流すことが出来るとはおもえない。
戸河内の筏の浜
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吉和郷河畔の須床
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筏乗りは太田川筋で大正11年調べによると約140人
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轟浜上流左岸の筏組みの写真(山県郡写真帳)
戸河内を下って、戸河内インタチェンジ手前にある橋が轟橋。このそばが轟浜で、水流がうずまいてとどろくことからの地名。筏流しの難所という。この写真はそのそばの箕角浜。
 筏乗りは普通は、戸河内から加計、筒賀松原からなら向光石で交代して乗り継ぐ方法だったそうだが、向光石の人たちは「むかわ衆」とよばれ、卓越した技術で特別あつかいを受けていたという。向光石は川下にむかってなだらかな斜面があって、ここが筏置き場か?と想像した。 この筏流しも大正14年(1925)に久地・間野平への発電所の設置で、廃業が出始め減少をつづけた。
向光石の川岸のスロープ
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轟岩と轟橋
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 太田川流域の水力発電は中国山地脊梁の上流の高原に作られたダムから、長い水路を引き、
中流部に作られた発電所でおおきな落差を利用して発電する。地形の高度差をむだなく利用する巧みな設計がなされている。
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発電所は大正末期から昭和初期の第一次大戦を機に拡大された海軍工廠とその関連施設用のための建設、次に第二次世界大戦を前にした軍拡時期に作られたもの、そして戦後の昭和30年代の高度成長期に作られ、それは国土総合開発法の指定にもよる、発電に特化された建設だった。そのため川の流れは自然にながれる水量にくらべ、推計で加計で十分の一、飯室で十六分の一しか流されていないという計算もある。
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太田川の水流が送水管を経由して、川に現れない。
先日の8月1日に中国新聞にこの「水力」用取水が取り上げられていた。電力発電に取りすぎだという記事だ。これまで、幾度も浮上してくる流水量問題だ。
古くはこの問題は森林伐採と水量減少ととらえられていたこともあった。「加計町より木炭を輸送する荷船は、今より30年前は平水(標準水位)で2,6tの積荷積載と二、三人の船客を乗せて下りしものが、今日ではわずかに2tになり、2週間も降雨なければ、直ちに下り船を中止する有様」と森林伐採を非難している。森林伐採が大正元年から9年の間に、三倍に。薪炭林の伐採量も2倍と増加して。“杉の電柱百本を得んとするも困難”と、芸備日々新聞/大正12年2月8日にある。 昭和3年に山県郡木炭同業組合へ「近来における炭材の乱伐採はそのこれ最高潮にたっし、今だ伐採樹齢にならざるも炭材として使用せられ、このまま放置すれが数年ならずして欠乏せり」と訴える意見も残っている。
筏の写真(大正15年)を掲示しているが、その水量おおいよね?。今の状態では考えられない流れが写っている。これでも、下り中止する有様なんだ。
筏を組んだという須床で、鮎釣の竿師にであった。立岩ダムからの流れはおりからの雨ですこし濁っているようで、どうですか?と声かけてみた。「うーん大丈夫だろう。去年よりここまでずっといい」と流れに入っていった。後姿に、ダムの水でもいいんですか?「うーん、鮎も生きにゃいけんけーのー」。鮎も適応する???。
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鮎師たちの川の上流、筏師たちが、管流しで丸太一本に載ってここから誘導したという、打梨の小学校跡は静寂の雨の中だった。「・・遊学のための送金は各県とも50億円を下らないんですね。これを東京、大阪へもちだして、そこで消費している。しかも遊学した者は帰ってこない。結婚して都会の人間に吸収されてしまうんです。村の中学、町の高校で教育した子供たちも都会に出ていってますよね。つまり、これらの何兆円という金が都会に流れてる。しかも反対給付はないんですよね。宮本常一対談集から」常一さん怒ってる。
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by forumhiroshima | 2010-08-10 09:39
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