これは森重久弥が死去した向田邦子の墓標におくった言葉だ。うつくしい、心ある言葉だとおもう。
大阪から京都への京街道の中間地点の茨木の宿に、森繁久弥の生家があると聞いた。
受験勉強を強いられていたころ、日曜日の夜ラジオから流れる「日曜名作座」の森繁と加藤道子がかたる作品を勉強だからいいのだ!と自分に言い聞かせてかかさず聞いていた。その森繁の生家は大阪府の指定天然記念物のなったムクの木のそばだったという。巨木のある家か・・。
小学の低学年までの期間の居住だったそうだが、樹齢500年以上、高さ30mが丘に張り出して、そのたもとに生家があるという。
茨木の宿は淀川にはりだした丘陵にあって、古い川の湊だ。古くからの船宿を改装した記念館や街道の古民家、商家も整備されている。その記念館が発行した地図に巨木が記載されてあった。私鉄の踏み切りからの登りも上をみながら巨木の姿をさがした。地図もイラスト程度の精度だが、巨木だからすぶに現れる、と。
が、見つからない。丘陵を一応走って見たが、ダメ。ウネウネとつづく尾根にはマンションと住宅でうまっている。マンションにさえぎられているのかと、訊ねてみたが、ダメだ。最初に入ろうとした道にママヨ!と登ってみると、すぐにあった。この木、すっごい!
近づくともっとすごい。幹がふっとい。
この木の下が生家だときいた。丘のトップで明るい。森繁久弥は、はやく父をなくし、森繁家に養子にでた人。その出世作が織田作之助の夫婦善哉。
「年中謝金取りが出入りした。節季はむろんまるで毎日のことで・・」ではじまる小説の映画化の主人公は、自分は見てないが、よく知ってるって思ってるほど。
大阪はわからないが、その雰囲気は大阪のようにおもってしまう。そう、日曜名作座でやっていたのだ。そして主人公が森繁久弥自身のように、おもってしまってる。
幹の下にベンチが置かれていた。そのベンチは・・。
この指定席に座って、空を仰いで、そして歌をうたって、「知床の岬に・・」。そう聞こえた。
大阪ってすぐに歌や詩や映像や小説がでてくる町なんだな。