こひちろうの独り言 |
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この国の初めての政権ができた大和は大阪の東の生駒山系の東にある。大和朝廷はなぜ生駒を越えて奈良盆地を選んだのだろうか?
その神話の神武天皇の東征は九州から始まり瀬戸内海を東へすすみ、生駒のすそ野に到着する。先住者のナガスネヒコに追い出されて、紀伊半島へ。それでも大和をめざした。 その奈良盆地へ生駒をこえる峠を自転車ではしれそうなら挑戦することにした。パスハンターなんてかっこいいが、どうせ押してあがることになるだろう。峠に立ち奈良盆地・大和と大阪・難波を見わたせば、なにか心に古代ここをめざした人々に近づけるかも? 神武天皇の軍が「徒歩・カチより竜田におもぶく。しこうしてその道せまく、険しく人が並んでゆくことができない。それで引き返して」とある。その竜田越えの道が生駒山系の一番南大和川が奈良盆地から大阪・河内へながれるところの北斜面にある。 奈良盆地には古代、湖があった。6000年前には水深70m、2500年前には50mほどになり、その周辺に平野ができていた。神話の時代ここに弥生の稲作がはじまってきた。盆地にふる雨は大和川となって大阪へながれこむが、生駒山系に南斜面に大きな瀑布があったことは想像できるのだそうだ。その滝はいまは亀の瀬といわれる。大、地すべり地帯で、そこが浸蝕されていまの流れになった。昭和6,7年と40年代にも地すべりで川がせき止められている。大正12年地図 万葉集に「海原はカモメ立ち立つ うまし国ぞ あきつ島 大和の国は」がある。このカモメは河内湖からとんできたのだろうか。ここ奈良にも大きな湖があったという歌になろう。 この亀の瀬をさける道が竜田越えの道。 けこうな勾配がでてくる道は標高を上げて大きな集落・雁多尾畑・カリンドオバタに入る。まず読めない地名は、この集落の中央にある光徳寺にあった雁林堂・ガンリンドウが由来で峠・タオをつけてガンリンドウダオからだそうだ。 この道が竜田越えと呼ばれるのは、生駒山系から降りるとある竜田大社による。風の神様だそうで、ひろい境内がある。この東の法隆寺のそばに竜田神社があって、一応若宮で支店ってことなんだが、この竜田神社は法隆寺の鎮守で、聖徳太子が竜田大社から勧請したといういわれ。竜田はこの地にカミナリの神様が落ちて、空に帰れなかった。その神様を祭っていたが、いつしか竜となって天に帰った。で、たった、だそう。 生駒山系の峠の場所 どれもけっこう面白い峠です。が、押しもありました。
by forumhiroshima
| 2011-01-29 18:01
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