奈良、平城京から、784年桓武天皇によって長岡京に都が移転された。その長岡京の中心を南北につらぬく朱雀大道の設計ラインが生駒山系の北の端に近い交野山にいたるという。
長岡京の南北の設計ラインは西に7分(1分は1/60度)傾いているそうで、東経の誤差はこの結果なのだろうか。その交野山は山頂にイワクラがあり、麓の械物神社・ハタモノの鳥居が山頂を中心にいただくという。(日本の道教遺跡をあるく)
長岡京に移転をきめた桓武天皇は、この交野で史上二回にかおこなわれていない天神の祭をしていて、その祭祀はこの山へむけられたのか?という話もあって、ミステリアスな気分になった。械物神社の鳥居からは樹木が茂っていて、山頂がその向こうにあることは残念にもできなかった。
離れた場所から生駒の山系のピークのどれが、交野山か、300mクラスが並んでいて、判別できない。が、この山の威力を感じたひとがいたから、都の中軸になったのだろうから、なにか、モッテルにちがいない。
近くに北極星を神様とする妙見神社が妙見山にある。ここからは天の川の支流がでてくる。そして天女伝説があり、神社は星の森に鎮座している。
816年7月23日、7日でなくて残念ですが、ここ星の森に北斗七星の方向からペルセウス座流星群の母彗星スイフト・タットルからの隕石が堕ちているという。その痕跡はここの山の斜面が馬蹄形におおきく削られており、その隕石の記録が続日本紀にある。「宇宙の記憶・木内鶴彦」
この神社の本殿は尾根の奥の巨石の前にあって、妙見宮はどこも長い階段のアプローチをもっている。この森もあかるく、参道はいま掃いたようにホウキの筋目がつづいている。
この妙見は9世紀の隕石の記録ばかりか、この尾根の一つ北にある獅子窟寺の伝承にもある。急坂の尾根を登った場所にある獅子窟寺で空海が修行していると、その南の尾根にいくつもの炎が降りてきて、そのあとに輝くおおきな岩がみつかったことから、妙見宮がつくられたとう。
交野山からは京都盆地が望まれるというが、ここへの道路はどうもゴルフ場の私有地を通る様子で、それを理由に登りをあきらめて、退散した、振り返ると、どうもこのピークらしい山が雨にかすんでいた。