こひちろうの独り言 |
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このごろは、奈良盆地の南西部、葛城山の山麓へ走っている。
「この葛城山山麓で古代さかえた王朝-葛城王朝といっていい-が、その後大和盆地で成立する天皇家より当然古いという印象は、あくまでも印象だが、どの古代史家も否定できないであろう。その葛城古代国家の村々が葛城山麓に点々として残っている。「国ツ神」の村々である。「記紀」では、天ツ神の子孫(神武天皇や崇神天皇)があとから大和盆地にやってきて先住の国ツ神を平定したのだが、その古い聚落が、葛城の神々をいまなお祀って森の社を護持しているというのは、当然といえば当然だが、なにやら歴史の可笑しみのようなものを感ずる。司馬遼太郎/街道をゆく-1/葛城みち」 この歴史の可笑しみを感じたくて、古代葛城王朝の国へ走る。 街道をゆく、葛城みちのなかで、「この松林もちかぢか建設省の手で伐られるのだという。二上山のほうからここを通って和歌山へ行く産業道路ができるそうで、その道路ができればいまの葛城山麓の古色はまったくなくなってしまう」と嘆かれた産業道路・R165をルートして葛城山麓へ入っている。これが大阪から葛城の山麓への、もっとも短いルートなんだけど、どこか、司馬さんにケツ向けてねているような、どこかこそばゆくて、古道へ入ってみた。が、すぐに自分の位置を失ってしまう。条里制という四角のブロックの角を曲がるたびに、地図をみて確認するが、位置確認が地図上でできない。やはり国道へ。 「・・枝道から枝道へ入って。ややこしいですから私も覚えていません。なんなら自転車でね。」司馬さんが地元の友人に訪れたい集落への道を尋ねたときの会話だ。この訊ねたい集落「笛吹」への入口はR165にある「笛吹整備工場」のカンバンですぐにわかった。そこが集落への入口。道がつよい登りになり、家のかたまりをぬけると、笛吹神社があった。自転車だと、たしかにちいさなカンバンも見つけやすい。 笛吹という名に印象があるが、山口県周防大島にこの名の峠がある。そのそばには山中に不思議な名のある場所と、その尾根の西端に北辰の神社が鎮座する。古代の製鉄や青銅の生産設備のなごりでは・などといわれる。笛吹の集落の神社は笛吹とまた「葛木坐火雷神社」とも呼ばれる。笛吹は火吹、火吹男はヒョットコで、タタラ製鉄にかかわるってこともあるようだ。また笛吹きのまま、笛をふいて朝廷に奉仕していたともいわれる。 境内中央にふるい大砲がおかれて、笛吹のあの音色を想像するたおやかさは、ドンと吹き飛ばされた。 拝殿に注連縄と御幣がかざられて、風に吹かれる。木漏れ日がその白色にこぼれていて、どこかに吹き飛ばされた笛の音色がまた聞こえたようだった。 笛吹の村からくだって、葛木と地名にある場所へ。四角に道でかこまれた村ごとに神社があって、いつのまにか、町並みにまよいこんだ。おおきな鳥居のある古道で鳥居をくぐって神社についた。祭囃子がきこえる。境内はそれといって祭りの様子もない。拝殿の階段にひとり男がすわって、そこから笛がきこえる。チョット、出来すぎ、です。 お願いして、写真一枚いただいた。 追伸 火雷神社の御幣は雲からわきでる雷だときいた。 笛吹神社からすこし南下した場所にある当麻寺の参道でこの注連縄をみた。これ舟にみえませんか。 風をはらむ帆と、海をかく櫂。 古代この葛城にやってきた人々の海の記憶では?
by forumhiroshima
| 2011-10-04 09:15
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