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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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再現される国譲りとは

葛城の一言主の神様が、やはりここに祭られる事代主神となんだか似てるようで、気になっていた。そこにこの神様が鎮座される中間にある神社の記録に、事代主神は一言主の神と同神なれば・・(長柄神社・日本の神々4)とあった。

天皇の怒りをかって土佐に追放された一言主は300年もたって、呼び戻されることになった。神々の様にたくさんであってくると、この国の天皇たちは決して神々の味方、保護者ではないことがよくわかる。なにせ「神を追放する」のだから。そこらが、皇国日本といった人たちに尋ねたいところだ。

事代主の神様といえば、出雲の美保の岬の美保神社に鎮座ましましておられる。が、じつは美保岬にはおられないことになっている。
大和朝廷の創始者のタカミムスビの神が天孫降臨を指示し、その準備に降臨予定地の出雲へ先遣隊を派遣するが、これが出雲のいごごちの好さから居座ってしまって、役に立たない。そこで、新しくタカミムスビの神はフツヌシとタケイカズチを派遣する。この二人は出雲の稲佐浜に駐屯し出雲の神オオクニヌシに国譲りをせまる。するとオオクニヌシは息子の事代主の神に聞けという。そこで使者が事代主が釣にいってる美穂岬へ急行して、その話をすると、「しかたないね」と国譲りを認め、そのあと海へ入水して消えてしまう。このことを今も4月7日に青柴垣神事として美保の人々は再現するお祭りをされている。このあとオオクニヌシも入水して消えてしまう。ここでも事代主は追放される。
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葛城山の南に金剛山があり、その中腹に高天神社と高天原があって、そこにタカミムスビの神が鎮座されてある。
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後に三角形のヒモロギの山をひかえ、参道には巨木の杉が林立している。
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1
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その北にひろい台地があって稲穂が揺れている。
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そのタカミムスビの神が、平野の鴨都波神社に鎮座する事代主を追放したとかんがえる学者もある。「とかく神話というものは、ただの空想の所産であると考えられている。だが実際にはそうではない。過去に経験された歴史的事実にもとづいてつくられたものである。もちろん時代の経過とともに、その歴史的事実が次第に神話化され、説話化されるようになる。さらに古代の物の見方、すなわち思考方法が時代とともに変わっていって、そこには時代の差がみたらす観念的な相違も起こる。そのため後代の人たちには、理論に合わない空想的なものと映じるようになる。しかしその根底には、時間の流れのいかんにかかわりなく、過去の歴史的事実がふくまれており、それを探り出すことができるものである。日本民族が古く神々のいます天を、高天原と名づけとらえたのも、ただ観念的・空想的にその言葉をつくったのではない。そうした言葉ひとつも、現実の生活の中からみつけたものである。葛城の山の中腹のひろい台地に神々が集い、そこで神々の神遊びが行なわれると感じたのは、当時の思考としてはあたりまえのことであった。その神々のいますひろい台地を彼らは高天原とよんだのであった。神々と天皇の間/鳥越憲三郎」

出雲国風土記は古事記に20年おくれて完成しているが、その中に事代主神は記載されていない。葛城の地から追放された人々が、その記憶をもって出雲のそれも北の半島の最先端にたどり着いたとき、そこでいまも続く青柴垣の神事がとりおこなわれたとしなければ、それが追放という試練への再生の神事としなければ、いけなかったとは考えられないだろうか。入水した事代主の神は毎年、この神事で再現されるのだから。そしてそれを再生させる人々は「神々の神遊び」のことを理解しているにちがいないのでは。
by forumhiroshima | 2011-10-09 22:16
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