こひちろうの独り言 |
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明日香へ走っている。これまでも、葛城の山麓を下って、ちょっとだけ明日香へたちよってみていた。往復の距離がこのくらいで、いっぱい。走る距離の限界を思い知らされる。でも、これでは、足りない、のだけど。もっと向こうへゆきたい。
明日香へ葛城の山麓が金剛山の山麓にかわって、紀ノ川へくだりだす奈良盆地の南西の端に、風の森の峠がある。いい名前だ。この峠には風の神様・シナツヒコ命が居られる。シナはしなる、だろう。風は見えますよと、どこかで教えてもらった。草原や稲原を走る風はよくわかりますよね。草木はしなってます。が回答だった。 この峠が紀ノ川へ下りだす斜面からの吉野の山々の展望は、このごろの、すこしウツっぽい気分に入ってしまった自分を幾分か華やいだ中にもっていってくれる。そばの高鴨神社の森の遠望も好きだ。それに紀ノ川へのあかるい下りが、まってるようだ。まだまだ先がありますよ。人生にも。って。 この斜面に佐味という場所があって、この地名は4世紀とも5世紀ともいわれる時に葛城山麓の主だったカツラギソツヒコが、朝鮮半島へ出兵した記録が、記紀にも、またそのころの半島の国・百済の記録書/百済記にもあってソツヒコは実在だろうといわれる。そのソツヒコが捕虜を連れて帰り、この佐味に置いた記録が書紀にあることを思い出した。ここの人たちも捕虜として置かれたこの場所では、けっこう落ち込んでいたりして。なんだか身近に感じるね。ソツヒコはまた京都を開発したという、秦氏一族も連れてきている。現地語ペラペラ、スピードランニング!愛好者だったのだろうか?ね。 風の森峠から東にむかって、飛鳥へ。途中に兵庫、薩摩、吉備、土佐などの村が並んでいる。この村々が古代、朝廷に徴用された人々が故郷に帰れなくなって、集団で居住したという。また、ここから明日香へむかうルート沿いに、ソツヒコの時代よりもっと下った時代、朝鮮半島から渡来したという人々の村々が点在する。明日香の村のある場所は、昔は今来郡であったという。今、来た人々の場所ほどの意味。 「桧隈/クマはコマほどの意味か、高句麗がコマ」「栗原 /クレハラであったようでクレはクリからの変化で古代国家・高句麗をクリと呼んだことから」「稲淵 /南淵・ミナブチ請安の墓がある。608年から640年まで中国へ。百済人。南が稲/イナに変化か」「栢森/カヤノモリ カヤはカラで韓・百済、からか」 地名は古代のその人たちの故郷の国々だと、いっているのだそうだ。 飛鳥、明日香の地名は、安宿・アンスクから興ったという。「古代、航海のとき、船から鳥を放して、その飛んだ方向へ船を進めたという。それは鳥たちは陸地を感じることができるからだと。次に、島影を見つけると、その海水をなめて、塩の味が薄くなると、川がみつけられるという。上陸して安棲しえた場所が安宿であり、鳥が安棲しえた場所が飛ぶ鳥の安宿だ。 日本人はどのように国をつくったか。片岡智子」 自分たちを鳥に託した古代の人々の望郷が伝わる地名だとおもう。 明日香村の北端に豊浦寺跡がある。古代の宮殿の跡だという。下関に豊浦がある。浦は海に面した地名のようだが、浦は裏で表と裏の接点。海の「浦」は海の最後の場所で陸の始め。明日香の「浦」は田園の最後の場所で山の始め、じゃないだろうか。豊浦はここから下関につながり、半島へつながっていたのだろう。 いま故郷から引き剥がされた人たちがこの国におられる。フクシマは日本の「浦」ではない。ど真ん中です。帰還きっとできます。
by forumhiroshima
| 2011-10-18 13:30
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