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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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旧京めぐり-恭仁京/クニ京へ

7世紀、畿内と定められたその四方へ。北の果ては琵琶湖の湖畔、逢坂山。
そこへのルートを奈良・平城京から奈良坂を下った場所、加茂に聖武天皇がつくった恭仁京を経由して、その次に信楽京、そして琵琶湖の大津京へと決めて走り出す。
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聖武天皇は741年に加茂へ恭仁京を作り出し、すぐの743年に加茂から和束の川をさかのぼった信楽に紫香楽京を計画し建設開始。ここで大仏建造をはじめるが、中止して744年灘波宮へ移動。その翌年平城京に帰還し東大寺建設とめまぐるしい。
逢坂山の山麓の大津宮は聖武天皇のおばあさん、元明天皇のお父さん天智天皇が667年につくった場所。672年に焼け落ちている。そのあたりをグルリと回ってみようか、という計画。

加茂の恭仁京跡あたりは、ふるびて、ちいさくかたまりになった集落が緑の野原におおわれて、其の中を流れる疎水は日差しを底までうけてきらめいている。春の野はおもいきり背伸びして、家々に屋根をかくしている。うららかさに、ふと、自転車なんぞいらない!弁当があったら、冷えたカンビールがあったら、・・。
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背伸びした緑の中の木津川の堤防のそばに黒い繁みがある。鎮守の森にちがいない。
スタート前、このルートを地図で見ているうち、この神社は木津川の対岸にある勝手神社と同じ南北線の上に鎮座することに気付いた。そうすると、恭仁京の大極殿といわれる場所とそのそばの小学校の校門から南下する、恭仁京朱雀大路跡の道は北側の海住山寺とJR加茂駅の南の中山の集落とをむすぶ南北線の上にあることに気付いた。中山って地名は境界のある場所であることが多いそうだが、ここでは大和と山背の国境??
そうなると、いつもの病気で、地図上の神社や古墳をバリバリ直線でむすびたくなる。
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地図が直線で真っ赤になると、混乱を鎮めるために専門家の資料を漁りだす。恭仁京についての話はその存在期間が短いからか、すくなくて、岸俊夫、足立健亮お二人の話がみつかった。
古代の測量技術は、それはそれは、すばらしいもので、条里制などの田園の区分や都の大道の設計など、そのレベルへの賛辞はことかかない。その設計の基準点は、いまの三角点の標石ではなくて、神社と古墳などの宗教施設であることが多くて、この土地設計のために神社がおかれ、その土地神への敬意を表すようで、奥深い。あたりまえなんだけど、神社は人が設置したもの。そう思うと、ありがたみが・・・。

「ここ加茂に恭仁京がおかれたのは、天平12年(741年)から15年までの短い期間で、海住山寺もそのころ造られたようである。寺伝によると、天平7年、良弁僧正の建立で、はじめは藤尾山観音寺と称した。 木津川にそって/白州正子」東大寺の建設責任者の良弁和尚がここに顔をだしている。
恭仁京の配置については、岸、足立両氏の見解はその中心線でことなっているようだ。岸先生は設計基準のラインを加茂の南、平城山のある元明、聖武天皇の陵墓基点として南北にひく。足立先生は椿井大塚山古墳をその基準点にされているようにおもえる。ただ岸説では宗教的な意味合い、元明天皇がこの恭仁京をつくった聖武天皇のおばあさん、そして聖武天皇はその発願者で、説得力あるのだけど、じつは木津の町からは陵墓は見えない。GPSがあったのか?。

鎮守の森の中へとはいってゆくと、先客がおられ境内を掃除されている。神額に恵比須神社とあった。すぐにカメラと三脚をもった方が入られてくる。境内がざわめいているようだ。境内に標示がある。
「当社はいちど流され、西宮に流れ着いた。そのとき住民にエビス様から、向かえにくるようにご信託があり、舟をだして西宮へ行き、まず対岸の勝手神社について、そののちここに鎮座された。」とある。いまも御座船の神事がおこなわれているという。
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「海住山寺には補陀落山と山号がある。本尊の両側には補陀落渡海の図が描かれている。時代はずっと降って室町中期の作であるが、この寺の信仰がうかがわれて興味がある。・・補陀落山とは、いうまでもなく観音の住む浄土で、入水することによって成仏するという信仰は、熊野の那智の海で起こった。こういう壁画が描かれたのは、この山号と無関係ではあるまい。してみると木津川を熊野の海になぞらえたのであろうか。 白州正子」
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引き返して、対岸の勝手神社に走った。道路と平行にある参道の入口は数台の軽四トラックでうまっている。鳥居のそばの社務所に礼服のおじいさんが座っていて、そのそばをこれも正装の数人が三方をささげて、神社本殿への石段をのぼっている。参拝は遠慮した。というより、社務所前を通り抜ける勇気がでなかった。勝手は後ろ側、とか弓を引く右手とか、補助の言葉だろうが、その呼び名が神社に付いていて、そこに正装の男どもが静々と進む場面があって、見てるだけでも、迫力ありましたよ。彼らはまごうことなき恭仁京の住人で、廃墟の番人で、あろうよ。勝手神社は観音寺という土地にあります。
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by forumhiroshima | 2012-05-15 11:57
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