こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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メモ帳

千日回峰行・京都切廻りコースへ、「思い立つ-1」

下鴨神社では流鏑馬の祭りの運行の準備が始まっている。河合神社の境内は入れなくなっていた。心のどこかで、流鏑馬のあとの祭り・御生祭にむかう御蔭神社へは古来そうであった馬でなく、今は車なのだろうけど、と。前回にも文句いってました。ちょっとしつこいね。でも残念!馬で行ってほしい。
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御蔭神社のある八瀬には比叡山へのロープウエーの駅がある。そのそばの神社入口に小野毛人墓があると標示され「慶長18(1613)年,ここ崇道神社裏山の石室から短冊形の墓誌が発見され、その銘文 から,遣隋使として有名な小野妹子(生没年未詳)の子小野毛人朝臣(?~677)の墓と 判明した。墓誌はのちに国宝に指定された。」とあった。そしてこのあたりは古代の小野郷である。とも記載されていた。
小野妹子と毛人親子と、蘇我馬子と毛人(蝦夷)この二つの飛鳥時代の親子の名の相似は、なぜだろうか。

「毛人・エミシと名乗る人に蘇我毛人がおり、平安京をつくるにあたって功績のあった佐伯今毛人・サエキノイマエミシがある。また7世紀の墓誌をのこす小野毛人がある。いずれも身分の高い人で畏敬の念をもって見られていた人たちではなかったかと思う。・・もともとこの列島に住んでいた人たちは毛深かったのではなかろうか。そして毛の深いような人はたくましく力も強く、多くの人々にも畏敬され、信頼もされていたのではなかろうか。 宮本常一」
もともとこの列島にすんでいた人々は縄文人とよばれる。
「食料を採取している人々の中では、世界的に見ても縄文人ほど豊な暮らしをしていた人は少ないでしょうね。奈良国立文化財研究所・佐原真氏がいう。・・縄文時代の最適地だった東北地方の大部分のひとびとは、そのような(米作りという)新来のものに魅力を感じなく、・・縄文のよい暮らしをすてて泥田を這い回る気になれなかったのかもしれない。 街道をゆく38司馬遼太郎」
考古学教室が国内で最初に設置された京都大学の構内で発掘された縄文の人々の暮らしのすぐ500mほどの場所で同じ頃、縄文末期の田んぼが見つかっており、縄文人と弥生人との差はないものと考えられると、京都大学考古学教室の報告書はむすんでいた。京都の縄文人たちは、稲作と結びつくことが早かったのだろうか。

八瀬から比叡山を越えた東、琵琶湖に面した湖畔に小野の地があり、清んだ流れが走る境内の小野神社があったことを思い出した。そうなると小野という地は比叡山をおおきく包むようにあることになる。
京都白川の縄文の人々は比叡山をその採取の庭としていたようで、白川で災害があったのか、白川の遺跡が消える時代に比叡山の東の山麓の縄文人の人口がふえていることから、白川や八瀬の人々が移動したと考えると京都大学の発掘調査報告にある。
古代の人々は山からの採取は日常であったこと。比叡山の細部までこの地の人々、麓に神の屋代をおく賀茂とか、墓地をもつ小野となどには知られていたのだ。山は生きる糧の場所。採取する人々は、縄文人であろう。

「今の黒竜江、烏蘇里(ウスリー)あたりに占拠していたツングース族の中、最も勇敢にして進取の気性に富んでいたもの(オロッコ)は、夏季の風浪静かなる日を選んで、船を間宮海峡或いは日本海にうかべて、勇ましい南下の航海を 試みた。・・樺太は最初に見舞った土地であったろう。彼等の船は更に蝦夷島を発見して、高島付近に門番(オトリ・・・小樽)を置き、一部は上陸し、 西村真次“大和時代”より。 司馬遼太郎・歴史の中の日本」北方民族がこの列島に北から渡来してきた話である。縄文人の一部の人々だろう。

このオロッコの人を司馬遼太郎は現代に発見している。「北川アイ子さんは、日本における最後のウィルタ語の語り手である。・・ウィルタ(旧称オロッコ)の北川アイ子さんは、網走市の大曲に住んでいる。・・この季節(司馬さんが尋ねた季節※ドイ)前夜に雨がふると、アイ子さんは必ず森に入る。落葉松のまわりにきのこがあがっているはずだからである。・・アイ子さんは川に入ることもある。シジミを採るためだそうで・・。アイ子さんは民族の故郷であるカラフト南部でうまれ成人した。そのころ日本の敗戦をむかえ日本人の引き揚げを手伝いつつ、結局は彼女も両親や兄たちとともに海をわたって網走に来、ここがついの棲家になった。・・ある時車にのって札幌に向った。・・走っていて、あたらしい山に出くわすと、アイ子さんは車を止めさせる。ゆっくりと下車し、あたらしい山のために菓子そなえる。 司馬遼太郎 街道をゆく38 オフォーツク街道」

「歳暮・初春その他の行事に村里へ下って山のことほぎを行うものは・・思いの外に深い山中に住んだ者が多かったのです。これが隠れ里の伝説の起源であって、そうした生活法を受け継ぐことに、不思議も、屈託も感じない者が多かったのです。・・みな山人として祝言職を持っていたのです。この山人の中、飛鳥末から奈良初めにかけて・・長期の隔離生活に耐え、山の神自体としての力を保有しようとした山人の生活に、仏教・小乗式の苦行の理想と、人間身を離脱して神仙となるとする道教の理想をとりこんだ・・折口信夫/翁の発生-山伏」
比叡山・延暦寺の修行僧・光永澄道師は「青春から中年にかけての12年間、比叡山にこもっていた。この間、延べにしておよそ地球上一周ほどの距離を歩いた。千日回峰という。文字どおり千日のあいだ、一日30キロから84キロの行場を歩く。84キロになると一日中歩きづめに歩いている。まったく意識モウロウであり、・・回峰行は人間が人間としての特権である文明を拒否して、原始人に立ち戻らねばできぬ行であり、  “ただの人となれ”」に書いている。

785年まだ京都・平安京ができていないころ、19歳の最澄が比叡山に籠った。その山中での生活はどのようなものだったのだろうか?と、ご飯の心配をしてしまう。
最澄は東大寺での修行の末、僧としての国家資格を取得している。国家公務員だった。その職をすてての山篭りではあるが、「従来の仏教のあり方を全部否定して、山林に逃れたのではないのであって、当時は彼ら官僧たちも、その身分そのまま、山林での修行を許されていた。・・現在の大学教授が、ある期間教務を離れて、在宅研究、あるいは内地留学、外国留学を許されるのと同じようなものである。永井路子 雲と風と」
「最澄の草庵の地といわれるところに建つ本願堂は・・叡山の唯一の水源も近い。・・古代人は、風道を見分け、巧にそれを避ける勘にかけては現代人の及ばないものをもっている。最澄み鋭い勘で嗅ぎ分けたか、案外それ以前から付近に似たような山林修行者がいたか・・雲と風と」
公務員給与でていた、のかな?振込みできないよな。誰かに助けられたのか?。
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比叡山というフィールドを7000年前から生活の場としていた狩猟の縄文人の経験を弥生人をいわれる稲作農耕人が受けつがなくて、その土地の“雲と風と”水はわからない。その山人の弥生人の集落への“ことほぎ”が、千日回峰行のなかで84キロをあるく京都切廻りではないかと、フト!思いついた。走ってみよう!!か。

この切廻りのコースに情報を集めたが、どれも細かい情報がない、けっこう大雑把なものばかり。それを一応都市地図に落としてみた。が、コースを決められない。けっこう詳しそうな地図でも、細部がすごく違う。
そうなりゃ、走ってみるしかない。古道、古道!とこれまで叫んできた行きがかりからも、ここでは引けない!!ぞ。
コースに賀茂波爾神社を見つけた。京都でまだ知らない賀茂さんがおられる。まだおられるの!そこにも行ってみたい。
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※京都切廻り「京都が初夏を迎える頃、比叡山から白装束の一行が下りてくる。毎年、この時期に繰りかえされる光景は、回峰行者が一日だけ京の町をめぐる「切廻り」だ。
行者の行く先々の道端には人々がひざまづいて待っている。回峰行者は不動明王の化身と信じられ、京の人々は回峰行者を通して不動明王を拝み、その呪力によって加持を受けようとしているのだ。
行者は、比叡山を未明に出発し、雲母坂から赤山禅院に下りてくる。
赤山禅院から、真如堂-行者橋-八坂神社-清水寺-六波羅密寺-因幡薬師-神泉苑-北野天満宮-西方尼寺-上御霊神社-下鴨神社-河合神社とめぐり、赤山禅院から雲母坂をのぼり比叡山にもどる。切廻りが終わると、京は夏の準備がはじまる。」比叡山・千日回峰行HPから
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by forumhiroshima | 2013-05-04 13:18
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