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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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オックスフォード

英国の首相のデービット・キャメロンはオックスフォード州を選挙区にして、オックスフォード大学の出身。オックスフォードの地名はoxen・雄牛が渡るford・浅瀬の意味だという。キャメロンは連れている牛の半数にみたない数しかこの浅瀬を渡らすことができなかった、ことになった。

古代、狩猟者であった我々の遠い祖先は、だんだんに狩猟者が増え、衝突し狩場が少なくなってくると、新しい稲作という革新技術の伝播もあって、定住して農耕にいよいよ従事することになる。生きるための選択がそこにあった。が、彷徨の自由な生活を続けようとする男たちもいた。それは今も変わらないだろう。

出歩きたい彼らは、働かない代わりに、他人の労働によって生産されたものを遠くに運びその対価を受け取り生活の糧をえようとした。かれらが、農耕の始まった世界の旅人になった。

商品を担いだ旅人たちの経験が積み上げられ、クチコミで伝えられ、同じ峠をぬけ、同じ川の徒渉地点で渡った。そこは馬、牛の動物たちの徒渉地点だった。この国ではイノシシの獣道だといわれる。ウジ道とよばれた。鹿は岸壁を直登できるし、猿は木立をブランコするから。道の交点、古代大和人たちのいう衢・チマタという道と道の交点、川の徒渉地点と道の交点に、人々があつまってきた。

「ボスポロスは牛の徒渉地点のこと。オックスフォード、クラーゲンフルト、ハーフホード、ストラトフォード、ティーフルトすべて徒渉地点をあらわしている。ユーフラテスは立派な橋のかかった河、という名である。(道の文化史・シュライバー)」


古代中国・唐の首都・西安は黄河を渡川するもっとも安全な場所であった。中国はいつも西にむかっている国だという。シルクロードはこの西安をスタートフィニッシュポイントになる。正倉院までのルートは、中国ではシルクロードとはおもっていないのじゃないか。首都は西安!なのだから。


“橋”は端をつなぐこと、をいう。キャメロンさんはオックスフォードの橋の真ん中にひっかえして、座り込んでこれからを思案しているのだろうか。・・・・長崎・思案橋ブルース。

城を築き、広島と命名し戦闘基地を作った毛利一党が去って、変わって入城してきた福島一党は広島を徒渉地点と海への連絡地点として、商業都市に生まれ変わらせると信長の着眼点を模倣し、道でディベロップしようとし、それまで東の府中からは温品へ、戸坂へと抜けていて、広島に入っていなかった西国街道の引き込みを計り、城北にそのルートをつくった。信長の楽市楽座トレンドの導入だったか。いまのJR山陽線の南側にそれが生まれた。いま最も城北通りという。

この道と川との交点、城の西側の本川を渡るいまの空鞘橋はロープを渡した渡船だったのではという(確実な資料は見ていない)。東側、猿猴川を渡るに、常磐橋が造られた。

オックスフォード_d0089494_16412545.jpg

土木事業において計測・くい打ちに使用される縄を作業終了ののち稲荷神へ奉納する。上古の書には、設計と書いて縄張り・ナワバリとルビをふっている。(893と書いてナワバリ、もあるかもしれない。)  縄は“稲”の穂がないもの“ワラ”から作られる。

古代渡来してきて、池を造り溝を切って水流をコントロールし、また堀で排水する田園の土木工事をした「秦」と名乗った集団の創建の守護神が稲荷神でもある。縄張りは建物にもおよび、そこに稲荷社を併設した。

島普請といわれた、湿地に広島城と町を建設する設計図に堅い地盤を探して、置かれいくつもの起点、その起点に稲荷社が置かれたのではないか?と思っている。白神社境内の稲荷社に築城時に六つの常盤稲荷が勧請されたという掲示が以前あった。ここもその起点になった稲荷社なのだろう。白神社を含めこの六稲荷社の場所はどこか?と探している。市内の多くの独立した祠の稲荷社に走ったが、まだ確信はもてていない。

ズバリ「常磐」は、力強いポイントを示している?とその場所の発見を期待している。島普請の設計のアイデアが伝わってくるかもしれない。そうして、広島の設計者がこの地に立ったときの、景色が見えるだろう。彼のファイトが伝わってくるかもしれない。

探している常磐の名がつく常盤橋に、その常盤稲荷社の一つが、橋そばの二葉の里の鶴羽神社にあるかと、訪ねた。

オックスフォード_d0089494_16420601.jpg

境内の稲荷社の額(額束とも書かれる)に「椎木稲荷社」とある。神社のパンフレットに鶴羽神社は、古名ハ椎木八幡神社であったとある。

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椎木はシイノンキと読むのだろうか。播磨国風土記の尓保都比売命の記述の中で神功皇后が攻め込む半島の国、新羅を“比々良木”と書いている。椎木・シイノキとヒイラキと似てる、よな!と妄想がわき出す。八幡宮だったというし、ここに新羅の神の到来があった痕跡がこれになるのだろうか、上流の白木山を連想する。。

常磐橋の地点には今はない川の分岐があった。明治初期の古地図に古川村と記載される地域がそれで、いま天神川とその下流地域を含んで流れていた。ニギ津神社右よこに入り光町へ続くみちが、そのなごりだ。

このあたりに、植樹林での堤防補強の地名の「松原」、砂洲のあった「大洲」「大須賀」、氾濫原の鎮守神鎮座の「荒神」など、川の地形からの地名がちらばっている。

一方、常磐橋の西側には白島、中島、吉島(葦島)と、河口の堆積による微高地・三角州の地名が散らばっている。馬をも引き込むカッパの住む激しい流れを予想させる猿猴川の特異さとの大きな違いがみえる。

ここを南北に分岐させ、東の佐伯郡、西の安芸郡の境界ラインがひかれていた。のち川の氾濫原はずっと南下し沖に伸び続け、城ができ町が広がって、この二郡を合わせて、安佐となる。

太田川の古い河口で、違った二つの景色を分岐する地点に鎮座するこの鶴羽の神は八幡神だというが、・・・稲荷神であっても??いいかもしれない。川と道の交差点になり、そこの鎮守が望まれただろうから。

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ここにもう一つの姫神の伝承がある。

東広島市・八本松、原の自衛隊演習地の奥にMTB華やかりしころ、迷いに込んだ。姫池という美しい池、また松原に囲まれている七つの池が階段状にならぶ、ナナツ池と、里山の景色が広がっている所から西の尾根に向けて林道がはいっている。演習地を抜け登りの道がすっかり森にかこまれたころ、正面に幽霊屋敷のような立派な造りの神社が現れた。夕方の暗さがしのびよってくるころで、不気味な印象だった。そこに、広島市内の鶴羽神社との関係が掲示されて、この神社の名が小倉ということがわかった。その印象はとても深くて、それから他所の山中の森に囲まれた神社に出会うと、この小倉神社が浮かんでくる。

伝承によれば、源頼政(平安末期の武将)の側室、菖蒲ノ前の領地が西条にあった。頼政が戦いに敗れ自害したのち菖蒲ノ前は西条に住み始めたが、地元の豪族に追われ八本松の姫池でいよいよ捕えられるとなったとき、侍女の鶴姫が身代わりとなって菖蒲ノ前を逃がすことができた。菖蒲ノ前はこの地で生涯を終え、小倉神社の祭神となった。

鶴羽神社のHPでは菖蒲ノ前の遺言によって1204~1206年ごろに勧請されたとなっている。1192年鎌倉幕府開幕ののちになる。祭神は菖蒲ノ前となるのだろうか。HPでは八幡三神とイザナギ、イザナミで鶴羽根皇大神という。鶴羽は背景の双葉山が鶴が羽を広げた形ゆえ、それまでの椎木山から変更されたと。侍女の鶴姫の名が気になります。そのころは小倉神社だったかもしれない。

神社に併設されている結婚式場が騒めいて、歌が聞こえてきた。

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by forumhiroshima | 2016-06-30 16:44
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