こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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メモ帳

「出雲」の発生

平田にある小さな宿屋をたずねたかった。数年前にツーリングのブログで出雲・平田に素泊まりの古い宿の記事に出会って、行きたい気持ちがチクチク刺激していて、やっと出雲へ向かった。

一畑電鉄の平田駅そば路地奥にその宿があった。素泊まりの宿をツーリングで選択することは、宿の夕食を頼んでないことで“遅れてすみません、”のストレスがない。が、飯は用意されてない。そのハザマは微妙である。

翌朝、宿から南へ斐川町の築地松の景色に入ってゆく。東へ向かえば斐伊川の河口とその沖の宍道湖にでる。有名な湖畔の東の松江から西へ見る夕日の宍道湖より、湖の西の斐川町から東へ見る朝日の上る宍道湖の景色を朝日の時間に見たかった。松江でなく平田にいるのだから。

斐伊川土手に上がると南の尾根の切れ間から雲が湧き出ている。モクモク、モクモク。押し出されて白い長い流れが朝日に照り返されていっそう白さを増している。宍道湖面の朝日を忘れて、這うように伸びる姿にひきつけられた。この季節にどこでも見る朝霧よりも、もっと濃い白。宍道湖の朝の景色のことを忘れていた。
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翌朝の平田の町並みが白に沈んでしまった。
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「きり」と「もや」の違いを考えたことがある。どうでもいいのに!と思いながら。正規、気象庁によれば、1km以下の視程(視界)が「きり」それ以上の視界があれば「もや」、なんだそうでした。
視程は100mもないホワイトアウト。正規「きり」。いきなりに対面して自転車は現われる。
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「きり」を抜けて宍道湖の北河岸へ。高く上った日差しの中の湖面は水鳥が一面に浮かんで静か。その先の松江の海岸から、湖面を滑るように白い霧が走ってくる。西からも東からも、湖面を舞台に「きり」が登場してくる。
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「出雲とはどういう意味か。風土記には出雲郡に出雲郷の名がみえる。斐川町の西部、斐伊川が大きく湾曲するところがそこに相当する。八束郡の東出雲町にも出雲郷があるが、これは出雲国府がそこにできてから、余部・アマルベ(古代行政区分)を郷(古代行政区分)にして平安時代以後につけた名前で、本来の出雲郷はやはり斐伊川の下流を指した。古代の国名というのは、もともと一国内の小地域の名であったものが、しだいに大きくなって国名になるという経過をたどってできたものである。出雲の場合もそうである。 谷川健一・出雲の神々」

どうしてそこの地名が「出雲」になったのか、は語られない。

記紀は“立ち上る雲の国”とされ、またイズクモ、イデクモから、厳雲・イツモではないとか、吾妻・アズマに対して“夕つ方・ユウツマ”由来とかがある。厳藻・イツモ、イツという美称を付けた藻だという説も出てきて、かしましい。

地元郷土史家で出雲国風土記研究の第一人者の加藤義成の説がある。
斐伊川が出雲平野へ山中からでるところの西河畔に三谷と呼ばれるちいさな谷筋があり、そこは特異に霧が沸きやすい所で、地元では三谷霧とよばれる。この場所あたりから斐伊川右岸が古代出雲郷で、この谷から霧が広がって、雲になることで、八雲立つ出雲となったという。雲の湧くことが印象的な国だという。三谷には出雲型といわれる四隅突出型古墳の上に三谷神社が鎮座している。古代の聖地だろう。古代出雲人はここから生まれる雲に聖なるもの、かれらの国土のプライドを感じたのかもしれない。加藤氏は三谷の斐伊川の対岸の加茂の人で、幼年期からこの景色を見ておられたのではないだろうか。
いま、ホワイトアウトの中にいると、彼の確信を感じる。

霧をふきだしていた古代出雲郷の中心に鎮座する神は、出雲国風土記で“国引き”を歌った“八束水臣津野命・ヤツカミズオミノミコト”という。「出雲と名づくる所以・ユエは、八束水臣津野命・ヤツカミズオミノミコト 詔・ノ りたまひしく“八雲立つ”と詔・ノ りたまひき。故に 八雲立つ出雲という 出雲国風土記」
鎮座する社・ヤシロは出雲国風土記にある「出雲社」、現在の斐川の富村の富(トビ)神社とされる。
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が、この神社は加藤義成・出雲風土記校注で、風土記には記載ないとしている。江戸時代の国学者、本居宣長の古事記伝では、八束水臣津野命・ヤツカミズオミノミコトは「いたく功績ありし神なのに、その御社の見えぬは、如何なるにか、」という。ゆれる富神社の祭神。

司馬遼太郎の「街道をゆく、夜話、1961中央公論」に“生きている出雲王朝”がある。
新聞記者時代の同僚のW氏が、ある日、司馬さんに自分は出雲の語り部だと打ち明ける。出雲の国譲りをオオクニヌシに迫ったのが“進駐軍司令官・アメノホヒノ命”。大和朝廷は大国主命を断罪し天日隅宮へ送った。「おそらく、大国主命は殺されたという意味であろう。朝廷はアメノホヒ命とその子孫に永久に宮司になることを命じた。W氏が当主であるW家は出雲大社の社家である。と言った。あなたのご祖先はなんという名のミコトですか。大国主の一族はすでに神代の時代に出雲から一掃されたはずではないか。ある事情により一系列だけが残った。私の祖先の神がそうです。 司馬遼太郎」
司馬遼太郎らしくないスキャンダラスな一遍だが、それだけに司馬さんだからこそ、引き込まれる。

週刊誌・女性自身のシリーズ人間に「4000年のタイムトンネルに生きる男」が掲載された。その雑誌は探せなかったが、1980年に発刊された「謎の出雲帝国・天孫一族に虐殺された出雲神族の怒り 吉田大洋」がその概要を伝えている。そこには司馬さんの「夜話」に書かれた内容がもっと詳しく記載されている。W氏の氏名が明かされていて、富富雄・トミマサオとされている。W氏が富氏、司馬随筆との違いの説明はそこになかった。

富家の祖先を祀った神社が富神社だという。

富富雄は16才のとき、富家の本家である叔父 富曉若・トミニギワカの養子に入りその冬、出雲大社の東、天平古道沿いにある出雲井神社へ身を清め、白い服にはだしで向かい、語り部となるスタートを切ったと語る。さくらに囲まれ数段に作られた土地の上に小さな祠が鎮座する出雲井神社は岐神(久那土・クナド)を祀る。クナドはここにくるな!来な処、と叫ぶ神だといい、フツヌシノ神(国譲りを迫った神)に従い、逆命者・シタガワヌモノを切り殺した。その帰順・マツロワヌ者の首領がオオクニヌシとコトシロヌシで、彼らは八十万・ヤオヨロズの神々をつれ天に上ったという(日本書紀第二巻)。
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出雲大社の北の海岸の鷺浦から日御碕へぬけるルートの峠にも岐神の小さな祠に道に向かわず西の海に向いて鎮座してあった。出雲の在所の大社を守っているのだろうか。
オオクニヌシの子孫が進駐軍の側に付き従うという役割は、ドラマですね。出雲井神社は昨年出雲大社によって、屋根などが修復されている。いまもその役割が期待されているのだろう。

富神社の今は斐伊川から離れて鎮座している。過去に移転があったともいう。その境内は斐川町の神々と同じく砂地に松の間にある。鎮守の森は持っていない。川の砂州にあるからだろう。斐川町の古道は以前の川の流れに従っているようで、たとえば出雲空港は以前の放水路に建設されている。
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富神社そばからR9国道と富村信号の交差点を越え斐川町中央をはしる古道は、緩やかに斐伊川に沿って走り、昔堤防をおもわせる。富神社は川の氾濫を遮る神が鎮座していたのではなかろうか、と思ったりする。または、出雲大社の防御の神か、とも。

出雲国造出雲治郎の三男出雲信俊が715年出雲郷に分家された。713年、古事記の出来た翌年、各国に風土記編纂の指令があったころ、なにかが連動したか。「我が御祖神合祀祭神をもってこの里人氏神として富大明神といい・・・」信俊はここに我が神アメノホヒを勧請している。
富神社の周囲に神氷、神立などの地名を囲むように出雲大社の社家の千家、北島両家の名の地名がみえる。ここに両家の別邸があったという。
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富富雄は富神社の神紋は「矛」を交差させていたが、ある時「矛」から「大根」に替える圧力があったと語る。神社の東の荒神谷で発掘された銅剣に「×」が刻まれていた。このバツ印が神社神紋だともいう。
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今、神社の由来は「きり」の中。神紋の大根は可愛いくて、オシャレにおもえるのだが。

1300年の時間の累積の「きり」は深い。

 “答えは風に吹かれている   Bob Dylan” 。
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by forumhiroshima | 2016-11-28 04:56
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