こひちろうの独り言 |
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『司馬遼太郎が質問した。「あなたのご先祖は、なんという名のミコトですか。」「私ですか」とW氏はすこし微笑み、ながい時間、私を見つめていたが、やがて「大国主です」といった。(生きている出雲王朝 街道をゆく夜話より)』続けて、
『W氏によれば、神代以来、出雲大社に奉斎する社家のうちで、大国主系、つまり出雲の国ツ神系の社家は、W家一軒ということになるのである。それではまるで敵中にいるようなものではありませんか、というと、W氏は「出雲は簒奪・サンダツされているのです」といった。つまり高天ガ原から来た天穂日命の第二次出雲王国の子孫が国造・クニノミヤッコとしていまの出雲を形而上学的に支配しているが、W氏にとっては「簒奪」ということになるのである。(中央公論 1961.3)』 簒奪・サンダツ・・・君主を滅ぼして権力を奪うこと。※Kanji Pedia その“簒奪”があったことを表すことに、W氏の家紋の変更がいわれる。いまW家の家紋は大根である。 古代のことではないのだけど、簒奪のいわくの古い家紋を見たくて探してみた。 『家系をつたええるものがすでに幼少のころにえらばれ、長い歳月をかけ一家の旧辞伝承を細かく伝えられるというのである。W氏はすでにその子息のうち一人を選んで、伝え始めているという。(生きている出雲王朝)』 「出雲と蘇我王国」斉木雲州というペンネームがこの子息であろうか、その著作という本の挿絵にその家紋を見つけた。 出雲のどこでもと言っていいと思うが、神社境内そばにしめ縄を掲げた神主の家があり、社家と呼ばれる。小さな神社の集落では宮座という神社に奉斎する組があって、順番などで神主を務める家にも、しめ縄が張られるようだ。神社と社家との名の関連の歴史を考えたりする。出雲国風土記にでる役人の名があったりすると、とても得した気分になれる。神社と社家のセットがいくつも現れるルートをたどると、第一次出雲王国に住民登録した気分。上古から文字の記録のない神代へ、景色の舞台が回りだすというゆっくり景色の流れにおられる自転車の旅の不思議そして魅力。 神代からの伝承を“簒奪”とはせず、プライドとした人々があった。明治維新の時、地方の名門にその系図の提出を命じた。その中に天孫降臨以前に神武天皇と戦い敗死したナガスネヒコの兄・安日・アビを始祖とする系図が東北・旧陸奥国にあった秋田家が提出している。宮内庁からは、始祖を大和朝廷の大比古命にしたらと指導したが、はねつけたという。 明治に華族の階級がつくられ、そこに位することで、旧家の人々にその血統のプライドが保たれたのだろう。戦後GHQによる華族階級の崩壊からも、そのプライドが社会に現われることが、出雲という古代神話の地であったということだろうか。司馬遼太郎の「夜話」から話題となった昭和35年は終戦から高度成長へ世相が変わったあたり、旧家のプライドの終焉の時代だったのかもしれない。 大根の家紋とされた紋章は丁子・クローブの家紋としてたくさんに使われている。 天皇の退位のことで、「神に退位はない」、とでも語る人をTVでみていて、古代出雲の断片を探しているような、古い家紋の話をしているような、自分の足元に怪しさがあるのではと、ふと感じてしまった。 古事記や万葉集の研究者の西郷信綱は、古事記や日本書紀の知識が庶民までひろがってきた江戸期には、例えば、村の鎮守の由来に、すっごく昔のことだがね!と語るとき、イザナミ・イザナギの神様のころって語ったといっている。災害を起こす荒神の神様はスサノオでとしたというし、季節の神さまをアマテラスとしたという。のびやかで微笑ましい。こころに落ち着く見解だ。それでいいのだと思う。
by forumhiroshima
| 2017-01-04 13:03
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