こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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メモ帳

要塞の伝説

関ヶ原の戦いが終わり、江戸幕府の統治が始まると石垣を持つ城が築城されるブームが到来。徳川の大阪城1620-1629年、名古屋城1610年、熊本城 1606年、丸亀城 1615年。

それに比べ広島城1592-1599年 それに先行した三原城1582年と毛利氏の築城は早い。強力な武力と権力を思わせる。

普通に築城は台地や小山、尾根の崎などを立地としている。砂州や岩礁などの軟弱な基盤への毛利一族の築城は、海へ進出のためにその困難さを乗り越えてようとした。

全国に地方空港が建設された“航空機の時代到来”のように、大型船の時代到来を迎えていた。秀吉の1592年築城の伏見城(指月山)は淀川から引き込まれた水路と船溜が造られている。山から川へ海へ、水路(澪標・ミオツクシ)を求めて城が動いていく。

早く築城していた三原城を見本にしたような秀吉の伏見の城だ。

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三原城は海の中に浮かぶ城といわれている。海に向かっての城下に市街地はつくられていない。明治27年(1894)城郭は駅になった。そのころの駅の写真の海に市街地はない。

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そこは要塞だった。秀吉が伏見城に入城したのは三原城完成の12年も後の1594年だった。小早川隆景への秀吉の評価は高い。

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広島城は、西搭川・川幅17.5m/河岸9m,平田屋川・川幅26.7m/河岸寸法11mの海からの運河があった。西搭川埋立地が紙屋町南向の電車通り、平田屋川の埋立地が並木通りになった。本川左岸に住吉神社が置かれた船溜と水主町という、港の施設となる町もあった(日本建築学会中国史部研究報告 第32H21/3)。

二つの運河(平田屋川、西搭川)を渡る橋は少なく、町の賑わいは配慮されていないように見える。城塞として築かれている。

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海が洗う荒野に設計された二つの城塞はその設計に制限を加えるストレスは、膨大な石、砂、木材、人力ほかなく、その意味、力があれば、自由だった。自由だからこそ都市設計に、「いつの時代にもわれわれが求めているのは意匠の“普遍性”ではなく、そこに神話的なものが付与された“固有性”ではないだろうか。鈴木博之・建築家」という思いはなかったのか。

神秘的な固有性、その都市伝説・レジェンド、トラディション。できるだけ密やかに息を潜めてうずくまっている幾つかの伝説が、ときにクロニクル・年代記としてふきだしてくる風。それに向かってアゲンストに向かって行く神話への旅。それが自分のクロニクルのページ。なんて、いい!


地球は南北と呼ばれる軸を芯として回転する。その回転方向を東西と呼ぶ。この宇宙の運動を小さなピースにして土地に引き込む。そのピースで化粧された土地は宇宙・神の差配する場所となり、人を集め、レジェンドが芽を出す。はず、が、なぜに毛利一族は、都市設計の中軸を南北からはずしたのか?。南北中軸の都市伝説が彼らの支配を強化してくれるのではなかろうか。

スポーツのトップスターに自社のマークを付けるだけで、“レジェンド”にしようとする今の意図は彼らの思いの前では砕けちるしかないだろう。


「近世の城郭立地に関する風水思想からの考察 岡山大学・曽我とも子」を見つけた。

「“北東の阿武山を玄武(北方面の守り神)として、そこから南西方向に朱雀大路がとられている。・・・四神相応の地といえる”。そして西の茶臼山が白虎、東の府中町の茶臼山が青龍、南の海が朱雀。見立てした三滝山・比治山・黄金山・二葉山・己斐松山の交差地点に天守閣を置いた」とある。朱雀大路は紙屋町家電量販エディオンの西から南へ抜ける築城当時大手門からでてくる大手通り(白神通り、とも)になる。

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三滝山、比治山、黄金山、二葉山、己斐松山に牛田見立山、宮島・弥山とは、地図上で広島城天守閣で交差する。これだけで、都市伝説資格あるかも。が、朱雀大路が東に傾いて宇宙の運動に竿さしている。“阿武”が“玄武”とは、どうなのだろうか。ゆるくはないか。

三原城の南に筆影山がある。GoogleMapに山頂の筆影山公園から南斜面に降りてゆく建造物が薄っすらと見える。国土地理院の三原1/25000図にここに鳥居のマークがある。そして三原城と同じ子午線東経133.083の位置にある。三原城は宇宙の運動のピースが埋め込まれているのか。

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こうなれば、大好きなラインごっこ遊びだ!筆影山から南へラインを下す。瀬戸田港を見下ろす向上寺の国宝三重塔のそばを抜け、しまなみ海道多々羅大橋東詰めの観音山山頂を通る。向上寺の秘仏は聖観音菩薩という。

振り返れば三原城の真北にある金毘羅神社を抜け三原城北面の最高峰・龍王山665mにたどり着く。

筆影山の名は江戸期の歴史学者・頼山陽が名付けたといわれる。書家でもあることから、「筆影」と呼ばせたことでもあろうが、筆で残した文章を隠した、とは読めないだろうか。  などと・・・・。

三原市観光協会HP「筆影山の南西に位置する竜王山445mは北にある龍王山665mと区別し、1185年に屋島の合戦で敗れた平家の泰四郎圀重がここを開いたという伝承があり葉田竜王山と呼ばれる」とあった。三原城北の龍王山が特別扱いされている。

龍王山から北へ子午線をのばすと、どうしたことか、御調八幡宮に当たる。

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769年称徳女帝の下で臣下の身で帝位を望んだ道鏡の野心を、宇佐八幡宮の信託によって退けた和気清麻呂がそのことで罪となり大隅(鹿児島)に流されたとき、清麻呂の姉・和気広虫姫は備後に流され、この地に身をとどめ、斎戒沐浴し円鏡をご神体として宇佐八幡大神を勧請し(三原市観光課)」神社は古代の表通り西国街道に面する。備後と安芸の国境に座る「龍」の山。国境の分水嶺。

天皇家の伝承にかかわった神社の神の所在の龍王山が、天皇家の血統、「一品」を誇る毛利家の海の要塞の守護となった。

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1592年ごろ、朝鮮出兵の為に九州・名護屋へ向かう途中、豊臣秀吉が三原城を訪れ、御調八幡宮に桜の木を手植えしている。三原城と御調八幡宮との深い関係がここにあるような話。頼山陽が筆を隠した何かが、ここに。南北の軸心は宇宙運動を安芸・備後の国境と生口島観音山の伊予・安芸の国境に引き込んでいる。


筆影山の公園に走った。三菱前の和田の信号から3.6km標高差300m。いい勾配角度ですね。足つきを何回も重ねてしまう。山頂公園から石段を下った。

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そこにある海に落ちそうな場所の広場と休憩所は、まだ新しい。神社らしき雰囲気を探した。

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打ち捨てられて、朽ち果てた小さな祠を広場の裏に見つけた。神額もなかった、が神の在り方は“あった!”。

やはり、ここがただならぬ場所に思えた。

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御調八幡宮が守護する龍王山から生口島観音山へ、いやもっと南の四国までつながるこの子午線を測った天文台の跡ではないのか。狼煙山なら同じ子午線を選ぶことはない。磁石では偏角が場所、場所で違い、磁鉄鉱などと反応する。子午線E133.083の精度は半端ではない。地球に緯度経度の番地をつける時代はもっと先の18世紀になるのだから。(ここに記した緯度はGoogleMapによるGPSからの成果)

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観測の結果でないとすると、奇跡でしかない。


三原城はこの経線と東の最高峰・鉢ケ峰山と西の小さな尾根に鎮座する三原八幡神社とのラインの交点に所在する。

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by forumhiroshima | 2017-07-08 03:08
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