こひちろうの独り言 |
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「いや遠に,里は離りぬ,いや高に,山も越え来ぬ」万葉集に柿本人麻呂の歌。
江津の東。背景になる島の星山から,廃道になっている道が江の川の河畔千金という集落に落ちている。その河畔に古代の幹線道にあった駅舎の江西駅跡といわれる場所に小さな祠があった。この江西から西へ古代山陰道は次の伊甘・イカンまでは島の星山の西斜面から波子へとつながって,ちょうど多鳩神社の参道を経由したように想像した。 万葉集に土地の名がはいった歌で山陰は因幡に1,出雲が10,石見が25.隠岐,伯耆,丹波にはない。山陰地方では都まで29日かかったという石見が多いのは,もちろん柿本人麻呂による。島の星山にある人麻呂神社は,戦後ここに開拓民として入った人たちが建立したもので,新しい。この江津では新しくつくる神社も人麻呂神社ということ。人麻呂だいすきな人たちだとおもう。 古代島の星山をめぐるように幹線道があったのだったら,ここに人たちの営みがあったといえないだろうか。今もこの山麓東には池が山中に点在している。その周辺にはもう民家はみられないのだけど。 江の川の河畔の川平からこの山麓東を走ると,たくさんの石仏と,まるで道路標識のように一定間隔で祠にであった。平は比良,あの黄泉の比良坂,死後至る場所だと聞いた。石見海浜公園のある波子にある津門神社・ツトで多鳩神社が真東にあって,海岸から春分・秋分の太陽がそこから登ってくるという配置に,この平とが関わりあるように,また点在する石仏や祠がその土地の在り様を感じさせる。 この国で古代の名は,男は彦,女は姫。これは日子,日女だという。太陽をお天道様と信仰する人々は東から再生してのぼってくる太陽に,命の復活,ときには人生の再生をいのったのだろう。だから東の土地に平・比良という場所をさだめたのかもしれない。日の登る場所に。 死後墓標を立てる習慣がなかった時代,その死後をたくす場所が決められていたようで,そこを後谷と呼ぶのだそうで,この東の山麓にいまの地図でもいくつか見つけられる。そうしてそこにりっぱな寺院がたっている。 その場所は走った限り,陽射しをいっぱいにうける明るい谷間だった。 川戸から跡市を回って,波子の神社へついたとき,その三角形の場所にみな”ト”がつくと,思いついた。トは入口出口の戸,門にちがいない。と,あったってるこどうか?よりも,確信の思いがひろがっていた。 波子から約14kmは海岸にそって走ってみた。工場が点在し,その道には砂があがって,快適とはとてもいえない。海はもう荒涼と白く波立っていて,古代,「天ざかるひな」な,でも人麻呂が歌い上げてくれた土地は,再生する装置をいまに温存している。 そうトライアングルの中に人麻呂も入浴したと地元で確信している有福の湯へ行くしかないのだ。
by forumhiroshima
| 2006-11-11 16:19
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