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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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神々の上陸地点

山陰の海岸には古代の記憶がちらばっている。
大田市・静間川の河口にも,その南にひろがる浜にも,古代の神々の上陸地点が点在している。

芸北町から店にこられたお客さんは昨年,雪が背丈ほどあったのに!と。彼はヨットの設計をされていたが,今は山ごもりだそうだ。雪はやはり,なくちゃ!中国山地越えもこの雪不足がこちらには幸いして,ラクラク日本海にでられる。

静間川の河口の南側は平という地名。平は比良ともあって,黄泉のひらさかはあの世との連絡道。なにやら古代の匂いがしてくる。その南の魚津の集落の海岸におおきな洞窟がある。
万葉集にここにオオクニヌシとスクナヒコナが国造りを相談した場所とある。静間川をさかのぼると物部神社の南に比良神社があって,ここもオオクニヌシとスクナヒコナを祭っている。そして三瓶山の立石にスクナヒコナがおられた。出雲の神々が点々と痕跡をのこしているようだ。

魚津へは急坂をつっこむように下る。小さな集落は冬の風を正面にうけとめてうずくまっているようだった。浜からもどると旧山陰道で,静間社がある。もとは浜にあったのだそうだ。旧山陰道は国道9号線と交差してJRの路線にそって南下してみた。
逢浜川のちいさな橋をわたる。川沿いの小道はJRのガート下をくぐっている。丘になった住宅地に五十猛神社があった。ここらは五十猛という集落の一部。住宅の中の細い路地をゆくとまたJRと交差する。路地はうねって田んぼをぬけガード下,五十猛駅にでた。

正面に岩山が二つ。これをくりぬいて国道がはしっている。岩山に彫りこめられた祠がみえ,またここに弥生時代の古墳があったと石碑がたっていた。五十猛の集落でちょうど葬儀がおこなわれているようで,喪服の一団が笹をたてて,各自菊の花をかかえて,路地を回られていた。笹の緑,菊の白,黄色,そして老人たちの黒がゆらめいてゆく。ドーンという波音が花火のように,聞こえた。

旧山陰道は国道と交差してまた浜へと下ってゆく。その入口に「神別れ坂」の石碑。旧道はこの石碑のある車道ではなくて,海につきでている磐の尾根にあったようだ。

坂を下り終えると大浦の集落がある。長い浜とそれに句読点をうつような岬。その下に大浦がかたまってみえる。ここも神々の上陸地点だという。

朝鮮半島から舟でスサノオとその息子五十猛,娘の大屋津姫,と抓津姫・ツマツヒメがやってきて,この大浦の神島に。スサノオがここにとどまり,韓神新羅神社に祭られ,五十猛命は隣の逢浜川河口に鎮座,大屋津姫は逢浜川をさらにさかのぼった大屋に祭られ,抓津姫は静間川をさかのぼり,物部神社のすぐそばに漢女神社に祭られている。物部神社から三瓶山へのぼる最初の坂を抓坂という。

物部神社のウマシマジ命は出雲を征服したように記紀にはあって,それだけをみると,余所者って感じ(スミマセン神さま!)なんだけど,これほどドラマチックに舞台装置を今にのこしているってことは,征服者としてあったとは,とても思えない。

大浦の岬をまわると,静かな漁港にたくさんの漁船が繋留されて,その浜の丘に韓神新羅神社があった。スサノオは新羅といっていた半島の国出身みたい。そこの標示に,韓神と名づける神社は国内ここだけとあった。グローバルなもんだ。スサノオの時代まだ米国なんてなかったよな。
神々の上陸地点_d0089494_1923516.jpg


この神々のスポット,自分としては冬,それも雪がふきつける風景の中に神々の舟がやってくる光景を想像していた。神々は風にのってくる!!
芸北に山ごもりしてしまった海の男に,そんな想像を話すと,舟は風が強いと航海できないよ!潮だよ!と,ロマンチックな夢を一蹴,でした。
by forumhiroshima | 2007-01-11 19:26
<< 神の名 河口 >>


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