大田から江津へ国道9号を走ると、狭いトンネルのであって、またすぐにトンネルになる。二つの尾根の西側の温泉津の温泉はそんな場所にあるのだが、この二つの尾根はその尾根のトップに石見銀山から日本海へでる銀山街道がそれぞれに残っている。
大田に近い尾根筋を鞆ケ浦道といって、鳴き砂で有名な琴が浜の西の端の岬にぬけ、もうひとつが温泉津・沖泊道という。
その二つの尾根民俗文化財になっている。
この四本の丸木をむすんだ、インデアンのテントみたいなハデに神話がある。湯里をながれる湯里川が海に入る河口の西に日祖という集落が谷間にある。町場の住宅地のような集落で、国道からもJRからもはなれてあるのに、不思議な空間だとおもった。ここに神様が上陸した。湯里に入ったとき強風でハデがなぎ倒されるので、インデアンテントの骨組みをおしえたという。この神様は谷の奥の西田という集落にある水上神社にいまもまつられている。その神社から正面に屏風のように大江高山がそびえている。
その西田の集落におおきなお寺がある。集落はいまは十軒すこしほどで、そのお寺の有り様はいまもシンとしてそびえている。
ここのハデはヨズクハデと呼ばれて、ヨズク、稲がテントの骨組みにかかるとフクロウのようで、ヨズクハデとよばれるのだそうだ。どこかで見たススキでつくるフクロウの人形をおもいだした。
そのハデをさがしに谷あいに走ってはいると、10m間隔でどこかでみたような、旗がずらりと、立てられている。文化財に指定されているハデだから、そのにぎやかしかと、よく観光地でやってるのぼりかとおもっていたが、どうも違う。ちょうどヨズクハデのそばに老人がおられて、旗の訳を尋ねた。
この奥の西田の瑞泉寺の講が開かれるので、その信者を迎え案内するために立てられているのだそうだ。そのときその旗が仏教に関係した四角の色をモザイクに並べたものだと気づいた。
どこかで見たとおもったのは、TVのミャンマーの映像だった。
それにしても、谷の奥まったお寺にやってくる信者はお寺の場所などご承知だろう。地元の歓迎の気分が伝わってくる。
それとも、神話の神々の再来のお祭りなのかもしれない。お寺のすぐ横に水上神社があった。