風土記をトレースしているのだが、出雲国はひろい。
訪れた土地に風土記の記述ある所を見逃していたり、とたいへん!
それでもいよいよ風土記が書かれた場所だろう出雲国庁跡へ。この場所は特定できなかったのだけど、古い地面図にコクテイという記載をみつけて、発掘されたのだという。出雲風土記は有名であり続けたのに、場所ってわからなくなるもののようだ。
風土記で神様ヤツカミヅオミミヅヌノミコトが韓国や北陸、などから引き寄せたことからこの出雲ができあがったと、有名な国引き神話を記載している。この国引きで引き寄せられた土地は、自分が理解するかぎり島根半島になる。出雲全体ではないようだ。
その神様がその国引きを終わったとき、国庁のあった大草・サクサ(神様の時代に国庁なないだろうけど)で「今は国引きおえつ」とのたまいて、意宇・オウの杜に御杖つきたてて「意恵・オエ」とのたまいき。故、意宇・オウという。続けて風土記は{いわゆる意宇杜は郡家の東北のほとり、田の中にある小山なり。めぐりて八歩ばかり、その上に木ありて茂れり。}と記述してあり、とある。この杜は現存しているという。
出雲国庁がわからなかったのに、この神様の杖のある杜が現存しているのは、風土記にもかかれてないヤマタノオロチのいた場所がそこらじゅうに散らばっている出雲らしい。国引きを風土記の巻頭にかかれた著者・出雲廣嶋さんの勤務する場所そばにある杜を見なきゃけない!
風土記の丘公園の東にひろがる田園の中央に天平古道とか、その隣に十字街・チマタと推定される、田んぼの中の交差点とかのそばに、小さな茂みがあって、また小さな祠がその茂みにかくれて、そこに表示がなければこれが??になっただろう。そばに駐車した計四で見逃すところだった。
出雲の人々は不思議な人たちだと、この風にちぎられそうな御幣をもどしながらつくづく感じる。国中をあげて、今と風土記の時代、いやもっと古い銅剣や銅鐸の時代、いや神話の時代をむすびつける証拠をさがしつづけている。
それが、きっと明日への予言であり、安心であるかのようだ。1300年もたった神話の杜が田んぼの中で晩秋の風となったなかに、現存していると疑っていない。負けますね。
表示にその杜の中心の木がタブの木だとあった。この国に漂着した祖先が彼の旅立った国の海岸にあった木・タブを、いまにこの場所においている。おおきな精神だとおもった。