こひちろうの独り言 |
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出雲は風土記で国引きをおこなった、ヤツカミヅオミヅヌノミコトが「八雲立つ」といったことだとある。また古事記でスサノオが「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに その八重作る その八重垣を」と歌ったことからだとある。
近来、先生たちも厳雲・いずくも、とか厳藻・イツモとか、古代豪族のアズミによるとか、いろいろあって楽しい。その説の中で、加藤義成氏が斐伊川が斐川平野にでる場所左岸にある三谷が、天候のくずれに最初に霧がのぼる場所として、地元で三谷霧と呼ばれ天気予報になっていることから、雲が湧くことがすごく平地の人々に印象深いことで出雲となったといっている。 この説は、美しい。霧が上り始める光景がうかんでくるようだ。 加茂の赤川の河口に走った。風土記がえがく神々の時代が弥生時代だとすると、この河口付近の川底は15mも上昇しているのだそうで、ちょうど川にはシュンセツ作業の重機がはいっていた。赤川も古代には川岸は岩だらけであったと想像されている。 三谷は南神立橋が東からはいる場所から三つ目の谷でいま高速道路の建設がおこなわれる谷のもうひとつ南になる。はしっている川岸の対岸にあたる。 阿宮という集落に風土記社がある。阿吾神社・アゴという。この神様は子守の神様だそうだ。そこに斐伊川を渡る沈下橋が、工事で修復されていた。歩いてわたるしかない橋は斐伊川にはまだのこっている。そうしてそのたもとにかならず神社がある。なにか神事と関係あって、行政もすてておけない??のだろうか。 いまでも新しい橋の渡り初めに夫婦三代が先頭をあるくことがおこなわれているように、子孫繁栄の願いと長くつづくことを願う場所が橋になるのだそうで、橋は端でそれがつながること、によるのだそうだ。この阿具神社は古代ここが斐伊川を渡る場所で、橋があったのだろうか?と子守の神様の由来を考えたりした。 そこから少し下ると伊保という集落に入る。そこに風土記社の伊保社、いまは伊佐賀神社がある。この神様は大和の香具山が畝傍山をすきになった。が畝傍山は耳成山が好きでこの三角関係でおきた争いをしずめに旅立った。ちょうどいまの兵庫県の揖保川にやってきたとき、大和でのもめごとが収まったときいた。せっかくやってきたのに、とムッとしたらしく、そこから帰ってきた。家来たちはおしとどめた様子。そこから揖保のふりきりの神、いぼふり神、伊保神となったという。 出雲は、こんな神様が国中そこかしこに居られるから、たのしい。 南神立橋をわたって、白鳥の群れをみて、(こんな景色で走れる!のもたまらない)三谷に。いきなり、空気が冷たい。ホントです。谷は民家が数軒あって、すぐに谷間へはいる。高速道路の工事の関係か、ダンプがはいったりしている。霧もできてこない。でも、やはり寒いのだ。冬とはおもえない暖かさの中、ここに白鳥が集まるのがわかる。きっと神様は霧の変わりに白鳥を用意してくれたのだろう。
by forumhiroshima
| 2008-01-11 15:25
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