スサノオの御室なる山の周囲を回っていて、どこかで見たようなたたずまいの神社にぶつかった。海潮神社とあった。
風土記に「海潮郷・ウシオノサト、古老の伝えに伝えらく、ウノジヒコ命、御祖・ミオヤ、スガネ命を恨みて、北の方出雲の海潮を押し上げて、御祖神を漂わししとき、この海潮至りき。故、得潮・ウシオという。(字を海潮に改む)」とある。海潮温泉の川上にその神社があった。
てっきり津波がここまで??って記憶がこの伝説なんだろうか・なんておもっていた。が、神社には得塩神社とも、とあって、ここが塩の道なんだろうか?なんて思いがかわってきた。
塩の道をしらべた宮本常一さんは、「塩はエネルギーにはならないが、栄養保全の働きがある。そのためか、塩というものは神に祀られない。」といっていた。
あれだけ清めに使われる塩が神さまではない・・・。
この神社の神様はウノジヒコ。風土記校正に海の精霊の神だとある。この神様は風土記に、もう
一箇所あらわれる。出雲・平田の市街地の中心にある宇美神社の神様。で、風土記校正にはこの神様は平田の北、島根半島の北海岸にある塩津から移設だとも記載してある。
塩が山中へと運ばれるのは、もちろん人がとったり、漬物やみそには欠かせないし、もっと大切なことは馬にはたくさんの塩がいるからだという。そうして、塩はすぐにシッケルため、それを運ぶルートは海からストレートだとか、牛が運ぶとか、多様な条件にそって選ばれる特異なルートになるのだそうだ。それを塩の道と呼んで、中国山地へはいる塩の道はいくつか知られている。
長野・諏訪へはこぶ塩の道の最後の地点は塩尻で、ここからかく集落へ、となるのだそうだ。
この海潮がそんな場所だったのだろうか。ここから山地へむかう途中に塩田という地名もある。
その塩を得られる場所だあったら、親父を恨んでいたとはいえ、ウノジヒコは、抱えきれないほどの塩をオヤジへ送ったという、いい話も想像できないことはないな?とおもったりした。周囲は恨みなんて感情がわきそうもない田園風景と温泉の場所なんだ。
そういえば、この神社、平田の宇美神社だけでなく、斐川平野に点在する古社とおなじ感じにつくられていた。
塩津-平田から、きっと来待-和名佐-海潮だろうと、これまで走ってきた道を勝手に塩の道にして、ほくそえんでみた。
で、塩は神様にはなれないのですか?八百万の神々を誇る出雲でも??