こひちろうの独り言 |
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スサノオが頭に挿した木の枝が踊ったとき、落ちた。その木はサセという名で、それから佐世とその地を呼んだ。その佐世の神社が八幡社になってる、ってことで、同じ佐世の神社めぐりをしてみた。ご丁寧なことだと、自分でもおもってる。
その他の神社に佐世という名はなくて、本殿跡にポツンとちいさな石の祠が、やはり佐世社だろうとおもった。その時一番南の集落を訪れた。西阿用の日南/陰地。このヒナ/オンチのコンビは広島県の山地にいくつもあって、中国自動車道の高田インターを降りた西の尾根あたり、庄原・備北丘陵公園の北、世羅の甲山、三和、神石、豊平などかぞえきれない。が他県では見つけていない。がこの出雲にあった。 日当たりのよい場所が日南でその反対が陰地だとおもうけど、そんな法則はないようで、この出雲では東向きの斜面が陰地だった。そのコンビの地名は、製鉄に関係するようだ。がなんの確証もない。ただどこも地形が似ている。 というのは、砂鉄を取るために、山から水路をひいて、そこに山肌をくずして、土砂をいれ、いっきに水をながして、重い砂鉄を沈殿させる。あとに流れ出る土砂を囲って、平地に段々につくってゆく。水路は斜面をできるだけたくさんに受けるように尾根をまくようにつくられる。その後は谷へむかって階段状に平地がかさなって、尾根はまるくなってしまう。この地形をオヌカと呼ぶらしい。地図で山中に等高線がひろくなって、そこだけ白っぽくなってる場所がそうだ。そこにこのコンビの名がある。 石見も出雲も備後もそんな場所はたくさん、というよりほとんどそんな谷間の集落になっている。こんな場所は、棚田になったりしてるし、けっこうフラットな古道が続いていたり、と自転車には走りやすい。尾根をけずって均したテッペンはひらきとよんでたり、そこから下は流し込みとかいってたりする。そのひらきには独立したおおきな木がポツンとたっていて、その側に薬師堂がある。岡山で有名な御ダイゴの桜が代表になるのかな?自分は石見の大平桜が気に入ってるが、公園となって、ヒナビてなくなって、いまは昨年発見?した大麻の桜がいちばん。 そんな桜をここでみつけた。すこし枝ははってない。スサノオが落としたのかもしれない。 この日南のそばに若木というもっと山奥の行き止まりの集落がある。 奈良時代から平安時代に蝦夷の人々が各地におくりこまれた。防人ってこともあったようだけど、山奥へも置かれたという。鉱山関係を仕事としたのでは?と思われている。その人々は結構優遇されていて、人々にたくさんの稲と絹や木綿が報酬としてわたされている。このあたりだけで200人ほどが計算できると、ある歴史家が書いていた。その人たちを居住させた場所が別所と呼ばれて、その地名を全国歩いているひとがいて、その中にここの若木に別所があって、今は一軒の家の屋号としてのこっているといっている。 集落には新しい車道が入っている。山中に家がポツンポツンとひろがってあるだけで、そこにそんな歴史があったか?なんてわからないけど、わかったような気分になった。この人々は東日本から移住さされたもので、ここの若木はあたらしく来・キ、たってことかも?この行き止まりの道を尾根に抜けると、川井の鮭神社へでるのだ。 西と東で自分がいちばん変わってると思うのは、谷を沢と呼ぶことだ。がここにも沢がある。 大東町から松江にぬける峠は薦沢とよばれて、出雲では出雲市の古志の側に菅沢、下沢。松江市のやはり古志に大沢。どちらも越の国からの移住者の場所だという。薦沢入り口に須賀社があって、いまはスサノオの新居になっているが、それはどうも毛利氏が尼子氏との抗争があった時代だという。製鉄に従事した人々が呼んだ沢だと・・。いえないかな? あとは三沢で、ここの稲を妊婦は食べないと風土記にあって、鉱毒って解説もある。 毛利氏も関東・神奈川の出身。古代からの毛利氏との関係者がここあたりにいたりして。それも別所に!!
by forumhiroshima
| 2008-01-25 13:09
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