出雲は雪!って訳で、市内の川の緑地帯を走って、そして海へ。
実にきれいに整備されている。あたらしい橋はその下をぬける交差まで用意されていた。車道の信号なしで走れる。自転車を止めて、走って、とならないコースは、とってもうれしいものだ。
以前はたしかこのあたりはもっと樹木が茂っていたような・・・記憶もある場所も広々とあかるく、それもみょうに明るくなっている。好みとしては、森っぽいのがいいのだけど、暗がりはご時勢、あぶないのだろうか。
吉島の西岸をはしっていると、川の中のかき筏にたくさんの鳥たち。その鳥たちにエサをなげてるおばあさんにであった。たくさんのハトが群れて、すっごく楽しそう。カメラをむけると、ひどく怒られた。なぜ?と聞いてみると、行政の人からエサをやってはいかけない、と怒られるのだそうだ。こちらをそんな指導員と勘違いだったようだ。ハトもカラスも夕方に巣にかえるときは、数羽づつになって、寝場所もちらばってしまったのだろうと、かわいそうだと、力説された。
吉島はなぜか東河畔には緑地帯が短い。車道からもはなれて、工場の裏にある。そんな場所で今度は少女がたくさんのハトにかこまれて、肩にものせてパンをちぎって渡していた。美少女で制服すがた!なんて景色このごろ見たことがなくて、感動!!そーっと写真。
緑地を北上していると、急に、こころにこみ上げるものがある。
「忘れちまった、悲しみに、いきなり肩を叩かれて、・・」なんて。
広島の中心の原爆ドーム前で育った。なにか原爆のことが話されるとき、8月6日になくなった人たちの墓には遺骨がはいってないことがあるのだと聞いていた。熱さに、川へ飛び込んで、そのまま亡くなった。その数は計り知れない。その話を大人たちがするたびに、怖い思いだった。
河畔の緑地帯は、もしかして、川という聖地の礼拝所ってことも、整備さる行政にあるのでは?戦後広島は平和都市復興をおこなう法律まであった。だから河畔がたくさんの立ち退きの末に整備されているという。川面に灯篭を流すのも、そんな記憶と祈りということ。
自転車のお散歩に最適なコースとばかりに、走っていることが、こんな記憶を思い起こさせるとは、おもってもみなかった。