出雲風土記でオオカミと称えられた神様は4柱。オオクニヌシ、スサノオ、クマノに野城・ヌキオオカミがおられる。
伯耆の国にちかい広瀬の町を流れる飯梨川が山間部から平野にでる場所に能義町があって、そこに川にむかって能義神社がヌキオオカミの鎮座されるところになる。
出雲大社、熊野大社、と須佐神社はとてもよく知られているが、このヌキオオカミ様はまったく人々の扱いがわるい。
そのオオカミがみまもる平野は幾枚もの田んぼがつらなって、やっと土がおこされて、一部は水がはられて、また田植機が動いている。若くはないたくさんに人たちがそこかしこで忙しそうだ。田植機にのったおばあさんのほとりを幾羽ものサギがついて歩いている。ここは冬場は北からやってくる白鳥などの餌場として維持されていて、平野の中心に渡り鳥観察の施設も整備されている。
半そでにはおったウインドブレーカーがじゃまな心地よい風に、平野に交差された水路に反射する光と、申し分ない景色をはしっているが、なぜかシューズをわすれて、スニカーの底がいたい。やっと、もみのき公園の運営から開放されて、すこし吉和には近づきたくない心境で、出雲の東はしまでやってきている。
広々とした田んぼのつらなりは南は小さな丘陵とその端に点々と一塊になる集落。そこには、小さな神々の社はいくつも地図にはあって、その集落の成り立ちを充分に想像させてくれ、グングンとながれる疎水の側に細い路地があって、そこが自転車のコースになる。
風土記の時代よりずっと前からの遺跡もそこかしこで、2000年いやもっと昔から鳥たちとともに暮らしてきた景色がいまもつづいているのだろう。
水を張り始めた田んぼはその人々がここに到着する前の海であった景色をも想像させてくれて、ヌキオオカミをささげて人々が開墾した時間をこれから青々と茂る稲がみせてくれることになるのだろう。
この風と光は宇佐の神々の流転をおいかけていた豊後の平野にもひろがっていたと、記憶がうごきだした。