こひちろうの独り言 |
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変わらず、東城町付近をまわっている。
古代このあたりは小奴可郡・オヌカノコウリだったという。 今の小奴可は東城町から北上した道後山の山麓あたり。ここが郡の中心って推測が名前からできそうだ。 東城町は中世ここを支配した豪族が、東西に城をきずいた。もとは荘園の庄でよばれたのが、城に変わったと町の表示にあった。小奴可の入り口を守るって城なら、なんとなく納得できるのだけど。でもこんな山で何をまもったのだろうか。 東城町は宿場として栄えたという。都ではない。中継地ってあつかい。やはり小奴可の要害山の城が中心になるのだろう。でもこんな山で何を?? 宿場東城にはいってくる道は福山・庄原から、そして岡山・新見、倉敷もある。鳥取の米子からも。明治35年発行の地図から幹線道を今の地図にトレースしてみた。それぞれ素直に?主要な町へながれているなかに、山越えで吹屋という尾根の頂上にあるベンガラの集落へ急坂でのぼり、高梁へおちているルートがある。不思議なルートが、かの時代には幹線道だったことになる。 ルートのピークには地図では細線になって青木峠と名がふってある。メインルートでもない場所にわざわざ国土地理院が名を残すって場所は過去の宝庫。ワクワクしてくる。 東城から新見のルートは高速道路、JR、国道とにぎやか。でも自転車ではおもしろくないのだ、 新見から吹屋へ。折り返して、矢戸。小さな集落におおきな郵便局。にぎやかりし過去が顔をだしている。島根にも八戸・ヤトという山中の集落がある。深い谷にポツネンとあるが、そばに八戸ダムが鎮座して、寂寥な集落になっている。この矢戸からも深く狭い谷筋をのぼることになる。 流れから道が離れだして、いつの間にかせせらぎの音も聞こえなくなると、尾根中腹にときに家屋があり、すこし広くなると集落になる道はいくつも手元の地図にない交差点にであいだした。 古い表示がのこっていて、地図と合わせると、家屋の記載もない場所の名であったりする。また四つ角にでてきた。ちょうどそばに集会所があって、ジジババのお茶の時間にでくわした。めざす峠へのルートを教えられた。と一緒に変わり者という目線もいただいた。 青木峠は恐れていたダートではなかったが、路面はけっこう荒れて、コケもしっかり。ゆったりと振れながらのぼり、深いスギ林を振れながら下り、またせせらぎに出会う道はそんな荒れようも一興だとおもえる。 ここを下って、今夜の宿と東城の町にしようって旅人の目的地はどこだったのだろうか?午後の秋の日差しは、もう濃い陰をはこんでいた。
by forumhiroshima
| 2008-10-02 19:57
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