小奴可から道後山へJR芸備線が道路と平行してのびている。実った田んぼそばのコスモスの花畑に赤茶けたサビがういたレースがちいさなトンネルへすいこまれている。自転車を止めて列車がこないか?すこしまってみた。
列車はなにか運んでくる、運んでゆく。そして力強い。すこし恐ろしい。
東城の町から新見へのルートは芸備線。この路線は新見で姫路線につながって、中国山地経由で広島-姫路がつながっている。そんな事も今回備後の国を走り始めるまで思い出さなかった。
芸備線が新見に入る手前の備中神代、隣の布原、そして新見の駅名が時刻表には伯備線にもある。備中神代、布原は芸備線でも伯備線でもあることになる。単線でいったいどうして列車kントロールするのだろうか?なんて考えて、いってみたくなった。
備中神代駅は下神代の小さな集落の二つの踏み切りを越えたところにあった。当然無人駅だけど駅舎は大きかった。改札口に自転車を置いて、そばの植え込みに座り込んだ。駅前といっても民家が数軒ならんでいて、商店はない。
いきなりアナウンスが聞こえる。通過する列車をアナウンスしている。ゴーンと音が近づいてくる。自転車を移動させた。出雲とかかれた急行が走り去った。やはり出雲行か!と陰陽往還のメインルートだ。ここから川面峠へ川べりの切り立った崖に切り込まれた古道と路線が平行して上ってゆく。
小さな掘削したあとがそのままのトンネルが入り口。
そこに通行止のカンバンの上に解除中のステッカー。ゆるりと振れながら川音が上ってくる道をあがると、路側の工事が始まりかけていた。一台のトラックをやりすごすと、トップにでた。そこには通行止のカラーコーンが置かれて、今閉鎖されたようだ。振り返っていると、郵便配達のバイクが止まって「いままで走れたのに」と声をだされた。
町経由で行くしかないよ。といわれて下ってゆく。自分は通過できました、とは言えなかった。
そばの石碑に苦の坂を改修したと大正の年号が掘り込まれている。郵便配達のバイクがあがってきた下が布原の集落だった。上から見下ろして、下るのヤメた。根性ナシ!!でした。