こひちろうの独り言 |
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赤浦から自然歩道の急坂を東へでると、峠になる。小学校と中学校がある。ちょうど子供たちの下校時間だった。向こうから元気な挨拶がとんでくる。出雲でも石見でもそうだった。すごく新鮮な気分になれる。
ここからすこし坂浦へもどると分岐があって、立志と地図にある二軒ほどの集落へ入る。ここに、石神がおられる。この石神へは車道から入る踏み分けの道をみつけなければいけない。先般やっと見つけたのは地元の農家のおじさんに案内してもらってから。そこへの標識があったのだけど、はなくなっていて、そのままになっているところをみると、部外者は歓迎されないのかとも思った。 石神は、二つがそそり立っていて、その前の空間に注連縄が張ってあるだけ。それが、なにか強い圧力でせまってくる。 石神はシャクジンとも読まれるが御と様をつけて、オシャクジンさま。それがオシャモジにもなったという。宮島のシャモジを考える。石が成長するという考えが過去にはあったという。それが信仰になっているのだそうで、3月にはじまる東大寺のお水取りの最後に、川原から持ってきた小石を柳にはさんでお供えするという。君が代で、さざれ石が巌になると歌うが、明治に作られた歌といっても、古今和歌集が元になっているから、ふるくからの石への信仰なんだろう。司馬遼太郎がおばあさんが道から覗いている岩を踏んではいかないと、教えられたとかいている。二世代まえまでは、はっきりとした信仰だったのだろう。 そんなむかしを感じたくて、ここの石神をさがしてみた。 石神の前にあぐらをかいてみた。ここが普通の空間ではナイことは感じる。でも、そこで瞑想し、カラッポになるって気分にはなれなくて、すぐに立ち上がってしまう。そばにおいたグローブを取り上げると、なにか黒い長いものがついてきた。ビックリする。ただのスギの枯れ枝だった。あとで取った写真をみると、大半がぶれていた。手振れ防止機能がきいてないのだ。 ふと、自分は修験者にはなれないと確信した。と、その時、一畑薬師の修験者たちは、赤浦とこの石神とを回る修行をして、目の悪い人々の回復をねがったのではないかと思えた。赤浦で海草を採取して、また寺へ供えるなって、普通でも出来ない。だから、修験者たちは、その人々の願いをかなえようとそて、今に続く一畑薬師の信仰をかちえたのではないか。 その思いを打ち消すものが、赤浦にあった。地元の子供たちがかいたカンバンにあった奥の院が倒壊していて、そのそばに「この建築物は一畑寺とは何ら関係ない。また一畑薬師如来の分霊ではない。一畑寺」とあった。 一畑薬師の参道にある饅頭屋の屋号は「開眼堂」とあた。 でもこのお店は弊店してあった。
by forumhiroshima
| 2009-02-28 12:58
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