油木の東の平たい山を仙養原とよぶ。昔ここにいた修験者の名だという。彼はほら貝の名手でその音は福山の海にまでとどいた。
その仙養原の山頂ちかくにちらばる集落に郵便局があった。郵政は、すっかり中央の政争となったけど、この見下ろす谷の尾根のちいさな平地で、昔の繁栄の記憶をたどるように、今も営業していた。
このそばに中国自然歩道が入っている。
この自然歩道は、南へたどると、急坂の下りから川下への川沿いのルートとなっている。川は岡山県へ流れ込んでいる。この最深部がこの辺りになる。急流に尾根がせまってある中腹に、歴史記念館のように、だが現役の茅葺の民家をみあげることができる。タイムマシーンがここに連れて来てくれたようだ。
切り立った尾根の底の川沿いの道が,いきなり直角に曲がりその向こうにトンネルがあった。街灯もない、ただ出口の明るさだけがたよりの、空中遊泳が終わると、広い谷になった。
川のせいか、寒くなって一枚着込んだシャツを脱いで、幾万色の緑がうすく濃くかさなって、谷が明るくなってきた。
仙養原には、いくもの神楽の里がある。彼らは山を下りて、町へ神を舞いにゆく。整備されたキャンプ場に着いた時、「町の人は自然の中へ入ろうとする。山の人は山上から、神となって下りてくる。そのことを、いまも秋祭りの神楽を楽しむように、受け止めているのだ!」と気づいた。なんとオレは山から下りてくる側にいる。信じれん、ほどうれしかった。
でも、帰りはすべて登りなんだと、重ねて思った。