こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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<   2006年 11月 ( 9 )   > この月の画像一覧

三瓶山のサヒメさま探しに残した東半分へ。三瓶山の地図に記載される神社マークをくまなく回ってみようというコンタン。そして姫様のおられる場所から三瓶のお山が望まれ,できればそばに湧く水があれば,決定!!神社の名は明治の初めに,国が指定したり,村や町には一つにして,ほかはそこに集めろとか,ハナハダ神さまに失礼な法律ができてしまって,たくさんの神様が行方不明になってしまった。なにが神国日本なんだろか!!

前回と同じに三瓶山国民宿舎に駐車。志学の集落へ。「しまった,最後にこの急坂がくる」。がもどって,車移動すると,登り。で,マーしかたない。
志学の集落の信号のそばに志学温泉・亀の湯を発見。三瓶温泉と志学温泉とは,ちがうのか?

目指す神社がそのそば。八面神社。
三瓶山がサヒメ山であって,そこに八ヶ所サヒメさまの社があったという。その八から志学では八面神社となってる・・?のだとか。
八にかかわる場所がこのサヒメさま探しにラインナップした八神という集落。三瓶山の東にある。

東の原スキー場を北にこえて,三瓶山周回道路・アイリスラインとかいう,をはずれて,いっきの下りに。きもちよくもまあ下ってくれる。ほんとうはうれしい下りも,今日の周回では,そのぶん最後に上りになってしまう。のだ。

下り終えると伊比。ここは河原がすごい工事。つぎに中廻(ナカモリ)。三瓶北山麓の中ツ森の比佐売神社から,ナカモリって名に期待していたのだけど,集落中央の小山にある神社は八幡神社だった。道は登れば志学だけど,八神の集落へとくだる。また,下り。

一山越して下った交差点にビジネスホテル。誰が利用するのか?と,覗き込むと満室だそうで,その窓の向うにおおきなカンバン。志津見ダム。なるほど建設中なんだ。
車道とおおきな橋ばかりの景色。川上にむかう。

神戸川にでるとそこが「北」という集落。家々は新そうで,ダムによる移設の感じ。そうそうに八神の中心になる中村へ。おおきな車道が幅ひろい歩道。

この中村の集落をかこんで,「東」「南」「北」と地図に集落が書き込まれている。位置はこの東西南北が広がってるのではないのだけど,南北も東西も方向はまちがってはいない。これってなんだろう。

集落は地図では中村だけど郵便局も駐在所も志々とある。ここの神社へゆくと,そのなぞがとけた。ここに出雲風土記に記載される,風土記社とよばれる神社「志志乃村社」があった。そうか,ここ神戸川流域は出雲。三瓶東の原からは,出雲の国なんだ,と気付いた。

ならば,「東」にはなにかあるはず。出雲風土記は神々の記録のような所があって,そこには神々の所作がある。
「東」の集落は神戸川を渡る橋から急坂になっている。その道は川沿いにある小山をまいて,また神戸川にでる。登ってみる。民家は数軒ほど。田んぼにも山の斜面にも,なにも見当たらなかった。ぐるっと走って,くだりはじめると,その小山に木でくまれた,鳥居を発見!!ヤッタ!!地図にはない神社。すぐに鳥居をくぐって,掃除のいきとどいたちいさな境内へ。正面はおおきな岩壁で,それに踏み潰されそうな小さな祠。
すぐ下の河原も川のそばにある車道の壁にも,おおきな岩と岩壁。杉木立の中の境内に午後の太陽の光がこもれびになって,ふりそそいでいる。

サムシング・グレート,なにか偉大な・荘厳な,なにか。

ある年三瓶山
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が噴火して,ここ神戸川に大きな岩がその流れを塞いだ。その結果ここは水が留まり,流れは噴出したり,枯れてしまったりした。あるとき,その岩を蹴破るような大雨があり,晴れ上がった翌日,なにもなったように神戸川のながれは澄み切っていた。
神の所存。そう思うしかなかった。神はここに降臨された。
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by forumhiroshima | 2006-11-30 15:23

国境

三瓶北中学校からすこしの登りで峠になる。ここは立石の集落。

立石「ここにスクナヒコナをまつる石神祠があり,地名はこれに由来する。この石神は湧き水のそばちかく高さ50cmほどの高さで立っていて,文字通り立石で・・。島根の地名}
この石神を探すことで峠をこえてきた。

峠の碑は石見でも出雲でも,たくさんみかける。が,地名になるほどの石神さまを拝まないといけないだろう。峠の碑で四国,愛媛県の久万と高知県のユス原とを結ぶ街道にある地芳峠で真中に丸い窓がくられた石がたっていた。この丸い窓から石鎚山をおがむのだそうだ。
先日の江津で島の星山の峠に柿本人麻呂の歌碑をみつけた。日本海を遠望できる場所に人麻呂が都にむかう途中峠から振り返って詠んだという歌がきざまれていた。
峠は,たどりつくといろいろな感情がでてくることがある。見上げたり,振り返ったり。だから峠は特別の境界になっているのだろう。

立石の集落は道路工事でほこりっぽい。下り始めてすぐに一畑藥師の石碑をみつけた。スクナヒコナの神様はオオクニヌシと国づくりした神様で,クスリやお酒の神様となっておられる。だから,藥師の碑になってるのか?と少々ガッカリ。
コースはここから下って出雲へ流れる神戸川の支流,藤木川へでて,折り返して中国自然歩道を三瓶山へと上り返すを予定していた。自然歩道とある細い地図の道に紅葉のトンネルを期待していた。

集落がすぐに途切れ,町と地図にある人家のならんだ旧道にはいった。驚いた事に,民家はどれも,すごくりっぱな作り。細い流れの向うに,幾重にもならんであるおおきな蔵が入口の民家は,その中でも出色。小川の手前に小さな碑文で関所跡とある。出雲・石見の国境とある。

島根県の歴史街道という,一万円もする地図と解説をたよりに走っているのだけど,その中には街道はすべて網羅されてると,おもっていた。それに国境は三瓶山のもっと西か南に引かれているのとおもってもいた。ここは石見・大田市。

そんなことは,さておき,集落の路地をくまなく回ることにきめた。立石は,あの一畑藥師の碑ではない!集落中央に山口民俗館という日曜日しか開館しない建物もある。ここは,ふるいワ!
代官所跡から古道を走る。峠に引き返すことになった。

車道と古道とのあいだに広がる田んぼに,おおきな土饅頭がみえる。その饅頭のてっぺんにちいさな小石をつみあげて,重ねた鏡餅のような所た,やはり土饅頭のテッペンに一本の松がのびて,その根元に小さな祠がある。
もうマナコをひらいてキョロキョロ。立石はどこだ!!

峠は南に三瓶男山へむけて,新しい車道と,古道が松の並木で区分されて,山へのぼっている。そこのなかの一本の松の下に,祠をみつけた。石はみえない。
が,そこにおおきなカンバン。立石神社。で,その松の根元に立石。でも車道と古道にはさまれて,湧く水はない。

コースを変更。男山の山頂にガスがかかりだした。もちろん古道を登りはじめる。と路瑞にちいさな自然石がたっていて,三瓶の石清水とあった。これがそうなのだろうか?

三瓶自然館サヒメルにトイレをかりて,地図を広げた。
土地はその流れる水で区分される。宮本常一。・・・雨が三瓶山の東,神戸川へながれるところの始まりが立石になる。ここは出雲。南の江の川へながれる地域。西の静間川,三瓶川へながれる地域が石見とみればいいのか。合併が国境をかえてしまったのだ。だが,立石や町の集落は関所跡をみれば,石見だった。

サヒメの神様は,上ツ森に降臨され,それを中ツ森で遥拝し,下つ森でも遥拝した。という。その上ツ森が立石になるのだそうだ。神ツ森であったのだろう。信仰も分水嶺をこえていたのか?
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by forumhiroshima | 2006-11-27 14:23

服従する?神様

埋没林の公園の展示は地下にあった。入場料は300円。先日走っていった弥栄の八幡宮の大杉の林が同じようで,銀山の大森も巨木の中に鉱山が見つかって,大森とつけたというし3500年前からこんな景色はこのあたりでは普通だったのだろうと思ってみた。

埋没林のある集落,といっても数軒の小豆原は弓の的をアズチというのだそうで,そこからの名とかアツは熱いで温泉から鉱山につける名で,ここに砂鉄タタラの神様・金屋子神社があることで,とか説がある。巨木の森の猟師たちの弓場,その後始まったタタラと,時代を映してきた名かもしれない。金屋子神社とおぼしき丘の上の祠をみつけてあがってみた。大歳神社とあって,そばに二つの祠が鎮座して,新しい公園をみていた。名はわからなかった。

真っ直ぐにつけられた急坂をヨタヨタとあがる。里道ではなさそうで,途中の農家に電動三輪車がある。新しい車道では,老人たちはこの乗物しか考えられないのだろう。けっこう石見ではみかける。古道が残ってれば!楽なのに!なんて,自転車の下の坂に苦労している。

つづらになった古道につながって,新しい学校にいきついた,北三瓶中学と小学校らしい。ここに新しい車道がつけられて,三瓶山北の原のサヒルメという施設につながっている。もちろんサヒは佐比売・サヒメからだろう。

佐比売山神社をさがして,走ってるのだが,神社は金屋子さんを祭るとある。益田の佐比売神社もそうだった。金屋子神社は島根県東部の広瀬におおきな社殿であって,この神様は兵庫県の山奥から白い鳥にのって広瀬に降り立っている伝説がある。また金山彦を祀る佐比売神社もある。金山彦はイザナミが火の神カグツチを生む時,熱さにまけて嘔吐した。それが神様になって金山彦となったという。金山彦は伊吹山にある南山神社の神様になっていて,この神様もタタラの神様だという。砂鉄の神様たちが連合してサヒメ神さまを服従させたってことか?
神様たちと追っかけると,どんどん混乱してきて,頭がカオス状態。まさに神がかりに。

「少なくとも,わが国の古代の理論から言えば,ある種族が他の種族に降服するということは,同時に祖先に奉仕している神とともに降服しておったということになるので,歴史的に翻訳して言い換えると,祖先の神以来服従しておったということになるのである。だから,征服せられ,降服したとしても,必ずしも信仰まで捨てる必要はなかった。折口信夫」ということらしい。

新しい学校は二階建てでおおきな山小屋風で白い壁に茶色の張りときれいだ。フェンスには花がうえられて,きっと広大な学区からバスで子供達はあつまってくるのだろう。
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自由と平等って神さまに,自分は生まれてこのかた服従していたのだけど,どうもこれからは競争と自立の神様に服従しろって時になったとしたら,でもオレは昔の神様がスキって,それで日本はいい国ってことなんだろうか。学校の中の子供達は,そんな昔の神様は知らないってことなんだろうか?なんて,すこしヘバッて,校門でタバコやってました。
それに付き合ってくれる中学生は,とうぜん,いませんでした。
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by forumhiroshima | 2006-11-26 14:34

流域

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三瓶山のお姫様さがしの最初は浮布池の邇弊姫神社(ニエヒメ)。三瓶温泉の国民宿舎に駐車して志学の集落から回ってみた。観光道路をさけるコースはりんご農園や別荘地をぬけて,静か。池のむこうに孫三瓶山。貸しボートも引上げられてお腹だしている。池の一番奥に神社がある。ここまでは細いけど走れる。

ニエとは神さまへ稲をそなえることだけど,物部氏は三つのうち一つの瓶をここに祀ったとある。ただ,このニエ姫さまはこの池が水源の静間川の加工,大田市土江にもあるのだそうで,そこも楽しみにしている。土江はツチエと読むのだけど,もとはニエでは?という。水源と河口におなじ神さまがある。
ニエ姫は若者との恋のはて,その若者が蛇であったことから入水したという。そのとき着物が湖面にひろがって,浮布という名になった。と。万葉集にこの池を詠ったものがあって,そこでは浮沼池と歌われる。
静間川の中央に一つの瓶をまつる物部神社があって,池のすぐそばにある池田の集落に瓶をまつる高田八幡宮がある。三瓶ともこの静間川の流域になる。弥生時代の遺跡が水源にも河口にもみつかっている。

地名で字とくくられる地域は同じ水源をもっているのだそうで,三瓶の名をのこした人々はこの静間川流域にいたようだ。上代,ここが一つの国であって,それ以前にいた人々の神様・佐比売さまを祭っていたのだろうか?。ここの佐比売さまは八幡さまに合祀されているのだそうだ。

池からの田んぼの間を池田までたどる里道は,伸びやかで,里がうつくしい。池田の集落は,寂れてはいるけど,とざされてしまってはいない。とびらは開いている。
ここから峠をこえて小屋原へくだった。

小屋原は道が登りにはいると,民家は建てこんで,道も細くなった。老人たちが畑や道路にでて働いていて,道端にはたくさんのサルビアがさいている。その花壇は各自の管理らしく名札がつけられていた。地図では道が田の字のようになって,方向を失ってしまった。
おじいさんに神社の場所をたずねる。そこのお寺の角をひだり。そこは三叉路だから,一番左へ。佐比売神社ですか?いや三瓶神社だ。
地図にはお寺のマークがない。神社への道はわかったけど,やはり三叉路も地図にない。ママヨ!と。すぐにお寺は見つかる。祠程度のものかと,地図にない寺を考えていたので,りっぱなお寺。国土地理院もこんなことあるのか!とよろこんだ。が三叉路ではない。ちがう?。ありました。路地が角にはいってます。すぐにおおきな鳥居が田んぼの中にたっている。三瓶山神社。
カンバンに神社の由来がある。すぐにのぞきこんで佐比売の文字をさがした。「元佐比売神社  ・・明治八年従来の佐比売山が三瓶山となったので,三瓶山神社と改称・・オオクニヌシとスクナヒコナと三神を祭り・・」

神社は杉とイチョウの大木のなか丘にある。背景にちいさな円錐の権現山。その背景に男三瓶山。神社をかこむ田んぼの水路は勢いよく水が走って,サワサワといるさいほど。小さな集落の水路も急流。この流れはと地図を追うと,大田市市街地にはいる三瓶川の支流になっている。

集落のりっぱな三叉路から小屋原温泉への山道へ。この温泉は鉱泉水だそうで,シャワシャワと泡がとりつくのだそうだ。入ってみたいけど,きょうは三瓶温泉。

峠をこえるとおおきな三叉路から,また里道へ。ここにズバリ佐比売神社。境内にあがると,隣の民家から伯母さまという感じの老夫人がでてこられた。まあ,自転車で!出雲も石見も神社そばの民家は必ず神主さんといってもいい。きっとご婦人も神社に関係されてるはず。ここで,三瓶山周辺の佐比売神社のリストありませんか?と,いいたかった。だけど,のみこんだ。自力でさがしてみよう。

ここから小豆原へ。ここもちいさな峠越え。縄文杉の埋没林がみつかって,今それが公園になっている。公園そばに,埋没していた杉の根っこが河原にでていたのを展示されてる。その河原が三瓶川。

静間川と三瓶川の勢いがちがうと,おもった。この三瓶川流域の人々は国譲りしなければいけなかった出雲の人々なんだろうか?河流,大田市にでるとそこに南八幡神社がある。そこを諏訪という。鎌倉時代までは八幡宮とはいってなかった??

追加・「パタゴニアのアンダーレポート」
外気は9度の表示を車道でみました。ウインドブレーカーとアンダー,ウールと化繊のキャプリーン。薄着。でも下りも寒く感じてません。埋没林公園にはいって,風を受けなくなると,一気に汗がでます。暑いのでしょうか?老化してきて,発汗作用がアルツハイマーになってるのでしょうか。公園のトイレでウールを下にキャプリーンをその上にと着替えました。このほうが風合いがいいようです。でも5度以下にでもならなと,実力発揮しないでしょうね。
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by forumhiroshima | 2006-11-24 15:33

佐比売山・三瓶山

三瓶山は出雲風土記には佐比売山とよばれ、有名な国引きの綱をくくった杭としてでてくる。そんな印象深い山の名がどうして三瓶という、また不思議な名前になったのか?

同じ山でも東西南北のちがった方向から、ちがう名があることは知られているのだけど、また時代でその名がかわることも多いのだそうだけど、三瓶山でのその名の変化については、いろいろ説があるようだ。

サヒメがサンベと変わったという音の変化の説は、さしもの出雲弁でもそうは発音できないだろう。

ソシモリ(韓国)にオオゲツヒメという、おおきなお尻ではなくて、穀物の女神が悪い神様に切り殺された。そのとき馬や蚕や大豆、稲、麦が体からでてきて、それを末の子、サヒメが赤い雁にのって、まず益田市の比礼振山にやってきて、そしてここに落ち着いて、種をまき開拓したという神話がある。三瓶山に赤雁山がつらなって、多根という集落もある。サヒメ山の名の由来になる。サヒメ山とよばれていたのは江戸時代までともいって、明治になって三瓶山がひろまったと。

三瓶山の西、太田市の郊外に物部神社がある。ここの神様で物部氏の祖先・ウマシマジ様は大和朝廷の軍事部門の神様で国内を平定するために播磨・丹波と渡って、ここ石見を平定した。そこで巌瓶を据えて祝賀会をおこなったようだ。いまもこの瓶で神酒をつくる神事がつづいているという。マジ、ウマクいったことだろう。うまい酒もできたのだろう。そこで同じような瓶二つを山に据えた。一つは浮布池に。もうひとつは三瓶谷に。それから三瓶山となった。朝廷の記録では8世紀初頭には三瓶山とある。この時期出雲風土記ではサヒメ山なんだけど。
武力でこの土地を平定した神様が、なんだか無理やりに山の名を変えたような印象があって、それは、たくさんの人たちも感じることのようで、出雲国譲りにこの物部の軍が圧力をかけていたと考えている人は多いようだ。

江戸時代の記録に物部神社の一瓶社とおなじ神様が三瓶山周辺に八社あるとあって、このうち三瓶谷いまの池田の神様は八幡神社に合祀されているとあった。
「この八社はいずれも三瓶山を仰ぎ見る湧く水の地で、ヤツモトと称し、その周辺から開けていったといわれている。それを裏付ける遺跡もいくつかあり、そのうちの一つは弥生時代前期のもので、農耕とのかかわがみられる。日本の神々7」

湧く水がこんこんと流れて、そこから晩秋の三瓶山がみえる。そんなヤツモトをいろいろしらべてみたのだけど、資料は手に入らなかった。そこで地図に片端から神社マークに○。これをたどって、ヒメにご対面だと。・・・それにしてもえらく登ったり、下ったり。

季節はやっと晩秋・初冬。この季節、着るものに気遣いがいる。登り暑くて、下り冷え込み。しっかり着込むと蒸れてバテバテ。寒いと走れない。
十年以上になるのか、すっかり信頼しているアンダーがある。着替え二枚でほんと毎日使ってきたけど、ほころびもないのだ。
メーカーはパナゴニア。ここは化学繊維のアイテム・フリースをウエアーにしたメーカーで、アンダーはキャプリーン。そこから天然素材のウールのアンダーができたとセロトーレの店長のテッチャンがみせてくれた。
古い話だけど、植村直巳さんが最後になったマッキンレーに入ったとき、彼は初めて化繊のアンダーを使ったらしい。いつもはウールのラクダだった。この化繊のアンダーを提供したのは日本のメーカーでスポンサーでもあった。このことを大学の被服の専門の先生が疑問視して、化繊とウールを重ねて着用した場合の状態をしらべて、もしかしたら化繊のアンダーとインナーのウールかアウターの皮では氷結するか?と。これは直巳さんが見つからないと分からない話なんだけど。限界状況っていろいろ難しいのだな。
パタゴニアが天然素材は・・ないだろう!と、店長にふざけていたら、一度着てみろ!!と、モニターおおせつかった。すっごくいい値段で自転車やでは、とっても手が出ない。が、むかし自転車ウエアーはぜったいにウールだった。・・・ウレシー!!
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さて、直巳さんと同じにアンダー・化繊、インナー・ウールでいくか!なんて。ここは暖かい晩秋の日本です。結果報告いたします。セロトーレ様!!
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by forumhiroshima | 2006-11-23 18:18

紅葉に桜さく

石見・浜田から東の丘陵を走り出す。
集落は一塊から零れ落ちたように民家も少なく,手元の地図にかかれた人家のマークが多すぎると感じる。コースは浜田自動車道にそっていて,車道をブーンと移動する車をみても,その道路を利用するには,大回りするしかない,そんな土地を走ってみた。

平安,鎌倉と時代がすぎて南北朝の時代,石見は狭い河岸丘陵や小河川の氾濫域を開発した小規模の領主が台頭する。これが南北朝内乱の過程では,激しい戦闘を各地で繰り広げることになる。島根県の歴史散歩より。

先日,宇津井いう数軒の集落を通がかったとき,大木の林で屋敷をかこんでいる民家にであった。門のある庭の手前に石碑があって,なにやら,南北朝の時代に,南か北はわからないけど,忠臣であったとある。それが気になっていた。

そこには,戦前計画されていた三次ー江津?の鉄道建設の跡も残っていて,それがいまの自動車道と平行している。どちらもここでは無用の長物??

その南北朝時代の集落へ自動車道をくぐる集落・佐野町・田原へ走った。新しい自動車道を走るのをきらって,古道をうねうねと下ると広い田んぼのひろがる谷間にでた。その谷をつめると正面におおきなエノキが根元にちいさな祠をしたがえて,そのそばにシキミが一本。

高野山で,水をはった鉢にシキミの葉がうかべてあって,これはハスの花びらです。年中ではハスは入手できませんから,シキミで代用しています。といわれたことがあった。

以前,金城の丸原で,昔の古埋葬地には大木・祠そしてシキミの三点セットと知って,それからそんな風景に二度であって,すぐにピーンと,老化した頭でもくる。
大木の後の斜面に登って見ると,はたして,すっかり整理されて,いくつかの塊となっているが墓標をみつけた。斜面を回って民家を迂回すると,そこに桜が咲いている。周囲は,紅葉している。

古埋葬地という,名からの印象では,暗くて,寒くて,物陰で,と思うのだけど,これまで,自分が認定!!?した場所はどこも,明るくて,温かい。

「元来僧侶のいるところは寺院の宿坊であった。・・寺を維持するためには多くの経費が必要であり,したがって寺領をもたねばならぬ。・・寺の檀家になりうるものは,そうした寺領を寄進した人々であった。死にあたってそうした寺の僧侶から回向せられるものは檀家に限られていた。他の者の死はいたってミジメであった。・・身分あるものの墓は土をもりあげ,その上に五輪塔なども建てってある。しかしその他のものの死体は棺に入れたまま放置せられたり,筵の上によこたえたたまま捨てられたものもある。それを犬があさり,カラスがついばんでいる。《餓鬼創始絵巻》宮本常一」

「そうした悲惨なものの為に供養し,その死体を処置したのは,聖たちであった。・・村ではそういった聖たちのためにささやかな住居をつくって提供した。これが庵とか寮とか呼ばれるものである。宮本常一」

この聖たちは,大声で念仏をとなえ,美しい鐘の音をもとめて,また念仏を唱えるとき,恍惚に踊ったという。念仏を唱えることを教えた一遍は,人の死にあたって念仏を唱えさえすれば,紫雲がたなびき,ハスの花がふってくると。
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by forumhiroshima | 2006-11-16 17:59

トライアングル

「いや遠に,里は離りぬ,いや高に,山も越え来ぬ」万葉集に柿本人麻呂の歌。
江津の東。背景になる島の星山から,廃道になっている道が江の川の河畔千金という集落に落ちている。その河畔に古代の幹線道にあった駅舎の江西駅跡といわれる場所に小さな祠があった。この江西から西へ古代山陰道は次の伊甘・イカンまでは島の星山の西斜面から波子へとつながって,ちょうど多鳩神社の参道を経由したように想像した。
万葉集に土地の名がはいった歌で山陰は因幡に1,出雲が10,石見が25.隠岐,伯耆,丹波にはない。山陰地方では都まで29日かかったという石見が多いのは,もちろん柿本人麻呂による。島の星山にある人麻呂神社は,戦後ここに開拓民として入った人たちが建立したもので,新しい。この江津では新しくつくる神社も人麻呂神社ということ。人麻呂だいすきな人たちだとおもう。

古代島の星山をめぐるように幹線道があったのだったら,ここに人たちの営みがあったといえないだろうか。今もこの山麓東には池が山中に点在している。その周辺にはもう民家はみられないのだけど。

江の川の河畔の川平からこの山麓東を走ると,たくさんの石仏と,まるで道路標識のように一定間隔で祠にであった。平は比良,あの黄泉の比良坂,死後至る場所だと聞いた。石見海浜公園のある波子にある津門神社・ツトで多鳩神社が真東にあって,海岸から春分・秋分の太陽がそこから登ってくるという配置に,この平とが関わりあるように,また点在する石仏や祠がその土地の在り様を感じさせる。

この国で古代の名は,男は彦,女は姫。これは日子,日女だという。太陽をお天道様と信仰する人々は東から再生してのぼってくる太陽に,命の復活,ときには人生の再生をいのったのだろう。だから東の土地に平・比良という場所をさだめたのかもしれない。日の登る場所に。

死後墓標を立てる習慣がなかった時代,その死後をたくす場所が決められていたようで,そこを後谷と呼ぶのだそうで,この東の山麓にいまの地図でもいくつか見つけられる。そうしてそこにりっぱな寺院がたっている。
その場所は走った限り,陽射しをいっぱいにうける明るい谷間だった。

川戸から跡市を回って,波子の神社へついたとき,その三角形の場所にみな”ト”がつくと,思いついた。トは入口出口の戸,門にちがいない。と,あったってるこどうか?よりも,確信の思いがひろがっていた。

波子から約14kmは海岸にそって走ってみた。工場が点在し,その道には砂があがって,快適とはとてもいえない。海はもう荒涼と白く波立っていて,古代,「天ざかるひな」な,でも人麻呂が歌い上げてくれた土地は,再生する装置をいまに温存している。

そうトライアングルの中に人麻呂も入浴したと地元で確信している有福の湯へ行くしかないのだ。
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by forumhiroshima | 2006-11-11 16:19

自然暦

石見の神様を調べていると,とっても御利益のありそうな神さまを見つけた。

石見海浜公園とかアクアスとかですっかり,この広島で知られてきた海岸が波子の海岸。波子は土師という古くは古墳のハニワをつくった焼き物で歴史に残っている古代の氏のハジから付けられたのでは・・といわれ,海水浴より,砂浜の砂の下に広がる粘土をとれる海岸に定着した人たちで,石見の焼き物のおおもとになってる。

そんな石見の風土と密着しての生業の人たちの集落は,江津ではめずらしい漁港をもつ。その漁港を風からまもるように突き出ている岬に津門神社がある。

この境内に合祀されている薗妙現早脚神社におられる神様はこの岬から遠望できる出雲の日御碕神社へ一日で行きかえりできるという。
プロトンごっこで必死に走っている(いなのもいるけど!!こいつが速い)みなさんに,お守りでも売ってないかとたずねてみた。
公園の一部に境内が長い階段をもってある。その森は古くから人手がはいっていないそうで,保護林に指定されて,そのカンバンがそこかしこにある。いまも大切にされている様子。そして境内には蓋がされているけど,おおきな井戸。森と水とは神社の必須アイテム。それがそろってる。

保護林では遠望はできなくて,漁港へおりる参道の石段から浜から突き出た防波堤にでてみた。妙にあたたかい風の海の向うには,神様が疾走した日御碕はみえなかった。
手持ちの地図には日御碕まではカバーしていない。ふと,地図に赤くマークした東の山中の多鳩神社をみつけた。この神社と多鳩神社とを結ぶと,まさに東西になる。

日御碕神社は出雲の古代の中心であった国府をとおり,信州の諏訪神社,そして常陸の鹿島神社とを結ぶ直線にある。これは,よく太陽のルートとして春分・秋分の日の出,日没のラインになる。出雲は鹿島神社の神様,タケミカズチと諏訪神社の神様でオオクニヌシの息子,タケミナカタの争いののち,タケミナカタは信州・諏訪に落ち,タケミカズチの勝利で国譲りとなった。この主要な神様がおなじラインに鎮座している。このラインには出雲大社ははいらないのだが,大社と伊勢神宮をむすんだラインに奈良の宮古の京極殿がある。
ちかくの場所では,宮島の弥山と神社本殿と大鳥居と地御前神社と五日市の極楽寺が一つのラインにある。

どうも神様を祀るのに,森と水ではなくて,おおきな設計図をもっていたような時代がある。
自分も以前は御来光をお正月に弥山で拝んでいた。昔の人たちはもっとしょちゅう御来光や日没をみていたから,かと。でもそんな小さな経験の積み重ねでは,こんなおおきな設計図はかけない。この設計図を自然暦という。

日御碕神社と津門神社をむすんでみた。正確かどうか,いまいちなんだけど,このラインは日御碕から冬至の日没が津守神社の岬,津守神社からは日御碕が夏至の日の出のラインではないかと・・。
こんな知識は,当然思いつくわけなくて,参考文献・「神社の系譜・なぜそこにあるのか」宮元建次から。
この本のあとがきに「古代。日置部という人々が東西線,あるいは南北線をもちいて村を定め,」とある。日置という地名は山口にも石見にもある。出雲風土記では大社の管理人として記載されている。そういえば,総理大臣の故郷は山口の日置だった。

壮大なライン。これがいいのかどうか?。自分としては水と森にちいさくたっている祠の神様をもっとみつけたいのだけど。
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by forumhiroshima | 2006-11-06 17:58

平,比良・・ヒラ

江津の本町の幾通りもあつまってくる路地に肩をよせあってつながる古い大きな民家や商家や使われなくなった役場,現存する建物では日本一古いという郵便局。医院や酒造家。こんなに時間を止めて,そぉーと息づいている町はしらない。町にはコンクリートやプラスチックなまぜものもない。

そんな家並みの中をぬけ小さな峠をこえると江の川。この川は太郎ともよばれる大河だけど,一方で馬鹿川とも。それは河流の地形が硬いがために,河口におおきな平野をつくらなかったかただと。だが,江津の町のJR駅そばで江の川太郎というお菓子をうっている和菓子屋さんも,本町の民家にまけず,ひきこまれる古さがあった。

江の川を川沿いに川上の川平の集落へ走った。途中の千金に人麻呂が渡ったという川の港。古代の江西駅後を見つけた。川平から島の星山を上り,そこから江津に降りず,南に走って跡市に向かうコースが前半の予定。
島の星山にも人麻呂が旅に詠ったという場所があって,そこからこの江西駅が古代の道であろうと推察されている。今この道は歩けないのだけど。江津と人麻呂とは,そこらじゅうに痕跡を標示されている関係で,みつけると,ほほえましくて,これもけっこう楽しい。

が,川平への目的は別にある。平という地名は大田にもあって,ここにはたくさんの神話とその神様たちの神社がある。

平は比良とおなじで,比良坂といえば出雲神話でスサノオがおとされて,やっと逃げ出したあの世への道になる。
先日,この川平走ったとき,地域の案内版に山深く島の星山の山中に神社とお寺が記入されていた。地図でも民家も数軒しか書かれていない。
川平の集落の真中にある駐在所は松平駐在所。そのそばに川平郵便局。なんで??。
道をたずねた郵便配達の人は平とか平床とか,話されるけど,地図には川の名としか書いてない。どうも,ここは,なにかある?と比良と同じでないかと?

琵琶湖の西は比叡山。その西に比良の山やま。ここも比良坂といわれている。比叡山の僧が行うもっとも厳しい過酷な行に千日回峰という修行がある。
その修行は858年天皇家におこった病をある僧が祈祷するために呼ばれた。僧は修行の途中,御所にたちより土足のまま,祈祷をおこない,その病を治癒することができた。依頼,回峰修行の僧は御所に土足参内する。その僧は比叡山からさらに奧,比良の山中に修行場をもとめた。

比良はあの世との境界になる。そんな情景をさがしに山登り。やっと地図にあったお寺を見つけた。二軒の民家のそば。が,無住になって,集会所がわりの様子。そこからまた登りはじめた。
石造りの鳥居がみえる。そばにおおきな石柱に厳島神社とある。その石柱に神社の由来が掘り込まれていた。
江戸時代,江津の廻船問屋の沖田屋(横田屋)のお庭にあった神社をこの地にうつし祭るとある。この沖田屋は,いまも江津本町にデーンと座っていた。この地にわざわざ神社をつくるということ,そこにこの場所のなにか特異な領域を感じる?かと,クンクンしてみたけど,解らなかった。神社の横に一軒だけある農家へ。誰もおられないけど,いまも生活されている様子。珍しく表札があって「沖田屋」とあった。もうすこしここらを探したかった。

この谷をつめて,分水嶺を超え,敬川・ウヤガワにながれこむ谷への破線の道は地図にはあるのだけど,痕跡もみつからない。
予定にしていた山登りから,人麻呂さんの歌碑をみつけて,ここから江西駅ゆきかいな。人麻呂さんは,かなりな健脚であったと,実感した。人麻呂は兵士であったとう人もいて,そうかも知れないな。

島の星山を南に走って谷への下りにはいった。ここらは,古代から戦前まで焼畑農業が残っていたという話。焼畑が2年から3年の周期でまや山へ戻すとき,紅葉松つまり唐松をうえるときいてた。
唐松ま信州の風物詩のようにおもえるけど,広島でも吉和や八幡高原にはあって,これが紅葉する様は,すさまじい。一面すきまなくまっ黄色。この時期紅葉では見つけやすい。この唐松林発見も楽しみにしていて,キョロキョロ。

盆地ほどとはいかないが谷間にすこしひろがった田んぼの集落,といっても一軒屋のみ。そんな場所へ下ってきた。谷金。人麻呂さんの川の港が千金。なにか因縁ありそうだけど。

下り入口に杉林。うすぐらくなった樹木の元に,しきみの木がびっしりうえてある。その奥におおきなイチョウがそびえて,お寺があるのかな?と地図。が記入なし。そのイチョウのその隣の民家の入口に地藏さまの祠。そして,その奧に祠と墓所が,秋なのに,夏の終わりのような陽射しの中にあるのをみつけた。

墓所もちいさなものでなく,お寺の墓所ほども。祠そばにすわってあたりをみわたした。
ひろくて,あかるくて,ここちよい風がふきあがってくる。この墓所にはいった祖先たちの幸せを感じる。
ふと,すぐ足元と地藏さまのそばの木に花がさいている。エー,サクラ咲いてます。唐松林どころじゃありませんです。
比良はあの世の楽天地なんですね。
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by forumhiroshima | 2006-11-02 20:14


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