こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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メモ帳

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宮本常一の追っかけ

大草の州浜家の集落から,矢上へは国道をさけて,ちょうどいこいの村の宿舎の下になる一本木峠をぬけた。峠といっても道はトラバースするように山肌をたどって,急坂はツヅラになっている。走りやすい。

矢上盆地といわれる,旧石見町は東にむかって下る斜面になっている。中央に小山になる場所に諏訪神社がある。この東からが中野,西が矢上という二つの地名がある。
矢上は中野の人たちが,川上から,矢が流れてきて,この上流に人がいると気付いてつけた名だという。桃太郎や一寸法師の民話のようだ。

香木の森公園と入浴施設のあるあたりを鹿子原とよぶ。鹿はロクで,これはロクロをつかっていた木地師とよばれる人たちのなごりだといって,中国山地にはこの鹿のつく山中の地名が多い。森がしげっていた時代を感じさせる。そこに香木と呼ぶ公園があることと,なにか関係あるのかもしれない。

州浜一族が建立したという安楽寺はすぐに見つけられた。この鹿子原の下,日南の集落の中にあった。ちいさなお寺が急流の小川にそって,陽射しをうけている。
宮本常一が昭和14年に聞き取った話が,いま目の前にあることに,すこし感動してしまった。
大草からこの矢上までは20kmほど,近いとはいえない。聞き取りの話の中に,州浜家は大鍛治を営んでいた,とあって,この矢上はタタラの中心地であったという。ここで生産されたケラと
いう鉄の塊が,大草まではこばれたのだろうか?大草のクサは砂鉄のことだともいう。

宮本常一という人の書き残したものをたどると,その土地の初めからこれまでの営みというものが,おぼろげにも感じることがある。北のゼロ年という映画のように,その土地々のゼロ年が,同じではなくて,それぞれにあることを思うことで,また新しい土地へと,走りたくなること。それが,なにか,自分にとって大切な事なんだとおもえてくる。

宮本常一は民俗学者とよばれることに対して「私はただ歩いて人の営みを見たいから歩く。その中から学問の資料として浮かび上がるものがあれば,提供すればいいのではないか,というのが私の考え方なんです。」

常一さんの歩いた所を自転車で走るだけでも,おどろくほど時間がかかる。そうして,書き残されたもの以上のものを,自分が見つけるこはできないとわかる。でもその時間がとてもスキです。

2006年ももうすこしでいってしまいます。また2007年がやってきます。走りたいから走るって,そんな心境になれたら,いいですね。
皆さんにも良い年がきますように。そして私にも!
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by forumhiroshima | 2006-12-30 12:03

不思議な財産家

サケを追っかけしたために,江の川の西に今回走っていない石見・瑞穂,いまは邑南町にゆくことにした。ひろくて,細い線になった道がうねった谷間に伸びて,どこもおもしろそう。その中で瑞穂道の駅のある,田所をまわってみようと決めた。

宮本常一の中国山地民俗採に昭和14年この場所をたずねた記録がある。その中こんな記述があった。
「島根県邑智郡田所村・・・・田所村を中心にして,一帯に洲浜という姓の家が多い。20戸ぐらいはあろう。その本家は大草の洲浜家だと言われている。この姓の一族は皆財産家である。そして本家は特に尊敬せられている。この家はいろりにずっと火を焚いて飯や茶をにているが,この家ではヒドメとて,火のついている木を夜は灰の中に埋けておいて,朝はこれにて火を燃やすことにしている。この火は秀吉のころから続いているといわれる。
伝説によれば同家はこのあたりきっての旧家であって,丁度秀吉の朝鮮征伐の時,人夫にあてられた。一人の旅僧がこの家を訪れて托鉢すると,一家のものが憂いに深く沈んでいるので,そのことを聞くと,右の旨を答えた。僧は気の毒におもって,それでは私が身代わりに行ってやろう,その代わり勤めを果たして帰ってきたら寺を建てていただきたといった。
僧は無事に勤めを果たして戻ってきたので,同家では矢上村へ安楽寺という寺を建てた。今洲浜氏は安楽寺の門徒である」

大草にむかった。谷間がせまくなってきたころ,民家を見付けた。表札は洲浜,よこに下新屋と屋号まである。屋号からすると,ここが洲浜氏の本拠ではないようだ。下は川下のことだろうし,新屋は当然新しい分家になののだろうから。と,尾根をまくように流れのそばを道はのぼって,すぐに開けた谷間にでた。数軒の農家が離れて建っている。表札は一軒をのぞいて,みな洲浜とあった。

では本家は?と見渡してみる。囲炉裏がいまもあるなたヒドメもいまも続いていることになるのだけど。

一軒だけ藁葺の家がいちばん奧に。その藁葺はちょうどそれにおおいかけるような工事が行われていた。本家はここなんだろうか。

石見の山間部にはいって,民家が広島ではみられない,横にすごく長いことにきずいた。たしか丹後半島の民家も瓦の色はちがっていたけど,よこに長く,丹後ではその長さをささえる横の張りがぶっとく,またそれが前から見えるようにつくられていた。それほどの材料の木がここらで採れたってこと。石見もそんな横の張りをもっているのだろうか?とおもっている。そんな長い家はとても歴史がありそうにも思える。

その藁葺の工事中の民家はそんな長い家ではなかった。そのすこし下に長い民家がある。

こんなことで,本家はわからないけど,ここにある,どの家もおおきな構えで,みな本家におもえる。「秀吉からか!!」

もうひとつ旅の僧が立ち寄ったということは,この谷に往来があったってことだろうか。道を詰め,急坂をあがると,尾根に大朝にでる亀谷林道がのびている。そんな昔からの峠越えってことなんだろう。

でもこの財産家といわれる洲浜って家は,どうして財産家に,それも一族みな,なれたのだろうか?これも,解らないけど,もう一つこの家が建てたという安楽寺をさがしに,隣町の矢上へ,きっつい登りに。
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by forumhiroshima | 2006-12-22 20:01

サケ

先月月末の新聞に高宮町の江の川支流にサケが遡上している記事があった。今月2日の朝日新聞に写真入りで,この遡上が報道された。

これまで数匹のサケの遡上は毎年のように報道されていて,そこには小学校の授業でサケの放流をしていて,それでの遡上とかかれていて,同じように島根半島の唐川でも放流と遡上がもうだいぶ前からはじまっていて,江の川でもそんなことがあるのか,程の興味だった。

が,今回の遡上は群れになっていると,報道。サケの帰還が,すっごくうれしいと,まったく関係ないのに思ってしまった。

記事でカマという産卵場所まで確認されたと,あって,もう遅すぎるだろうが,そんな集落・川根にいってみた。

おどろいたことに,その遡上する長瀬川はいま工事の真っ最中で,ここにサケがやってきたら,さぞかしガッカリだろうとおもって歩いてみた。
集落中央に自動車通行禁止のふるびた吊橋がかかって,安芸と石見の往還の場所らしく,家も並んで,どこかで見たような景色で。それはそれとして,どこも懐かしい。
ちいさな集落をくまなく回ってみても,たとえばサケが開かれて干してある,とかの景色はみられなくて,川根小学校も静かだった。

過疎という言葉は,過密よりずうーといい言葉だと,思ってるのは町の人間の思い上がりだろうが,こんな懐かしい景色にサケの帰還という出来事は,どんなイベントにもまけないだろう。
生活のなかに大自然のドラマがやってくる,そんな時間が,とてつもなくすごいことに,まだ朝霧がたれこめて,うすぐらい寒さもいいもんだと。
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by forumhiroshima | 2006-12-21 17:52

国見

神様が新しい土地にやってきた神話には,土地の小高い山に降り立って(登って?)これからの行く末を考えるということが多い。

石見一宮の物部神社に祭られる神様・ウマシマジ命は静間川をさかのぼった鶴降山に降臨した神話がある。この山頂から見渡して,奈良の天香久山ににている神社の裏山八百山にその住居を建て,死後そこが神社になったという。

ウマシマジ命は鶴降山へ登山したのではなくて,鶴に乗って降臨している。
その山に自転車でのぼっている。

新しく整備された鶴府という集落をぬける広域農道は,まったく車がはしらないのか,とおもっていたが,トラックが行き交う。とおくにダダダ・・という工事の音。神話の気分もあまり高揚してこない。それに天気予報の小雨とはいえない大粒の雨がまじって落ちてくる。

農道から山頂への古道に。車の離合もむつかしいほどの道幅でうねりながら高度をさせいでいる。すこし平坦になった尾根の上に農家が二軒。地図ではもうそろそろ鳥居がみつかってもいいところだと,自転車を道端において,これはと思う道をあるいてみた。道端に一畑藥師の石柱やこけむした地蔵さまが点々と,とぎれとぎれにほそくなる。そして行き止まり。

またちがった道をあるく。車のワダチがそこはかと判別できる。ちいさな分岐もみのがすまいと,キョロキョロ。また舗装の車道にでてしまった。そばに二軒の民家。そのひとつにおばあさんがちょうど玄関におられる。
お宮さんはありませんか?あるけど,・・とこもられて,向かい隣の民家のお婆さんに聞けといわれる。そんなに行きにくい場所なんだろうか?と隣に声をかけてみたが,不在の様子。もどって,お婆さんにまた,尋ねる。が,なぜか,聞いてくれとだけ。
隣のおばあさんは,強烈な拝み屋さんなのかな??などと,かってな想像をして,自転車までもどってみた。

地図には山中のそれも山尾根の場所に行くとおりもの破線や細線が記入されて,神社マークはその中心に記載されているように読めるのだけど,これまでの道はそれが,その破線や細線かがわからない。ただ,藥師の石柱やお地蔵さまのありようでは,ここは,その昔はなにかおおきな集落があったかとも,おもえる。

すこしあきらめて自転車を下りにいれる。次の尾根をこえると,鶴降山(鶴府山)登山口のカンバン。山頂へゆけるのなら,いってみたい。
その奧におおきな杉林。その一本に注連縄が,朽ちてぶらさがって,そのそばにちいさな山小屋のような,拝殿。扉をあけると,正面に小窓。そこに棚があって,お神酒と三方がおいてある。それだけ。この正面に山頂があるのだろう。

登山路とある道は刈り込まれているのだけど,それは急な斜面を刈り込んであるだけで,フカフカで真っ直ぐには立ってられない傾斜に右左の足をおくような,けっこうしんどい。
すっかり雨は本降りになって,ガスもまいてきて視界はとおらない。

でも,オレサマはいまウマシマジ命とおなじになろうとしている!!などと妄想をかりたてながら,急坂を斜めに,いつまでもはいつくばって登ってみた。

山頂には正方形に板のような石が積まれ,うえに石のちいさな祠がのっている。展望はまったくなくて,天の香久山のようだとある八百山もみえなかった。

くだりに細い舗装路をいっていると,軽四のトラックがあがってきた。雨でもあるしと,道端に止まって,やりすごそうとしていると,そのトラックがそばにとまって,運転しているおじいさんが,すごい目でにらんで,そしてスタートしていった。
なにか,ここはちがう!!
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トラックの荷台に一本のツルハシ。鶴・ツルは鳥をいうのでなく,鉱山の鉱脈をいい,ツルハシは鶴のくちばしに似るからと,おもいだした。ここに,そのむかし鉱山があって,いまは,あの黄色いハンカチの舞台の北海道の鉱山の町のように,あったのか?そして,今!!
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by forumhiroshima | 2006-12-17 15:08

鶴と雁

花札の模様でなくて,三瓶山に降臨した神々の乗物のことだ。

ソシモリ・韓国のオオゲツヒメという女神があらぶる神に切り殺された。その遺体から穀物の種が生まれ,姫の末子のサヒメが赤い雁にのって,益田の比礼振山にやってきて,そのあとこの三瓶山におりたった。だから男三瓶と女三瓶のピークの間に赤雁山がある。という。降り立った山は三瓶山といってなく,佐比売山・サヒメヤマという。この山名は出雲風土記の国引き神話の中で国をひっぱる杭としてでている。

その三瓶山の西,静間川の川合に物部神社がある。ここに祭られるウマシマジ命は,ヤマトから兵をつれて播磨,丹波を平定し石見にやってきた。この川合周辺を平定したあと,鶴にのって三瓶山の西にある鶴降山538mに降り,見渡していまの物部神社のある場所が気に入り,そこに宮居をたてた。死後宮の裏にある陽尾・ミナミノオに埋葬された。この墳墓は神社の裏山の斜面にある。この神は近くを平定したとき,瓶を据えて祝をした。その瓶を一瓶社といい,物部神社の本殿横に祭られている。のち三瓶山の浮布池と池田にニ,三の瓶を祭り,そこからサヒメ山が三瓶山になった。

物部神社にある一瓶社では,禰宜を代々務める庵原氏が12月9日に一瓶社から瓶をとりだし,新酒をつくる。大晦日にこれを取り出して物部神社本殿にそなえるという神事があると「日本の神社7」にある。この神事は神官はいっさい参加しない決まりだという。

サヒメ山にはもうひとつ神話がある。オオクニヌシとその奥方スセリヒメ,そしてスクナヒコナが大山から琴引山を経由してこのサヒメ山にやってきて,池をつくり,種をまきこの地を開発した。だからここに多根という所がある。

このちがった神話から,出雲の神々の開発した土地に,あとからヤマトの勢力がやってきて,山の名まで変えてしまった。その勢力が出雲の神々に国譲りをせまった。石見は出雲の神々の監視をする場所になった。という。この筋書きは,大田市から江の川の河口までひろがる海岸線にちらばる神々の上陸とその後をおっかけてみてみようか?とおもっている。

今回は12月9日に神事が
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行われているはずの物部神社の一瓶社への参拝からはじめた。大きな境内にりっぱな拝殿と本殿をもつ物部神社は,境内がひろいだけに,なにか祭りの後のような,寂寞とした感じをいつももっている。さっそくにすっかり水浸しになっている,境内から左手の小さな祠の一瓶社に。そこは,まったく本にかかれている神事の跡もないように静まりかえって,祠の扉もちかごろ開けられた様子もなかった。古代の征服された側の征服した側への作業なんて,いまごろハヤラナイのだろう。ちょっと残念。一瓶社のそばにある井戸から拝殿のお手洗いの水をひく,ちいさなモーターの音がそれが神事だといってるようだった。

ここから三瓶山へむかって,鶴降山へ走る。
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by forumhiroshima | 2006-12-15 10:52

湧水

八ヶ所あるという三瓶山のサヒメ女神をさがしてきたのだけど,神社マークはあらかた訪れても八つという数にみたない。

ふと,三瓶山の池田にポツネンと道路からも離れて,森の中にある神社マークを見のがしていることにきずいた。

雨の予報も大田市周辺は午後まで。それまで少雨という。早朝車でインターへむかう。が,渋滞。そんな時間じゃなかろうと,ジワジワすすむなかで,すぐに抜けられるとまっていた。広島インターそばで,山陽道の通行止の掲示。いそいで北インターへ。これもなぜか渋滞。今日は収穫ないかも?と予感。

三瓶山を周回する観光道路は,たしか,昔はアイリスラインなんておしゃれな名だった。これは北ノ原の小さな池・姫逃池に浮き草が浮かんでいて,そのういた島にアイリスがさくことから。幾度かいってみたのだけど,池は干上がっている。ある時期だけの景色なんだろうとおもっていた。
ひろがったり,ちじんだりする池って,特別な理由があるのだろうし,そんな景色を出現させる三瓶の自然って,壊れていないともおもっていた。

が,サヒメ女神の神社をさがして,ぐるーりと走ってみたのだけど,どこも,しごく普通のお宮で,しごく普通に古色のなかに時間がただ経過している。自然を崇拝するという,約束みたな神社で,自然の深さ,大きさにおのずと頭をたれる,って場所にはなっていなかった。北ノ原の姫逃池が小さく浅くなっていることのように,普通にここもなってしまった。のだろう。

西ノ原の定めの松も数本の間にアイリスラインの車道を通してから。威勢がよくない。先日も枝切りの作業がされていた。
この定めの松のところから北へアイリスラインと初めは平行して車道がはしっている。パラパラと民家が点在する,そこが定の集落。きっと牧草地のその真中にみのがした神社マークがある。

自転車をおりて,定集会所から森への小道をあるく。むこうから老人がこられる。ここらにお宮か祠がありますか?わしは猟をするから,いろいろ入ってるが,そんなものは見たことない。

そうか!がっかり!いや,きょうこそ,見つけてやる。神社がありそうな場所はわかる!!イノシイがいる場所はわからないけど。と,小道を入ってみる。
この小道がけっこうしっかりとしていて,人が動いていることがわかる。その先に祠が・・・。

その先は3mの直径がある泉水だった。森のなかの,それも雨天の陽射しのない暗さなのに,磨きこまれたレンズのような厚さの水が,ゆっくりともりあがる。そして丸太3本のちいさな橋のしたにでて,そこから,いっきに流れ始めザワザワとうごいている。

小道はその先にのびて,森のなかをうねっている。またちいさな流れを,おなじように3本の丸太をわたした橋をこえると,そこは一面こけがひろがって,そのあいだ,すきまなく水が,ここも無音でわきあがって,そのながれは木橋のさきにはしってゆく。そこで水はゆっくりと広がりだし,その先にワサビの畑をつくっていた。

流れをまた越える。その先にこんどはすこし小さい泉水。ここからワサビの畑が水をまちうけていた。くろい雨具の老婆が丸くなってワサビを手入されている。まったくこちらにきずく気配もない。お宮をたずねるより,このしずかな流れと霧雨か,ガスが判別できない空気の中にいることをえらんだ。

そうか!スクナヒコナやオオクニヌシが活躍した時代,神社という建物は存在していなかったのだ。この沈黙の水のながれこそ,サヒメの女神なんじゃないか!!
ヤッタぞ。見つけたぞ。
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by forumhiroshima | 2006-12-14 12:13

徑・コミチ

佐津目から伊佐川・地元では伊秩川といってる様子・と神戸川の合流地点から神戸川の上流への登りへとはいった。この道は風土記では志都美徑・シヅミノコミチとある。

この流域の神社マークを,また追っかけている。橋波という地名に宮の部という集落にもマークがついている。地名からも,お宮に期待できそう。といっても,なにを期待しているのだろうか?

新嘗祭に精進が必ずあって,それがニワナメで,それは庭ですごすことだった,と折口信夫はいっている。出雲の大社にも佐田神社にも,御忌荒という,物忌みの期間がある。いまでは葬儀のあった家に張り出されたり,年賀状を遠慮したりすることしかないのだけど,どうも古代の人たちは清めそして再生ということとしていたらしい。
会社のえらい人や,政治家が,不祥事に謝って,給与をカットしたりして,そして,なにごともなかったようにすることの,そんな習慣がこのあたりにあるのじゃないか?と考えてみた。ここらがアジアってことかもしれない。だったら,いまの総理が再生できる・・ウンヌンは,考えなくてもこの国ではあたりまえのことになるのじゃないか。
みなさん!アジアでいきましょうヨ!!

お宮は集落の中央の石段をのぼったところに鎮座されていて,「波須波社・ハスハシャ」。ここから集落の名。橋波がでたようだ。

祀られる神様は神社の案内によると大戸之道命で,全国でここしか居られない神様だとあった。道のとびらのかみさまって,もしかして,この集落の上流に建設中の志津見ダムのこと?そして上流は八神までシズムから志津見??

この川沿いの古道は上代のものではないのだろうが,志都美のコミチというかわいい名前。この道が赤名峠にのびて,このころ赤名の峠は三坂とある。いまは大朝と瑞穂の峠の名。ここらが,なぜか自分にはきになるところ,なんだ。

橋波からいっきに山口へのルートに入った。近道でもあるし,峠を越して山口に入る手前に獺越・ウソという地名がある。カワウソ越と書かれるから,そんなところから,かも。
登りはじめて,すぐに通行止のカンバン。こりゃどうしても強行突破しかない。山口にはこれまでの道を帰るしかルートがない。もう日暮れてきている。

うねって古道らしく,いい感じで標高をとっている。登っても工事の様子もない。しめしめと,どうも峠のトップらしく明るさが増したころ,バッチリ工事中。数人の関係者にペコペコしながら,急いでますので,なんてウソいいながら,切り抜けた。
ウソの集落は静まり返って,夕暮れの陽射しにニ,三軒と田んぼが眠っていた。
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by forumhiroshima | 2006-12-12 18:38

お祭り

出雲と石見の国境の番所は,山陰道で田義,銀山街道では赤名にはいる山中の酒谷の二つが「島根県の歴史街道」に記載されていて,三瓶山に山口にあることはしらなかった。歴史街道をたよりにしていたぶん,ここでみつけた番所跡の石碑がおどろきだった。

出雲風土記では,「通路(カヨイジ)石見の国の安農郡(アノウグン)の川相郷(川合・大田市)に通うは36里なり。徑(ミチ),常にセキあらず」とあって,この山口を通っていたのかもしれない。この道かもしれない。

それに番所の集落の西,すこし上がった集落が立石といって,三角錐の石と祠があって,立石神社とあった。スクナヒコナの神様を祭るという。島根半島の坂浦の背景の山中にやはり立石という,数軒の集落があって,そこにおおきな岩を御神体とする石神があった。坂浦はスクナヒコナが海から渡ってきたという伝説がある。三瓶山の西へくだって大田市静間町にある静の窟屋にもスクナヒコナ上陸の言い伝えがある。
静の窟は大田市だけでなく,三瓶山の南,江の川をわった出羽にも志都の岩屋がある。

古代の匂いがいっぱいの立石から伊佐川に下る道はあたらしい車道と,山中をうねってくだる細い線の道とが地図に記載されていて,細線が自分には古道往還のルートにどうしても見える。それに下り終えた集落が佐津目とあって,三瓶山の神様サヒメとにている。

佐津目は上,中,下と三つの集落に分散して川沿いにある。その中の集落に神社マークがある。この神社がサヒメであるかどうか?も,なぜか大問題におもえた。

山口の番所跡から道をたどる。ゆっくりと曲線の連続で古道の在り様。風土記の道かどうかはわからないのだけど,そのゆっくりとくだってゆく自転車に満足。道は一間幅で,舗装は民家が切れるとなくなる。これも古道のいつも。地道にちいいさなバラスがひろげられているところから,管理されているようで,ロードレーサーでは走れないかもしれないが,その時はあるけばいい。きりたった道の下の谷間の景色も,しっかりとしない今年の紅葉だけど,杉の緑と対比して,いい。

下り終えた佐津目の集落は数軒がすこし山側にかかるちいさな台地に藁屋根の民家も二軒。どこも扉があいていて,TVの音声も流れている。
川のそばを下る車道にはいって,次,中佐津目にはいると,車道が右にまがる突き出た尾根に鳥居と階段がみえた。おおきな神社。伊秩神社。

風土記では余戸里アマリベノサトとある,後に伊秩郷イチツ。神社前の車道に数台の軽四トラックが駐車されている。石段をのぼると掃除のいきとだいた境内にある合祀されている小さな祠がすべて扉がひらかれて,拝殿の中で人影が動いている。そばの祠やちいさな神社をへまわると神主さんらしき人がサカキをいけておられた。
神社の呼び名をきく。イチツだと。お祭りですか。新嘗祭です。山奥は遅くなります,ごくろうさま。と。拝殿にまわるといつのまにか閉められていた戸がおおきく開かれていた。私のためのようで,すこしおもはゆい。

拝殿は新しい注連縄やサカキ,そして三方に乗せられた大根やお神酒がならんでいた。

祭りはマツリゴト。折口信夫によると,むつかいいのだけど,古代人々は神々のいわれるように暮らした。その神々はそうしておけば,秋の収穫を約束してくてる。そうして,その収穫ができたとき,神々のいわれた通にすると,こんなに収穫できましたと報告する。それが新嘗祭だという。
ニイナメ。ニエは調理した神にお供えする食物。調理しないニエが生きたニエ/イケニエ。そうして神様にこのニエをお供えするときは,身を清める。精進することをナメといってたとあります。

陰影のこくなった秋の陽射しがさしこむ拝殿の天井に東西南北とそれぞれ張り紙がしてあるのが見えます。神楽の舞台でそんな張り紙をみたような。アレ,八神の東西南北!!ってこれかな?
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by forumhiroshima | 2006-12-11 19:00

音楽

三瓶山のヒサメの神様が山が見える八ヶ所に湧く水とともに祀られていた。という,それだけの知識ですべて訪れたくなって,地図の神社マークを追ってみた。

訪ねられたお宮は二ヶ所を見つけられず,探しているうちに,石見と出雲の国境をまたぐことになった。三瓶山からながれでる水流は出雲の神戸川にまとまるか,石見の江の川,そして大田市街地へとながれる三瓶川,静間川の3ツに区分されて,この分水嶺の神戸川側が出雲となって,それぞれ国境になるのだろう。ただ,行政では大田市と出雲市の境は三瓶山をくだっている場所にあって,国境というモミュメントまでつくられている。出雲が石見に侵食されている形だ。

この度は三瓶山の北斜面,立石の集落から出雲市へむけてくだるコースをとってみた。ここに佐津目という集落が上,中,下とあって,中に集落に神社マークがある。サヒメ探しにサツメの名のチェックは欠かせないと,帰りの登りを,忘れるようにして,決めてにた。

広島から島根・頓原を経由するコースを車でとった。いつもは大朝-川本-志学をはしってゆく。先日,八ヶ所のサヒメさまということの連想から八神という集落をおとづれて,そこの神社が志志乃村社という出雲風土記にも記載されている古社であることを知った。そして,志志乃村社は明治にここに移転勧請されていると標示にあった。もとは,もう少し南の獅子という集落にあったとある。

この八神の集落には東,西,南,北というちいさな集落をその周辺にもっている。このうち先日は南と東には祠をみつけた。西の集落ではかなり動き回ってみても,よくわからなくて,北の集落は今建設中のダム工事で,探すという気分にもなれなかった。

獅子の集落は頓原からおおきな車道がつくられて,R54から三瓶山へのメインルートになっている。集落中央におおきな表示がある。文化庁報告分とたいそうな説明で,ここはたたらの遺跡でうまっていることが書き込まれて,その中に志志乃村社古地とある。集落を歩く事にした。それほど小さな川沿いの盆地で自転車では,標示してある古道まで走れそうにない。古道は地道ですっかり朝の霜でしめっていた。

古地はすぐにみつかる。車道から石垣の間に石段。その上は広場になっていて,りっぱな手洗いの石の鉢とそばの桜の木。そして正面に石造りの玉垣にかこまれた,人ほどの石柱があって「志志乃村社古地」と刻んである。明治になって,この社をうつした,その感情がいまに伝わってくるようで,さぞかし,・・・。

集落はすっかりあたらしい車道に支配されているのだけど,古道は集落をぐるりとまわってのこっていて,出雲大社への参道であった大社道とよばれる古道やそこに一畑藥師の石柱,熊野社のちいさな祠と,きっと,車道が入る前は,神社を中心に山間mにひらけた桃源郷では?とおもえる。集落から川下にでてゆく古道はぶっつりと行き止まりできれていた。

八神の移転してきた神社に車を止めて,自転車をとりだして,もう一度北の集落への旧道へはいった。すぐに大きな車道から,三瓶山へのぼる神戸川の分岐に。集落はすっかり移転したのか,立ち入り禁止のチェーンと川へむかう舗装路,その先の河原には,先般の台風での洪水からだろうか?コンクリートの橋がヘの字になって流れにあらわれている。もどって,杉の古木の林立する小山を登ってみた。集落跡にはいるまえにいちど上がってみたのだけど,そこには新しい墓所があった。おおきなまあたらしい民家の裏庭にはいる道をとると,杉の幹の間に木造の鳥居をみつけた。「あった!」

東の集落でも,ここ,いまは一軒のみの北の集落跡でも,同じような大きさの祠。杉の間からこぼれ落ちる陽射しもおなじ。きっと,これはなにかをしめしている。獅子の古社が八神に移ったことに,なにか関連しているのか?

出雲風土記の古社を平田,出雲,そして島根半島とはしったとき感じた,神々の降臨する装置が神社だと。
三瓶山の分水嶺を出雲にくだると,石見で一辺倒だった,八幡宮と大元神社がきえて,土地土地の神社になってくる。神戸川一帯でも,つよくそのことを感じる。

出雲の古社は,またd0089494_15343393.jpg美しい名をもっている。今回まわった土地でもこのシシノムラ,ハスハ,イツチ・・・。古代この土地にはいった人々の言葉そのままのようにも,音楽のようにも,思えるのだ。
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by forumhiroshima | 2006-12-07 15:35

石見,出雲?

東の神社から神戸川にでて,車道を走ると古墳の標識を見つけた。比丘尼塚古墳とある。神社のすぐそば。6世紀のものだとあった。川そばに石室の口がみえて,すこし,ウーンって感じ。三瓶山の噴火の際,比丘尼という人が釜をかぶって火の粉をさけたという言い伝えがあってこの名になってるとあった。尼とつくけど,ここへ6世紀に仏教はまだ入ってないのだろうと乏しい知識で考えた。いったい誰だろう。そして,そんな昔の話がどこに残っていたのだろうか?

八神にもどって,志志乃村神社に。神社の由来に,この神社は移転していて,元は獅子地区にあったものだとある。しまった!これを見てなかった。獅子地区は東の集落から登った場所。志志が獅子。でも,なぜここへ移ったのか?そして,ここの郵便局や駐在は志志とついてる。
やはり,獅子の集落を見てみたかった。もちろん今いってみても,解る訳ない。が,自転車は大地をなめるようにしか走れない。飛べない。昔の人も,大地を歩くしかない。古道にはいると,登り下りに,どこか昔を感じる。今と同じと感じる。古道だとなおさら。
古墳という墓をつくり,そばの岩座に神社を置いた人々はその奧の獅子の集落にこの志志乃村社をもっていたのだろうから。

獅子の集落へ,の興味より,南とある集落が大きかった。南とある地図で示す地域は小さい。すぐに通り過ぎる。集会所ですこし落着いて,集落を見渡してみた。集落入口のちいさな丘に建物が木々のあいだにある。すぐに登ってみた。おおきな栗の木と壊れかけた祠。その傍に二坪ほどの大師堂。そしてお墓。

なにか夢破れた感じ。でも負けないぞ!と残った西の集落へ。

数軒ほどの集落。おばあさんが道真中をネコ車おしてる。数軒でも,どこも扉がひらいて,生きてる。旧道の角に小さな祠。この景色はどこにもある。とうとう,東西南北は未解決だ。

帰る登りへ。ひとつ峠をこすと,一面のススキ。そのススキを刈り取っておられる夫婦にであった。そばの軽四の荷台には半分ほとススキの束が重ねてある。カヤ場というのだろうか。このススキは休耕田で作られているのだそうだ。使い道尋ねようとしたのだけど,すぐに作業に。すこし日がかげってきている。

きょうの最後のヒサメさま探しとなった,上山本宮神社へ。ススキのあった峠をくだると,正面に巨木の杉の林。その間に鳥居がうもれている。すごい大木がデーン。本殿の注連縄は出雲流のぶっとい。
ここの大杉は800年ほどの樹齢と教育委員会のカンバン。それには,この宮は紀州・熊野からとあった。でも,注連縄は・・・?ここは石見,出雲???
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神社からあと一つの峠で志学。と登りはじめると,通行止。石見はこればっかし!!あたらしい農道がぐるーっと回って,のぼっていた。志学展望所まで,つくられていて,こんなのいらないよ!旧道なおしてください。写真は西の景色です。
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by forumhiroshima | 2006-12-01 18:28


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