こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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再度・石見/富山

風雨強しの予報。朝はけっこうな振込みで,すこし弱気。たてなおして高速に乗ります。

春の嵐でもなく,早春の気温でもなく,晩冬の冷え込みでもなく,の天気のなか雲は速くながれていました。

石見と出雲の国境は?同じ日本でナゼに国境なのか?そんなどうしようもないような問題を問題にして,雨に走ろうって意味を考えながら,ザンザンとおちてくる雨をかぶって大田市朝倉というところ,国道9号線の爆音がのぼってくる場所にある朝倉彦神社をスタート地点にしました。

江津で津門・ツト神社が海岸に,江の川の中流に戸山のパターンの中央に中世の埋葬地があることを思い出し,この神社の北,田儀川そばに津戸,そしてそのおくの山中に富山。富山はトヤマでなくトミヤマなんですが,北陸の白山と富山とも連想しています。霊地です。

先日富山を回ったとき,尾根のトップ付近に並ぶ家々の下の谷に田んぼがひろがって,そこに幾筋もの道がくだっているのに,下りなかったことをすこし後悔もしています。斜度が厳しくて上り返しをきらったこともあるのですが,なぜか,引きこまられそうな恐ろしさを感じていたのです。
それを後悔していました。また,この富山へ田儀川ぞいに入って,大田へあたらしい林道でぬけていたのですが,どうもこの両方とも富山への主たるルートではなくて,朝倉彦神社のある峠からがメインのルートだろうと思いついたことを確めたいともおもっていました。

国道を神社からすこしゆくと地図に〒マークがあります。郵便局はだいたい地域のその中心にあって,お寺と農協とがついてくるって場合が普通だとおもうのですが,ここは〒マークのみで近くに集落もありません。なにか・・・匂うのですが。

国道は霧もでて,また工事中で車がたまっています。まっすぐに顔も上げられない状態で,山中の国道脇をおとなしく下ってゆくうちに郵便局の件はすっかりわすれて,次の交差点から国道を抜けます。車道はがいきらいです。

集会所があって,ごうごうとながれる小川が,仙山川と。石見銀山があるやまが同じ仙山,次の集落が日ノ尾。ここでも日がつく集落です。金属精錬の人たちの匂いいっぱいです。この集落入口に神社をみつけました。花雪神社とあります。優雅な名です。そして新しい神様だろうと。ふるい神様はだいたいわかりやすい名がついてますから。
道は一間幅で交差してつぎつぎ交差点。ここで方向を失います。いつのまにか同じ場所。地図を出すと雨がたまります。ままよ,と逆にはしると先日見た富山があらわれました。

尾根中腹を走る道に谷からゴウゴウと音がのぼってきます。先日であった小学生たちの学校もその音と森からきこえるポンポンポンポロンという不思議な鳥の声なんでしょうか,ひろがっています。尾根の山頂ちかくに並ぶ家々の間,谷の田んぼの中央,そんな空間にまるくこんもりと茂った繁みの森が点在しています。
どこかで見た景色だと,ながめていますと,空が明るくなって,雨も小降り。
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ああそうだ!!トトロの森がこれだよ!!猫バスが走ってきそうです。

トトロは神様だったのか,とえらく納得しました。霊地なんですね。ここは。

メイン道路とおもっている神社への道はすっかり車道ですが,だれも走っていません。これなら,けっこう。
神社にもどってふりかえると朝倉彦さまは,正面の遠い山の中腹にたつ富山小学校と対峙してありました。
でも国境問題はまったく解決しませんでした。富山は出雲でも石見でも・・イイカナ??
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by forumhiroshima | 2007-02-15 19:19

高原の椎木

芦谷から富山の中心部になる半明という集落へむかった。途中,時飛石川というちいさな小川をわたる。トキトビイシは砥砥石・トギトイシのことだそうで,以前は砥石川・トギイシガワといっていたそうだ。

田儀から芦谷へはいる途中に中祖という地名があって,そこに大須川がはいっている。ソとかスガとかは製鉄に関係した地名だといっている。温泉津の北側に日祖という集落があるし,そこから東の山中に祖式という集落もあって,そこの神社には砂鉄精錬のアトがのこっている。祖とつくには,古代からの製鉄の渡来だともいっている。時飛石川のそばに薬師山乗楽寺というお寺が道路からはなれた森の中にあった。2月4日の立春には星祭があると張り出されていた。もうすぎているのだけど,星祭は山伏のお祭で,藥師とあれば,これも製鉄の人たちの寺ということになるのだろう。

富山が見渡せる峠についた。谷からのぼった尾根の中腹高く民家が並んでいるのが見える。なんと高い所に家々を置いたのだろうか。これまでの石見のなだたる砂鉄採取のタタラが行われたという場所の村々もおなじ景色だった。

くだって,大きな学校の建物と郵便局,JAとあつまった交差点にある富山の地図をながめていた。神社の名称は地元の案内地図ぐらいでかわからない。鳥居に名がついていない神社もおおいのだ。
そのカンバンの向うから子供数人が走ってきた。不審者!!なんて,ふざけていってくる。おっかかけるぞー!ワハッハ!と逃げられた。でもたしかに黒ずくめの不審者スタイルだね。

富山の下は神原という。神社は地図に二つあって,学校まえのカンバンでは一つ。その王子神社には芦谷へ入るまえにまちがって着いていた。芦谷と神原の分岐に境という地名があって,国境さがしには,かっこうの名。うろうろしていて,入る分岐の判断を間違った。
王子神社は拝殿がとりこわされたのか,本殿のみがたっている。神社の名からするとスナノオが祭られていることになるのだろうが,出雲風土記の時代の神社ではない。

ルートを海岸へむけることにした。尾根中腹につらなる民家のぞばへいってみたくなった。
一番手前の登りをとる。集落をつなぐ中腹にのびる道との交差点に不思議な展望台をみつけた。もおう高度はかなりあがってるのに,その二畳ほどの四角な手すりのついた場所は山へむいている。その正面におおきな岩がふたつ。そうして,道路をへだてて鳥居がある。
岩が御神体なら鳥居の奧。石段のうえの拝殿はおしりをむけている。こりゃなんだ!

鳥居の石段にこしかけて,一服としようとしたら,その正面の田んぼの奧,つきでた尾根に,大きな樹木。すばらしく大きく枝をはっている。カンバンがみえる。田んぼの畦道をつっきって近づいてみた。「高原の椎木」とある。根元そこらじゅうにおおきなドングリがちらばっている。
高原の椎とは,またオシャレな命名だとおもった。
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大樹は出雲より石見が圧倒している。これまで,ここのような尾根,神社境内と幾度もであってきた。キメキメは三瓶埋没林だろうか。

やはり,ここは石見だと。国境は集落の入口の境をとおって,三瓶山山頂にのびているのだろう。と地図をだしてみた。

アレー,ここは高原という地名なんだ。農作業のおばあさんに聞いてみた。ここは?タカハラ!
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by forumhiroshima | 2007-02-10 19:39

イワミ・イヅモ・イナバ

「フィリピンからインドネシアにかけては,地名の接頭語に(イ)(ディ)あるいは(ヅィ)をつけます。・・日本にも気になる地名があります。たとえば伊勢,伊東,指宿,伊敷等など,その(イ)です。沖縄の糸満なども意味がわからないけれど,(イ)がついています。・・南方的地名の名残がそこに残っていないか・・」宮本常一の対談集・旅の民俗学にありました。

古代の国はそれぞれがちがった部族の集団だと考えたほうがわかりやすい。いまの行政区分ではないとおもう。出雲風土記に泉水のほとり,また海岸で歌垣が行われると記述してある。男女があつまって,歌をうたい恋をかたるのもらしくて,エーノーって感じだけど,これは知らないもの,言葉のちがうものがあつまって交流する場だともいう。市場はすこし高い開けた場所や,集落と集落の接する境にでき,これも知らない同士の出会いの場所だという。

中国地方に日本海側にイワミ,イヅモ,イナバと国がつながって,その中にホウキの国が楔のようにはさまっている。ホウキの国はなにか特別の集団であったのかもしれない。ウミヘビの信仰はイヅモもイワミもおこなわれていた。南の海の人々の国々であったとしても,なぜイワミとイヅモなのか。

イヅモの国とイワミの国境を確定??すると,意気込んで富山へ田儀川をさかのぼった。出雲風土記では田儀に関所がもうけられて,江戸時代の島津屋のように不便なところではないようだ。なにか江戸時代の武家政治の暗さを感じてしまう。この田儀から佐比売山(三瓶山)へと風土記によれば,国境があったようで,いまの大田・出雲市の区分とはちがっている。その国境はいまの富山として一括される土地をどこで区分していたのか?

また富山は一括して,出雲か石見か?
と思っても,さいて知識も,また判別できる見識もありはしない。

「芦谷・山村など畑作地区によくにられる地名で,徒然草に{骸・カラは気うとき山に納めて}とあるように,江戸時代以前の山の葬地であったとみられる。・・」島根の地名辞典

富山の一番奥まった行き止まりの谷が芦谷だった。古代,魂をみまもった谷だとしたら,その奥まった場所と行き止まりで,あったことで,なにか感じれるかもしれない。

谷の入口に,どこも埋葬地がそうであるように入口に寺院と,その奧にそして明るい谷間。

ポツポツと点在する大きな民家は,無住って家もあるけど,田んぼも畑も荒れてはいなかった。葬地にはつきもののような荒神さんらしき祠もあったけど,別にとりたてて変わってはいない。
空が広い谷はあかるくて,川の水は澄んでいる。
その川を渡って家に入る橋をつくっているおじいさんにであった。以前は役場に頼んでいたのだが,ご時世では!!。

公共事業は,農村の営農をたすけるために始められてのが,いつか,その事業が目的になってしまい,営農への意欲を軽減してしまった,とは宮本常一さんが二十年以上まえに嘆いたことなんだけど,ここでは,もう自立がはじまっている。それも老人によって。
さすが行き止まりの谷奥でふんばってきた人だ。

国境問題の手がかりはナシ。ふんばってこの山中を回ってみようか?
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by forumhiroshima | 2007-02-09 16:08

国境

出雲と石見の国境の番所は,一つは三瓶山の山口にあって,海岸には田儀川の河口から急坂を南につめて,海岸線の絶壁のある。島津屋という数軒の集落にその番所があった。

旧山陰道を北上して,いよいよ国境になった。

大田市の海岸をすこし北上すると久手という集落。その東にひろがる田園地帯が,戦後埋め立てられた湖の波根湖。湖より潟・ラグーンであったようで,江戸時代,銀山の役人が職を辞してまでも,ここに住み着いたという伝説まである。
古代流入する水によって災害が絶えなくて,14世紀初めに海へ山を開削したという。それでもなお,ラグーンであったことになる。戦後の食糧難によって,田園開発されるまで,水鳥たちの楽園であったのだろう。

島津屋の集落は,春のような静かな海から50mも上の狭い土地に吸い付くようにかたまってあった。古代のラグーン波根から舗装もとぎれている旧国道をのぼり,海岸の絶壁に綱渡りのように設置されたJRの路線と平行して,広々とした海原のパノラマに飛び込むような,降りにあった。

明治にこの絶壁の集落から,田儀への幅3mの道路が地元の人々の労力で出来上がったと碑文あった。江戸時代には今のJRのトンネルの上に一間幅の道があるだけで,石見に入る人々はこの集落の番所をぬけるほかなかった。
といっても,今の国道は田儀から谷をのぼって波根にはいっている。
そのころ波根のラグーンは国道の谷をぬけても,その行く手をさえぎっていたのかもしれない。そうしか考えられないほどの,難所に番所はある。

出雲と石見の国境はいまの大田市と出雲市の境界になるのだろうが,この島津屋から,複雑に東の山へと,地図には記入されている。三瓶山の山口の番所もいまは大田市にすっぽりかぶさっていて,山をおりて出雲市となっている。
宮本常一は人々が土地を区分するのは,おおきくは分水嶺で,山中では山の山頂や峠になるといっている。そこに遮る神々が生まれ,塞ノ神になり,お地蔵様の祠になった。

大田市と出雲市との境界は,島津屋から東,富山へと伸びてゆく。その境界は集落を横断し川をよこぎって伸びている。こんな国境はありえない。
では,はたして田儀川の流域は出雲なのか,石見なのか?

走って見れば,その地形がどんどん迫ってくる。なにせ登りには,とってもビンカンなんだ。と,富山の集落の地図をひろげてみた。

エー!!。ここに山中という集落があって,神社マークもあるではないか。
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by forumhiroshima | 2007-02-08 15:30

民謡・かまぼこ

温泉津から海そばを南下してゆく。いつも正面に浅利の富士がでてくる。

集落を離れると,顔に砂つぶがぶつかってくる。サングラスをすると,どうしても,やばいおにいさんになって,地元の人がさけるのがわかる。

福光・湊から旧山陰道にのることになる。砂がぶつかってくるのが途切れる集落,黒松は地図に漁港のマークがある。旧道にのれんがはためいている。かまぼこ屋さん。車の人も通行していない場所。こんなお店はほんものだろうと,飛び込んだ。
おばさん一人が電話や梱包やらでけっこういそがしそう。ストローのような菅でまいたかまぼこを3本。大田でも仁摩でもかまぼこの形はこの,昔のワラ巻ふう。このストローがパラパラとかまぼこからはずれるのが新鮮だときいていた。
山陰も漁業は不振だそうで,このカマボコの材料も地元産だとは期待できないのだけど,仁摩の魚屋のおばさんがサバはノウルエーのあなどれん!そうだから,地元の味覚だとあるものをいただくしかない。

店をでて,さっそくに一本包装をといて,パクリ。
子供ごころに,ワラでまいた鳴門まきがめずらしくて,うどんにはいっているナルトは最後に食べていた。そうそう,かまぼこはお祭の料理だった。

仁摩の南,鳴き砂の琴が浜の盆踊りは,にぎやかなものだったそうで,盆踊り歌も佐渡や九州からもちこまれたものだと,聞いた。
浅利富士の南,江津市渡津には,春に男は兵隊さん,女は看護婦さんの格好で山にあつまって,踊ったり唄ったりの風習があったという。コスプレ大会だ。

琴が浜の盆歌がどんなものか?聞くことももうないだろう。出雲・安来の安来節は佐渡おけさからだと。そうして佐渡おけさは熊本・天草の牛深ハイヤ節が元だと。ハイヤは阿波おどりの原型だという。

阿波おどりと高知ソウラン節の違いもよくわからない自分でも,演歌のTVがすごくすきだ。コスプレするなら,やはり高倉けんさんの網走番外地だな。
神様やご先祖様がおいでになるなら,踊って唄ってお迎えする。そんなつきぬけたような時間がいまはもう,手元にはないな。

でも自転車があるわい!!
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by forumhiroshima | 2007-02-04 13:53

旧山陰道

石見・温泉津に車をおいて,この夏に世界遺産登録といわれる町をブラブラ。有名なわりに,いかなことはないけど,あまりいってない。

このニ三年で藥師湯はあたらしくなったり,アロマセラピーというのか,あんまもあたらしくなって,タウン誌でみかけたりした場所ものぞいてみたり。
旧山陰道はいまご愛用の島根県歴史街道では,江戸期には大田-大森銀山-温泉津と海岸からはなれたコースが主で,明治になってからは大田-大森から銀山の仙山,そしてその西の大江高山をまくように浅利へとルートがかわって,そののち今の国道9号線になったとある。

温泉津から国道にでると,細いトンネルがあって,あのトンネル内で聞く車の爆音がこわい。と街道から格下げあつかいの旧山陰道を南下してみた。ひなびていいだろうか。
強風で,きっと海が荒れているのを見ることも期待!。打ち寄せる波も日本海の冬は,どこか神々しいのだ。

温泉津から海につきでている台地の,ここは旧山陰道ではないらしいのだけど,登ってくだった。釜野という集落にでて,砂浜にであう。沖の海につきでた岬のその先に嶋があって,ウミネコの繁殖地だとあったのだけど,ウミネコが飛び交う様子はなかった。
集落も無人の家が大半では?と思うほど生き物の気配がない。ただ海岸の防波堤のそばに営業の車で御休みの人ぐらい。

もうすこしウミネコの島へ近づいてみた。集落の隣の浜にでた。そこにも高い波がくだけている。その浜の奧に連なった小屋がある。そのなか一つ一つに舟が格納されていた。

船屋というのか,島根半島で,むかし浜にずらーっとならんでいて,先般の半島サイクではそれが朽ち果てて,物置になっているのに落胆したことをおもいだした。
遠く丹後半島の伊根はこの船屋が湾をズラーとかこんで,観光資源にもなっている。南のフィリピンやミンダナオ,そしてベトナムなど水上生活を連想して,この日本の生い立ちのどこかにつながっているようにおもえる。みているだけで,なぜかホッとするのだ。

大田の海岸での古代の神々の上陸神話も,益田での,やはり神々の上陸地点も岩礁や島で,砂浜ではなかった。
でも,鳴き砂の琴が浜や今日の折り返しに予定している浅利の浜にも,姫君の上陸伝説はあるのだけど,その主人公は着飾った貴族のようで,古代の神々の荒々しさ,猛々しさはないようにおもうのは,自分の偏見だろうか。

丹後半島で西から岬めぐりをはじめて,伊根の手前で浦島伝説の神社へ参拝したことを思い出した。そして,琴が浜から背後の山へのぼるとある乙見神社の神様は浦島太郎のたずねた竜宮の乙姫なんでは・・・?。と連想してしまった。
スサノオやイソタケ,オオヤヒメなどの朝鮮半島からの渡来伝説もワクワクさせてくれるが,おおきな波を引き込むように弓なりにひろがる砂浜と漁師の生活が,どうしてか自然らしくて,引き込まれてしまう。

ずーっと以前タイを走っているとき,地元の人たちに「お前はフリッピン人だろう」といわれつづけた。きっと自分が南方系のボケーとした人種なんだろうと,確信しているからかもしれない。
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by forumhiroshima | 2007-02-01 13:51


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