こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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宮本常一誕生100年

紀伊国屋書店で常一さんの誕生100年のコーナーがでているのにであった。

もみのき森林公園のコース設営にミズホ君とマーシーさんがやってきてくれた。宮本常一が昭和14年ごろ,芸北から匹見を経由して山口県宇佐郷へあるいて抜けた初冬の紀行文がある。なぜか吉和を迂回して,中国山地の最深部の集落を歩くコースで,吉和の盆地が天上の郷であるのなら,その周辺,ちょうどこの盆地をかこむ地域はどんな場所か?常一さんのこの紀行文で吉和の南斜面をしることができる。

この常一さんのコースのなかで恐羅漢のスキー場から水越峠を下った,十方林道から匹見へぬける横川越というルートを歩いているのだが,今も林道に匹見へのカンバンもあって,MTBで走っていると,このカンバンはコースハンティングへと,こころ動かされる。この心動かされたのが,ミズホ君とマシーと私。どなたもゴーロになって岩ごろごろのきえてしまった峠越えに失敗した仲間ということなんだ。
常一さんは雪のなか,そばの流れに滑り落ちたりしながら匹見の紙祖へはいっている。

そのあと常一さんは濡れたズボンのまま,山口県の寂地峡南の向峠という集落にはいっている。ここでこの高台の集落に4km以上もの水路を自費でひいて,集落じゅうの畠を水田にかえた庄屋美島家5代の努力をしることになる。この家は破産寸前までいっており,またそれから復興している。その間,自費での開発費を集落の人々に求めることはなかったと書いている。

その集落を去ることになり「向峠からいったん谷におりてまた坂を登る。谷から峠への道に沿うた一帯はじつに見事な棚田で,これが一段一段立派な石垣によって築かれている。・・・我々の生命かくのごとくこの国土にそそがれて,この国を美しくし,この土地を肥やして行く事は,よし何人もこれを認めずとも尊い事であり,ありがたいことである。・・・そうした田が尽き,急坂の林を抜けると峠である。振り返るとはるかに斜陽をうけた向峠が望まれる。しかし美島氏の家は山にかくれて見えぬ。・・・村の見えなくなるところまで歩いたが,また引き返してもう一度村をみた。・・・去りかけてはまた引き返した。どうしてこうも心引かれるのか自分にもわからなかった。・・・ついに峠の雪のうえに冷たさがしんに透るまで立っていた。その寒さにたえかねて,大きな声でさようならと叫んで今度は勇敢にあるいていった。」

江戸時代,郡の大村といわれた吉和からすぐそばに,明治になってもそんな辛苦の努力があったことがわかる。

なぜ,宮本常一は吉和をぬけることをせず,中国山地のもっとも深い集落をまわったのだろうか?匹見から向峠へのルートもいまは廃道となっている。

ミズホ君,マッシー,ぜひあの横川越へアタックしてみませんか?なにか,そこにある?かもしれない。
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by forumhiroshima | 2007-07-28 20:15

天上の郷

もみのき森林公園のフカーイ森のくずれかけた山道に石英のおおきな白い塊がごろごろしているのを発見した。水晶だって見つかるかもしれない。ふと吉和に石器時代の遺跡があるときいていたことを思い出した。それは公園ではなくて冠高原だそうだけど。

吉和には縄文時代の遺跡から弥生時代,古墳,そして奈良時代の条里制跡とじつに長い歴史がつまっている。

その中国山地の盆地に石器時代から登ってきた人々はどんなルートだったのだろうか?なんて妄想がわきだした。

MTBコース作りの水曜日はETCなるものをつけて,中国縦貫道で吉和インターへと。降りとかんじる場所もすくなくて,ただただフラットの登り。そういえば高速道路に峠ってあったっけ?

自転車で吉和にあがるのは,北から縦貫道したの戸河内から。また同じ戸河内から立岩ダム経由。南からは山口県宇佐からの松ノ木峠。東の湯来からは東山渓谷か冠高原経由。どれも厳しい登り。がなんといっても西の匹見からの御境峠がきつい。が,この細い車道は旧道そのままで,おおきな杉の木立をぬって上ってくる。吉和-津和野往還とよばれる古道がいまの中津川の車道より北上の山中にまだ残っていて,そこにもう一つお関ケ峠がある。ここは津和野藩の武士が廿日市でしりあった女郎と恋仲になり津和野へふたりで旅立って身の上話をしながらこの峠まできたころ,その女郎は武士の幼い頃わかれた実の妹とわかって,ここで自害したことから付けられた名だという。
そんな話をきいてたから,ついそのルートへ匹見から入ったのが,大間違いでお関ケ峠まで大変だった。

出雲でスサノオは斐伊川の上流から流れてきたハシをみつけて,上流に人が住んでいることをしったという。桃太郎も川上から流れてきた。もみのき森林公園に営みを始めた人たちも下流にハシをながしたことがあったのだろうか?と,そんな話が川下の湯来で探してみた。
湯来には縄文・弥生どころか古墳の遺跡もみつかってないという。教育委員会がさぼってるとはおもえない。湯来で記録にのこっている古文書からいまの湯の山温泉あたりか?八幡原を武田ナニガシという人が開墾したのが初見だという。この武田さんは,地頭としてやってきた武田氏より前の人だそうだ。

となると,公園に入植した昔々の人たちはやはり吉和から入ってきたのだろうか?それとも湯来のまだ荒野をかき分けたのだろうか。吉和への登りを自転車でやってきたことをおもいだして,そこがなんだか天上の城ラピュタのように思えてきた。そこにはタワワに稲穂が風にゆれているのだから。でもシータの胸にあった飛行石に自転車はならないな。いや,公園でみた石英が・・・

公園の最高峰小室井山。どう考えても神ロイ/神が坐すところ。その南正面にカムイ・冠山。MTBコースはこんな天空に接しています。
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by forumhiroshima | 2007-07-23 17:37

深山の住人たち

もみのき森林公園は吉和に所属しているのだが,公園から流れる川は湯来を経由して大田川本流に合流している。

中国縦貫道の吉和インターから公園にあがる道にそって流れる川は鍛治屋川といわれ,そのあたりの地名が小福とよばれる。フクはタタラを吹くからの地名で,全国にちらばるフクとつく地名は多かれすくなかれ,製鉄精錬と関係しているという。九州・福岡はそこに城を築いた黒田氏が岡山・福岡から移住して福岡と名付けた。古い博多と並列してよばれる。岡山・福岡は刀鍛治の集落・長船に隣接して,鍛治が盛んであったという。
ここ吉和・小福に古く妙音寺という寺があって,いまは地名だけがのこっている。

吉和は古くは厳島神社の荘園としてあったようで,所属する佐伯郡の佐伯は古代の安芸の国造で,中世まで厳島神社の神主であった。厳島神社宝物館に国宝・新羅三郎義光の鎧がある。
この鎧は安佐南区の武田山にあった銀山城の城主・武田氏の祖先が甲斐武田氏になる源義光通称・新羅三郎になる。
武田信玄はこの安芸武田氏の分家にあたり,そうだから安芸武田氏の所蔵になっている。が,大内氏に武田氏が滅ぼされる際,この鎧は大内氏にわたり,そして厳島神社に奉納されている。

公園の中央をながれる川は大聖寺川とろばれる。いつごろか,ここに居住した人々の首領がここにそういう名の寺院を建立したともいう。祠か道場のようなものであったのかもしれない。

15世紀になって起こった全国におよぶ内乱で,各地に敗残者の群れが,険しい逃避行のすえ,深山幽谷の地を見出し,第二の生活を始めたという。「古来は深山の幽所にて所々に民家一,二軒ずつあるのみ,侍などは住まず,隣家の通い不自由なり,さるにより村名も定まらず,小名ばかりありしとみえたり,太平記大乱のなかば,貞和年中のころより,国々の浪人士民男女僧俗をわかたず,方々より落ちきたり,本名などひきかえ住めども・・・」日本残酷物語。

なんてことが,ここ吉和の奧,大聖寺川流域にもあったのかもしれない。
山をくだったところの妙音寺は厳島神社の神主を支配化においた大内氏の影響のあった寺院であった。大内氏が陶氏に滅ぼされて,その陶氏が毛利氏との戦いになったころ,この吉和は陶氏側についたのだそうだ。厳島合戦で陶氏が破れて,この妙音寺は勢力をなくして,廃寺となったという。武田山の銀山城は金山城と書くのが正しいともいう。

公園のもみのき荘の前の駐車場あたりをコムギ原,公園入口付近を畑,大聖寺川をすこし下った渓谷にキジヤ谷と地名がのこる。この森でタタラ用の炭を焼いた人,ロクロをまわして木工製品をつくったひとが,その生活に原野を焼いて焼畑を営んだなごりの地名だという。
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その人々はどこから,ここにやってきたのだろうか?本家でありながら甲斐ほとの名をのこすことのなかった武田氏の配下の人々であろうか。
江戸時代宮島で売られ,全国に広がった木製品はこの中国山地の木地師たちの製品だという。名物のシャモジも彼らによってけずりつくられたものだという。
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by forumhiroshima | 2007-07-20 17:55

深山の住人たち

もみのき森林公園は吉和に所属しているのだが,公園から流れる川は湯来を経由して大田川本流に合流している。

中国縦貫道の吉和インターから公園にあがる道にそって流れる川は鍛治屋川といわれ,そのあたりの地名が小福とよばれる。フクはタタラを吹くからの地名で,全国にちらばるフクとつく地名は多かれすくなかれ,製鉄精錬と関係しているという。九州・福岡はそこに城を築いた黒田氏が岡山・福岡から移住して福岡と名付けた。古い博多と並列してよばれる。岡山・福岡は刀鍛治の集落・長船に隣接して,鍛治が盛んであったという。
ここ吉和・小福に古く妙音寺という寺があって,いまは地名だけがのこっている。

吉和は古くは厳島神社の荘園としてあったようで,所属する佐伯郡の佐伯は古代の安芸の国造で,中世まで厳島神社の神主であった。厳島神社宝物館に国宝・新羅三郎義光の鎧がある。
この鎧は安佐南区の武田山にあった銀山城の城主・武田氏の祖先が甲斐武田氏になる源義光通称・新羅三郎になる。
武田信玄はこの安芸武田氏の分家にあたり,そうだから安芸武田氏の所蔵になっている。が,大内氏に武田氏が滅ぼされる際,この鎧は大内氏にわたり,そして厳島神社に奉納されている。

公園の中央をながれる川は大聖寺川とろばれる。いつごろか,ここに居住した人々の首領がここにそういう名の寺院を建立したともいう。祠か道場のようなものであったのかもしれない。

15世紀になって起こった全国におよぶ内乱で,各地に敗残者の群れが,険しい逃避行のすえ,深山幽谷の地を見出し,第二の生活を始めたという。「古来は深山の幽所にて所々に民家一,二軒ずつあるのみ,侍などは住まず,隣家の通い不自由なり,さるにより村名も定まらず,小名ばかりありしとみえたり,太平記大乱のなかば,貞和年中のころより,国々の浪人士民男女僧俗をわかたず,方々より落ちきたり,本名などひきかえ住めども・・・」日本残酷物語。

なんてことが,ここ吉和の奧,大聖寺川流域にもあったのかもしれない。
山をくだったところの妙音寺は厳島神社の神主を支配化においた大内氏の影響のあった寺院であった。大内氏が陶氏に滅ぼされて,その陶氏が毛利氏との戦いになったころ,この吉和は陶氏側についたのだそうだ。厳島合戦で陶氏が破れて,この妙音寺は勢力をなくして,廃寺となったという。武田山の銀山城は金山城と書くのが正しいともいう。

公園のもみのき荘の前の駐車場あたりをコムギ原,公園入口付近を畑,大聖寺川をすこし下った渓谷にキジヤ谷と地名がのこる。この森でタタラ用の炭を焼いた人,ロクロをまわして木工製品をつくったひとが,その生活に原野を焼いて焼畑を営んだなごりの地名だという。
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その人々はどこから,ここにやってきたのだろうか?本家でありながら甲斐ほとの名をのこすことのなかった武田氏の配下の人々であろうか。
江戸時代宮島で売られ,全国に広がった木製品はこの中国山地の木地師たちの製品だという。名物のシャモジも彼らによってけずりつくられたものだという。
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by forumhiroshima | 2007-07-20 17:54

吉和・もみのき森林公園

もうもみのき公園MTBコース工事に毎週水曜日ごと,が一月以上つづいている。が,まだ出来ない。

常設テントエリアの外周になる森の中をくねくねと草刈していて,古い人工物になるのだろうか,ちいさな石組みをみつけた。泉水がそこかしこにある場所だけに,池かもしれない。泉水はとてもおいしいし,枯れそうにもないから,飲料水ではなくて,他の目的であろうか?なんて考えていると,この吉和の歴史を知りたくなった。

なにせ石器時代から縄文時代の遺跡がみつかっているし,発掘されてはいないけど古墳も確認されていて,江戸時代は2000石の佐伯郡屈指の村であったという。

中国山地奥深いこの盆地は東西南北におおきな峠があって,自転車であがるにはけっこうな体力がいる。吉和の北の戸河内から,立山ダム湖畔をあがるのが,そのなかでは一番ラクなのかな。そのダムをすぎて,キャンプ場をとおると,一気の登板になる。吉和の田園が広がるところが駄荷という地名だそうだ。むかし戸河内との交易つかった馬の休憩場のなごりだという。戸河内からダムへむかう入口の集落は吉和郷という。
南へ冠高原から松ノ木峠をすぎて寂地へ降るところに吉和地という地名があったという。

標高高い山間の盆地はその入り口にその名をのこすほど注目されていたのだろうが,吉和という地名が古文書に最初に見つかるのは,1467年に山口県秋穂の八幡神社の屋根の素材である栃の木の薄板を求めたという記事だそうだ。米などの農作物でなく,山村の産物だということになる。

駄荷という地名の場所から盆地に入ると,クベーレ温泉へでる。ご存知かもしれないが,クベーレへ登る車道の入口に小さな温泉宿がある。すごく気になっているのだけど,まだ入浴していない。そのあたりが湯之郷という地名なんだそうだ。地図にもでてなくて,もみのき公園の岡本さんにたずねた。
なぜかというと,そのにある神社の伝説がおもしろくて,なんどもいっている吉和でまだこの神社も訪ねていなかったから。
その伝説にここに神社を勧請すると,すぐに温泉が湧いてきた。温泉の効能はたいしたもので,あらゆる病気が治る。そのうわさからたくさんの病人があつまってきた。その余所者がおおくなりすぎて,こまった村人が片目の,通常飼育することを避けられる赤牛を湯壺にうめてつぶした。が,数年たつと又温泉が湧き出したという。

片目は天一箇神という鉄山師たちのかみさまを思わせるし,赤牛にのって鍛治の神様は韓国からやってきたという。温泉があるところは鉱山があるところだという。吉和の産業に鉱業もあったにちがいないのだろう。それは水銀や硫黄などの発見からかもしれない。

宮本常一は峠が古代,物々交換の場所であったという。正月14日里の家々の軒先に縄にくくった餅がつりさげられる。夜半山からおりてきた山人は,その餅と自分たちが山で採取したものとを,交換してゆくという,沈黙の交換が行われていたといっている。この山人たちを里人たちはトロトロとよんだという。秋田のナマハゲもそんな沈黙のなごりだそうだ。まるで宮崎劇場のトトロみたいだ。

縦貫道からインターをおりる。南に空につきでた山頂をみせる吉和冠山が景色を支配している。
カンムリは神ぶりからとか,アイヌ語の神・カムイからとかいわれる。
山の営みが,肌まで感じられる。そんな場所だ。
MTBコースの森は今夏を迎えている。
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by forumhiroshima | 2007-07-19 20:17

もみのき森林公園

もう昔話にしかならないほど,時間か経過した。耐久レースを開催させてもらってる広島県立もみのき森林公園は,その昔は東山牧場という乳牛を放牧していたあと,その運営がうまくゆかなかったのか,公園として整備された。牧場が閉鎖されて公園として整備されるまで,オートバイのダートコースとして,そのみちでは結構しられていた。そんな思い出がある。

昭和57年(1982年)に出版された「西中国山地・桑原良敏著」にこの地域の記述がある。
「湯来町の村里を遠く離れた水内川水源地帯の山や谷は,未知の部分が多く魅力ある地域である。交通が不便なため湯来・本多田の集落を離れたら,一泊は覚悟しなければならないと考えられていた。吉和側も東山とよばれる前山を越えねば入れないという不便さのため情報量の最もすくない地域である。・・この地域で唯一の集落であった栗谷郷は昭和15年頃から無人になった。戦後吉和村は大聖寺川(公園の中の川9水源帯に四十数戸の開拓村を作ったが,厳しい自然に適応しきれず離村者があいつぎ,・・昭和30年代は荒木謙三宅が一軒残っていた。・・・その後無人となり・・・」

この文章を読んで,もみのきの探検をはじめた。クロスカントリースキーのコースも一応すべって??みた。森の中の踏み後をみつけると,MTBをおしこんだりした。そうして,いつもスゴイ!とおもってきた。

以前開催したMTBクロスカントリーはコースが長すぎて,登りがきつすぎて,すっかり不評。あんな森を滑走できるなら,文句ないだろう!!なんて最初不評に反発もしていた。そこで,もっと長いコースをツーリングと称して紹介してみたり,けっこうこだわってみたのだけど,やはり登りが不評だ。
それもそのはず,ここは1000m以上のピークがいくつもならんで,人の入植がうまきいかなかった場所だし,湯来からも吉和からもここのピークは見られないほどの秘境であることがずーっとつづいていた場所だからだろう。

こと夏のMTB耐久レースの開催準備を始めなきゃいけなくなっても,これまでのただただ,草原をヨイコラショとはしるコースに,ここの深い森をしっている以上納得できなくて,ズルズルと時間が経過していた。

不遜にも春の耐久レースに主管の責任を放棄して選手?・としてはしらせてもらって,サイクリングドーロであっても,緑の中を抜ける爽快感をかんじることができた。たいした準備も宣伝もしないレースにいつもの顔があつまっているのは,「そうだ!この秘境であった,そしてまた自然がこくなっているこの風なんだ」

そうなら,出直して,森を自転車で走るコースを考えればいいのじゃ!!
と,サイクリング棚上げで,森に通っています。
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by forumhiroshima | 2007-07-10 19:53


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