こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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<   2008年 01月 ( 13 )   > この月の画像一覧

今存在する出雲風土記

風土記に木次あたりにあった郡家から、郡の東西の端までの距離が記載されている。

「仁多郡の堺なる辛谷村・ヒノタニに通うは、23里85歩なり」とある、いまの久野へ。大東町の中心から南へ川井峠へ。けっこうな登りでも、トップに少し雪があって、路面は乾いていた。寒風のなか、下って久野川にでて、東へ川沿いにさかのぼると、雪景色。エー雪景色!!すぐ神社。国魂神社。名からはオオクニヌシが祀られているのだろうか?

風土記に辛谷村・ヒタニとあって、火の谷といまは呼ばれているとうだが、カラタニと読めば韓国を連想する。国魂神社わきに祇園社のちいさな祠もあって、韓からやってきたスサノオもここにおられる。

川沿いの車道と、川をへだてた旧道とJRの線路が平行してある。とうぜん古道にはいる。車の轍がくろい舗装をつくっている幅だけが自転車のライン。狭くてゆっくりもはしれないが、景色は古色にあふれて、そこかしこに神社の鳥居と道端の石柱があるから、降りたり乗ったり。

歩きにくい自転車用の靴は、もうビッショリになって、だんだんシミてくる。のだが、すっかりお構いなし。開けた田んぼの端、小高い場所の藁葺きの民家、おおきな樹木。村内の案内のカンバンにはカナヤゴ様、カシノキ様、と神様の居場所に様!がついていた。

田んぼの中の細道はすっかり雪に埋もれて、長靴しか役立ちそうにない。あそこにも、あの茂みにも、なにやら古風がかくれている様子も探しにいけない。

道が交錯するひろい平地の真ん中におおきな杉の数本すっくとのびている茂みをみつけた。雪のつもった橋は自転車を押して、そこに。鎌倉神社とあって、拝殿の正面の山の中腹におおきな丸い岩と、そのしたの祠と、セットになって見えた。こんな御神体もあるものだ、としばしたちどまって、神社に参拝に入ろうと路地へむかった。そこに神社への石段をみつけていた。
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あたらしい家の門に注連縄が張ってあって、その門柱に勝部臣とある。一瞬うたがって、表札に近づいてみた。まちがいない。

風土記は出雲の国造・クニノミヤッコが各郡の郡司に調査・報告を命じて編纂されたのもで、ここ大原郡の郡司は勝部臣・スグリベノオミとあるのだから。
マイッタな!うれしいな!
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by forumhiroshima | 2008-01-31 15:05

出雲のロマン

風土記で出雲大河が、いま斐伊川となったのは?
風土記は出雲国の9郡のお役人が調べた情報をまとめたもので、斐伊川は上流から室原川、横田川、温泉川(漆仁川)、斐伊川、出雲大河と記載されてるのは、今と同じで、その土地の名を記載したのだろうが、豊かですばらしいと出雲人が誇った出雲大河って名がなくなってしまってる。
それは古事記では簸川・ヒノカワとよばれていることが原因だと考えている。それほど古事記・日本書紀の出雲神話はおおきな影響を地元へあたえたのだろう。

その斐伊川はもともと斐川で、政府が一字を二字にかえるように命令してからの表現だそうで、ヒカワがもともとの呼び名だそうだ。
その斐伊郷の斐伊神社へ走った。風土記では樋社とあって、二つが記載してある。それを平安時代に合祀してひとつになったと、神社前の新しい表示板にあった。もうひとつの樋社はいまは八本杉とよばれる、その名のとおりの八本の杉がある場所にあったという。

神社すぐ側のJR踏切をこえると、すぐに森がみえた。そこは四角に八本の杉が茂っていた。そこにも表示板がデーンとあった。「スサノオ命はヤマタのオロチ退治後、再び生きかえらないように、八つの頭を埋め、そこに八本の杉を植えた。それがここで、吾頼む人の恵みの杉を植え、八重垣かこみ守る末の世。と歌った」そうだ。風土記の樋社の話は??でもそんあことどうでもいいのだ。でもこの歌へただよな。
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オロチからスサノオがとりだした草薙剣の話をしよう。
江戸時代に草薙剣が御神体で見ることあたわず、と名古屋・熱田神宮は決めているのみ、その宮司たちがこっそりと剣をみたことがある。そこには85cmもある銅剣があった。

神話ではオロチからこの剣をとりだしたスサノオは姉のアマテラスに贈った。アマテラスはその孫のニニギノミコトが高天原から降臨するとき、鏡と玉とともにこの剣を与えた。すこし下って10代天皇スジンは剣と鏡を御所からはなれた場所に祭った。その際、コピーを作って御所においておいた。次の11代スイニン天皇のとき、いまの伊勢神宮をつくりそこに祭った。だから玉はコピーと本物の二つは御所にある。
12代ケイコウ天皇のとき、ヤマトタケルが東国へ遠征するとき、伊勢神宮のヤマトヒメはこの剣をヤマトタケルへ渡した。タケルは東国からかえって、伊吹山を征服しようとしたとき、この剣を名古屋のミヤスヒメのところに置き忘れた。そのためかタケルは亡くなって白い鳥になって、飛び去った。のこされた剣は名古屋におかれた。小さなお宮に放置された状態であったようで、38代テンチ天皇のとき、この剣を盗み出して韓国へ逃亡しようとした僧侶がつかまって、剣は御所にもどってきた。40代テンム天皇のとき、剣が御所にあるとタタリがあるとなって、名古屋の熱田神宮へ置かれた。
御所に残ったコぴーの剣は源平の合戦の際、持ち出され、壇ノ浦へしずんでしまった。それから25年がすぎて、コピーの代替として御所におかれた昼御座御剣・ヒノオマシノギョケンが物足りないと伊勢神宮から一本の剣を御所へ献上した。そして今になっている。

草薙剣が銅製であるという。この八本杉から斐伊川を1kmも下った愛宕という小高い丘に固まって集落がある。そこの神社は草薙剣を鍛えたといっている。銅剣だから鋳造だろう!なんて無粋なことはいわないで、銅剣、銅矛、銅鐸を日本一もっている、出雲では85cmの剣をつくるなんぞ、当たり前だい!ってことなんだろうな。
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by forumhiroshima | 2008-01-26 19:13

不思議な地名

スサノオが頭に挿した木の枝が踊ったとき、落ちた。その木はサセという名で、それから佐世とその地を呼んだ。その佐世の神社が八幡社になってる、ってことで、同じ佐世の神社めぐりをしてみた。ご丁寧なことだと、自分でもおもってる。

その他の神社に佐世という名はなくて、本殿跡にポツンとちいさな石の祠が、やはり佐世社だろうとおもった。その時一番南の集落を訪れた。西阿用の日南/陰地。このヒナ/オンチのコンビは広島県の山地にいくつもあって、中国自動車道の高田インターを降りた西の尾根あたり、庄原・備北丘陵公園の北、世羅の甲山、三和、神石、豊平などかぞえきれない。が他県では見つけていない。がこの出雲にあった。

日当たりのよい場所が日南でその反対が陰地だとおもうけど、そんな法則はないようで、この出雲では東向きの斜面が陰地だった。そのコンビの地名は、製鉄に関係するようだ。がなんの確証もない。ただどこも地形が似ている。
というのは、砂鉄を取るために、山から水路をひいて、そこに山肌をくずして、土砂をいれ、いっきに水をながして、重い砂鉄を沈殿させる。あとに流れ出る土砂を囲って、平地に段々につくってゆく。水路は斜面をできるだけたくさんに受けるように尾根をまくようにつくられる。その後は谷へむかって階段状に平地がかさなって、尾根はまるくなってしまう。この地形をオヌカと呼ぶらしい。地図で山中に等高線がひろくなって、そこだけ白っぽくなってる場所がそうだ。そこにこのコンビの名がある。

石見も出雲も備後もそんな場所はたくさん、というよりほとんどそんな谷間の集落になっている。こんな場所は、棚田になったりしてるし、けっこうフラットな古道が続いていたり、と自転車には走りやすい。尾根をけずって均したテッペンはひらきとよんでたり、そこから下は流し込みとかいってたりする。そのひらきには独立したおおきな木がポツンとたっていて、その側に薬師堂がある。岡山で有名な御ダイゴの桜が代表になるのかな?自分は石見の大平桜が気に入ってるが、公園となって、ヒナビてなくなって、いまは昨年発見?した大麻の桜がいちばん。
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そんな桜をここでみつけた。すこし枝ははってない。スサノオが落としたのかもしれない。

この日南のそばに若木というもっと山奥の行き止まりの集落がある。

奈良時代から平安時代に蝦夷の人々が各地におくりこまれた。防人ってこともあったようだけど、山奥へも置かれたという。鉱山関係を仕事としたのでは?と思われている。その人々は結構優遇されていて、人々にたくさんの稲と絹や木綿が報酬としてわたされている。このあたりだけで200人ほどが計算できると、ある歴史家が書いていた。その人たちを居住させた場所が別所と呼ばれて、その地名を全国歩いているひとがいて、その中にここの若木に別所があって、今は一軒の家の屋号としてのこっているといっている。

集落には新しい車道が入っている。山中に家がポツンポツンとひろがってあるだけで、そこにそんな歴史があったか?なんてわからないけど、わかったような気分になった。この人々は東日本から移住さされたもので、ここの若木はあたらしく来・キ、たってことかも?この行き止まりの道を尾根に抜けると、川井の鮭神社へでるのだ。

西と東で自分がいちばん変わってると思うのは、谷を沢と呼ぶことだ。がここにも沢がある。
大東町から松江にぬける峠は薦沢とよばれて、出雲では出雲市の古志の側に菅沢、下沢。松江市のやはり古志に大沢。どちらも越の国からの移住者の場所だという。薦沢入り口に須賀社があって、いまはスサノオの新居になっているが、それはどうも毛利氏が尼子氏との抗争があった時代だという。製鉄に従事した人々が呼んだ沢だと・・。いえないかな?
あとは三沢で、ここの稲を妊婦は食べないと風土記にあって、鉱毒って解説もある。

毛利氏も関東・神奈川の出身。古代からの毛利氏との関係者がここあたりにいたりして。それも別所に!!
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by forumhiroshima | 2008-01-25 13:09

鬼ごっこ

出雲風土記で阿用郷「古老の伝えに伝えらく、昔 或る人、此のところの山田をつくりて守りき。その時、一つ目の鬼来たりて、その田つくりの男くえり、・・」

大東町の南に阿用川がながれて、平地の途切れる尾根の中腹にこの地域の鎮守・阿用社が磨石山の中腹にある。神社の上の蓮華寺も地図に名入りで記入してある。このあたりが宮内。神社は風土記にも記載されている。ここへ走る。

大東町の市街地から旧道を走る。国道あたりが新道工事でわかりづらい。小さな峠が三峠・ミソネとやはり地図にある。そこに三津山神社があるのは、ここがなにかの境界なんだろうか。

くだると掛屋という地名。広島の加計、島根の掛合と、たたら製鉄の仕事の会計や物資調達の部署をそう呼んだのだそうで、この南の横手谷もカンナ流しの水路を斜面を斜めに通し、その間にいくつもの池をおいたという。そんな名の発生もあるのかもしれない。その横手谷を上るとそこが金成という。製鉄関係の地名が連続してでてくる。

製鉄に従事した人々はその製造過程で炎を読む。その結果職業病として目がわるくなるのだそうだ。また炎の温度を片目で読むことから、片目の状態は不思議でなく、その人々の信仰する神様もまた一つ目であるという。

風土記で古老が伝え聞いた風土記の一つ目の鬼が、こういった製鉄をする人々であったと、風土記の解説にはよくでてくる。が、タタラ製鉄も風土記がかかれた8世紀には普通のことであっても、古老の伝え聞く古代にそうであったか?はどこか納得できないでいる。

製鉄の歴史はまだ霧の向こうのようにかんじている。
金成は階段状の田の向こうに家々が点在する。そこへの道のそばに地蔵が転々とおかれている。阿用神社への道の分岐をまちがえて、通り過ぎてしまった。また上り返しになる。端のお地蔵さんとゆっくり対面することになった。そのに何丁と掘り込まれて、だんだんその数が少なくなっている。それは、蓮華寺への道しるべにちがいないけど、その順番はどうも国道のとおる阿用川の反対からになっている。蓮華寺は金成が入り口ってことなんだろう。製鉄の人々と寺院は必ず同居している。
が、急坂でまいってついたそのそばの阿用神社は川にむかってあった。

司馬遼太郎が生きている出雲王朝のなかで、歴史家の説を引用している。「ロシアの東海岸・ウスリーを占拠していたツングース族のなかで、・・海をわたる勇ましい南下の航海をこころみたものがいた。彼らは蝦夷島・北海道を発見して、そこに門番・otoli・オトリ{小樽}をおき、尚も南下して、ラッコ・moto・モト{陸奥}と命名し、さらに南下して、入海の多く河川が流れ込む場所をみつけた。そこで大量の鮭・dawa・ダワ{出羽}といいた。・・・さらに南下し越後をみつけ、さらなる航海で出雲付近まで行ったであろう。・・これは紀元前1800年から1000年の間のことだ」

鬼は自分たちと違う様子をもつ人々への印象だともいう。スサノオたちは朝鮮半島からの渡来の人々で、このツングースの人たちがすでにこの奥地へ到達しており、あとからやってきたスサノオたちの後裔たちと遭遇した・・としたら!

石見に出羽・イヅハという町がある。その隣の石見町は製鉄の町で出羽は牛の集散地の市場の町であった。石見の人々はつくった包丁をこの出羽の町で売っていた。評判をよんで、それがデバ包丁だと!!出羽の川そばには今も鮭があがってくる。

神社から阿用川へくだると、先日訪ねた川井の鮭神社がすぐそばだった。
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阿用社の御神木でしょうか?根っこに人形が横たわってました。
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by forumhiroshima | 2008-01-24 20:06

塩の神

スサノオの御室なる山の周囲を回っていて、どこかで見たようなたたずまいの神社にぶつかった。海潮神社とあった。

風土記に「海潮郷・ウシオノサト、古老の伝えに伝えらく、ウノジヒコ命、御祖・ミオヤ、スガネ命を恨みて、北の方出雲の海潮を押し上げて、御祖神を漂わししとき、この海潮至りき。故、得潮・ウシオという。(字を海潮に改む)」とある。海潮温泉の川上にその神社があった。

てっきり津波がここまで??って記憶がこの伝説なんだろうか・なんておもっていた。が、神社には得塩神社とも、とあって、ここが塩の道なんだろうか?なんて思いがかわってきた。

塩の道をしらべた宮本常一さんは、「塩はエネルギーにはならないが、栄養保全の働きがある。そのためか、塩というものは神に祀られない。」といっていた。
あれだけ清めに使われる塩が神さまではない・・・。

この神社の神様はウノジヒコ。風土記校正に海の精霊の神だとある。この神様は風土記に、もう
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一箇所あらわれる。出雲・平田の市街地の中心にある宇美神社の神様。で、風土記校正にはこの神様は平田の北、島根半島の北海岸にある塩津から移設だとも記載してある。

塩が山中へと運ばれるのは、もちろん人がとったり、漬物やみそには欠かせないし、もっと大切なことは馬にはたくさんの塩がいるからだという。そうして、塩はすぐにシッケルため、それを運ぶルートは海からストレートだとか、牛が運ぶとか、多様な条件にそって選ばれる特異なルートになるのだそうだ。それを塩の道と呼んで、中国山地へはいる塩の道はいくつか知られている。
長野・諏訪へはこぶ塩の道の最後の地点は塩尻で、ここからかく集落へ、となるのだそうだ。

この海潮がそんな場所だったのだろうか。ここから山地へむかう途中に塩田という地名もある。

その塩を得られる場所だあったら、親父を恨んでいたとはいえ、ウノジヒコは、抱えきれないほどの塩をオヤジへ送ったという、いい話も想像できないことはないな?とおもったりした。周囲は恨みなんて感情がわきそうもない田園風景と温泉の場所なんだ。

そういえば、この神社、平田の宇美神社だけでなく、斐川平野に点在する古社とおなじ感じにつくられていた。

塩津-平田から、きっと来待-和名佐-海潮だろうと、これまで走ってきた道を勝手に塩の道にして、ほくそえんでみた。

で、塩は神様にはなれないのですか?八百万の神々を誇る出雲でも??
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by forumhiroshima | 2008-01-20 16:54

山の神

島根県大東町は出雲風土記のなかで、スサノオ命が記載される4箇所の中で2箇所もある場所で、あとは須佐と広瀬になっている。オロチが斐伊川だという説、砂鉄をとるカンナ流しで砂が流れ込み氾濫することからオロチを連想されているのだけど、風土記にでてくるスサノオ命は、なぜか、斐伊川とはなれた場所に出没してくる。

風土記に「神スサノオ命、御室(神の御座所)を造らしめたまいて、宿らせる所なり。故御室という」と海潮温泉の南の山を御室山とよぶ訳の記載があって、加藤・風土記校正では、この山を比定している。そこに上る谷奥、突き当たりに室谷という集落へ上ってみた。

採石場への車の出入りで、路面はガタガタになっている。降りしきる小雨でぬかるんだ道は細いタイヤではきびしい。歩きにかえて、集落へむかった。急にひろがった谷間に数軒の民家が点在している。電柱がその奥に続いているのを、追っかけで谷間のどんずまりまで。そこにも民家があって、これが、いまの限界集落ってことなのか?なんておもってみた。

宮本常一さんが、ずっと以前に「農村は昔から老人の社会で、出稼ぎをはじめとして、都市に子供たちで職について、そこで暮らし始めても、なにかあれば帰ってくる」と書いていた。
が、その子供たちが老いて、孫たちの時代になってきて、田舎への配慮もなくなってきて、援助が限界だとなってきたのだろうか?限界なのは都会の方で、ここの営みは以前から変わってないように感じた。アゼはしっかり草刈してあった。

ここになにかスサノオ命の痕跡でもないかと、かならずある神社をさがしてうろうろして、やっと小高い尾根に石灯籠を発見、よじ登ってみると、かすかに金比羅の文字。辻辻によくある石塔で、この集落で金比羅参詣の記念碑だと聞いたことがある。それ以外は見つけられなかった。
と、うろうろしていると、放し飼いの犬が吠え出して、ずーっと後をほえながらついてきた。
どこまでくるかと、ゆっくり下って、民家がとぎれる橋までくると、ピタッととまって、ウワンワン。こちらも橋のこっちから、ワンワンなんてやってみた。ザマーミロ!これないだろう!とおもって、同じレベルだと気づいたよ。

地図で山の東に神社マークをみつけて、そこへ走り出す。工事で規制されてるガードマンがかわいそうだと、さっさと通してくれた。
神社を民家奥にみつけて、早速参拝。そこは山神社とあった。合祀されてる拝殿横に小さな祇園さんがあって、たしかこの神様はスサノオだったけど??d0089494_17365033.jpg
















またひきかえして室谷へはいってみた。が同じことだった。犬はでてこなかった。ふと、地図をみると大東町の西、木次の町に近いところに、室山と記載されている。そこには神社マーク。アレ、今回は空振りばっかしなんだろうか。でも、またここを走る言い訳もできたと、喜んでみた。
室谷の川でおおきなねずみ発見!干支に出会えました。d0089494_17372397.jpg
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by forumhiroshima | 2008-01-18 17:42

主不在

d0089494_1617618.jpg中国山地を越えると、雪混じりになってきた。頓原からの下りは路面もシャーペットだ。日暮れまでには、帰りここを抜けたいと帰りの予定がきまってしまった。今日の出雲滞在はいそがしくなりそうだ。

出雲風土記に「古老の伝えに、スサノオ命、佐世の木の葉をかざして、踊りたまう時、させる佐世の木の葉、地に堕ちき。故 佐世という」とあった。大東町の西に地図で上、下、表の佐世がある。

風土記の記載されている神社は羅列してあるだけで、それを今の神社に比定したのが、加藤義成氏でその校正で風土記社を回っている。が、校正でも場所はザット地名がかかれているだけで、実際は走り回ってるのだ。

佐世の地図で神社マークは4ヶ所。表佐世に神代という地名にマークが二つ。神代とは神様用の田んぼか、依りしろだろうか?ここへ走って見た。
二つ目の落ち葉にうずもれた石段が尾根にのぼるところに、古びた石柱に佐世神社・出雲風土記記載と刻んであるのが読める。さっそくに見つけた。佐世の森・映画ロケ地のカンバンもある。そして神社境内の椎の木は5世代目で幹が7m以上だと。

落ち葉にうずもれた石段は長い。このあたりの神社さんは、長い石段の奥高くおられる。尾根のあがると広い参道が水平に整備されて、佐世の森とよばれるのは、たしかだと深い木々のなかで椎の木をさがした。でっかい古木のそばに石垣でかこまれた平地の中央にぽつんと小さな社がある。これが佐世の神社?参道はまだ続いている。ここはお祭りの旅所でもあるのか?と参道をつめると、やっよ鳥居。狛犬。そして拝殿がその奥。参拝して神社の名の額をみあげた。そこには八幡神社とある。

なんだか狐話だ。分岐で違った道へと下って、もとの石碑に。やはり佐世神社とある。
風土記が書かれて1300年。どんなことがあっても不思議ってことはない。が、ふつうメインになった神様の横に合祀ってことが多いし、出雲風土記にでてくるような神様が、それもスサノオ命が・・・・

もい一箇所この大東町に風土記で記載がある室山にいかなきゃ、とスケジュールしている。雨が少し強くなって、軒に雨宿り。風土記校正のポケットブックをとりだした。そこには、チャント下佐世に佐世神社とある。もっと確認しとかなきゃ!なんてできるはずない性格です。

もう少しで室山ならぬ室谷に。またここをはしれるいい訳できたのd0089494_16145712.jpgだから、と行き止まりの奥まった谷の集落へ上っていきました。
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by forumhiroshima | 2008-01-17 16:19

神話?民話?

大東町は風土記にのる話が不思議な場所だ。海潮温泉・ウシオは海の神様がここに住む父親をうらんで、大波を送った。だから山の中なのに海潮という、とある。
斐伊川の支流になるここの赤川は河口から10kmの海潮と標高で30mほど。平坦に感じる。津波がこの地まで届いたって記憶なんだろうか?

大東の町で赤川は分岐している。阿用川とよばれる。ここにも風土記の話がある。農夫が田で仕事をしていると、一つ目の鬼が出てきて、男にくらいついた。それをみていた農夫の両親は竹やぶに隠れたが、その茂みが動いてしまった。食われた男はそれを見て「動く動く・アヨアヨ」といった。動いてるよ、気をつけて!ってことかな。それで阿用という。とある。アヨは動くという古語なんだそうだ。

どちらにしても、気持ちよい、ってはなしではない。

阿用川の両岸は広く、また新しい道路の工事が始まっていて、ほこりっぽい。川のそって広い車道も、集落をつなぐ古道もあって、それが山すそに入るところでひとつになる。そこに、古風な風雪で洗われたような小さな神社が急流となった川のそばにあった。

神社は鮭大明神さま。正月用のお神酒やお守りがデーン。正月がいっぱい!

鮭が神様って、初めて。風土記の社の神々も個性ゆたかですが、鮭を神様に!って人々が、いまにお正月をきっちり、ってすごく豊かな営みがつたわってきますね。
ふと、東北の東野物語がうかんできた。たしか遠野を最初に開墾した二家族は鮭の背中にのって、そのころ湖だった東野にやってきたんだっけ。

これまでとちがった出雲に出会えた。気持ちよくなった。
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神社の神紋が石碑にのこってました。かたばみの花の紋です。神様の紋章では、初めての出会いでした。きれいでしょ。
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by forumhiroshima | 2008-01-15 14:45

もうひとつのスサノオの新婚旅行

出雲郷でオロチ退治のあとクシナダヒメのもとに通おうスサノオの神話にであったのだけど、出雲郷から斐伊川をさかのぼってすぐに右岸に河口をみつけられる。スサノオが退治したオロチの首を置いたという八口神社やオロチのしっぽからでてきた剣を作ったという神話のある集落がそこにある。赤川という。

すこし川上にあがると円錐形の山があって、その山にスサノオの子供・サクサヒコとここに麻を植えたと風土記にある。

川沿いの道はすぐに広い平野の大東町大原にはいって、海潮温泉あたりから須賀川と名を変えたほとりを登ってゆく。整備された道は峠をこえて松江市街地にむかうため、けっこう通行量は多い。峠へののぼりの途中に須賀神社がおおきなカンバンに和歌発祥の地、最古の神殿と書いてある。

駐車場も数台ほどで、観光バスが出入りする様子もなかったけど、ここがオロチ退治のあとスサノオとクシナダヒメが暮らした新居だとあった。そこで「八雲立つ、出雲八重垣・・・」と歌ったことから和歌発祥ってことのようだ。ただ、国語の先生たちによれば、形式があたらしくて、古代の歌ではないと。
この須賀神社の後ろに八雲山がそびえている。舞台装置はまさに出雲神話だ。

出雲風土記では、山は須賀山と記載されて、神社は須賀社とあるが、スサノオについての記載はない。

オロチ退治が風土記にないのだから、古事記が風土記より20年まえに書かれたって事実があって、あとの風土記が書いてない以上出雲の話ではナイ!ってことになるのだけど、出雲はオロチであふれている。

須賀神社に新居をかまえたスサノオ夫妻は、そこから移動している。その名も八重垣神社。出雲国庁があったすぐちかくの大草にある。この神社は風土記では佐久佐社とあって、スサンオの息子で赤川のそばに麻をうえたというサクサヒコが祭られていることになっている。

佐久佐神社が八重垣神社と名をかえたのは、どうも毛利氏がここで尼子と戦った時代に、その毛利氏が原因らしいと、いわれている。

司馬遼太郎さんが佐久佐神社の小さな尾根を南に越えてた場所の神魂神社の話をしている。神社を訪れた際、神主の秋上・アキガミさんとの会話の中で、秋上氏から尼子十勇士のひとり秋上庵乃介がでていることを取り上げた。神主さんは、なぜか機嫌がわるかった。司馬さんは上代、神話の神々につづく家系のものが、武士のいかに十勇士といえども気に入らないのだろうか?とかいている。

毛利氏は尼子氏を攻めるにあたって、須賀の地の神をスサノオとし、そこからいよいよ本丸の広瀬の尼子の城へはいる、戦端基地として佐久佐神社を占め、そこも八重垣神社としてスサノオを神にかえた、なんていえないだろうか?とおもったりした。

八重垣神社にはサクサ女の森という5mばかりの泉の池があって、そこに願い事を書いた紙を恋人同士が沈めると願い事がかなう言い伝えがあって、繁盛している。
毛利氏には、戦いにあたって、武士たちが連判しそれを流れ流し、その水を飲むという戦いへの行があったという。そんな故事でもあって、のことかもしれない。

尼子氏は1566年に落城、以後子孫は毛利氏の家臣となっている。落城後家来だった山中鹿之助らが尼子再興を戦ったが、捕らえられ、福山・鞆に首塚が毛利氏によってつくられている。
神魂神社は1583年に炎上、再建されている。もしかして、毛利氏が・・。神主さんが機嫌わるいのは??
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出雲の注連縄のワラは青々しいのです。ちょっとちがいますね。
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by forumhiroshima | 2008-01-14 16:33

出雲国・出雲郡・出雲郷

斐伊川が山間をでて平野になるところの東側が古代出雲郷とよばれていた。風土記に「土地ゆたなに肥えて、穀物・桑・麻、実りたわわに、民のうるおいの里なり。あるいは、土豊かに肥えて、草木むらがり生いたり。すなわちあゆ、鮭、ます、いぐい、うなぎらのたぐいあり、淵瀬におよぐ」

いまも斐伊川から引き込まれた疎水の流れは速く、そのそばをおなじくくねりながら古道を走ると、もしかしたらここらに古代出雲王国があっても、不思議はないと、思えてくる。

風土記社もいくつも点在して、もう少し東にはしると、荒神谷遺跡。時間がスリップする。
古道はまず久武神社に、そしてその東に朝妻里と、スサノオの伝承の場所に出会うことになる。

オロチ退治をすませたスサノオは、身をかくさせておいたイナダヒメに会いに帰ってくる。その場所がこのあたりで朝妻はイナダヒメに妻問いをしたスサノオが朝帰った場所だという。そんなことが記載されている表示板をみると、ただの田んぼが神々しくみえたりする。頭は神話の世界をただよってしまっている。

が、出雲風土記にはそんな記載はない。どころか、出雲郷にスサノオの痕跡すらない。というより、風土記にスサノオは4箇所にあるだけ、スサノオの子供たちについては8箇所。もちろんオロチのことは、まったくかかれていない。
ってことを、風土記の神社を回っていると、もうそんなことは、どうでもいいことで、スサノオもその子オオクニヌシもたしかに生きていらっしゃる!って、確信がでてくる。マジに地元のみなさんが本気だからこそ、なんだけど。
で、スサノオのオロチ退治の場所って、どこなんだろう?と。ナイナイ!いやここの人たちは、きっとその場所用意してくれている、だろう。
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by forumhiroshima | 2008-01-12 15:37


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