こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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四天王寺の鷹

キツネの次は鷹を。
大阪を徘徊して、よそ者でも大阪デンナー、と感じる場所が四天王寺だ。開放された境内は道路がわりにいつも人があるいている。なのに、信仰が息づいていて、その風がその人たちの間をぬけている。境内はお祭りのようで、いつもの日常のこと。その風は大阪全体を駆け抜けているようだ。

またこのお寺にすいよされてしまった。

聖徳太子が蘇我氏と物部氏との争いに、蘇我氏側にたった。戦は蘇我氏の勝利となり、物部氏の大将、守屋は討ち取られて、広大な領地と財宝は蘇我氏へとうつった。聖徳太子はそののち、四天王寺を建立した。
その四天王寺に不思議な話がある。本道の東の二階の欄干に鷹がとまる止まり木がいまもある。話はこうだ。「昔聖徳太子の時代、守屋は仏法にそむいた。太子はこれを盛んにしようとした。互いに軍を起したけれど、守屋は討たれた。太子が仏法最初の寺・天王寺を建立したとき、守屋の怨霊がこの伽藍を崩さんと数千万羽のキツツキとなって、堂舎をつつき崩さんとしようとしたとき、太子は鷹になって、彼らを降伏させた。そうして今も天王寺にキツツキのくることはない。源平盛衰記」

滅ぼされた物部氏の一部は捕虜となって、この寺の奴隷となったのだが、その祖先は今も、現在も寺の維持管理をされているのだそうだ。
寺の配置図が南側の門のそばにあった。じつはこの守屋を祭る守屋堂が境内にあるという。ネットで四天王寺の配置図には記載されていなかった。そのお堂は聖徳太子を祭る伽藍の奥、東の塀そばにみつけた。
さっそくにお参りをと訪ねたが、そこへの参道はフェンスで仕切られている。ちょうど太子堂を掃除されている婦人に、参拝したいとお願いしたが、22日だけです。との返事だった。

戦時中焼失した寺は戦後再建されたのだけど、コンクリートでの建立になった。なぜかは、わからないが、これならキツツキはほじくれないだろうと、大阪のシャレにおもえてしかたなかった。

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太子堂の横、本道との間に亀井堂がある。お払いをしてもらった木札を道内に地下に彫られた、大きな石の亀から地下水がながれる井戸で清めてもらう。亀の背にのって竜宮へ旅立つ舞台装置がある。3月になると奈良・東大寺でお水取りの行がはじまるが、その水は日本海の若狭湾から地下をとおって東大寺へ送られる。そのお水送り・お水取りの行を、ここではビジュアルに設定してある。わかりやすい!!大阪です。

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by forumhiroshima | 2008-02-21 19:37

大阪の南の泉北丘陵の町に仕事ででかけた。
和歌山に近い場所だったので、所要が終わったら、信太の葛葉稲荷に寄ってみようと考えた。

出雲風土記の書かれた8世紀初頭に、新しい神が誕生した。京都の伏見稲荷の神だ。秩父の山で銅山がみつかり、年号を和銅とかえて祝った朝廷も、そのころの気候の不順にこまったらしくて、渡来の人びとの秦氏が信仰する稲荷神を国家で認定して、初めての祭りが和銅4年2月の初午に行なわれた。

秦氏は新羅の国から渡来してきて、この国中に広がった人々で、すぐれた機織た耕作の技術をもっていたようだが、治水の技術もすぐれていた。九州や大阪・奈良にもおおきな池をつくっており、京都は湖であったか、湿地であったところを、田畑に開拓したりしている。京都では松尾神社と伏見稲荷神社がかれらの信仰の神々であったという。かの国で彼らは狐を神の使いとしていたのでは?という説もあった。
水害でも発生したのか、朝廷は秦氏をたよったのだろうか?

出雲の木次のそばの斐伊神社が関東・秩父の山から流れ出る荒川が平野にでる場所に勧請されて氷川神社となったのだそうで、稲荷はイナリ・鋳物を作る、って意味もあるなんてことを読んだことがあって、全国に4万ともそれ以上ともいわれるこの神様をすこし覗きたくなっていた。

大阪でうどん屋さんでキツネうどんをたのむと、シノダ一丁!なんて、きいていて不思議だったのだけど、この大阪の南の端の葛葉稲荷神社がある信太のことで、信太はキツネってことらしい。それほど大阪の人たちにはなじみの神社だということで、訪ねてみた。

「ある日安部って男が猟師に追われて傷ついたキツネを助けた、そのキツネは葛葉となのる女になって、安部をたづね、いつやら夫婦になる。男の子をもうけるが、キツネだとわかって、その子と別れることになる。その子は成長して、陰陽師安部清明となった」というキツネを祭ってあるのだそうだ。
稲荷神社のお祭りに初午があって、二月の最初の午の日が祭礼だという。今年は2月5日になる。この葛葉稲荷に、その名残でもないか?と期待して参拝した。
が、すっかり工事中で御神体も仮の小屋に安置してある状態で、お祭りどころではない様子だった。

キツネが化けるってことを当たり前のように感じてしまうのは、古来どころか、今だって同じだろう。それって!どうしてなんだろうか?と、いくつもの祠とキツネと赤い鳥居が工事の重機もちらばる境内をあるいていた。
ふと、背中に気配を感じて振り返ると、丸々としたネコがこちらを見ている。ドッキとするほどの貫禄で、カメラをむけても動じない。そのうち、無視されて、ゆっくり陽あたりの良い芝生へにそべった。そうだネコも化けるのだ。このネコ、キツネ?
どうみてもジブリのネコバス!!です。
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by forumhiroshima | 2008-02-16 16:18

スサノオ

風土記にでてくるスサノオ命の伝承がいっぱいつまった木次から、斐伊川の岸にでたところ里方は背後の丘にも、JRの鉄道にもからむように道がのびていて、それだけで、古風を感じる。その丘のでっぱりに斐伊神社がある。石段をのぼって、よくあるって程の境内に拝殿があった。

この神社は斐伊川の名の元になってるわけで、斐伊川が肥川(古事記)、簸之川(書記)と記載されていたように、斐川であったのが、二字にセヨということから斐伊川になったという。
この斐伊川の上流でオロチ退治があったことになるが、風土記では河口は出雲大河で中流が斐伊川となっている。地元の情報をとれば肥川はこのあたりってことになるし、その同じヨミの神社があることで、そうだと、オロチ退治はここらあたり、ってことの、ダメおしにもなるのか。

風土記では斐伊神社はふたつあったことになっていて、ひとつにまとめられた様子で、八本杉がある場所が風土記にいうもう一箇所では、となっている。おなじく風土記にここの豪族に樋氏という人が寺院を建立しているという記事もあって、斐伊神社はこの豪族に関係する神社ではという解説もあったりする。
この斐伊神社は関東平野の秩父山系の平野への出口の大宮に氷川神社の元宮だという。氷川神社は武蔵国一ノ宮という大きな神社らしい。本家よりまちがいなくりっぱなようで、すこしクヤシイって思いもする。氷川神社は出雲人が国造になって建立したと由来になってるが、出雲大社のオオクニヌシでなく主神はスサノオってことで、出雲人は氷川神社へスサノオを背負って建立した。スサノオ命を信仰する一族が関東平野まで移動していたってことになるのだろう。樋氏の関係者が移動したのだろうか。樋は鉱山で排水することをいうのだそうだ。屋根の樋って、同じ感覚。

オロチ伝説の解釈は多様なのだけど、「出雲地方の鉄やその他の鉱物を朝鮮半島から渡来してきた人々が探し出して、山奥の隠れ里にいた。その鉱物を金属にする技術はそのころ彼らした考えられない。その王様は里の娘を盗んだりした。なにせ、渡来した人々は家族は故郷においてきた単身赴任だったのだから。その一族をスサノオが退治して、その王が所有していた、りっぱな銅剣をとりあげた。それが草薙剣だ。」とある説がわかりやすい。
氷川神社から秩父の山へはいったところで、渡来の人々が銅山を発見して、和銅元年となったという。なにか。関係づけたい気分。

ここへ渡来した人々にワナサ神社を運んできた人々がいる。アワキヘシナワナサ神社というのが正式なのだそうで、彼らは阿波から丹後を経ている。この人たちは大麻彦命を信仰しているのだけど、石見の大麻神社も四国からの渡来だ。麻は金属精錬の際の耐熱服で、まだ青い繊維でつくられるのだそうだ。精錬に関係した名だそうで、たたらの場所にアサって地名はよく見かける。
このアワキって人たちのルートを宍道湖からたどると、玉造のメノウの山地の花仙山と来待が候補だと、かってに妄想しているのだけど、どちらも鉱石や石の山地で、そこから大東町までは鉱脈の場所で、「白亜紀から第三紀にかけての花崗岩盤の形成と変性作用にともなってうまれた有用金属の濃縮した鉱床が形成された鉱脈鉱床」が島根・大東になる。のだそうだ。
この鉱脈に銅があったことは、検討はずれではないそうで、渡来の人々・ワナサが掘り出した銅を青い麻にみをつつんで、銅剣をつくりだした、って、妄想ではない・・・??
大東から流れる川はアカガネ・銅の赤!!

その富で樋氏は寺院を建設した。って妄想すすみすぎかも。銅の精錬は古代には釜に炭と銅鉱石をいれて長時間蒸し焼きにしてとりだしたのだそうだから、スサノオの石釜はそれだったりして。
もうどんどん進む妄想はとめられそうにないけど、走りたい所いっぱいあるけど、雪なんだよな。
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by forumhiroshima | 2008-02-11 16:35

二つ目の室山

風土記に神スサノオ命、御室を作らしめ給いて、宿らせる所なり。と大原郡に記載がある。風土記校正では海潮温泉の東の山を比定してある。郡家から19里とあって、いまの八雲山とおなじ距離にあるから、がその理由と推測している。雪の清流にヌートリアが動いていた。

やはり風土記に八十八神が追い払われたという、青柴垣の内といわれる宇谷へ走って見た。幾つもの谷が交錯する狭い谷間に民家が点在して、尾根をまくように道も交差している。赤い瓦屋根と白壁の家と、きれいに刈り取られた斜面が、雪の中でも緑で、フーと息がぬけるようなあったかさがある。

そんな分岐におおきな石碑に御室山と刻み込まれ、町長さんの揮毫と氏名が記載されていた。複雑な谷の連続で、すこし地図読みに不安があって、これを見つけて安心。あとは登ればいい。
風土記記載の御室山がもうひとつあると聞いていた。地図には室山とあって、中腹に破線が入っていて、そこに神社マークがある。海潮の御室山では神社は山神社とだけあって、風土記がこの出雲では大々的なのに、少し拍子抜けだった。

が、風土記の書く距離では、とてもこのあたりにはならない。ガセ御室山ってことなんだけど、それだけに、きっと、ツッパテルだろうと、興味深々。

新しい車道わきに「御室山・布須神社参道 入り口」と案内カンバン。親切である。舗装が地道にかわって、高度があがってゆく。細い長い高い石段の上に拝殿があった。

風土記校正では布須神社はここから北の赤川が斐伊川に合流する加茂に二つ比定されている。風土記ではひとつだけの記載だから、ここに同じ名の神社があっても不思議はない。神社前の由来に風土記社であって、古代からこの室山を信仰していた。とあるが、風土記にある距離がたりないのだ。由来に古い石垣にこの布須という名があったとある。

神社から木次へ車道をくだりはじめるとすぐに「ヤマタノオロチ伝説由縁の地」というカンバン。車道から山道を登ると丸いおおきな石があって、釜石と表示。オロチ退治にお酒をつくって飲ませたその酒をつくった岩製のかめがこの釜石だと。ちかくにその米をつくった田とその醸造用の水の場所もあるのだそうだ。

すっかり小雪の下りで、緊張しそうなんだけど、楽しくてえらくリラックスできた。こんなにオレって下り上手かった???
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by forumhiroshima | 2008-02-09 13:55

八十神・ヤソカミ

出雲風土記の来次郷・キスキノサトはオオクニヌシが「八十神は青垣山の裏に置かじ」といって、追い払う時に、この処にキスき坐しき。故、来次という。という記述がある。

キスキは追いつくという意味と校正に注がある。青垣山は森にかこまれた山とでも意味するのか、久野川をさかのぼって、北に広がる宇谷から佐世、西阿用あたりだという。古事記ではオオクニヌシは八十神にいじめられる。そんな連中は、どんなヤツなのかと、思ってしまって、走り出した。

わかる訳はない行為なんだとは、わかってるが、「過去のどこかで、迷い子なってる」って歌謡曲の歌詞のように、ふと、迷い子になった過去の八十神たちの痕跡だと、勝手におもえる、迷い子にであえたような場所に迷いこんだりして、うなずいたりできることがあったりする。

無鉄砲な試みに、今回、、ひとつ手がかりがあった。

風土記には村という地名がざっと7箇所ある。この時代の行政単位は郷と里(どちらもサト)だけで、村は使用されないのだそうで、でも、たとえば紫香楽京、長岡京、平安京という首都がおかれた場所は、紫香楽村、長岡村、宇太村であったという。
考古学者の森浩一さんは、村は行政区分をこえた地域の、それも渡来の人々や蝦夷の人々が居住した場所を指しているのだは?といっている。別の人種の居住地って感覚なんだろうか。

風土記の村の記述は、斐伊川が平野にでるところの河口付近と、神戸川の中流域と、そして木次の町から北東にあった。それも、引沼村・ヒキヌ、辛谷村・ヒノタニ、比比理村・ヒヒリとヒがつく。佐世に蝦夷の人々が居住した痕跡だという別所も、それは風土記の書かれた時代からのちのことなんだけど、出雲にたくさんの蝦夷のひとたちがいて、朝廷はその人々を大切にしていたということも日本書紀にはあって、彼らが八十神たちってことでもないようだけど、この蝦夷の人たちは、防人という海岸の警護ではなくて、どうも製鉄の関係者でありそうだという。

そんなことを考えながら製鉄の古くの中心地であったという久野で、風土記の編者の名、発見でびっくりした。その神社は鎌倉神社。そこに由来が書かれていた。武御名方大神を祀るとあった。そう、オオクニヌシの息子さん。その後にこの神を祭るものが、吾勝金山辺兄彦・アカツカナヤマベエヒコノミコト。この子孫五代目が佐世からここにやってきたとあった。もしかして、別所にいた人々??

金山彦とあって、ウーン。乏しい知識でもこの神様はイザナミが火の神、カグツチを生もうとしたとき、熱にうなされて嘔吐した。それが神となって金山彦になった。ここまでなら、製鉄が炎の芸術・だって木と土と火から素手で鉄をつくる人々の神様なんだから。

イザナミはとうとう熱で黄泉の国へいってしまう。怒った主人のイザナギが生まれたカグツチを刀で切断する。剣から滴り落ちる血がミカノハヤヒという神様になって、その息子が武ミカヅチ命。武ミカズチはオオクニヌシに国譲りをせまった神。ミカズチとミナカタはあらそって、ミナカタは諏訪へのがれた。そのミナカタが故郷に里帰りして鎌倉神社(諏訪神社でなくて、ってこともおもしろい)となったが、その神主はミカズチのひいじいさんの末裔ってことなんだ。

どうしてこんな面白いことがおきるのだろうか?過去のどこかで迷い子になった、なにかがここに、現れてきた。

集落から出雲のまだ奥へと続く道は積雪で通行止め。迷い子さがしは、どうも春の雪解けまで待たなければいけないようだ。
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by forumhiroshima | 2008-02-05 17:53


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