こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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朝から飲めるよ

おでんの話思い出してると、食い物を考えてしまう。

朝走るって、習慣になると、起きると空模様をみてしまうのだけど、走り出して、今日は疲れててダメってことがしょっちゅう。もちろん練習で速くなろう、なんて心がけ一切ないのだから、それはそれでいいのだけど。

そんな時、仕事なかったら、どこか朝からもぐりこんで「飲む」のだけど、出雲風土記にはまってから、休みはいそいそ出かけるから、そんな「飲み」もしてない。どこか残念。

「飲む」といっても、自販機でビール落として、グイッってのは、あまりにもオレすぎて、はずかしい。どこかの店で、お客が時間にかかわらず「飲み」やってるって景色にとけてしまう、って設定が必要。
そんな朝「飲み」ってできる場所は、やはり市場で早朝の仕事終わった人たちの食堂が一番。
宇品港の波止場の荷揚げ作業は、早朝ってこともあるらしくて、お気に入りが一軒ある。市場では、駅前の荒神市場にそんなお店があったけど、ここ数年でなくなってしまっていた。

荒神市場にこの秋の季節になると、ナバって呼ぶけど、キノコそれも地物をあつかうおばあさんのお店があって、寄ってしまう。たしかに市場の建物は古いし、空き家も多くなって、「今」様ではないけど、どのお店も長い商売で、それはそれは奥深いのだ。
朝はまだ開店してないけど、ここの居酒屋たちは、酒を清酒・焼酎にかかわらず、一合で売ってる。それが当たり前だと思うけど、新しい居酒屋さんたちは、そんなことしない。市場の乾物屋さんは店頭にならべた乾物が一日二日と残ると安くなる。つまり同じ物がだんだん安くなって、ならんでいる。これが普通だった。

そんな町に新しい食堂ができていた。そばには魚屋・お惣菜・お肉屋・くだもの屋・八百屋・卵屋・わさび屋と、長年のプロのお店ばかり。すっごく勇気ある主人か、すごい美人以外はむつかしかろうな。

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と、縄のれんくぐってみた。開店からまだ一ヶ月たってないとはなされる若い主人は、早朝から焼いた出し巻きとコブとカツオの出汁の味噌汁・うまい魚とシャリといっていいほどのダイ飯の朝定食をだしてくれた。昨晩漉したおでんの汁はまだおおきなパットで寝ていて、おでんってわけにはいかないが、酒のアテにはこまらないメニューがちいさな黒板にならんでいる。ここで印刷してあるメニューだすと、それだけで冷凍って読まれてしまうだろうから、かな。

残念ながら、ビール!っていえなくて、残念。ここで、彼ぜったいやっていけるだろう。球場もできることだし。
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by forumhiroshima | 2008-10-26 18:08

おでん

おでんの季節ですね。

松江は広島のお好み焼きほど・・でもないけど、おでんの町です。瀬戸内のまっくろい汁のおでんもいいですが、ここは澄んだおつゆです。

出雲の山地の紅葉の進み具合でも、見ようか?と頓原へ。
先般出雲-備後往還の古道をトレースした際、頓原で国道をはずれる旧街道を外れてしまってました。琴引のスキー場のそばのルートで、そこに安波岐という地名があります。

四国の阿波の国に和奈佐意富曾神社・ワナサオフソがあり、ここは阿波の海人たちの神様で、この人々は丹後半島の峰山で天女伝説をのこし、出雲に移動したのだといってる人がいます。
出雲・松江の西の玉造から南へ谷を詰める場所にアワキワナサ神社があって、この移動の痕跡だといってます。どのくらい昔にことなのか?

その出雲のワナサ神社からどんどん南下して中国山地の懐に頓原があって、ここから脊梁の山の峠・草峠・クサンダオには、出雲風土記で関所があったとかかれています。風土記の時代には人々はこの盆地の開拓をすませていたってことでしょう。

地名にシラキとある場合、そこは朝鮮半島の新羅からやってきた人々によって拓かれたといわれます。新羅来となるのでしょう。それなら安波岐は阿波の国からやってきたってことなら、楽しい!で地図にはでてないけど、ワナサの神様がおられたら、発見!!ってことに。なんて妄想ですが、真剣にさがしてみました。
集落の西の入り口に小さな、でも巨木でかこまれた茂みがあって、そこに小さな祠を発見です。アワキワナサ神社は印象として、縦長の拝殿でした。ここもずっと小さいのですが縦長です。額もかかってるのですが、よめません。ワナサの神様と、しておきました。
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山ひだに点在する民家の集落から、気分のよいくだりですぐに頓原の町に入ります。国道ぞいのスーパーをはずれると、家並みの町はカーテンのおりた家がつらなっています。もうその家並みが途切れる路地におでん屋があります。
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イタリアやフランスの田舎に三ツ星レストランがあって、その発見は楽しいものだそうですが、いったことないのですが、このおでん屋は三ツ星レストランなんです。
ちいさなドアをあけると、L字のあつい板のカウンターにかこまれて、ステンレスがピカピカかがやいてるオプンキッチンです。その中央にでっかい四角なステンレスの箱にあついスギ板の蓋のおでん鍋が、蓋の隙間からゆげを登らせています。

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メニューの一番最初はおでんでなくブタ汁なんです。
ちょうどもう90歳はとっくに越えた風貌のご夫婦がならんで食事終わったってところでした。のこした焼きソバをパッケージしてもらって「おじいさん、斜めにしないでね」と出てゆかれました。
病院帰りで、お食事だったようです。

自分の前におでんとブタ汁小と大ご飯が並びました。良い匂いです。汁はみそ煮込みで野菜いっぱい。おでんの油揚げは、幅5cmに汁をすってふくらんでいます。スジ肉は歯ごたえあるのにジューシー。
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この幸せを静かな町や近郊の家々に配ってるこのお店は、いったに何者?ただものではありません。病院帰りにスーパーで冷えたお惣菜をかわずに、ここでおでんの湯気の中の時間をえらべる、老夫婦もきっと同じ気分でしょうね。

おでんはワナサの神様とここにやってきてます。
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by forumhiroshima | 2008-10-25 19:56

高野

東城の南、久代の権現山の山頂の東西に高野の地名がふたつある。
西の高野で爾比都売神社への道が神社をすぎて東へ入ってる。これをとれば、きっと同じ名の東の高野へ出れるか?とおもってみたが、先ほど神社への道を教えてくれたおじさんは「ダメ」だといっていた。泣く泣くきつい登りを降りて、山を時計回りに回って、東の高野へ走ることにした。

久代は古代の記録で備中国苑県・ソノノアガタで釧代と出ていて、成羽川の渓谷沿いの郷とされていたようだ。備後の国は海岸線に三つの県になっている。

久代のお宮から橋をわたる。たもとに柴橋地蔵堂がある。渓流にそって細い道があるようだけど、大二五迫と地名にある尾根に九十九に道があがって尾根をこえるとまた九十九に下る道が、なぜか魅力的におもえて、取り付いてみた。

ここに広島と岡山の県境が入っている。国越えの坂ってわけだ。この展開ではトップになにかある。石碑とか祠とかが。

点在する民家の軒先をかすめる古道は段々に展望を大きくして、たのしい。はたして、トップには地蔵堂が鎮座していた。

高野は真言宗高野山の高野。司馬遼太郎「街道をゆく。高野みち」に「丹生都比売。空海が高野山に密教道場を据えたとき、地主神としてこの神を祭り、・・・当初は、この神の仕事は寺領域の守護だけであったが、世を経て高野山の経済が巨大になるにつれてこの神は・・村々が高野山領であるぞという縄張りを示す象徴になった。さらには発展して・・・政治上の必要をになう総氏神の役割をになわせられるようになった。」
ここの高野はその真言宗高野山の高野にちがいない。では、なぜにこんな山中の山のテッペンに集落をつくることになったのだろうか?やはり、水銀の産出がその訳なんだろうか。と渓流沿いのだらだらと上る車道の、なんというか古道の走りやすさに比べる苦痛の大きさをぶつぶつ。

大きく道が右に旋回して、沢音が聞こえなくなって、いっきに空がおおきくなると、刈り取られた田んぼを中心に数軒のおおきな農家が点在し、その背景にお皿のような対称な弧の山が現れた。
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家々をめぐる道がまるくはいっている。目をこらして神社仏閣や祠や石仏をさがした。圃場整備のすんだ四角の田はどこも同じ景色にしてしまったようで、なにかここの景色の味をうしなってしまった。コンビニ弁当みたいだ。

が、どこでも家々の後や前にある畑のかわりに、古木となって太い幹のクリ林がデーンとあったり、いま紅葉を始めます!とサインがでているハゼの林がある。これは信州の景色を切り取ったようだ!と学生時代の旅の景色を思い出した。


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by forumhiroshima | 2008-10-19 13:26

ご対面

東城の町からすこし川沿いに下ると、宮原のちいさな集落にでる。ここの神社へ車をつけた。

西城の町の中央に鎮座する爾比都売・ニヒツメ神社は江戸時代後期に、備後の国の唯一の式内社「爾比都売神社」神社が不明であることで、ここに新しく建立された。
江戸時代に書かれた「芸通藩誌」にもニヒツメ神社を「今西城にて祀る。この社は当郡の名神なるに。世変によりて久しく廃し、その社地さへも知れず。久代村高野権現山をにひつ山と称するよしなれば、昔この山に鎮座ありしやとおもはるれど、」

宮原の名のとうり集落中央に神社があって、そこに大きな地図の看板がふるびて建っていた。久代文化地図で、古墳や神社仏閣、タタラ跡が記載されて、隅っこの高野に爾比都売神社とある。「日本の神々」の爾比都売神社の記事にも、古代の所在は不明とあるのだけど、地元では「あります。ここです。」ってことみたい。

備後と備中の国境で高野権現山はちょうど今の県境になってる。成羽川を橋でわたる。そそりたってる壁に切り込まれたように道は幅1車線でのぼっていく。古道にしては急坂がつづいて、イヤになる。やっと明るい開けた場所についた。高野と地図にある。高野はもうひとつ権現山の東の山麓にもあって、一度南の正武原の集落をぬけて、権現山へのぼるルートでゆけそう。ただそこは工事中と表示もあったけど、自転車ならなんとかなる。し、なってきた。

久代のカンバンの地図と手元の二万五千の地図をあわせて、破線になってるルートをたどってみた。お地蔵様や標識の石碑も点々とあって、ここが高野でコウヤであることの痕跡がある。これをたどってゆくとまた小さな平地があらわれて、二軒の民家で行き止まりになった。が神社は見つからない。

民家は南向きで、秋とはいえない明るさに、とても暮らし安すそう。稲刈りのすんだ田におばあさんがおられるが、すこし遠い。もうひとつ上の民家へ上ってみた。古道でもあるのか?と。
ちょうどおじさんが現れた。ごっつい身体でひげもあって、髪は長い。ちょっと引けた気分を押し殺して、神社の場所を尋ねた。「秋祭りの準備でちょうど草刈をしたところだ。もどってユンボの重機がおいてある道へ入れ」「先日ここらにやってきたか?同じような自転車を見かけた」えー、オレ以上に物好きがいたんだ。

教えられた道はけっこう広いダート。ロードレーサーではしんどいか?と徒歩にした。かなり歩いても現れない。枝道もあるが、草がのびている。かなり歩くと、すっかりスギの森になった。暗いが木漏れ日がきもちいい。その木立の間に四角いテーブルにつくられた石組みにであった。
お神輿が本殿からでて、引返す御旅所にちがいない。こんな装置まであるのなら、けっこうおおきなお宮がまってるはず。

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ここからもかなりの徒歩。まちがったか?と不安な気分のさきに鳥居が木立に同化して建っていた。ふるびた崩れかかっているような石段に門があり、その上に本殿がみえた。ご対面です。けっこう本殿が大きい。境内は草がのびて。お祭りを待つ雰囲気ではない。高野の集落も数軒ぐらい。神輿かつぐ時代があったことが、不思議だ。
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鳥居に爾比宮と刻んである。爾比都売ではない。
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江戸時代に不明であった神社はここから25kmはなれた西城に勧請されている。地元の人たちは、それを不快におもって、ここが本家だとあったら爾比都売になろう。わからん。

この神社の地図に側に赤土と記載があって「アカハネ」とフリガナがふってあった。水銀が酸化して紅色だときいた。ついでにすこしうろうろしてみた。

ふと同じことをしていた。それは石見・益田の山中でサヒメ神社をさがしたとき、神社横のくずれた切り通しでであった。アカでなく紅。それを探す時間を思い出した。
どうしても。権現山の東の高野と地図にある集落へゆきたくなった。

さきほどのおじさんに工事の通行止は自転車でも渡れないといわれて、一度もどって、また宮原からのぼらなくてなならない。
まあ、いい天気だもん。
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by forumhiroshima | 2008-10-16 18:52

鳥追い

八のつく地名、鳥のつく地名の交錯のなかで、鳥はもっとも興味深い。

出雲神話のなかで、ホムツワケという皇太子は成長しても物がいえなくかった。有る時白鳥をみてすこし反応した。そこで天皇はその鳥を追いかけらせた。各地を点々とさがし出雲で物がいえたという。このときホムツワケの家来として鳥取部、鳥甘部・トリカイベ、品遅部・ホムジベ、大湯坐・オオユエ、若湯坐・ワカユエを定めたとある。
また風土記ではアジスキタカヒコは髭がのびる年になっても物もいえず、ただ泣くばかりであった。有る時三沢にやってきたとき泣き止んだといっている。これも鳥をおいかけて三沢・ミザワへいった。

古代、水銀からつくられる朱色の顔料は清めからか、古墳の内部で多く使われる。その水銀は液体の状態で発見されていたのだろうといわれる。水銀を熱して朱色を作る際のでる有毒なガスは古代さけることができず、いろいろな障害をもたらしたのでは?と考える先生が多い。
その障害をホムツワケやアジスキタカヒコの神々が浄化すると信じていたのではなか?ともいわている。

西城や小奴可に鎮座するニホツヒメはずばり水銀の神様で、それからでる障害を清める人々が鳥取部そのほかであったのだろうという。

小奴可から北へ峠をこえると、日南川の流域になる。鳥取県にはいる。

東城、西城のどこの谷の各所に祭られる小さな祠は、古びてはいても、どこも今日の朝に供えられた様なサカキの小枝と、真新しい白い御幣があった。なにか清められるようで、帽子をぬがずにはいられなかった。
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ここからまっすぐに南下すると、芦品郡へ入る。ここは芦田郡と品治郡が合併して芦品郡となっている。ホムツワケの家来、品遅部の国である。
備後は鳥の国かもしれない。
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by forumhiroshima | 2008-10-13 19:59

鳥と八

西城の町から旧道の桜峠を越えると、長い下りが始まる。二重坂と呼ばれる。大きな養鶏場があって、そこへ通う車のせいか、かなり荒れた路面がつづく。下り終えると奥八鳥。そこで国道とJRの路線と交差する。

JR芸備線はここから東城へ南下するまえに、不思議な運動をはじめる。最短距離をとらずにおおきく北上し、小鳥原の保賀谷から南下して三角形を走行する。この間に駅がないのだ。
ヒトトバラと読む小鳥原の入り口におしゃれなアイスクリーム屋さんをみつけた。古道を走るスタイルの弱点は自販機やコンビニや食堂に出会わないこと。やっとエネルギー補給できる。
お店はご婦人がおられて、店の裏の大きな牛舎で飼う牛の牛乳からの手作りのアイスクリームだとおっしゃって、ソフトをわたしてくれた。「うまい!」。それが峠でつかった体力欠乏からか、はわからないが「うまい」
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そういったからか、自転車でどこへ?「ヒトトバラって読むことが不思議でここへ」だいたい読めませんね。「ヒトトバラってどこから?」あの川から北です。昔は八鉾村でした。

国道をのぼった保賀谷は郵便局とそばに数軒の民家。昔はきっとにぎやかだった場所だというにおいはのこってる。鉄道は高い陸橋の上をまわっている。きっと駅もあったのだろう。
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都会のエネルギーすべてがマキや炭であったころ、食料も農家が供給していたころ、この鉄道はフル活動したのだろう。どちらをみても山また山。いや森また森。これが宝庫だった。

司馬遼太郎が「砂鉄の道」のなかで、朝鮮半島中部の山中で多数の中国人が伐採に従事しているのに出会った朝鮮の旅人が驚いて中国の役人へ報告して、その人々が救出された記事をあげて、この人々は製鉄の炭をつくるためであったろうと書いている。奴可郡の奴(奴隷)という字をだぶって思いだした。この山中でもおなじような景色があったのかもしれない。

小鳥原から小奴可の要害桜そばを登って、気になっていた八幡神社へ走った。そこに川鳥八幡が鎮座している。以前はここらは八幡村と呼ばれていて、地図の神社マークは八幡神社なのか、とおもうぐらい。
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深い緑の杉の巨木が林立する参道奥に拝殿が鎮座してあった。表示に「創立不明。往古当地が砂鉄の郷である以前から祀られており、1353年に宇佐八幡から分霊を勧請して・・」とあった。
ここまでなんと鳥がつく地名なのかと?。八鳥、小鳥原、鳥越、川鳥とここまで走ってそれだけの地名にであった。



いよいよ古道は西城への峠越えになる。古道と分岐して車道がつくられて、そこに八頭線とあった。八がつく地名も連続する。八鳥、八鉾、八頭。

スサノオの退治したヤマタノオロチは国境を越えて進入してきた人々で、彼らは森をきり、山を切り開き、釜を炊いて森あちこちに赤い目玉を散らばらせるような活動をしていた。その侵入者を退治したのだ。なんて説もあった。説得力を感じてなかったのだけど、この奴可の山中を走ると、ここの人々は、出雲への進出なんて、へともなかったのでは?などと妄想できる。
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by forumhiroshima | 2008-10-12 12:04

爾比都売命・ニヒツメ

西城の町の中央に入ると爾比都売神社がすぐにみつかる。
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東城町の小奴可にある奴可神社の表示に「・・813年この地を拓いた大船足治麻呂がおまつりしたのが始まりで、往古は爾比都売神社と称し・・室町時代に鳥羽氏により妙見宮と改め・・明治元年に奴可神社と改め・・」とある。
西城の神社は江戸末期1817年に古代編纂された延喜式にある奴可郡の一宮の爾比都売神社の所在が不明になっていることから西城に仮勧請され、それが明治になって正式な認可神社となっていまにいたっている。

小奴可の神社が爾比都売神社であったと、人々が思っていたののに、西城ではちがうとわざわざ新しく神社を勧請している。それを認めた形で小奴可では奴可神社とそれまでにない名を付けたことになる。

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そのことの理由はわからないのだが、実は爾比都売神社は行方不明であった。江戸時代に編纂された「芸藩通史」では「爾比都売神社は当郡の名神なるに、世変わりて久しく廃し、その社地さえも知れず」とある。幾多の考証もおこなわれたが、今にわかっては居ない。

爾比都売神は爾比都比売・ニヒツヒメから比は欠落しての名称で、丹生都比売・ニホツヒメとか仁保津比売・ニホツヒメと同じ神様で、丹生・ニュウつまり水銀の産地にかかわる神だといわれる。
広島・黄金山麓のニホヒメ神社もおなじ神様になる。
東城の町から南下して、サイクリングおきにいりに先日追加された青木峠のちょうど南にある久代の高野山が古来ニヒツ山と呼ばれており、全国の水銀産地を調査されている先生の分析からも水銀が検出されたという。過去にこのニヒツ山の水銀を採取した高野聖とよばれる山伏たちの信仰がかぶさることによって爾比都比売・ニヒツヒメが消えてみえなくなったのだろう、といわれる。

広島でニホヒメを祀った人々と、古代奴可の地にニホヒメを祭ったひとたち。いまさら、なにがどうしたって訳もないのだけど、古代ニホヒメの痕跡探しに、走りにいかなきゃいけんでしょう。
その人たちの親分は大船足治麻呂ってことだろうし、船もってた人なんだろうから。
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by forumhiroshima | 2008-10-11 13:57

八鳥・服部

古代奈良の時代に備後の山奥に小奴可という郡ができたという。その郡に東と西に集落ができて、いま西城・東城と東西に町ができている。古代このエリアが一つであった。

が、不思議でならない。この町の中央はおおきな山塊でそれに江の川と高梁川の分水嶺もある。この地域にふった雨は日本海と瀬戸内海へ別々に流れ出る。不思議だ。

東城の町から北上して道後山へのエリアはあらかた走って見た。いよいよ西城から道後山へ。
明治35年発行のいちばん古い五万分の一地図で西城から中国山地へはいるルートはいまのR183とはちがっている。

JR西城駅前から北上すると分岐がある。そこを右にはいると、ふるい幹線路にはいっている。この辺りを八鳥・ハットリという。奈良時代に備後に部人という朝廷直属の人々ができた。その中に織物をつくる人々がいて、服部部といわれた。

その人々の土地を職業で名付けるってことがあったのかどうか?古代の記録はいまここにあるって考えるだけで、景色が古びてくる。

大きな谷で中央をながれる川筋も水量がある。最初にこの国で稲作をもちこまれた場所は海岸の湿地帯と山中の盆地だという。大きな流れも足元より下では汲み上げるほかなく、大量の水を必要とする稲作はできないということらしい。そんな場所を「サコ」といって、いまも知名になってる。

谷中央部の道端におおきな鳥居がある。正面の丘陵のふところに神社が鎮座されていた。そばに横穴の古代埋葬地の標識もあって、過去ここが神聖なところであったようだ。神社は白山神社。出雲でも広島でも自分は始めての対面だった。
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古代ここが小奴可という郡であったとしたら、その奴という字がきになる。ヤッコであって、征服された人々ってイメージをもっているのだ。
白山神社は蝦夷・東北の平泉にもある。それを建立した藤原秀衛が岐阜県にある白山中居神社に菩薩像を寄進していた。1184年のことだという。藤原氏の一族は安部氏と婚姻をむすんでいる。安部氏は蝦夷の一族だという。
白山神社の神様は菊理姫命で黄泉の国から逃れたイザナギ尊の穢れをはらった神様で、衣服も新しく新調したところから、機織の神様であったり、穢れを清める神様であったりする。ヤッコとよばれた人々の再生の願いなのかなどと妄想は広がるばかりだった。
でも、服部とせずに八鳥としたのは、なぜだろうか?

広い谷は狭まってきて、峠への一本道になる場所に五輪塔がすえられた、広い墓所を通り過ぎた。寺もなく、ここまでの谷を睥睨しているように、すえられていた。この谷の主のついの棲家なんだろうか。
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by forumhiroshima | 2008-10-09 19:57

温泉

たとえ、ショートカットばかりのサイクリングであっても、終了は温泉でなくちゃいけない。車で移動して走り出すいまのスタイルでは、終わってのビールができなくなってしまったのだから、シャワーなんてものじゃなくて、温泉。日本人の常識なのだ。

たくさんの入浴施設ができてきて、温泉が日帰り入浴ってスタイルにかわってしまったけど、宿を求めて、いっぱいやって、マサージ。その間は温泉。が夢なのだ。このごろ老人感覚が日々つよくなって、「わしがしたいように、する!」ってことが、そしてワガママすることが、いっこうに不思議じゃなくなって、どんどん社会生活から脱落してきてるのだけど、温泉に入って、今日はここに泊る!そしてお店は休業!ってほど勇気もなければお金もない。だから社会生活にかろうじて引っかかっていきてるのかもしれない。

東城の町から道後山へ国道をはしると、古びた温泉のカンバンが二つ。サイクリングの帰りにそのひとつへ飛び込んでみた。

玄関は開け放たれて、誰もいない様子。声をかけるとしばらくしてご婦人があらわれた。営業されてるのか?とお風呂つかわせてください。ハイ、料金は400円。お風呂は階段を下へ。
川面の反射するカゲがひくい天井にるらめいている。ちいさな引き戸が二つ。男用は川からはなれた場所。女用はだれもいないようで、こっちにしようか?とすこし不埒な気分。を抑えて暗い更衣室へ。風呂もちいさなものだけど、かすかに温泉のにおいがする。

石鹸はあるがシャンプーはなし。でも私の頭ではどちらだっていいのだ。電灯のスイッチはさがしたが、不明。隣の浴槽からは川がみえそうだ。
その暗さが湯船にはいると落ち着かせる。ここはイイ。あがってビールやってしまおうか?玄関のある一階へ。おばさんが。もうあがったの?宿泊はできるのですか?と一応たずねて見る。イヤ、6時で締めます。

そうだよな、商売って自分の都合でいいのだよな!と、共感。

翌週の東城めぐりのあと、訪れた。外に石油のタンクローリーが止まって、おばさんと運転手が折られる。入浴したのですが、と、話のじゃまにならないように、400円を渡そうとすると、今日から500円になったのよ。
重油値上がりなんですね。
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暗い浴槽につかってると、今回は、いきなり蛍光灯がついたよ。
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by forumhiroshima | 2008-10-05 12:31

鉄道時刻表

小奴可から道後山へJR芸備線が道路と平行してのびている。実った田んぼそばのコスモスの花畑に赤茶けたサビがういたレースがちいさなトンネルへすいこまれている。自転車を止めて列車がこないか?すこしまってみた。
列車はなにか運んでくる、運んでゆく。そして力強い。すこし恐ろしい。

東城の町から新見へのルートは芸備線。この路線は新見で姫路線につながって、中国山地経由で広島-姫路がつながっている。そんな事も今回備後の国を走り始めるまで思い出さなかった。

芸備線が新見に入る手前の備中神代、隣の布原、そして新見の駅名が時刻表には伯備線にもある。備中神代、布原は芸備線でも伯備線でもあることになる。単線でいったいどうして列車kントロールするのだろうか?なんて考えて、いってみたくなった。

備中神代駅は下神代の小さな集落の二つの踏み切りを越えたところにあった。当然無人駅だけど駅舎は大きかった。改札口に自転車を置いて、そばの植え込みに座り込んだ。駅前といっても民家が数軒ならんでいて、商店はない。
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いきなりアナウンスが聞こえる。通過する列車をアナウンスしている。ゴーンと音が近づいてくる。自転車を移動させた。出雲とかかれた急行が走り去った。やはり出雲行か!と陰陽往還のメインルートだ。ここから川面峠へ川べりの切り立った崖に切り込まれた古道と路線が平行して上ってゆく。
小さな掘削したあとがそのままのトンネルが入り口。
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そこに通行止のカンバンの上に解除中のステッカー。ゆるりと振れながら川音が上ってくる道をあがると、路側の工事が始まりかけていた。一台のトラックをやりすごすと、トップにでた。そこには通行止のカラーコーンが置かれて、今閉鎖されたようだ。振り返っていると、郵便配達のバイクが止まって「いままで走れたのに」と声をだされた。
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町経由で行くしかないよ。といわれて下ってゆく。自分は通過できました、とは言えなかった。

そばの石碑に苦の坂を改修したと大正の年号が掘り込まれている。郵便配達のバイクがあがってきた下が布原の集落だった。上から見下ろして、下るのヤメた。根性ナシ!!でした。
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by forumhiroshima | 2008-10-03 17:39


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