こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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広い空の場所

備後の国の北部地域は、江の川は日本海へ流れ、成羽川は瀬戸内海へ。その支流が入り組んで、その間の尾根は細くて低い。神石高原といわれる。

その尾根へ幾つもの道が上がっていて、その山頂の小さな台地やくぼみに集落がある。この集落をできるだけ訪れてみたいと思っている。それは、宮本常一さんがこう書いていたから。「山中で畑作を主としていきている人々は、水田を中心とした野や谷の村とは別世界があるように思う。・・水田が平地から次第に山中へ浸透していっても、畑と田の間は傾斜が急であるか森林になっていて、田と畑はつながらないで、分布しているところが、中国地方や九州、四国、近畿にかけてひろくみられる。たいていは山の中腹や尾根の上に村をひらいて生活している。そして尾根の道がよく発達している。どおうしてそういう所に住み着いたのだあろうか。・・そこに住み着いたときから、米にたよろうとしない人々がいた。・・そこには一応水田を中心とした野や谷の村とは別の世界があるように感じられるのである。」

広島で生活していると、行き止まりの山中の集落に入って、どうしてここで?と思うばかりで、それを知る手がかりなぞもっとも、持ってはいないのだけど、備後の山中は野の村と隔絶した場所でないだけに、不思議が大きいのだ。

春田町の山津田という場所へ走ってみた。道はひろい。途中で出会った人に会釈すると、このごろは会釈が自転車に乗ってる自分へ返ってくる。以前は必ず「どこから?どこへ?」と声がかかった。自転車乗ってるって、けっこう普通になってきたんだろうか。

この山津田は地図では道は破線となって尾根をたどっていて、その中心に神社マーク。常一さんは、こんなことも書いている。「加茂・鴨・賀茂と呼ばれる土地は古代狩猟に関係する人々がすんでいたようである。・・狩猟民が居住したとおもわれるところに、天台宗の寺ができ、つぎには畑などが開かれて・・。」山津田の神社はカモ神社?
これまでこの神石高原とよばれる備後の台地では、そこかしこに、辻堂にであった。それが天台宗と関係しているのか知れないが、この寺をひらいた人々が、台地で川が麓深くながれる場所にたくさんの池をつくってきたようだ。その池はすっかりよどんでいるけど、失われてはいない。
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山津田には幾つもの分岐があって、入ると一軒の民家の庭ってことが続いた。民家はおおきな車道へ枝分かれしてつながっている。ただ、明治の地図に尾根をこえるルートがあって、そこの破線はきっと活きていて、自転車を押すことになっても、まあいいか!
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が、一軒の農家が、ちいさな空き地と広い空のしたに現れて、道はその家のすこし向こうで崩れ落ちていた。民家の煙突から青い煙が、午後の下り坂の空へ登っている。
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老人と目があって会釈。会釈がかえってきた。ここから下れますか?もう道はない。
老人は、仕事がもう終わってしまって、帰宅していた。町の建設会社が仕事場のようだ。明日はたぬきがもってくまえに、白菜を収穫しようか?と、家の前を見渡していた。その奥に畑がある。ふと、丹後の山でであった、酒造りの杜氏だという老人を思い出した。どこか、にている。挨拶して引き返す途中に、出稼ぎといっても、どこか豊かな時間を家と仕事場とに持っている
落ち着きのある姿は同じだと思った。
自分も季節労働者でいいから、空の広い畑のある家と、必要とされて働く仕事場があれば、休みごとに自転車ころがしたりしないだろうな。もっと落ち着いてすごしている。なんて。
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by forumhiroshima | 2008-12-26 20:39

主役から脇へ

庄原から南下すると、粟石トンネルから総領町に。
どうしても、トンネルはキライです。それに古道がウネウネと登っていて、これを走らないって事はない。路面にはしっかり落ち葉の層ができていて、車はマレって状態の轍をトレース。ガートレールのない景色は開放感いっぱいで、楽しいのだけど、ゆっくりの下りになってしまう。こんな状態の路面なら、ロードより太めのタイヤってことになる。そのほうが速い。でも、それでも、ロードを走らせるのは、まじりっけのない走りがあるから。弱小者を押し上げれくれると思ってるから。でも小石でフレると怖いです。

粟石峠のくだって古い家並みにはいるところに「須佐神社」がある。高野町を走ってるとき、王居峠たもとにあった神社の名前を見逃していたようで、いやアルツ傾向かもしれないが、雪の積もってるなか、確認に走った。この峠の王は天皇がここに滞在したあかしだと、歴史書にはあるのだけど、王貫峠に祇園社があって、ここにはスサノオ命が鎮座されていて、王居峠にもおなじパターンがあると、ここで名になる王はスサノオってことでもいいのだが、と、出雲ファンとしては空想している。がそこに鎮座されるのは八幡さまと日枝神社の神様だった。

それにしても、そこらじゅうに神社があって、その神々がさまざま、って事不思議だ。

粟石峠のふもとの須佐神社、ふるびて苔むして、注連縄も朽ちそう。備後の国でもスサノオ命は、さまざまな神様のなかでも大健闘されていて、京都・八坂神社と明治時代に改名された祇園さんとしても祭られている。
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が、しかしだ!その鎮座されている場所は峠のふもと。そこは、その集落に入ってくる疫病や悪人をさえぎる場所で、仏様だとお地蔵様クラスの扱いらしい。

あの出雲神話で、出雲の国では、ブイブイいわせているスサノオ命の立場ではないようだ。これが納得できないのだ。でもまだ希望がある。これから備後の国を南下してゆくさきにある須佐神社は「備後風土記」に記載されている、この国の守り神としてあるらしい。

粟石峠は、これがまたいいんですよ!と登り返して、パスハンティング。遥か下を走る車を見下ろして、ごきげんになれました。
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by forumhiroshima | 2008-12-25 14:52

ロックシェルター

散髪はシェルターというお店に通ってる。髪の毛がすくなくなっても料金はかわらない。店の名にひかれて、おもしろいな、と通うようになった。若いご主人はサーファーだそうで、お客が日常から一時避難するシェルターなのか、海岸で雨になって雨宿りのシェルターなのか?たずねたことはない。

帝釈峡にはたくさんの岩窟がある。石灰岩台地にできる鍾乳洞だという。そしてそのロックシェルターに旧石器時代から縄文・弥生の遺跡が重層にのこっているのだそうだ。最古の人の痕跡だという。そうだとしたら、ここを走ることは、一億年とかの時間を人類がすごした空間にいるということになる。はたして、自分はどんな感覚をもつのだろうか?

帝釈川は上流ではその流れの側に古道が走っている。「鬼の岩屋」という表示をみつけた。入り口は小さなものだけど、奥は高さ30mもある20m四方の空間の岩屋だそうで、小川もその空間にながれているのだそうだ。細い谷底でも、日差しが差し込んで、その陰と濃い陰影が流れに反射している。瀬音しかない。フワーとどこかへ落ち込んでゆくようだ。

帝釈峡の名となった、仏様の帝釈天を祭っているのが、帝釈峡の北の入り口にある永明寺は網のフェンスで囲まれて、参拝もフェンス越しという、けったいな状態になっているが、この奥の岩窟は有名な賽の河原だという。もちろん見ることはできなかった。
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ここも石器時代の遺跡に人々が死者供養のために積み石をしてきた。お寺の側の帝釈川のすぐ上流にも岩窟があって、そこにも沢山の積み石と石仏があった。
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葬式のあと49日の喪にふすということがあったり、年賀状を来年は遠慮するという知らせをいただいたりする。死のすぐあと、その魂は荒魂となっていて、人々はひたすら魂がおちつくことを願う。また、鎮めようと、この世への扉を閉ざす。さえぎることをしてきたのだそうだ。そしてその魂がおだやかなものになることを和魂になるという。

積み石のある岩窟へ入ってみた。たくさんのちいさな積み石ができていて、自分も一つその小山に重ねてみた。魂の有り様に関係なく、石を積むってことが自然なことに思えた。

そして、ふと、石器時代からの人々の痕跡にであったとき、その石器時代にここに生きた人々と今の自分がどこかでつながっている、と思えたのじゃないか?そしてその昔の人たちが、祖先として感じたのだろう、と。だから近しい人の死は、その祖先のそばにおくことができたのだろう。

深い谷を登ると、広い空があるこの高原地帯を、獣を追い、土地をたがやしてきた、ながーい時間がいまも同じようにくりかされている。
スコラ高原と名づけられた体育館やテニスコートや入浴施設に山中いきなりであった。現実ってこれなんだよな。道そばの石仏にそう話しかけた。

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by forumhiroshima | 2008-12-21 14:33

古道ってこれだ!

天神の里から、渓流へ下る。細くて車での離合困難って道だけど、これは県道です。
川の側へ台地から下った場所に天瀬・アマガセ?という地名をめざした。ちいさな橋に一ツ橋とあって、たしかにこのあたりでは橋はこれぐらいなのか?と思ったりした。

その橋を渡って正面の石灰岩の切り立った岸壁に大きく掘り込んだ文字をみつけた。「天見線起工記念」と大きく掘り込んである。昭和七年とそばに彫りこみもみえた。そばに自治振興会の掲示があって、「見内と天川の間に荷馬車が通られる事を願って人力で岩を打ち砕く難工事の末に昭和7年ようやく林道が完成した。その並々ならぬ苦労を讃え地域発展を祈るこころをこめ、一ヵ月半をかけて刻まれたもので文字の長さ十六メートルにも及び他に類例をみない」とある。
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天神が天川なのか、他の場所なのか、地図に天川がみられないからわからない。帰って明治の地図をだしてみると、天神の場所には天川と記載がある。まあ、そんなことより、いまから75年ほど前にはここには荷馬車が入れなくて、荷馬車を必要とした時代だったということだろう。それから、きっとおおきな改修がなくて、細い幅のままで現在にいたる、ってことだろうか。

自転車をはしらせていると、この道が伸びやかな時をくれるし、ゆっくりとひらけたり茂みにはいりこんだりする景色が体全体をつつんでくれたり、と、うれしくてしかたがない。もし島根半島の日本海に望む港の集落からスタートして、出雲の古道をたどって、南下するとしたら、あの道とあの道を経由して、・・・なんとかこの天神の集落へくきそうじゃないか?そして、これから瀬戸内海へでるとしたら、ここからの道は、どこを走ることになるのだろうか?なんて、想像するだけでワクワクしてくる。そしてここはぜったいにはずせない。
「天見線起工」バンザイ!!バンザイ!!
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by forumhiroshima | 2008-12-20 13:31

やっと、探せた

帝釈川は石灰岩の台地を深くえぐりとって、その支流も同じように、深い谷底を流れていた。
残された台地が深い川に囲まれて、すぐ隣の対岸への交流を断ち切られている。その台地に成立した集落は孤立する以外にない。車道もふるびて細く谷へおちた道には橋がかかっては、いない。もう大半が放置された道になっていた。

新しく建設されている車道も、数軒の集落をつなぐようにはつくられない。その新しい車道へは、かわらずの古道を下って、のぼってゆくしかない。軽四も離合できない道に、当然走っているのは郵便のバイクしかない。

備後の山中にできた町へ瀬戸内からの往環は西城へも東城へも、帝釈川の流域をさけるように通っている。

備後の国のスサノオ探しに、王と付く地名をたずねて走っている。天王、山王でなく、天神という地名を、そんな帝釈川の谷にかこまれた台地にみつけた。菅原道真公かな?でも天なら行かなくては。!

神石高原町の役場のある福永の町へ。中心に八坂神社が鎮座されていて、都に上り祇園舎・八坂神社の主となったスサノオにさっそく出会え、ご機嫌スタート。地図ではこのあたり「草」がつく集落の連続だった。それなら草がつく集落をトレースしてみようと、くねくねと登って、また降りる。が、どうも地図に記載されていない道ができてるようで、それを避けようとしてしまって、自分の位置を失ってしまった。八坂の神様は機嫌が斜めだったようだ。真新しい新道にかろうじて見つけた標識をたよりに、さえないのぼり下り。これじゃどこでも同じ感覚だ。

やっと古道との分岐をみつけて入ってみた。いっきに景色が変わって見える。すっかり落葉した木々が、緑の杉林と山肌をわけて、それが幾重にも重なり、空の雲へ視線がのぼってゆく。

古道がなんと6つ交差する場所があらわれた。どこへ入っても、魅力的なのだが、一応天神の集落へ行こう。ちゃんと手作りの表示があって、うれしい。

すぐに天神さんの社への表示も見つけた。このちいさな台地はすっかり開かれへ畑のなかに家がみえる。天神さんへは真横から参道がついて、本殿正面にはここまでの道の倍ほどの道がついている。反対には神様のお旅所だろう、神輿を置く石組みが鎮座してあった。どうも先ほどの6分岐・峠迫(タオサコ)へ向いている様子。分岐からしっかり道探せばよかった。

天神はひろい畑を中心に数軒。その景色のなか古道そばにおおきな、それはおおきな、エンピツのように切り立ったもみの木がある。
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そのむこうの青い空の下に、アレ?どこかで見たような景色。これって、九州吉野ヶ里遺跡と似てない??

もみの木の下にちいさな祠があって、雷の神様で、このもみの木に落ちた雷さまだと説明がある。
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天神さまも雷の神様。怖い雷が近づかないように「桑原!クワバラ」と呪文するのは道真公の家が桑原ってところにあったからで、天神さまは災いをさけてくれる神様だったとおもう。
ここの神様はこのもみの木で、天神さまは、またちがった、峠からの道がついていたように、ここら一帯の神様で、天神さまでなくて、天王さまだった??なんて、そのもみの木のしたに寝ころがって、雲をみていた。

座りなおして、弥生時代のような景色を見ていて、「やっと、見つけられた!」と。自転車は新しいものと、置いておかれたものとを、交差させる。その置いておかれた、それを探していた景色が広がっていた。
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by forumhiroshima | 2008-12-18 16:38

サンクチュアリー

庄原から帝釈峡にかけては、この地帯が石灰岩で形成されているのだそうで、川は深く地面をえぐってながれている。

現在の地図に明治のころのルートを色づけして、そこをトレースしたコースへ入っている。幹線から外れた古道は自動車もすくなく、それになんといっても道に表情がある。また昔の人たちが荷物かついで歩いた道であるのだから、それに負けたくなくなったりして、無理しても登ったりする。
川ぞいの道から谷間にはいるルートはここではまるで階段を踏むような急坂もあらわれるのだけど、標高差もすこしだし、「昔に人はここを・・・」となって、がんばろう!!と、思いもよらない勇気が、ほんとタマに表れたりして、けっこう楽しんでいる。

が、急坂はきついのは変わらない。そんなとき、とんでもない景色の中へ入ってゆくことがある。

帝釈峡そばのスコラ高原という新しい施設の西に相渡という場所をめざしていた。このあたりには「渡」とつく地名が多くて、トと読むらしい。そこに入る古道に二つの鳥居マークがならんで記載されている。道の表示は破線になっていて、いまはすっかり忘れられた道なんだろうが、古道ではある。
入り口がわかりずらかって、すこしうろうろして見つけた。そこはびっしりと杉木立の森で、その間に道が続いている。分岐をすぎて、ふと後を振りかえると、森の奥に鳥居をみつけてた。

護国神社とある。予想もしていなかった。境内は高い杉木立の木漏れ日でキラキラしている。
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境内の石碑にこのあたりの戦没者が日清・日露と先の大戦で五十数名あったことを刻んでいた。分岐にもどるとすぐに鳥居があってそこは八幡神社。スギの大木が林立している。

先日帝釈峡の東、有頭という地名の場所に長い階段マークと鳥居マークをみつけて、落ち葉にうもれた細い道に入って神社をさがした。地名だけで民家も記載されていない場所だ。のびたカヤが刈り込まれて、スギの森へ登ってゆく石段と鳥居を見つけたとき、それまで、自分の地図読解力をうたがっていた不安がふきとんだ。「多熊神社」とあって、石段の一番上に座ってると、ふと隣に神様が座ったような、風が吹いてきた。
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巨木のスギの間から、幾筋もの光線がスポットライトのように降り注ぐ八幡神社の境内にいるとこの場所を見つけた自分にハナマル!!って心境になってしまう。

毛利氏が広島城を建築したとき、その材木はいまの安佐南区の神社の鎮守の森から切り出したときいた。とんでもないヤツだ。そんな広島で暮らしてると、この森をもつこの地の人たちをうらやましく思ってしまう。ここイイナー。
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by forumhiroshima | 2008-12-12 15:37

救急車は入れない

総領の町でエドヒガンの里というカンバン発見!ここから登って「光」という集落にあるようで、エッセラと。「光」という地名もめずらしい。この集落の先に「山家」の地名もあった。サンカと読むのかはわからないが、あの漂白の人々なら。

エドヒガンの場所は民家の奥のようで、留守の庭先には入らなかった。では、と「山家」へ。サンカと呼ばれる人々が、ある季節になるとやってきて、竹細工物やミノや、川魚を売ってあるく。その人たちは集落の近くにはいなくて、離れた場所に小屋だてして、またいつの間にか居なくなる人たちだったようだ。宮本常一さんは彼らが定着した集落では煮炊きする場所の入り口と家への入り口が二つあると報告していて、もしかして、そんな家があるのか?なんて、想像たくましくすこし下ると、小さな交差点にでた。
民家が二つ道をへだててあるだけの場所から細い道が小川にそって上っている。なんとステキナ道なんだろうと、ふらふらと入ってみた。軽四がやっとの道はそれでも舗装してあって、古道のゆるやかなうねりとちいさな勾配をつづけてくれる。
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スギの木立をぬけると、空が開けてきた。民家の屋根が落ちて朽ちている。そのなかに青いジャンパーが掛けてある。ちいさなちゃぶ台も斜めの畳から滑り落ちそう。すこしはなれて二軒の民家。屋根も壁も壊れてはいないが、軒先の洗濯ものは、ぼろぼろに朽ちている。戸がすこし開いて傾いている。次の民家も同じ。無人の村。
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道はダートになって山へ入ってゆく、すっかり落ち葉の下になっていても、しっかりと登っていっている。
地図では大畑と記載があるが、そういえばここまで電柱もなかった。大きな泉からでる流れは陽光をうけてキラキラしている。空がすごく近い。
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自転車から降りて、すこし歩いてみた。民家から登った広場に赤土の土倉があって、くわが立てかけてある。倉の中はモーター付の草刈機が戸のすきまからみえる。いつごろ、神隠しにあったように、生活の痕跡をそのままに、ここが放棄されたのだろうか。キーと雉が飛び出した。

石見でも出雲でも行き止まりの集落にはあがってみた。まるで、集落ごとに放棄されている場所には出会ってない。舗装された道など、そんな場所にはないのだろうから。

ゆっくりと下る道でお地蔵様にであった。のぼりでは気づかなかったようだ。薬師さまのようだ。ここには救急車は入れないのだ。

「山家」の集落へでる。入り口にりっぱな地蔵堂と大歳神の神社がある。民家の入り口は一つ。もしもここが漂白の人たちの定住の住処であるとすると、大畑の人たちは、都会へと漂白を始めたのだろうか。
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by forumhiroshima | 2008-12-11 19:34

王を探して

庄原のインターをおりて南下する。東城へ中国道と国道が交差するところから、登り始めた。この谷を登ると天王という集落が地図にあるのだ。

備後・キビノミチノシリの国の風土記にいわく。と8世紀にかかれた「備後風土記」に蘇民将来というものがいて、北の国の神様ムトウの神が南の国に嫁さがしにでかける途中、備後の国で日暮れになったとき、蘇民将来の兄は金持ちであったが泊めなかった。が弟は貧乏ななか粟の食事てもてなした。ムトウの神は嫁をつれて帰る途中にこの国にたちより、兄をほろぼした。弟には、これから、弟の一族に疫病などの災難がふりかかったとき、蘇民将来の子孫といって、また腰に茅の輪をつけておけば、その災難から逃れられるといったという話がある。

その蘇民将来の家は福山の駅家町のスサノオ神社とも鞆のヌマクマ神社ともいわれる。ムトウの神は風土記の中で、自分がスサノオであるともいっている。この神は京都に上り、祇園舎・八坂神社に鎮座することになる。この神社の祭りである祇園祭りでは「蘇民将来」の御札がくばられる。

八坂神社の発祥の地がこの備後の国なのである。夏各地の神社で八の字にくぐる茅の輪くぐりの発祥も備後の国ってことになる。備後には祇園社が百をこえて、あるのだそうだ。この神の子供が八王子で、この神は天にあっては天王、山にあっては山王とよばれる。

先日出雲の山王寺へはしってみた。この麓の須我神社はスサノオが新婚時代にすごしたことになっているが、それは明治以降のことでもとは祇園社であったのでは?といわれる。

出雲から備後へ入る峠に王貫、王居となずけられて、備後の国の入り口に祇園社があった。さて、ここ天王の集落の地図にある神社マークは??

霧が晴れてきて、紅葉の最後の景色が鮮明になる。農作業の婦人と目があってしまって、つい「私は無実です」とばかりに「神社はどこらですか?」とたずねる。と横の畑から「もう800m」とおじいさんから声がかかった。それほど注目されるえたいのしれない人物として、監視されていたようだ。しかたない、ですよね。自転車であがってくるっておかしい、はず。
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お寺のようなおおきな屋根がみえてきた。それが神社で・不老山神社と神額にある。祇園さんでなくて残念。神社の案内には祭神オオクニヌシとあって、出雲からの勧請が1141年とあった。出雲大社の入り口のおおきな鳥居には、スサノオが祭られているとかかれていた。1666年に建立されたものだ。理屈ではここに勧請されたのはスサノオじゃないか!と、祇園さんでなかった不満をブツブツ。だってここは備後の国でここは天王ですよ、とまたブツブツ。
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地図ではこの神社からの山越えは破線になっている。が、明治の初めにつくられた五万ではりっぱな往還路だ。ちょうと森の伐採が横でおこなわれていて、道には大木。作業されているかたに通してほしいとお願いしてみた。こころよく作業中止。「また帰ってくるか?」とご質問。「イエ!」と返事してしまった。機嫌よく工事の手やすめてくれたのに、また邪魔するわけいかない。蘇民将来、って叫んで古道へ入った。「しっかりあるじゃん」ただし急坂の落ち葉いっぱいひろがってる。蘇民将来!!
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by forumhiroshima | 2008-12-04 18:19


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