こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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天空へ

神石高原から、古代の穴の海とよばれた、瀬戸内海の内海であった、府中・駅家へ下るルートを走り始めた。府中も駅家も古代の行政の名だという。備後の国の中心地から、天空とおもえる神石の山へ、尾根にも谷にも道が入っている。

国道182に井関、坂瀬川と尾根の頂上にあるのに、水に関係のある名がつづく。ここから、穴の海へルートが多岐にのびる。その一つに。国道からの表示に大型車通行不可とあるルートに入った。
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幾つものつづらで、どんどん高度を下げてゆく。が、急坂はない。深いスギの森は、木漏れ日に下草が、まだ黄緑で、スギが茂ってくる隙間の季節にゆれている。この坂の途中に神子原という地名が地図にはあるのだけど、下りが楽しくて、「民家など、あったか?」と、下り終えて、服部本郷の家並みにはいって、思い出した。

地図には神子原から、尾根に登るルートがある。Uターンして、また、神子原へ向かった。

ルートに接する場所には、約8kmに民家はない。右岸から、探すルートは渡川して地図にあるから、橋もあるはずと、きょろきょろ。小さな祠を見つけた。まだ新しい祠に、まだ新しい御幣がわたしてある。
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すると、道の下、木立の中に屋根がいくつかみえた。
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祠の手前に、すっかり草におおわれた道の入り口を発見。自転車をおいて入ってみる。この季節にブッシュにはいるのは、すこし勇気がいる。がすぐにすっかり蔦におおわれた民家にでた。その奥、またその奥の民家も同じ状態で、無住になっているようだ。

地図ではここが神子原であれば、探すルートはこのすこし川下になる。が、見つけてはいない。すこしうろついてみた。そこへ、軽四の乗用車が登ってきた。すぐに自転車をよけて、車が通り過ぎるのをまった。でも車が動かない。車にはおじいさんが一人。もうすこし待ってみた。ゆっくり車が動き出した。会釈された。

車は自転車でも、この登りなら追いつけそうな速度で、つづらの向こうへ消えていった。「廃屋」「新しい御幣の祠」「ゆっくりはしる老人」。ホトトギスが「キョカキョク!!」と鳴いている。「カツカツカツ」とアカゲラがいる。

そのとき、気づいた、「自転車、パンクしてる」
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by forumhiroshima | 2009-06-26 19:28

地名「人殺し」

時安の集落から久留美の集落になると、眼下の川が東から南へ直角に方向をかえる。
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その流れがぶつかる場所におかしな立て札がある・「地名・人殺し」
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ぶっそうな名が、どうもこの屈折する谷の名らしい。油木には李・スモモとか、ここの久瑠美・クルミ
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とか、ロマンチックな地名がみえて、それもあってこの奥まった谷へ走ってきた。道がツヅラに川底へはいる斜面に、大きな民家がすわっていて、午後の梅雨の晴れ間の陽光をいっぱいに受けている。
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処刑地は、境界線に設けられる。都市では河原がそおういった場所になったという。いってみれば、だれの土地でもない。そんな場所には、不思議な空間がうまれる。橋の下とか、公園の茂みとが。不法投棄のゴミもそんな空間が引き寄せるのだろう。

が、ここはそんな不思議さ、怪しさがあるようには思えない。カンバンには遥か昔の乱世の出来事のようにあるが、これまで昔に遺骸をおいたというなごりの地名をもち場所は、明るくて、暖かいところだった。古代に古墳をつくる際には、鶏をはなして、啼いた場所にしたという。にわとりも明るい場所で鳴くだろう。

数軒の民家は、これでもかといった斜面にしっかりとした石垣をくんで作られている。自然の力にあらがうようにも見える。そして、その形が自然と対峙して、自然を受け入れているようだ。自然が人を鍛える風情がただよって、凛としてある。
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by forumhiroshima | 2009-06-19 12:53

渡来の神の幻想

神石高原の油木の谷をたどって南下している。
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油木の小さな集落をくまなく走ってみよう、なんておかしな動機があるように思えるかもしれないが、この週一回のサイクが、連続して「アル」ってことで、旅の終わりをなくしている。というより、旅が続いているってことで、毎日を生きながらえているようだ。不思議な地形とその中の集落が「旅」をつくってくれる。

油木の高原を南へくだれば、瀬戸内海が広がっているという、感覚は、時安という集落の谷を東へ岡山県との県境にむかうと、それが幻想であることに気づかされる。尾根がますます急峻に、谷が狭く深くなってくる。
ここへ福山藩のお殿様が鷹狩りにやってきたといわれる。自然が濃い。

鷹狩り場がゴルフ場にかわって、そこに向かう車道が整備されていても、奥まった集落への道は古道の様相。地図の神社マークはその道から登った山頂にある。古風そのまま。

面白い神社に出会った。龍王山大山神社は時安の入り口の小山の山頂にあって、そこは、古代「高麗神・タカオカミカミ」を祀っていた。
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高麗は古代韓国の高句麗ともいわれ、先日のTV・大王四神記の王の国。
備後の国で出雲のスサノオが祇園舎の神に変身した訳を、それなりに楽しみにしている。古代・出雲神話に、あとから乗っかったような、牛頭大王・蘇民将来伝説の発祥の国・備後が、やっと現れてきたのだろか?時安からさらに東へ。辻堂とそのそばに小さな祠が並んでいる。神仏並列。その荒神は「からとみ荒神」とあった。
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カラは韓にちがいない。なんて、喜んでみた。

油木の小さな集落の背景の尾根に、必ずといっていい。一本の巨木がスックとそびえている。そこへゆけば、小さな祠と注連縄があるのだろう。この景色が妙に印象深い。いつか、なにかを語ってくれるだろう。
そのためにも、旅を続けなくちゃ!!
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by forumhiroshima | 2009-06-18 12:40

天川・天神

これが県道か?と思わせる細い道を川から尾根へ登ると、いっきに広い明るくなる。そこに、教科書にあるような古代の集落の挿絵とおもう民家の景色があった。
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地図には天神とあるが、ちいさな道路の標識には天川とある。道そばにある、古びた五輪塔のそばの新しい墓標に「天川家・・」とあって、
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彼方の県境の比婆山や道後山まで、さえぎるものがない空の夜景をおもうと、天川がすーっと落ち着く。

県道が南へ向かうと、大きな独立した一本の樹木にであう。これで三度目の挨拶。
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宮崎アニメの舞台装置を走っている。その独立樹そばの辻堂に、すっかり雑草におおわれた小道をみつけた。新しい発見!とばかりに、すこしヘビ君がいないことを祈ってはいってみた。杉木立のなかは、しっかりした路面となって、神社の鳥居へと続いた。ここに天神社が鎮座してある。
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きっとこの屋代の存在がここの地名を天川から天神へ変えたのだろう。この神社の主は菅原道真さまになろうが、どこの天神さんにも境内に牛がある。が、ここにはない。
天神さまと牛の関係は、どうしてか?わからないが、油木高校の牛の畜産実習の小屋は天神原にある。
集落は円形に畑が広がって、その周囲を古道が回っている。その外の茂みから、深い渓谷へ斜面がなだれ込んでいる。牛は横移動するもので、立て移動は苦手らしいから、入り口さえふさげば、ここはすぐに牧場になる。そんな立地から、きっとここで牛が飼われ、その牛がすばらしく、だからこの周辺の牛飼いたちが、この天神におまいりした。で、いつか天川から天神にと呼び名がかわった??なんて。

天神社から古道をぬけると六辻にでた。どちらも下るか登るかの急坂がまっている。そうか、自分も立て移動は苦手です。
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by forumhiroshima | 2009-06-13 12:50

中世の景色

県道259を南下して、オシャレな小学校の跡をすこし走ると東との分岐がある。
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尾根の上の分岐から下りへ。江草の地名のカンバンにそって、下ってゆく。この先に深い渓谷の帝釈川があることがわかってるだけに、どこまで落ちるか不安になった。
もう民家が現れなきゃ、行き止まりにちがいない終点からの帰りの登坂がこわい。
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いきなり空がひろがって、あかるい地平になった。三軒ほどの大きな農家がある。ここが、江草。
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集落への歯入り口に辻堂がある。四方が壁になっていて、お堂にみえる。表示があって、お不動様を祀られているようだ。
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そばに小さな五輪塔なならんで、その側に地神さまがおられる。手入れが行き届いてるって程ではないが、自然にそこにおられる。
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表示に元弘の乱に参加し、討ち死にした者たちの供養だとあった。

元弘の乱は、後醍醐天皇が隠岐にながされて、翌年島を脱出。鎌倉幕府倒幕をはたした内乱のことで、この神石高原のあちこちに、天皇や、それを助けた名和氏の記憶がちらばっていて、その記憶がその時代のこの地の動乱を教えてくれるようだ。1331年の戦いといわれる。

でこぼこの山のつらなるこの高原の行き止まりの尾根のテッペンに、室町時代の幕開けの事件が、そのままに残っていると思えた。ここが都とつながっていたという思いと、その中世が、そのまま今に残り、遺跡や記念碑でなく、ここに溶け込んだ景色が、頭を混乱させる。

ただの通りすがりに見たという景色に、納められない。だって家の前の畑は丁寧に耕されて、そぼふる雨にしっとりと濡れて、肥えた土地におもえる。もっている携帯はとっくに圏外。
座ってて、パソコンたたいて、大もうけだの大損だのとある世界じゃない。ただただ、お天道様と相談して、そして自分の体で生きていく。どこか自転車乗ってることで、それが判りたいのだけど、絶対に、判りそうにもない。それが判るだけだった。
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by forumhiroshima | 2009-06-12 14:15

県道259

広島と岡山の県境近くに南北に伸びる古道を見つけた。自然歩道にもなっていて、車少なく、信号、トンネルなしの自転車専用道!(ただし私だけですが)に三度目、出かけた。
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入梅。雨ではしるのは、きらいじゃない。静寂な湿った空気の中が好きなくらいだ。ただ、自転車用のレインウエアーは頼りにならないから、スペアーと、そしてアンダーは二枚重ね。背中の冷えはばかにならない。
もう一つ、この半年以上週一回ほど訪ねた帝釈・油木の集落の佇まいは、どこか孤立しているようで、いまもって、自分のこの地域への思いと乖離しているように感じてる。これだけ走り回れば、きっと地元のタクシーの運転手ができそうだと、思っていても、自分になにか「タリナイ」ようだ。
深い谷にそそりたつ尾根の上に数軒もないほどの規模で点在する集落。その家々をつなぐ古道。その辻にたつ薬師や不動の辻堂。崖から覗いても見えない川面からのぼる霧。その上を旋回する鳥。鳥の鳴き声しかない。その景観は町でくらす時間とはとてもかけ離れて、そこにある生活が、すんなりとは理解できないのはあたりまえ、とおもってきたが、なぜか雨の中でも走れば、なにか自分に中に「アル」ものが、出現するかもしれない。とすこしだけ自分に期待してみた。

神龍湖の休業中の歴史資料館とおみやげ屋のあいだのつづらの急坂をあがると、フラットになる。そこから、長野という地域になる。
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古くは奈賀野とよばれていて、江戸時代には銅山として知られていたようで、今登った資料館あたりに、精錬所があったというが、今は湖になったダムの底だという。

古い五輪塔が、この地域にそこかしこにある。長野の中心は市場とよばれる小学校と郵便局にあるあたりになるのか、そこにちいさな石灰岩がいくつも露出している小山に大樹がたって、ちいさな祠があるところがあった。不思議な空間がある。
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その側を東へ走ると花面公園がある。花は修験者たちの居場所によくつけられる地名。その周辺には、石塔郡とちいさな神社が点在している。が、森の中に埋もれかけていた。

道を南下すると、下りの折り返しで流れにであう。その場所に大きな岩穴があって、観音堂遺跡とよばれる、石器時代から古墳時代までの10万年の堆積の歴史があるという。
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遺跡の入り口で、ふと、自分がこの地を理解できないのは、この長い時間を経過しても、いまもある家々の存在と、それを過疎といって、いまにも消失するかの情報とのギャップじゃないか、と思ったりした。
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by forumhiroshima | 2009-06-11 13:38

牛飼

油木の小吹という街道ぞいの小さな町並みを東へ走ると、すぐにひらけた谷間にでる。どこか懐かしい景色がるゆやかな拡がりの谷にある。その端の古道のそばに寺院がある。すぐしたの墓所に赤い人物像がたっている。7~80cmのブロンズで、そばに石碑がある。像は大正天皇らしく崩御されたときにここに置かれたようだ。もう80年以上の歳月があるのが、きれいでかわいい。

その側にこの像の提供をした人物に名があって「牛飼○○」とあった。
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備後の国を走り始めてから、もうかなりの場所を訪れた。8世紀にかかれた「備後の国風土記」に、ここでスサノオの神が牛頭大王に変身したようにある。出雲の国を走って、この備後にやってきてるのだから、出雲の大王スサノオが変身した場所に興味深々。牛頭大王はインドの神様で牛頭獄卒・ゴズゴクソツで地獄のエンマ様の家来であったという。おそろしい神様が、変身していま京都・八坂の祇園舎におられる。祇園祭はますます盛大になっている。

地獄の神様が厄除けの神様になった。その神様が出雲のスサノオだという。その変身の地が備後の国。まだ訪れていないが、そのスサノオが鎮座する福山市新市町のスサノオ神社の由緒には、境内に合祀される「疱瘡神社」にスサノオの息子・オオクニヌシから数えて六代目のお嫁さんのお父さんを祭るとある。この神様がヒイラギハナマズミノカミ。ヒイラギはいわしの頭を添えて、節分の厄除けになっている。
疱瘡を予防する種痘は牛からつくられたことを思い出した。

神石高原町油木は丘の上に広がる。水はどうするの?って場所にあるが、そこには酒造会社もあって、よそ者のおおきなお世話ってことだけど、その丘の頂上におおきな杉の林立する神社が二つならんでいて、そばにもう一つ神社がある。そこが天神原とよばれるのは、そこに油木高校の実習施設の牛舎があるから。また大きな肉やさんもならんでいる。そこからすぐとなりの丘に広島県畜産牧場がたっている。
神石の牛は、コウベビーフとか松坂牛を子牛で提供してきたと聞いた。牛に関しては屈指ってことらしい。

天皇の崩御をいたんで、遺影をブロンズにする牛飼に、その神石牛生産者の誇りをかんじる。そして、牛飼いは疱瘡にならないことから、もしかしたら、スサノオが人を疱瘡から守る牛頭大王になったのでは?とおもっている。

四方にのび、交差する尾根の頂に、この高原に人々は小さな集落をいくつも出現させている。これをたどることは、自転車ではけっこう厳しいのだ。きっと牛たちも、きっと足腰鍛えられただろう。そうして、あのブロンズの牛飼いの育てた牛が天皇の牛車を引いたのかもしれない。昔ここは、デトロイトってことでもあったかもしれない。強烈な馬力のエンジン装備の牛の生産地であったのだろう。
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by forumhiroshima | 2009-06-05 16:50


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