こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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一味同心

休業日の朝走りにでかけると、まずすきっ腹が問題になる。車を使ってふらっと前日決めた場所へゆく。そこが遠ければ、途中でマックやコンビニで、なにかぶち込むことになるが、ある場所周辺をうろつくことが多くなると、その町で、食事したくなる。この感覚は、分かってもらえないかもしれない。

備後の国をうろつきだして、庄原のインターを降りることがおおい。庄原の町は丘の上にある。そこに小さな路地が交差していて、そこになんと名がつけられたちいさなカンバンがおいてある。丘のいちばん高い場所がおおきな池というのも不思議だ。

その路地がさびれてしまった、丘から下った場所にあるJR駅へあつまってゆく。そこに早朝からオレンジの回転等がまわっている食堂がある。「ラッキー食堂」の青いノレンをくぐってみた。
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店には電灯が消されて、それでも奥の調理場は明るい。おばあさんとおじいさんが調理場のその奥の部屋のこたつにおられた。今年は多雨でさむい。

店があかるくなると、ガラスケースの片隅に、煮物と塩サバがのこっていた。飯と汁。味噌汁あったまるまで、しばし待て!と。サバを取り出す。

人気の簡保の宿ってめずらしいらしく、「ここは残るらしい?」とおばあさんがはなす温泉施設そばに、地元の花ややさいをうる施設がある。8:30開店4:00終了の店に次々と軽四トラックがやってくる。売り場の棚に、自分の名がバーコードにして価格とシールに印刷された、商品が勝手にならびだす。味噌がある。漬物がある。おこわや餅も。広島のスパーで買うより、本物のようにおもってしまう。不思議だ。

先日「一味同心」の意味が、地元でつくられるお茶を飲む仲間のことだと知った。一味の味が、お茶だとは!。お茶の味-地元産と他の地方産の比べを飲んで決める「闘茶」という遊びが昔あったそうだ。今は焼酎や日本酒のブランド比べってことになるのか。酒、醤油、味噌、豆腐などは、すべて地元のものって、子供時代をすごしてきた老人には、ブランドでなにがわかるか?なんて、どこかで思ってるらしく、うまいといわれる味がわからないのだ。自分の地方産を、選び出してこそ、「一味同心」で、どれがうまいかなんて、個人個人でちがうだろうに。厳然と故郷の味があるのだ。
訪ねた町で、食堂さがしてるってことは、そこの味をさがしてるってことなんだろうか。それもB級どころかZ級を。それって、ここの町の一味になろうと、してる自分のかな?
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by forumhiroshima | 2009-07-31 14:06

防地峠

峠を自転車で攻める!なんてカッコイイものではないが、走ってない峠があって、誰かが「イイヨ!アソコ」なんて小耳にはさむと、老骨がきしみだす、のだ。

そんな峠が見つかった。西城と比和の境にある防地峠695mがそれ。
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備北地方に豪雨・落雷注意報、午後には警報か?という天候。「行って見なきゃ、わからん」「走ってみて、危なければやめたらいいのだ」と。でも逃げ込む温泉・簡保の宿に駐車して走り出す。

防地は尾道にも同じ地名がある。備後と安芸の国境の峠を尾道へくだった場所がその地名。備後と安芸の国境は東へ動いたようで、三原市街地の北はずれにも、国境の標柱がある。ボウジと読めば、そこかしこの峠に棒示峠、傍示峠とかある。境界を示すに、棒を立てて示したからという。が、また柱とか棒とかをたてて神の依りしろにした場所とか。

集落ごとに、移動もそこそこだった時代には、峠をこえた隣との境はあいまいでよかった。そのあいまいな境に、どちらの社会にも所属できない人たちが集まることになる。自分もこのあいまいな場所をさがして駐車場とする。運動公園とか、ひまそうな公共の会場施設、でっかい商業施設の駐車場から神社にある参詣用駐車場とか。ツーリングのキャンプなどは、そんな場所さがす嗅覚が絶対必要。それが、いつの日か、やってくるホームレスの日々を助けてくれるかも。

中国山地の山奥の人里はなれた、峠に境界線のしるしをつくるなどという行為は、個別だった集落を一まとめにして、そこから税金をとろうなんて考えたヤカラが、その敵対するおなじムジナのヤカラとの線引き作業からにちかいなかろう。そして、それを防ぐことから防地、つまり前線基地としたからなのだろう。この西城と比和の境界をきめたヤカラは、西城を支配したと書かれる「宮」という武装集団で、比和は「山内」さんだろうか?それが戦乱の世の中の始まりになったと、歴史書にはある。税金徴収の境界ってほどのことなんだろう。

このごろの広域合併で、この境界の役目も小さくなってしまったのだろうか。
雷もなくて、小雨が降りると、風がでて、尾根の森に白くガスが登りだすという繰り返しの天候は、登りには水冷状態で、ありがたい。九十九にのぼる古道に、大きな展望があったりすると、お休みタイム。これがいいんです。
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トップに西城町の標識、そこからいくぶんかの距離で比和とあった。
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その間に「若櫛神社参道」の表示がある。地図には記載されてない。クシは神聖な状態をしめすのだそうだから、ただ世間の下世話なお金でなくて、神聖な場所でもあったということなんだろうか?なんて思いながらダートをあるいて神社をさがした。

いくら歩いてもみつからない。周囲はすっかりガスにつつまれて、神々しい。でも、自転車のってて、降りて歩くってのは、とっても苦痛だ。自転車ならスイー(とはいかないけど)とはしってくれるのに、降りてしまうのは、もったいない。トライアスロンの選手に「降りて走るって、腹立ってこない?」など聞いて、気分がいしてしまったことがある。登りで、クソーと自転車から降りたくなくてがんばるって、こんな気分からなんだろうか。神社さがすの、やめた。

比和に下ると、雨にけむる景色が、すばらしく豊かにみえる。
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優雅にさえ感じる。この山地の中央に。こんな景色があるのか!
峠の表示は、きっと比和からおこなわれたと確信した。ここへ、くるなよ!って。
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by forumhiroshima | 2009-07-30 19:30

馬木マント

1963年に発行された島根県の民俗という報告書に、大馬木の集落が記載されている。

馬木はマキと読む。牧場を想像した。報告書に「古くはオキンマ・隠岐馬を使用していた。」とある。また戦時中に軍から無償で馬の貸し出しがあって、必要時には徴発するが、そのまま2年飼育すれば、無償貸与になる制度がここにあったともある。馬の飼育の経験がここには古くからあったことだろう。牧との想像もまちがってはいないようだ。

集落に新しい神社があった。「剣社」とあって、圃場整備でここに移転されたものだと、石碑があった。
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このそばの川をくだると、鬼のしたぶるいから、鉄山師の糸原家にでる。やはり報告書に「標高700m以上に棲息するフロリという草で蓑をつくって、売出していた。よく売れ明治41年に販売組合もできた。ここの山すべては糸原家の所有であったから、毎年210日がすぎると、糸原家へ、大正ころは5銭おさめて、フロリ鑑札をもらって、山へ入った。」とある。鉄山師の仕事にかかわる運搬は馬を使用したもののようで、糸原家とつながりが深い集落なのだろう。鍛冶屋が刀をつくっていて、「剣社」がのこってるのだろうか。

大峠は直接比婆山の山腹の六の原へはいる。小峠は比婆山の東の三井野原へ。地図には一の原、四の原の地名がそばに記載される。三井野原は三の原とのことだろう。ここはすべてカンナ流しがおこなわれた場所で、糸原家のいまもある大きな屋敷を残した原動力だったようだ。
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バス停がある。そこにナントカ分れと地名がある。中国山地では、分岐は落合とか出合とかが多い。分れも近くで「宮内分れ」が浮かぶが、信州の追分のようで、すこし寂しい感じ。ここでは、そんな情緒もなくて、仕事場への指示書って感じだ。
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雨が小峠にかかりだした。自転車用のレインウエアーは、汗で内側がぬれ、雨で外がぬれ、いつか手首に水がたまってしまう。山用のウエアーでは、オシリの継ぎ目にはられた水止めのテープがすぐにはがれて、パンツのパッドが濡れて、お猿のオシリになってしまう。サイクルポンチョは、すぐに風にばたついて、あぶない。

鉄山で働く人たちが工夫した馬木マントを、使ってみたい。

三井野原から国道へでて、八川経由で馬木へもどってみた。これから美女原の糸原家へ。報告書には「馬木の家はM20年ころ、簸川から伝わった曾木・30×10×50CMの板の屋根になったが、瓦もM15年ごろに、石州瓦の製法がつたわり、集落に工場もできたが、S38年にはまだ広まっていない。」とあった。集落の家々は赤瓦ですっかりふいてある。東京オリンピックがS39年だったか?この変化は、これからどこへ?
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by forumhiroshima | 2009-07-18 13:35

パスハン

先日、自転車人という雑誌のライターから、中国地方の峠で、自動車の通行の少ないものをピックアップしてくれないか?と連絡があった。

要請をうけたあとで、はたして?さて?と思いだした。そこで山口県は、高知CTCの市川氏へ島根県はペアラレーシングの吉野氏へ丸投げと決めると、気分がスーと軽くなった。

昔々に文部省の山岳訓練所発行の全国の峠の標高の一覧表にそって県境をのぼったことがあった。まだ地道のでこぼこの時代だった。そんな昔は今語れない。

峠のリストに島根県境の吾妻山の西の大峠をいれて、ライターへ送っておいた。その作業中に吉野氏から三井野原のループの国道は、どうか?と提案があった。ここは文字どうり原っぱがトップでスキー場にもなったりする戦後の開拓地。峠のイメージは切り通しって固定観念が、自分にあったのか?リストには入れなかった。坂根というところから三井野原には七曲の古道が上がっていて、ここれループの車道をぶっ飛ばして降りるのも、いいのだけど、小さい登りのようにも思えた。
吉野氏によると三井野原から「小峠」とよばれる北西への舗装のルートがあるにだと、いわれた。このルートは知らなかった。文部省のリストにもなかったようにおもう。
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吾妻山の北の山麓は馬木・マキという場所で、ひろい谷をかこむ標高1000mを遠望できる、なかなかの迫力の景色がある。秋はすごい。ここには、吾妻山を信仰する遺跡が点在して、一直線に吾妻山の六の原へはいる道に一本のイチョウがすっくと立っている。いかにも凛とした景色がある。この峠が大峠で六の原には出雲峠という表示がたっている。が、もうこの道はブッシュにおおわれている。雑誌にはこの大峠という集落へ吾妻山の西の車道の尾根をぬける場所を大峠としておいた。

リストを送ったあと、どうしても「小峠」が走りたいとおもうようになった。雨の馬木へ出雲横田から走った。小降りになると、尾根に幾筋ものガスが昇りだす。これが「梅雨」だとおもう。このしめった風の中を走ると、呼吸が軽くなる。はずせない行事みたいなものだ。
峠はゆっくりと幅をせまくして、道がうねりだす。道そばに石碑や地蔵があらわれるち、ここから「森です」というサイン。勾配がおおきくなってくる。
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谷に最初に入植した場所を「迫」とよぶことが多い。谷からの水が地面にながれて、田畑へ引き込みやすい。井戸を掘れば、かならず飲料水が手に入る。上代・弥生の遺跡の田はこんな場所にあるのだそうだ。そんな地形のそのすこし上の尾根に、古い民家があると、証拠もなく「これがこの谷の最初の開拓者に家」なんて想像する。そして、地蔵た石柱の際の神が現れる。そして、不思議なことに、その上に民家があったりする。
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宮本常一はそんな集落をはずれた家は、その集落の「前衛」「門番」のような役目を持っていたのではなか?という。谷にひろがる集落の境がここにあるってことなんだろう。地域の広がりの終わりが、おおきな役目をもっていた時がそこにあるように思う。

小峠の坂にいささかヘバッタこと、後から車がやってきた。予想してなくて、路肩によって、これ幸いと足を止めた。車はヤマト便。さすがプロは道をしっているもんだ。暗い森にせせらぎが遠くからきこえる。湿気がたちこめている。と、ブスと足になにかが刺さった。でっかいアブがそこにおられた。ここが魑魅魍魎の森です。
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by forumhiroshima | 2009-07-17 14:27

skies

アメリカの航空会社の宣伝コピーに「skies]とあるときいた。「空」の複数形。空を複数で捉えるということは、すこし違和感がある。これは航空路線のことだというが、複数はないだろうと、思っていた。

神辺から西城へはしる国道182をできるだけ避けて、古道を登ってみた。百谷、高山、姫谷と山谷ということはなくて、ひたすら登り。古道のすこし上の国道をガンガン、車が走っている。谷底には小さな流れがあるだけ。この急傾斜に流れもすぐに落ちてしまうのだろう。

なぜ、ここに古道が延びているのか?を考えてしまう。眼下には古代「穴の海」といわれ、いまは平野となった景色がある。ここを登ることと、平野を耕すことと、どっちが大変か?なんだ。自転車ではだんぜん平野がラクです。
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尾根の頂上に、高山にしても姫谷にしても、古い井戸があって、ちいさな集落がある。姫谷から国道をはずれて走った菅町も、町どころか尾根の斜面に数軒の集落とおおきな寺院だった。このパターンもこれまで油木高原では、そこかしこ。
菅町の緑に包まれた古民家にあるシダレ桜も緑。そしてその上に大きな空。見渡すと、幾重にも重なる同じ高さの尾根の帯と空。

尾根からの下りは、九十九に重なった古道がそこかしこにある。これは、登りやすい。ついつい下りては九十九をあがってみた。古道も車には、まったくむいてない。軽四でも路肩は運転席からみえないだろう。ふるびた納屋は土壁が落ちだしている。梅の木は実を道路いっぱいに落として、轍分だけつぶれている。たんぼなぞ、まづ見かけない。分岐ごとにコースをかえているうちに、「オレ、今どこ?」

とにかく下ると、やっとおおきな車道に。山野町。じゅうたんになった田と、とうとうと流れる川。
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小高い場所に鎮座する寺院。すこしの工場と、民家の家並み。その上に尾根に囲まれて、やっと雨があがった空に日差しが入ってきた。
町の西に、馬乗山が見える。山頂に観音堂がある。「昔長者の家に少女がやってきた。疲れてる様子に、家にいれてやると、いついてしまった。長者が仕事から家に帰って、少女が用意してくれた足洗い桶に少女が観音様にうつることに気づいた。ある日少女は白い馬にのって、でかけるあとをつけると、山に登り、そこの桜に馬をとめて、天にのぼって消えてしまった。長者はその場所に観音堂をのこした。」

中世、いくつかの集落のまとまりのある場所では、死者をおくる谷と、その魂がのぼる山が、東と西に置かれていたのではないか?という。そのまとまりは、いくつかの山から出る水のまとまりでもあって、それを「字」とか「名」とかとしてくくり、地名が置かれるにだという。
山野の空は川の流れの上に、おおきく円く尾根で囲まれていた。このようなまとまりをこれまでいくつも見てきたようだ。「skies」と、いれるのじゃないか、と。
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by forumhiroshima | 2009-07-10 16:58

茅の輪

福山・新市のスサノオ神社のひろい境内の巨木が池に浮かんだような、雨が続いている。もやった白い空気の中に本殿右の天神さんの灯篭がオレンジ色ににじんでいる。
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備後国風土記に、「疫隈・エノクマの国ツ社。昔北の海にいまし武塔・ムタウの神・・・」昔北の海から南の海の神の娘をもらいに来た神様がいた。武塔神という。日暮れて、ここ備後・疫隅で、宿を大きな屋敷のある家に求めた。主は「惜しみて貸さず」。しかたなくその主の兄で貧しい家にたずねた。粟ガラをひいて、粟の飯でもてなした。後に南の海から帰還したさい、ここに再訪した。兄に神は尋ねた。弟の家にあなたの係累がいるかと。娘と妻がいる。ならば、茅の輪を腰の上につけるように。そのあと神は弟の一家を惨殺する。ただ茅の輪をつけたものを除いて。そして神はいった。「吾は速須佐の雄の神なり」。

この兄弟一類を蘇民将来という。

店近くの神社では先月末に境内に茅の輪が設けられ、八の字に参拝者たちはくぐっていた。暑気払いであり、無病息災のおまじまいだ。八の字は、この神は海から帰還したさいつれていた、八柱で、これが八王子となる。

スサノオ神社には、茅の輪はなかった。ここのお祭り「祇園祭」は七月にはいってからのようだ。この茅の輪が京都・八坂神社へ登り、「京都・祇園祭」となったという。

出雲から備後へはいる峠に王貫峠・王居峠とある。王は天皇が隠岐に流された経緯からといわれるが、スサノオの出雲から、ここ備後・新市へ向かう王はスサノオでしかない、と勝手にきめて、ここまでやってきた。神社の横をJR福塩線がとおる。そこに踏み切りがあって、この踏み切りに「天王前踏み切り」とある。ナットク。
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風土記が作られた八世紀に、出雲国風土記では、地元の有力な神の一人であるスサノオが、ここに出現している。同じ時期に一方奈良の朝廷で編纂された古事記・日本書紀では、出雲神話の主人公がスサノオである。

いま新しいインフルエンザが、発生し薬がきかないといわれ、不景気に、おかしな中央政治の中、「アナタ」茅の輪くぐりしてみよう!と、思いませんか?
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by forumhiroshima | 2009-07-03 15:14


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