こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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地方の時代

えらく「地方の時代」がいわれる。これは、大阪の知事さんの功績で、うまくいけばいいのだけど。歴史社会学という、難しい学問の先生が「元来、日本という国は、二十軒ほどの集落が盆地や谷間に自給自足しながら成立した地方をモザイクのごとく組上げた国・地方の国なのである。この国土と、そこに住む人々は、宿命的に地方分散的に配置されてきている。それをいまさら・地方の時代・だというのは、明治初期の地租改正以来の中央集権体制が、いかにまちがっていたか、という告白にほかなるまい。加藤秀俊」といっている。

先日やっと島根県周遊サイクリングに終止符をうったばかりなのに、昭和38年東京オリンピック前年・わたしが高校生のころの、島根県下30地区民俗緊急調査報告書なるものを入手した。おとずれた「地方」たちの詳しい生活が記載されてあって、これもっと早く読んでれば!と。
そこには、その「地方」が、たとえば、大馬木には、瓦工場ができてるが、まだ少ない、とか、ここは古くから隠岐馬を使ったところであるとか、記載してあった。
今このような民俗調査なんておこなわれないだろう。みなTVみて、スーパーで買い物して、自動車で移動している。これで「地方」は?

吾妻山へ入る古道の脇に石灯篭があった。そこに、「比婆山神社参道道の原標にして・・建立。天保年間当地豪族、枝木植左衛門。六の原の全盛期には当地の土民たちの人や駄馬の道と伝えられる。」
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比婆山の西の越原に比婆山神社はあって、六の原は比婆山の東になる。この道は西の大膳原から越原へ。途中で分岐して、出雲峠をこえて六の原へ。標識はどちらも正しいことになる。
比婆山は美古登山と呼ばれたようで、山南斜面の西城にはこの名が残っていて、小学校もこの名がついている。イザナミ命なのか?山頂の御陵は、どうして、だれが、と思う。不思議な神々しさが、みあげる山並みに漂っている。
その標識のある側に橋が架かっている。鉄穴谷橋とある。比婆山・吾妻山は砂鉄生産の中心地だったようで、この製鉄事業は仁多の絲原家がおこなっていた。すごい数の人々が働いていたようだ。民俗調査にここらの山はすべて絲原家のもので、山に入るための鑑札を絲原家から購入していたとあった。

川をすこし下ると、石碑がある。
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林道開設記念のもので、昭和55年のもの。そこに横田町森林組合長・絲原義隆と掘り込んである。糸原家住宅という重要文化財でしか知らない、絲原家は、厳然とこの地方にあるのだ。そばに書かれた、横田町町長佐佐木高行という名も、この地方ではたくさんある。尼子氏の主人方が佐佐木氏、民俗資料に大馬木から尼子へ、ここの豪族馬木氏からの嫁が入っていたが、毛利氏に負けてしまった、とある。石灯籠にあった枝木植佐衛門って、植林の親分みたいな名は、この森林組合長の祖先なんだろうかな。それにしても、土民はないよ。
けっこう「地方」があるじゃないか。でも、この「地方」古いよな。重苦しい「地方の時代」がくるのかな?大阪の知事さんは、地方のお殿様ねらってるのかな?

帰りの小峠へはいる。たくさん、ここまで自転車で登ってきた。もううんざり。自転車より、やはり「馬」がいいな。自動車もエタノールという穀物くって走るらしい。それくらいなら、馬はもっといいだろうに。クリーンですよね。美古登山へ馬で登る!いいですね。
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by forumhiroshima | 2009-08-28 16:08

回峰

修験者の修行に、回峰というのがあって、たとえば比叡山の尾根を伝い京都の町へくだり、また登ってくるコースや熊野の修行道などで、現在もこの修行がつづけれているという。

先日の「夏走り」は、幹線道を通らず、トンネルもない。で信号もナシという要件で古道・田舎道をつづるコースの設定ではしっている。が、比和と高野の境界の王居峠は古道崩落で、トンネルに入るしかないことになる。そこは、崩落の上を担ぎで通り抜けたのだけど、コースとはいえない。それが、なんとも悔しいのだ。そうおなると、いくつかのルートが想定されるが、幹線道であったり、単調な道でおもしろくなかったりだ。
その中で西城から熊野神社を経由して、比和・越原へくだり、そこから吾妻山の西斜面から、島根県大馬木へくだるコースが気になった。この越原から吾妻山へは走った経験がない。
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また、お盆に亡くなった友人のことが、どうもどこかにひっかっかって、落ち着かない。先日の「走り」で、丁度この比婆山へ登ったところで、葬儀の知らせをもらったのだけど、前夜入っていたメールで死去のことは、知っていた。雨の山中だからか、この比婆山への登りに、なにか後に白い陰がついてくる。雨でガスってるからかと、気にしなかったが、数度振り返ることになった。そして「ついてこい」と彼の名を呼んでしまった。彼と越原の比婆山神社に参拝した。そのあとに崩落現場の峠にであって、すっかり忘れてしまっていた。これが、気になっていた。葬儀の知らせを受けたときには、二人だった。そのあと彼はどうしたか?気になるのだ。

古事記に火の子供を生んだイザナミは死んでしまうのだけど、その墓が比婆山にあると書いてある。その墓という場所は全国にちらばってあって、どれも宮内庁管理と重いものになってる。この島根県との境の山を誰が比婆山だといったのか、は不明なことだけど、比婆山全体を俯瞰できる場所でなければ、そんな場所だといえないだろうと思う。
西城から熊野神社へ国道脇の鳥井から入る道は古事記の道と名付けてあって、そこかしこにここに残る伝承が記載されている。が、熊野神社から山頂への登山口はあるけど、比婆山は見えない。ここを神の墓所としてみた人々は、やはり北斜面の大馬木の人々だろう。

比婆山神社に参拝して、背中になる比婆山連邦に合掌。スキー場から登りになる。比婆山とすぐ西の吾妻山の間に、大膳原という平地があって、ここへ大馬木から大峠道が登っている。比婆山にも大膳原にも牛・馬の放牧に記憶もあって、馬木・マキの地名も牧場・マキバを連想させる。この山が古く知られていたことになる。
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道は広葉樹の森のなかを、つっくりと高度をあげてくれて、標高900mをこえる峠にしては、年寄りむきである。こだわった「夏走り」コース正規版決定!

大馬木への下りは快適なもので、車がやってくる頻度はすくないだろう。集落には、広い空とそれをきっきりとさえぎる深い山並みにあって、青々とした水田と赤い屋根の家々にたたづまいは、なかなか中国地方ではおめにかかれない。おおきな山はなぜか気分を広くさせてくれる。

ふと振り返ると、道のそばに一本のイチョウに独立樹がある。逆光のなかに、黒々とそびえる山塊の、ちょうど大膳原に、天にむかってスックとそびえていた。神の指が天を示している。彼はたしかに、比婆山へ、天へ登った。
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大馬木から小峠へ。三井野原から西城へ。坂の連続に、すっかり、まいってしまったけど、回峰終了。といっても、道でぐるりと回っただけなんだけど。あとは温泉だ。
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by forumhiroshima | 2009-08-27 14:48

神話の道

出雲大社は閉門があって、先日の走りでは簸川でこのタイムアウトになってしまった。大社はいま修復工事中で、境内奥のスサノオ社も参拝できないのだけど、ここにある神話の道とかってに名付けたルートを走らないで、フィニッシュできない気分が残ってしまった。
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水曜日に簸川の伊志見の一里塚あとからスタート。ここには、水郷だった簸川のふるい匂いがただよっている。船が岸につながれて、ゆらりと風にうごいた。

簸川の町は斐伊川が西から東へと流れを変えた古代に宍道湖にできた砂州がひろがったという。その通りに南北に道が対岸の平田まで走るが、東西にはすぐに行き止まる。あみだクジそっくり。その中に、古代にまず出来た砂州の場所に神様が鎮座する。いくつも白砂だとか沖洲だとかの神々がおられる。「そうか!ここから今の簸川平野が広がったのか」などと、時空をこえる感覚を持ったりする。
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そのなかに沖洲天満宮が中学校の横に鎮座する。
「ノミノクスネの社が土師の原にあって、奈良時代の洪水でここに流れ着いた。元に返そうとしたが、ここに鎮座したいとのお告げでここに祀った」と表示がある。ノミノクスネは古代に天皇家の葬祭一切をしきった部族であった。時代がすぎて、その職業により世間がよくみないと、改名を申し出て「菅原」の姓もらった。その一族に菅原道真があって、道真信仰から天神とここの神様がいわれるようになった。野見と漢字になるが、能美、能美もその一族のなごりだという。ハニワをつくった人々だともいう。砂が堆積すると、その底に粘土が帯状にたまってくる。これを掘り起こして、焼き物にする。そんな場所に「ノミ」の名がつくのだそうだ。

さらに平野を西へ、あみだクジのようにカクカクと走ると「鳥屋神社」が斐伊川の土手ちかくの田園の中にみえる。
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古事記には、出雲国譲りに反対したオオクニヌシの次男タケミナカタは、ここで国譲りをせまったタケミカズチと一騎打ち。この争いのタケミナカタが敗北。信濃・諏訪までにげて降伏。そので諏訪神社の神となったとある。ここから土手へあがって、斐伊川を渡る沈下橋を越え、対岸の土手を下ると「鹿島神社」がある。ここが勝利したタケイカズチの神社。
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このそばの古道を北上すると、一畑電車カワト・川跡駅。斐伊川が古代西にながれていた分岐点。出雲平野も簸川平野も水路は斐伊川から引かれる。分水嶺が川の本流になる。それほど斐伊川の川底は高い。
駅から古道を北上して幹線道を桜土手でこえると、地元で「山手往還・石垣とモクセイの道」と呼ばれる車一台がやっとの幅で大社の東門までつづく。
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ここにあげた神々は出雲国風土記には記載されていない。それでも神話の道。8世紀になかった伝説が、いまここにあるという不思議。でもそれが、そうであってもいっこうに不思議でなくて、そうなんだ!と思う不思議。です。これが出雲です。
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by forumhiroshima | 2009-08-25 12:18

旅人

自転車の旅といっても、自分の実力ならすこしの移動でしかないのだけど、300km400kmなんて距離平気な人たちと、きっと同じ「旅人」って気分にさせてもらう景色がある。

移動するだけの時間にも、すごく印象が残るのは、道そばの独立樹に出会うときだ。多くの道は拡張されて便利になっているのだが、いっぽうそこにあった街道松や一里塚は撤去されてきた。そんな時代にもしぶとくのこった独立樹にであうと、脳裏にきっちりインプットされて、すごい距離をすごい速さで、それも自転車で移動する実力者たちも、同じようで、あそこの「樹」は、共通の話題にでてくる。

今回の「夏走り」にも、その独立儒に再開した。あの木なんの木・・のコマーシャルはハワイの木だそうだけど、その歌を歌いたくなる。きっと、ずーっと昔から、そんな感情を行き交う人々に与え続けてきたのだろう。
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もう一つ、とってもうれしいのが湧き水を飲みやすくしてある場所。自転車では、ころほどありがたいプレゼントはない。そして、どこでも「ウマイ」水。旅してよかったと。
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by forumhiroshima | 2009-08-24 11:44

廃校

油木から西方へくだって、それから北上する古道は道幅が車一台ほど。ちいさなカーブと、アップダウンをくりかえす。神石高原は平原を川が深く切り込んでいて、石灰岩の台地と水の合作だといえるが、そうなっているから、車道をつけるには、たくさんの橋が必要だろう。だからこの古道が、古道のまま、いまに残っているのだろう。
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この道沿いに、文化財指定といわれても納得する学校が点在する。すべて廃校。
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古道にはいくつもの分岐があって、その先に数軒の集落があり、その先の渓谷へくだる道は廃棄されて、行き止まりになる。この一帯にはその道路を全部走ってみたくて、数回やってきた。その度に残った学校の美しさに見とれてしまった。
行き止まりの集落へぶつかると、なぜ、ここで暮らすのか?どの生業があるのか?と、まったく予想できない自分との落差にたじろいで、なぜか、また走ればその訳が見えるかもしれないと、徒労とおもいながら、でも家々のたたづまいと、学校にみとれてる。

この夏もこのコースをいれておいた。学校の卒業生たちは、もうすっかり都会での生活の中だろう。なつかし学校がそのまままっていてくれると、わかっていても、ここへ帰ることはないのだろう。この学校がつくられたころの希望は、都市への希望だったのだろうか?それでよかったのだろうか?

幾度おとずれても、きっと、美しいとおもうにちがいないが、その理由はわからないだろう。
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by forumhiroshima | 2009-08-23 15:56

聖地

8月15日西城へ峠から、雨が本降りになってきた。お盆の墓所を通るとそれぞれに献花されているが、備後の国ではシキミの枝が供えられるらしい。安芸の派手な灯篭や生花を供える習慣の違いに驚く。町近郊のお地蔵さんは、献花のあつかいもなく、草にかくれているが、このあたり県北は、辻辻のおじぞうさんも菊の花が供えてある。雨にけぶる緑にひときわその色が飛び込んでくる。
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西城川を北上して旧県道が幹線道と交差して熊野川をトレースする。いよいよ比婆山の中央へ上り始める。比婆山連峰の毛無山へ入る車道から、尾根越えに比和へ。細い道が一挙に高度をとって、雨が息する口に入ってくる。暑いし寒い。
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昨晩友人の訃報がメールにあった。電池マークが赤くなって、返事をしていない。山中にいると、俊敏な対応がとれないこともあった。すっかり濡れたシャツを、予備だが濡れたシャツと着替える。そのほうが、冷えないように思える。が、気分すこし天候と訃報のダブルパンチで晴れない。

越原・コッパラへ下った。廃止されたスキー場が、みょうにケバケバしい。ここから北上して比婆山の西の吾妻山をぬけると、大馬木へくだる。今回のコースはそのもう一つ西の峠をくだることにしている。越原の数軒に民家が点在する谷に、比婆山を正面にすえた比婆山神社がある。
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大馬木からこの越原へはいる峠が大峠。その分岐に石灯籠がある。

比婆山は西城からは望むことはできない。前山にかくれている。が大馬木からはその全貌が見られる。比婆山神社を越原においた人々は大馬木の人たちだとおもえる。そしてここを越してきた人たちも大馬木の人たちだろう。大馬木からみた越原。
自分もふくめて、死者の魂は山へあがると思うのが自然だと。そこに山への信仰が生まれ、その山を聖地と感じるのも自然な感情だろう。その魂たちを神として、その山頂と対峙する遥拝所が神社になることも自然なことだろう。山頂を正面にする、この越原は聖地だとおもった。
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携帯が鳴った。まだ電池生きてるようだ。葬儀の連絡があった。オレはここで礼拝する。

すこし下って、この集落の最後の家のそばに「ヒジリ岩」があった。ヒジリは聖のことだろう。この岩は山頂と関係してここにあって、少しずつ、ひじって動く伝承があるという。離れるのか近寄るのか?死者を送る人々の、各自の思いの有り様で決まると思った。
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by forumhiroshima | 2009-08-22 12:53

伴走

岡山との県境地帯・福山市の北部から神石高原町一に複数の自然歩道に指定されたルートがある。自然豊かな一帯の中山野野営場から猿鳴峡の渓谷ぞいの中国自然歩道へ入った。
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神石高原の山並みから降りて、この渓谷を南下した際、いきなり野営場があらわれた。自然の真ん中で暮らす集落から、自然を楽しみとして滞在する時間をもつ場との、断層をつよく感じた。できるなら生活の場を厳しくても自然の中にもちたい、という希望のはしっこが野営場にあるようだった。

野営場までは、夏休みのひさしぶりの晴天でいくつもの車に追い抜かれれる。でもそこをすぎると、車にであうことがまれになる。杉並木の間から、滝になったりよどんだりする清流の音がうるさいほど。猿が鳴くという名は、どこかさびしくて、渓流の音のなかに探して泣き声をききたく耳をすましてみた。
その時、横にロードレーサーが現れた。すこし前のツールのチームのジャージ・マペイを着た三十歳をすぎたロードマンだ。
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水曜日の休業の日だけ走る自分は、まずもってソロのツーリング。複数ではしることはない。速い人と走れば迷惑かけたくないし、遅い人とは、無理させたくないと昔おもったことがあって、(今は単に遅い人です)一人がいい。マペイ氏は追い抜くことなく「ここは好きなコースです」と話しかけてきた。「よくゆく四国の杉の森の道のようで」彼は岡山の笠岡に帰省していると話した。四国は杉がきれいだけど、急坂だらけだよーん。「秋には沖縄走ろうとおもってます」ツールド沖縄の登録カテゴリーらしい。速そう!さきにいってよ!!
渓谷に道はゆっくりと高度あがてるが、このあと一気に急坂のコースにかわる予定だ。それでなくても、ピッチが上がってきた。ここから?「世羅へぬけたい」そうなら三和へでて幹線道でふたつほどの山越えかな。「幹線道はいやなんです」「どこへ」こんな道をつづって出雲へ。「午後おそくには帰宅したいので、すこしご一緒に古道教えて」古道フェチとしては、この際古道とは?なんてやってみるか。

そこで道端で地図広げてコース説明会開催。マペイさん地図もってない。さすが!走る自信ができると、こわいものナシって人たちにたくさん会ってきた。彼もそうなんだ。でも地図から古道読むの面白い。
これから走る地図の細い実践はお寺の正面に入ってる。参道だったとうだ。このお寺きっと大きいだろおうね。古い道にある郵便局はまだやってるのかな?。便利さが、採算にとってかわるこの時代ってことだね。自転車乗るって、採算ないよね。

いよいよ急坂に入る。先にいってください。これ以上速くなりません。が、トップじゃ待ってて。マペイさんそばのお地蔵さんと茂みのなかの小さな祠みてた。お地蔵さんは馬の慰霊が掘り込んである。祠は荒神さんだろう。そして6つのお地蔵さんがその向こう。六地蔵があるってことは、やはり参道なんだろう。祠は才の神さまかも。「おもしろいですね」幹線道ではみあげる場所に標識ですが、古道は目線に情報ですよ。この道をゆきかった人々にであった気分があります。なんて古道説明会をやってしまった。峠の分岐で彼が知ってる場所へ。自分は油木の町へ。
やっと、登りが歩けるぞ。
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by forumhiroshima | 2009-08-21 14:38

通行止

古道をとるとしょっちゅう「通行止」にであう。地図から迂回路をさがして、サイク、ちょっとダメだった、で終わるのだけど、今回は、なぜか古道・田舎道トレースにこだわっていて、意気込みがちがった。

駅家から服部池湖畔を北上すると、いきなりがけ崩れ通行止にぶつかった。
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さすが、しょっぱなの古道ヒルクライムから、こうかと先行き不安。でも今はお盆休みで工事関係者も現場にはおられんだろうと、マア自転車はかつぎよ!と、登りはじめた。せせらぎの音と木漏れ日の道は、がけ崩れがあったようには、おもえない。すると、道を倒木がさえぎっていて、路肩が道三分の一ほどながれていた。倒木はすでに二分割されて、走っていても大丈夫。今年の夏は雨ばかりだったよな。なんて気分はかるい。幹線道への出口はカラーコーンでふさがれていた。自転車かついでよっこらしょ。
そこへカブにまたがったおじいさんがやってきた。この道はダメか?いやカブならOKよ。と、いらんこといってしまった。なんせ、いまカラーコーンまたいだのを、見られてる。おじいさん道のことより、自転車に興味深々。自転車は幾らか?どこへゆくか?どこからきたのか?。マー普通の質問。「あんたー、強いよ」ヘッヘhッヘ、誉められちゃったよ。強行突破してるのに。おじいさんも強行突破。
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翌日、ザンザンザンと雨がふる。コース最高地点の比婆山尾根越えから、次の峠「王居峠」へ。ここには幹線道にトンネルが出来ている。そこへはいる幹線道の高架の下に、九十九で古道がある。そしてトンネルの上の尾根をぬける。
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この古道入り口に通行止。まーここも強行突破よ、と落ち葉のつもった道を登る。大きくターンするところに、どっかり崩落。雨の中崖を抜けるコース考えた。現場確認されたような足跡を見つけた。崩落は7mほど。でかい木が横たわってる。ならばと自転車担いだり、杖にしたり。最後は自転車おっぽりだし。
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で突破。するとまた倒木。ここはくぐって突破。もうびしゃびしゃ。峠をぬける場所にはなぜか通行止めの表示なし。だれも通やないのだろう。この道これで朽ちてしまうのだろう。すこしさびしい。
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by forumhiroshima | 2009-08-20 19:36

宿

ツーリングで宿泊となると、だいたい町のビジネスホテルにしてきた。そこに、また近くにコインランドリーがあること。雨でも、翌日乾いたものが使えるから。

その原則を今回は守らなかった。好天の予報もあったけど、備後の国めぐりで不思議な旅館にであった。幹線の道にベージュに茶のカンバンが出ていた。
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落ち着いた色調のそれを設置した旅館は、はたして?と、わき道へ入って、旅館を見物に。
旧街道に二階建ての木造が数軒ならんで、その一軒が旅館だ。カンバンのオシャレな印象とすこし違ってもみえたけど、宿泊してみたい。
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この夏のコースはこの旅館があって、こじつけて古道・田舎道としたところもある。どうしても・・と強くなにか難じたのだろう。電話はカンバンから知れていたが、機会に訪ねて予約した。「うちでいいのですか?」はその時のおかみさんの返事だったが、広い土間と上がり口の奥にみえた、ステンレスが光ってる台所が、きっとたのしい夕食を用意してくれそうで、「よろしく」と。

予定より30分遅れで玄関の引き戸を開けると、「いらっしゃい!お風呂用意できてますよ」「すぐに夕食にしましょう。」異議なし!!
お客は一人だけ。ビールビール!と叫んで、二本目になったころ、やっとおかみさんが、食堂のテーブルの後で食事とってるのに気づいた。

ここで旅館?って、不思議だったのですが?。そうです、親類もそういってます。で、いつごろからの旅館ですか。ここは役場があって、西城-東城間にバスが走っていたころ、この周囲の人たちがここから関西や広島へ出るとき、利用した場所で、うちの他、この近所はみな旅館だったのですよ。残ってるのはウチだけです。内装を新しくしたので、マー続けようって思ってるのです。道後山のクロカンパークなどで合宿される学校の生徒さんもこの9月にやってきてくれます。もう、ずっと前ですが、時々若い方が自転車でこられたりしてました。私も新見の出ですが、通学は自転車でしたよ。

部屋も廊下も階段もチリひとつない。お風呂や洗面所はユニットになっている。爆睡した枕元に、蚊取りせんこうがあった。寝る前にはなかったはず。開け放しておいた窓も閉めてある。早朝に出る予定で、朝食は遠慮していた。でも、食事のあてがあったのではない。旅は出たとこ勝負、だし、遅い朝食時間をまっているより、走りたい。そのほうが道中を急がなくていいのだ。
が、おかみさん、私のところは6時にお弁当もって仕事にゆかれるお客さんもおられるのです。いつ出発ですか?。えー、そうですか。と、遠慮見抜かれていた。何時に食事、何時にチェックアウトなんて、おしつけられる時間が普通とおもってる自分は、すぐに野宿なんて発想するが、いやはや、旅館はこうなんです!と。これが旅館なんですと。
部屋へ上がって、もうダメ寝ます!のとき、おかみさんが「土井さん、自転車パンクしてますよ」エー、今日三回目のパンクです。「朝直します。寝ます」新しいタイヤも古道では負けるらしい。ピンピン小石はねてはしるのだもんね。でも、タイヤのカタログにあった耐パンクの性能・・・。まー、使ってみなきゃわからんわい。

朝の食事に、昔のここらを訪ねた。廃校になった中学校もある。できて20年なんですよ。もったいないことですね、とおかみさん。郡に役場は?。すぐそこです。幹線道の裏になるこの通りにガソリンスタンドもある。いちょうの木がつったてる広場に。ちいさなコミュニティーセンターがある。旅館がある。
ここにあった賑わいの残りの空気をやっと判別できだした。山中に点在するちいさな家のあつまりが、それぞれに、生き生きとみえてくる。すぎさった時間が帰ってくるのを待つのでもなく、今の流れに漂っているようにもみえるが、その持続が出来さえすれば、また時代は転換するものだと、住人たちは確信をもっていると、すらおもえてくる。

備後・八幡郡・森が旅館の地名。古代におかれた郡は、いま庄原市となっている。島根県八代に郡・コオリの地名が残る。郡上八幡の盆踊りのニュースがもう少しでTVから、ながれだすだだろう。コオリ-コリ-モリと発音が流れて変わったとも。ここ森にはいくつもの八幡神社と、おおきな杉の森が、点在している。
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by forumhiroshima | 2009-08-18 14:03

予報か、修正か。

さてと、福山駅に新幹線は6:30到着。走るか!

一泊二日の装備は雨の夏のやっとの晴れ間という天気予報にしたがって、軽装。ウエストバックのみ。駅家のスサノオ神社へ、芦田川の右岸を選択。ここは信号なしてゆける。なにせ、今回の福山-出雲間を国道ナシ、信号ナシ、トンネルナシのコース設定。それに敬意を表してしたがったアプローチにした。
d0089494_18402.jpg


スサノオ神社に着くころ、だいぶ距離走っても、今日は調子でないなー。なにかあるかも?と予感がいっぱい。駅弁だけで、ビールやらなかったのが原因だろうが、いまビール飲めないという、ツーリングとしては、いたって真面目な心がけが、どこかの身体のなかで、ブーたれてるのだろう、と走り出した。高原の油木へはここしかないという古道の道へはいると、通行禁止のカンバン「崖くずれ」。お盆だし作業はないだろう、自転車担ぎが待ってるだけと、強行。

久しぶりの晴天で、びっしょりとぬれた路面に木漏れ日が輝く。古道らしく九十九にツヅラに高度をとってくれて、いたってラクチンな登りで、油木までの標高の四割がこんな感じ。自転車はゆったりとのぼってゆくと、しごくありがたい乗り物なんだ。直線の斜度◎%の車道なんて、とんでもない。

今日の宿は東城のまちから北上したちいさな集落のなかにある。どんな時間がまってるのだろうか?通行禁止の原因の崩れは道の端ほど。軽四ならラクラク通れる。強行成功。

順調にコースを重ねてゆく。走ったことがある場所だけに、ところどころで、思い出す景色が現れる。ここは右です、と確信もってまわった角から、どうも、アレ?の感じ。これぐらい走れば大きな車道にでるから、そのまえにまわる古道の入り口があらわれない。それどころか、すごいスピードで下りだす。
違う!という確信をうわまる、車道を上り返すツラサが、アットの間に傷口をひろげる。江の川VS高梁川分水嶺のカンバンをみるまで、走ってしまった。このままでは確実に庄原へでてしまう。宿に遅れる。

シェラフなし。旅館に申し訳ない。携帯を取り出すと、電池アカマーク。「遅れます」「安全にきなさいよ」「ハイ」

おばさんの12km片道の自転車通学のはなして盛り上がっていたら、TVが明日は雨と予報。もう予報の資格なし。修正といえばいいのに。

朝やけの空に虹がかかってる。
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今日はやられるぞ!中国山地の峠越えて集落に入ると。表示が20度をしめしている。寒いよ。
d0089494_1845256.jpg
やっと簸川に入るころ5:00のアナウンスが役場から出ている。アーア目的地「出雲大社」はきっちり5時終了。アーア。
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by forumhiroshima | 2009-08-17 18:05


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