こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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石碑

備後・府中から上下への往還で石州路は出口町から北上して坂根峠へ登っている。いま国道は府中市街から西へ芦田川にそって北上する。国道は川沿いに北上する。坂根峠は急坂の連続でとてもつらい。

その出口町はからの峠への取り付きに銅版をはりつけた表示があった。「ここで瀬戸内を制圧したスサノオ一行が出雲へと進軍しする際、海の民とわかれの宴を開いた。そのときここに生えていた茗荷を酒のさかなにした。それによって茗荷丸とここを呼ぶ。」とある。初めて神話で、その表示がりっぱなあまり、たじろいでしまう。それにすこし力入りすぎだよ、なんて思ったり。
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府中では銀山街道であったという出雲への道を石州路とよばれる。が、スサノオが動いた道なら出雲路だろうなんてもおもった。

府中から西へむかって、芦田川ぞいに北上する篠根にJR下川辺駅の旧道にふたつの石柱がならんで建っている。従是西芸州領、従是西広島領。ここが備後と芸州の国境というのでなく、このあたりが広島藩の領地だったからだという。芸州藩の飛び地がここにあった。
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なぜこうなってるのか?なにかあったにちがいないが?
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ふと、広島の府中町に神武天皇が九州をでて約7年あまりも滞在したという神話を思い出した。7年もなにしてたのか?と思っていた。府中町には多家神社があって、そこにめずらしい校倉作りの宝蔵も残されていて、安芸の国の国府だとおもっていたが、西条に国分寺があって、国府はまだ確定されていないようだ。でも神武天皇ご滞在の「埃宮・エノミヤ」のバス停もある。が、実は府中町では、総社跡のところと八幡宮のところが、このエノミヤの場所だと、争いがあって、その中間に多家神社を明治になってつくったと分かってすこしガッカリしたことがある。

どうしてなのか判らないが、その昔々から穴海とよばれた内海に面した備後・府中の安芸の国に神武天皇が滞在したとなれば・・・?出雲の神々に古事記に最初にあらわれるタカミムスビ命にと、豊富な伝承の場所に、また大物の登場となるな、と安芸の住人としては不埒な考えに浸ってしまう。

国道といっても、通行量もすくなくて怖ろしい思いもしなくて坂根峠にとりついた。登れば府中市へ帰る。きつかった。天気もよくて、暖かい気温で、だから暑くなってしまって、ヘトヘト。トップは地図にない四つ角の交差点になっている。そこに小さな石柱がたっていて、トップから南下できそう。このあたりには、この小さな石柱の案内がたっている。
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しめしめと、このルートに入った。すぐにダートになるが、なんとかロードのタイヤでもいける。メーカーをかえてパンクもなくなった。この季節は竹林が美しい、幹はすこし白くなって、はっぱが若緑に輝きだすと、そろそろ筍がいでましになる。雑木林のまだはだかの枝を背景にめだってくる。
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ダートをやっと抜けると、山ノ神神社の鎮座する高倉にでた。いくつもの山上の民家はほとんどが無住で、そのいくつかの家屋が倒壊していた。案内の石柱が墓標のように浮かんでくる。
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by forumhiroshima | 2010-01-28 18:10

白鳥

備後・新市の品治別ホムチワケ神社から北上する場所に白鳩神社があることに気づいた。
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この祀られるホムチワケ命は、イクメイリヒコ天皇(垂仁)とサホ姫のあいだに生まれた。サホ姫の兄、サホ彦が天皇の位をねらう謀反に妹サホ姫を抱きこんでしまった。謀反に気づいたイクメイリヒコはサホ彦を攻めた。防御するサホ彦の陣に妹サホ姫が逃げ込んでしまった。サホ彦を追い詰めたイクメイリヒコはサホ姫にこちらに帰還するように説得した。サホ姫は子供を宿していた。いよいよサホ彦の陣地へ火がはなたれる。サホ姫の出産が始まる。イクメイリヒコは子供の名を姫に問う。火の中(ホナカ)で生まれた子だからホムチワケにしましょう、といって亡くなってしまった。ホムチワケは年をとっても口がきけなかった。ある日白鳥をみて、モグモグとした。・・・言葉を取り戻すために出雲へゆき出雲の神に祈って、言葉をいえるようになった。(古事記)ストレスからなんだろうか?厳しい人生の出発だったようです。この騒ぎのあと、イクメイリヒコは出雲のノミノクスネを呼んで相撲をとらせる。いま話題の日本航空の御巣鷹山の事故のあと、相撲取りたちが事故にあった知人のために登りシコを踏んだ。鎮魂の神事だという。相撲会の話題の貴乃花のおもう改革があるとして、この神と相撲との伝統は半端じゃないと思ってる、

この出雲への旅は双胴船でおこなわれたと書かれている。おしゃれじゃないですか。すこし気が晴れます。新市は古代海にあって「穴海」の港だという。どこらに着いたのだろうか。うろうろしてみようか。

まず吉備津神社へ。ここから神谷・カヤ川の左岸東岸へ。岡山・総社の吉備津神社は加夜臣奈留美命が建立と記録にあって、だからこの川がカヤ??などと、なぜか妄想がどんどん広がる。ひろい幅の川岸と尾根が交差するところへ入った。道のそばや小路に祠がそこかしこに点在して、
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どこも真新しいサカキがそなえられている。
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路地そばに疎水がとうとうと流れる。
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家々は古びて、そしててんでばらばらに向いている。その間を路地が縫って走る。これこれ、これがグーっとくる空間だ。集落の路地があつまる山際に神社がある。「日本武神社」
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これにはビックリ!!!ヤマトタケルがここに鎮座されているとは。ヤマトタケルは伊吹山に登ってであった、白い巨大な、いのしいの形をした神の降らす氷雨にぬれ命をおとす。宮崎駿の「もののけ姫」では赤黒いイノシイがでてきたな。ヤマトタケルの墓は伊勢につくられたが、ヤマトタケルは白鳥となって墓を飛び出し、奈良へ留まるが、そこで作られた墓をまた白鳥となってとびだし、大阪の河内に降り立つ。ここでもまた白鳥となって、きえてしまったという。まさか、この備後においでになってるとは!といっても全国にこの白鳥塚とよばれたり、神社はいくつも現存する。
ヤマトタケルが伊吹の神に負けたのは、出雲でスサノオがオロチのしっぽから取り出して、伊勢のアマテラスにささげた草薙の剣を置き忘れたからだという。

この白鳥の伝説をもつ二人の神々が、出雲に救われたり、見放されたりすることで、古代の出雲のすごさを伝えているように思う。
ヤマトタケルは、ホムチワケのお父さんイクメイリヒコと再婚相手イナバノオオイラッツヒメの間に生まれたオオタラシヒコの次男になる。彼の母の父はワカタケキビツヒコ・吉備臣の祖先だという。この吉備津神社のある場所に神々が出雲とふかく関わってくる。すこし混乱してくる。

品治別神社から神谷川河畔を登ってゆく。すると正面にみちをふさぐように白鳩神社が鎮座していた。
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「おまえ、まだまだ判ってないよ!」と神々がさえぎっているようだ。出直してこい!って感じ。
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by forumhiroshima | 2010-01-22 16:05

ホットゾーン

府中のパーコレーターでだすコーヒー店のご主人と話しのなかで、彼は宗教にくわしい人だったが、ある場所に入ると、足元が暖かくなる経験をするといっていた。あなたは?と尋ねられたが、自転車だもんで、・・・。
が、ここは違う!としばし留まるしかないって思う場所にはいくつかであった。その「ちがう!」って場所が新市の品治別神社で感じた。
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大木に囲まれていても、まばらで冬の日差しが、ちいさな丘のふるいこぶりな社殿や合祀された祠をあかるくしていて、どうかするとこの周辺の民家の共同ゴミ置き場になりそうで、もう少しひろければ、きっと駐車場になってる、ほどの伸びやかさがあるのに、なぜか「違う!」

社殿のうしろに教育委員会の掲示板がふるびてたっていて、もう文字もかすれてるが、ここが縄文時代と弥生時代の遺跡だとあった。ここを伸びやかと感じる自分と、きっとゆっくりとした時間をすごした古代の人々とが、重なるとしたら、そう考えると、すこしうれしい。

成長しても言葉がいえなかったホムツワケが、出雲にでかけるとき、ついてきた「曙立王」に言葉を発することができだしたホムツワケの父の天皇がご褒美にあたえた土地が品治部で、伊勢にその土地がある。ここ備後国品治郡もそういったことによる名称だろうから、この神社のここでの時の長さを思ってしまう。

府中で一番大きな神社は府中八幡神社だろうが、こういっては申し訳ないが、ここに勧請されたのは15世紀なかばで、神様としては新参ってことになる。この神社の合祀されてる小さな祠のなかで、めずらしく石作りで扉が鉄製の「天目一筒神・アメノマヒトツ」を祀る神社にであった。
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この神様は文字どうり一つ目小僧だという。
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伊勢の神様で剣と鑑をつくる神様、金属精錬の神だ。家具つくりやダイカスト、建築資材が府中の基幹産業で、この八幡神社にはその業種の神々が鎮座されている。このアメノマヒトツ命は古事記でかかれる神々の最初の神・タカミムスビ命の息子だとある。その子孫は伊勢にあって、芦田臣となのっている。彼らが芦田となったのは、足痛アシタミであったからだと。足痛から一本足といわれる。そして伊勢にも奈良にも品治部と芦田部とがならんであって、ここ備後もそうなっていて、これが合併して芦品郡となっている。
口がきけない、目が一つ、足が一本の神々がここにそろって出現してくる。金属精錬の技術は神業、その作業からでる鉱毒の職業病からとも、神業は身体不自由な人々のもつ神秘さからとも。

「天目一筒神」のお父さんはタカミムスビ神で、高木神とよばれる。そう、この府中の山奥に荘厳な境内にその高木神が祀られている。
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これって、すごい!とこの思いつきに驚いた。

府中が備後国の国府であったことで、府中なんだけど、国府にはその国の神々が集合していないといけない、と古代の人々が考えた。国府を府中とよばず、となりの備中国では総社と呼ぶ。ここ府中の総社は小野神社で、本谷に西向きにとびだした尾根に鎮座している。ここに伝承がある。「むかし、伊勢の国より軍兵来たり、ここを攻めしとき、敗軍して神を置き逃げ帰る、里人小屋にこの神を遷し祭れり」

古代山陽道は府中から御調にのぼっていたが、いつしか神辺から海へ回り、松永へむかう西国街道にかわっている。その松永への入り口に伊勢神社が鎮座している。
七つ池を山上につくった人々のいまに残したホットゾーンが府中じゃないだろうか。
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by forumhiroshima | 2010-01-18 12:51

出口

府中市の西端に出口というところがある。ここに古い出雲往来の道がある。出口は府中から出雲への出口ってことか?と思っていた。
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新市の吉備津彦神社・備後国一ノ宮の側にスサノオ神社がある。この二つの神社の間に神谷川がながれて芦田川へ合流している。

古くはこのあたりが品治・ホムジ郡と芦田郡であったが、明治になって両郡が合併し芦品郡となった。ここが昭和29年に府中市がうまれ、芦品郡は新市だけとなったが、いまは府中市となっている。芦品郡という名は消滅してしまった。
品治・ホムジの名の元になったのか?と思える神社が神谷川の上流の金丸の集落にある。品治別神社がそれである。
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ここに祀られるホンダワケ命(ホムジワケ命)は成長しても、言葉をしゃべれなかった。垂仁天皇の御子としてうまれた。天皇はこの子心配しておられたが、ある日白鳥をみて声を発声した。すぐにこの白鳥を追いかけさせた新潟で捉えたが、それでもそれ以上の言葉は発せなかった。ある日天皇の夢に出雲の神があらわれ、原因は出雲の神を祭らないからだと告げた。天皇はホンダワケ命を出雲にやって、拝むと言葉をいえるようになった。と古事記にある。この品治別神社は出雲への旅のとき、ここに立ち寄ったことから、ここに造営されたという。
出雲国風土記には、同じ話が仁多の三沢の神アジスキタケネヒコ命にもある。この話を風土記に記載した郡司は品治部とある。アジスキタカネヒコ命は賀茂の神様で奈良の葛城郡がこの神様の所在だが、ここに品治郷と芦田がある。備後国新市の東に加茂の地名が残っている。ホンダワケ命が出雲へゆく時、この金丸を経由したこととあるが、ここは古代、瀬戸内海が入り込んだ、穴の海の津根という港であった。
古代の人々のうごめきが聞こえてくる。

ここから七つ池のある山稜の南斜面、芦田川に面したところに、諏訪神社がある。いうまでも無くオオクニヌシ命の子息で、出雲国譲りに抵抗した神様で、出雲から逃れて信州の諏訪に鎮座した神様が、ここに鎮座している。
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切り立った尾根から下ると府中の市街地に入る。そこをぬけて、出口の町を古出雲往来を北上すると、そこに甘南備神社が尾根中腹に鎮座されて、ここにオオクニヌシ命とその子息で島根半島の東端の美保神社に鎮座するコトシロヌシ命、オオクニヌシ命と国つくりをしたスクナヒコナ命が祭られている。神社で丁度新しい車の祈祷が始まっていた。
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府中にはりっぱな八幡神社があるが、やはり地元は出雲の神様びいき?なんだろう。ここは出雲関係者のオンパレードってことになる。どの神社も眼下に芦田川、古代の穴の海をみている。

ふと、「出口」は出雲から中国山地を通って、きらめく海に出逢ったときの、開放されたあの感覚ではないかと、思った。
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by forumhiroshima | 2010-01-15 13:25

喫茶店・佛蘭絁フランセ

備後国の首都・国府の所在地、府中。

路地と古道がだいすきな自分にとって、天国みたいな町を発見!って気分で備後・府中を徘徊しています。昔の出雲への通い道の瀬戸内の出発点がこの町だそうで、古代このあたりは「穴海」とよばれていた。いまも府中市街地は芦田川より低地になっていて、ここに五箇村用水が江戸時代につくられて、湿地帯が田園に変わったという。この用水路を暗渠にした道が縦横にあって、車も入れない場所も多い。

そのぶん、といっていいか?自動車をつかわない生活がそこかしこに残されて、とっても「なつかしい」のだ。それだけでなくて、国府の歴史の重みか?重厚な商家や、西洋建築とよばれる洋館が、べつに特別ってこともなく散らばってある。路地へはいって、また同じ場所にでたり、こんな所になんで、こんなお店が?となったりする。
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きっぱりと冬が来た!日にまた徘徊を始めた。古い商店街は道幅もひろい。この道はここに設置された私鉄の廃線にできたという。その裏どうりにちいさなオシャレな喫茶店があった。一度通り過ぎて、さきの三叉路の路地をまわると、またこのお店に前にでてしまった。なにかのご縁と、ドアをおしてコーヒーと灰皿をおねがいすると、スーっと冷たい空気がご主人から流れてきた。禁煙のお店か?それとも、コーヒーは香りからのおもいがあったか!。
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「自転車ですか」とご主人が、オレれて、灰皿・といってもテーブルにあったお皿を、引き出された。すぐにみがかれたグラスに水がはこばれて、やっと元の空気が流れてきた。「実はコーヒーはネルドリップとパーコレーターでだしたものをミックスしてます」「パーコレターなどとは、めずらしいですね」「オヤジが船員してまして、船乗りのコーヒーを教えてくれたもので、その手法でやっております。パーコレーターはサンフランシスコで求めたといってまして、これがないと私の仕事ができないのですよ」
自転車やとしては、仕事は道具だと、腕のなさを転化してのうのうと生きてる自分としては、道具にこだわった話には引き寄せられる。豆がどうこう、水がどうこうと、材料さえあれば、コーヒーができるような話は雑誌にはいつもあふれてる。親父の道具って、いい話だ。さすが国府で、さすが海に面した町らしい。というより、府中が今お気に入りだから、とっても楽しくなった。

コーヒーが運ばれて、ここではミルクはかっこつけてナシにして、すこしの砂糖で決めてみた。毎朝コーヒーなしでは、目がさめない自分だが、味は缶コーヒーでなかったら、OKレベル。でもこのコーヒーは初めての感覚で飲みやすい。

「おいしいです」。主人が満足そう。このスキにパーコレターを見たいとお願い。でてきました。ガラス製!。
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店内は古いテーブルと椅子が数個。
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ピアノが流れている。追加のコーヒーは、ブラックでいただく。表どうりの商店街が廃線跡ってはなし、ここでしこんだ話である。
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こと地図自信ないけど!。
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by forumhiroshima | 2010-01-14 12:05

ほたる、こい。

七つ池の北側になる池をすぎると登りが終わった。朝鮮式山城といわれる常城はこの東になる。朝鮮式といっても、これは半島から渡来した人たちによってつくられたものに違いない。それにしても、その建築資材を青目寺のあった急斜面をもちあげることはできないと、自転車でのぼった正直な感想。
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急坂の下りの正面の尾根の上に集落がみえる。地図に空木とあるところらしい。
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空とはそのものズバリ!そこに神社マークがある。そこへ。尾根から谷そしてまた尾根へ。そこに交差点がある。石柱の標識に高木神社とある方向へ入った。地図でめざす神社マークとはちがっているみたいだけど。
ナビゲーションが自転車用も売出されたと聞く。こんなときには重宝するにちがいないが、持つ気にはならい。高価でとっても買えないってことなんだけど、ここで、すぐに結果がでるってことが、このブラブラ自転車走りの楽しみを奪うようにおもえる。ナビをみる、スタートする、その簡便さが、なにかを失わせるとおもっている。スーンとうねりながら、判断する時間こそ、自分を強くしてくれるハズ!!
表示へ方向へ登る。するとこの尾根にあるマイクロウエーブの鉄塔が進行方向の右にでてきた。地図では左にある。間違ってる。神社はそういえばまだ地図のほかの場所にもある。
交差点にもどってさきほどみえた集落へ入った。その尾根のトップに神社があった。天野神社。
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ちらちらしていた雪がいっきに降ってきた。アットの間に道は真っ白。民家の犬がほえている。でも急いではくだれないのよ。細いタイヤがこんなとき心細いよ。

尾根をまきながら下って、また急坂。廃屋と民家が一つずつの谷をのぼると、また交差点にでた。ここの道用脇に対面して神社が二つ鎮座しておられる。すごく立派。石段もはんぱじゃなく長い。「高木神社」と対面すつ山田神社。
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九州・久留米に古代の朝鮮式山城か?といわれる神籠石のある高良山に高良大社がある。筑後国一ノ宮。その神社の神様が高木神。この思いつきに、自分ながらビックリ。
高句麗が高麗、で高良にもなるという。高句麗はNHKで放映された韓国ドラマ「太王四神記」の国。ヨンさま
よかった。この国は滅亡して、そして中国へ日本へと人々は散らばったといわれ、関東平野や琵琶湖周辺へ、もちろん出雲も越後も。瀬戸内へも。

童謡といわれるもので、作者不明なものがたくさんあるそうだ。ほっほホタルこい!あっちの水は辛いぞ、こっちの水は甘いぞ。この歌声は関東秩父の祭りの笛の音・ぴーひゃららだそうだ。韓い国からこっちへおいで。
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by forumhiroshima | 2010-01-10 19:06

天上の池

備後・府中に、山上に七つの池がならんでいる。七とつけば、小七郎、いかずばなるまい。
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新市の吉備津彦神社から北上して、ルートを西にとって、その池へ向かって登りだした。取り付きの場所は常城と呼ばれて、この山は「続日本紀」に備後国蘆田郡常城とあって、ここに朝鮮式山城が記録されている。8世紀のこと。

池へのぼる真ん中の切り立った尾根中腹に青目寺・ショウモクジがぽつんと鎮座している。古刹だそうで、そこへは池への車道とは別に直線にのぼる参道がある。そこへ入った。立ちごけしそうな急坂で、自転車を押すのも苦労。その途中に日吉神社にぶつかる。山王鳥居とよばれる、普通の鳥居のうえに屋根の木組みをつけた珍しいもので、近江の日吉神社だけにあるものと、思っていてびっくり。
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神社の真上はるかに寺がみえる。なかなかのスピリチュアルな展開になってきた。

青目寺はだれもいない様子、
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参詣の記帳をすれば住職がやってきて、お経をあがると張り紙がある。芦田川が強風に雲がながされる青空のしたにすこしうねって光っている。
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お寺から車道を登る。この尾根をこえると七つ池になるようで、それまで灌漑用水でも使うのか?とぼんやり思っていた池の存在理由がわからなくなってきた。灌漑のために池の口を開くとしても、この登りをあるいてあがっていては、日が暮れるというか、そんなことで池があるわけない。ならば、なぜ。

池周辺はすっかり整備されて公園化されている。堤もコンクリートで固められて、そのぶんどこでもあるような姿になっていて、日差しに粉雪がながされてくる中ですっかり汗をかいたのに、普通すぎると不満だ。標高は480mをこえて、それも急な斜面を蛇行にながらウラウラあがってきたかいがないようだ。
七つの池の案内図に、山頂近くに高良池とあるのに気づいた。この山頂に古代僧坊12ケ所の大伽藍があったという。古代朝鮮式城のつづきの尾根のピーク付近になる。
高良は古代朝鮮半島に出現した高句麗のことで、唐と同じ半島の国・新羅によって滅亡し、人々は四散したという。その一部の人々が渡来している。近江と関東平野にその人々の痕跡がいわれている。日吉神社も近江の国の神社になる。伽藍のあったというピークは亀ケ岳と地図にある。半島の神様は亀に乗ることが多くい。NHKだって、いま朝の連続ドラマは亀でした。

次々に池があらわれるが、
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古代の匂い、スピリチアルな空気はどこにもない。えらくサッパリとしている。あのかび臭いような、時代の風がこれだけ状況証拠のそろった尾根の上にふいてこない。そうか、もしかして青目寺は、古代にここへやってきた青い目のペルシャの人が建立したから??かも。
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by forumhiroshima | 2010-01-09 16:27

初詣

備後の国は祇園信仰の発祥の地、ばかりに、備後三大祇園の甲奴の小童-須佐神社、駅家のスサノオ神社へ。もう一つの鞆の沼名前神社は、ポニョと今年の竜馬人気で人ごみだろうと、端折った、わけでなく走りの距離が・・・。

須佐神社まで車。ここから出雲往来道で府中の出口へ。が途中の峠の雪。まっすぐならロードタイヤでも走れる積雪、だけど、曲がれない、止まらない。ここで断念。須佐神社へ撤退。
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1月2日の朝の境内は神主らしき男性(背広姿だった)と、話されてる男性だけ。その側をぬけて参拝。元日に備えられたサカキが参拝者の数を教えてくれる。数十ほどのようだ。
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撤退して、また参拝してみたが、サカキの数は増えていないようだ。

駅家のスサノオ神社の境内は日差しをうけて、広々とした中に数組の家族が参拝されている。巨木も点在して、ここに古くは大きな市がたっていたことをものがったっているようだが、参拝の人がまばらに見える。
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スサノオ神社は平安時代の記録に残っている古社。そのころもスサノオ神社の名だった。奈良時代の備後国風土記に、牛頭大王と蘇民将来の話がのこっていて、ここがその牛頭大王の神社となった。牛頭王は武塔神とも呼ばれて、小童の須佐神社にはそばに立派な武塔神社があって、お祭りでは、神輿が須佐と武塔を渡る。スサノオ神社には小さな蘇民社が立っている。
出雲のスサノオがこの備後に現れて、時代が下って祇園社の主となるが、出雲の大社に祭られていたスサノオは、本殿をオオクニヌシへ明け渡している。神様も大変なんだ。

スサノオ神社の西の橋をわたって、吉備津彦神社へ。
ここは沢山の参拝者、車の整理にガードマンが立っている。
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吉備の国が四分割でできた備後の国の一の神が吉備津彦神社であって不思議はないが、この神社は平安時代の記録にはないようで、でも駅家のスサノオ神社へ、ここから馬に乗った吉備津彦命が渡る神事があるという。新市もスサノオ神社であった市がここに移ってきたことの地名かもしれない。

1月5日の朝日新聞の天声人語に「初詣の参拝者数は神社仏閣の規模と格、周辺の人口で決まるようだ」「その数が、また寺社の威勢の証ともなる」とあったが、神の威勢を朝廷が決めてきた。宇佐八幡神社は、天皇を祭ることからも、一品という、もっとも高貴な位が与えられている。出雲大社は大臣クラスの正2位。
この格付けが、いまに人々の初詣に影響してるのは、おかしいような、面白いような。

雪の中で、道の端の杜のなかにちいさな明かりをみつけた。
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細い鳥居の奥に小さな祠の扉が開かれて、お供えがおかれている。周囲には数軒の民家が雪のなかに沈んでいる。
初詣にはるばる備後の山中へ、きて、やっと神様に出会えたようだった。
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by forumhiroshima | 2010-01-05 20:27


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