こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
カテゴリ
以前の記事
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
2008年 07月
2008年 06月
2008年 05月
2008年 03月
2008年 02月
2008年 01月
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 09月
2007年 08月
2007年 07月
2007年 05月
2007年 04月
2007年 03月
2007年 02月
2007年 01月
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 09月
フォロー中のブログ
最新のコメント
You ought to..
by parajumper at 15:36
Latin shema..
by williamyb4 at 13:25
louboutin pu..
by christian at 10:00
I blog frequ..
by ray ban ne at 13:12
Heya i'm for..
by canada goo at 09:04
http://silde..
by sildenafil buy at 23:40
Laterget htt..
by oripsojo at 20:23
http://www.g..
by nike roshe at 00:14
http://www.w..
by nike mercu at 11:58
Indelicate ..
by allanjy4 at 08:37
メモ帳

<   2010年 05月 ( 8 )   > この月の画像一覧

ご本家?

西宮にきてもう一ヶ月がすぎた。
調子しだいで、自転車でうろうろしてる。震災の大きさ、すごさが、家々がすべて同じように新しいことで伝わってくる。広島で戦後すぐのS21年生まれで、こどもとはいえ、広島の復興ってことは感じていたが、ここは、まったく様子がちがって、バラックだの、路地の洗濯物だのという牧歌的なものはなくて、ビッシとコンクリートで固まっている。町が白っぽくて、若々しい。

そんな感じが、自分にはすこしつらくて、路地だの、水溜りだのを探すけど、そりゃダメってもんだ、と観念している。そこで、いつものこの町の古代、伝説の時代を想像、ってより妄想してみる。

西宮って地名が、どこから見て、西なのか?とおもっていた。神戸・三宮は駅そばに生田神社の摂社・三宮があるからだそうだけど、ここ西宮は、たとえば西と名がつく大国主西神社が西宮神社にあることからってある説にあったが、ここには南宮神社もあって、どうもちがうと思う。
西宮神社はここにある広田神社の摂社・子分であったエビス神社から発生していて、西宮戎神社ともいう。では生田神社の西に戎さんがおられるのか?と。生田神社と西宮神社のそれぞれ、古代の西宮の地図が掲示されている。色がついたのが生田神社、銅版にエッチングされたのが西宮神社のもの。
d0089494_178676.jpg

d0089494_1782567.jpg


すこし違ってる。もう少し調べなきゃとおもってるが、現在の地図に古代の海岸線を記入して、今とのつながりを探すという手法は大阪の古代の湖の発見でとられた手法で、この手法を東京の縄文時代を記載した地図で、現在を見直すという週刊誌の記事があった。2004年の週刊現代に連載された、中沢新一のアースダーバーだ。彼は東京をめぐるのに、自転車を使った。スポーツ車でなく、無印良品の自転車だった。これにはすっごく驚いた。それからまねしている。
で、おおざっぱに西宮の古代・弥生の時代の海岸をいまの地図にうつしこむ。標高を丹念におっかけると、概略が見えてくる。
d0089494_171731.jpg


生田神社の背景に甲山があって、その軸から西にはずれた場所に戎が鎮座している。と考えればいいのか?生田神社の南に戎があるのだけど?

数年前に西宮神社でおみくじを引くと「凶」がでた。きっつい神さんやなー、。それなら、大阪の戎さん、それもお祭りにには100万以上の参拝がある、今宮戎神社へ出かけて、そこのおみくじに賭けた。「半凶」。まあそんな運勢よ!といまもとってある。その今宮戎は、この西宮の戎さんを勧請したという。あたらしいから「今」がつく。が、今、今宮戎神社にはそんなこと、さっぱり書いてない。なにせ勧請が西暦600年ってことだから、わからないよな。

ふと大阪の今宮戎神社と地図をみてると、なんと、戎さんのすぐ北に「広田神社」が鎮座しているではないか。
d0089494_17254636.jpg


西宮では戎さんは広田さんの子分、大阪ではえべっさんが親分って感じだ。が、この二つはセットになってこその神様たちなんだろうね。
大阪の広田神社から空を見上げたが、おおきなマンションだった。甲山がみえる西宮が、ふるいね。いい感じですね。
d0089494_17295988.jpg

[PR]
by forumhiroshima | 2010-05-31 17:30

ランドマーク

西宮市の中央の独立峰・甲山へ、日参状態。
つらい登りもあるけど、景色が絶景。和歌山の山まで、展望OK。ってこともあるけど、あたらしい場所での生活は、まず高いところへ、が宮本常一先生の教訓なんです。

それに、この山どこからでも判別できる。北側からはみてないが、東西・南からは同じ形。火山活動の結果かと思いきや、このごろの調査で、風雪のよる形成からこの台形ができたそうです。神・技。
d0089494_17263596.jpg


この山、瀬戸内海を東進してきた、古代の開拓者からはじまって、この海を通る舟から、忘れられない形状だろう。あて山とか山たてとか、航海の情報としては、最高位だろう。だから神が鎮座する場所と、するにちがいない。
ここに神代からの神話のある広田神社が鎮座している。この神社に南からこの甲山へむかって、一直線の参道があって、松並木が朝の散歩の人たちを集めている。
d0089494_173459.jpg
が、この参道の突き当たりに神社はなくて、稲妻型に参道が折れて、本殿が鎮座する。
d0089494_17334316.jpg
これは不思議で、この広田の神様は山ではないのか?と。が本殿は1727年に移転したもので、それまでは参道正面・高い台地にあったと推定されている。やはり甲山が御神体でもあるのだろう。
d0089494_1734224.jpg


神戸からこのあたりの山肌にはどこもびっしりと家々がならんでいる。住宅造成地の新興住宅は「・・園」と名がつくらしいが、一部で、あとは各自が山間に各々建設されて、それも豪邸がならぶ。変形な宅地にモザイクのように組み合わさっていて、だから注文建築しかなく、各戸オリジナルなオシャレをまとっている。これほどの経済力と、高台で夜景楽しもうって人たちなら、秀麗な姿の甲山に開発することなど、たやすいのだろうが、神呪寺・お大師さんから上には何もない。やはり御神体であるのだろう。
d0089494_1741335.jpg


この山を中心に東から真言のお寺が山頂に導き、海の南からは、神社の信仰の先になっている。それが、西宮のランドマークとして、比べる物がないだろうと、航海する舟にむかって誇っているようにおもえる。

関西学院大学のキャンパスは甲山の東の台地に広がってあって、クリーム色に統一された校舎の中央に、この学校がキリスト教精神での教育方針をもって開学していることをしめすチャペルがある。そのチャペルの景色は、西宮という場所の現在を感じさせる、美しい甲山だと思う。
すこしこの町に近づいたかもしれない。
d0089494_17471251.jpg

[PR]
by forumhiroshima | 2010-05-28 17:49

むこうがわ

朝、西宮を走ってます。

六甲の山並みが東で武庫川に分断されるとこが、宝塚でその南が西宮。武庫川が瀬戸内海へ流れ込むところの西に独立峰できれいな台形の山が甲山。約300mの標高でその頂上下に大師堂があって、ここへ走ってます。広島だと黄金山ほど。形はにてますが、甲山は均整がとれていて、作ったようです。この大師堂は神呪寺・カンノウジが正規名称です。
d0089494_1233164.jpg

d0089494_12332018.jpg


登るには東からと、南からがあるのです。市内からバス路線をあがる南コースは車が多くてヨロヨロ登りでは申し訳ないけど、そんなこといってられない急坂もあって、迷惑かけてます。それでもあの急坂がたまらん!って、元気な気分の日もあって、体調をみる体温計みたいにおもって、やってます。

が、自分の好みの古道、参道がすっかり住宅地におおわれたなかに、見つけられる東からの話です。
d0089494_12552063.jpg

ここは関西学院大学のおおきなキャンパスにおおわれている上ケ原の台地へ上がって、そこからまた参道へと、心拍が上がりにくい、さすがの古道です。大学のキャンパスのなかで消えてしまった古道もありますが、関学はチャペルのあって美しいところで、早朝は学生さんもいなくて、いいです。
この台地にはいる場所に厄神さんのお寺があります。ここが東からの参道の入り口では?とおもっています。お大師さんが「呪う」で、入り口が「厄(病)神」と、怪しいです。この厄神のそばに、地名で神呪という町を見つけました。直線ども3kmほども離れてあります。
d0089494_12474988.jpg


こんな設定にはワクワクです。なにかあるはず、とウロウロ。厄神さんから関学へのぼって、尾根の取り付きに参道の道標が点々と残ってます。そこに、小さな疎水が勢いよく流れて、この台地の最上部を走って、途中途中で分水してます。これを追っかけると、甲山の北斜面の谷・仁川の分水でした。びっしりとした住宅や学校のある場所とはおもえない小道と疎水です。
d0089494_12535573.jpg

この町にすこし自分が近づいた気分になりました。
そこから道標を探しながらのぼって、おおきな水道の浄水場にでました。ここに道しるべがあって、このあたりが仏性ケ原であって、神呪寺が昔あったと。これであの神呪町のわけを発見。
d0089494_130530.jpg


甲山のしたの台地は水にお入手が大変であったのでしょう。そこにはりめぐらされた疎水は、厳しい環境を変えた人々の信仰だと、いってるようです。

六甲の山並みがいっきに海へと落ち込む、家をつくる平地もない場所で暮らすって、大変だったでしょう。ふと、ここらを、大阪の難波や摂津の人たちは「むこうがわ」と言ってたとききました。冗談ぽくって、フーンでした。甲山をこえて六甲へはいるルートで「六甲・一軒茶屋」の標識をみたとき、「六・む、甲・こう」って読んで、六甲-武庫なんだと。
ここは大阪からは西の浄土なんですね。神呪寺・カンノジは観音さんなんですね。浄土をまもる厄神がおられるのでしょうね。そのところに、疎水ができて、普通の場所になったのでは?。
d0089494_13142456.jpg

[PR]
by forumhiroshima | 2010-05-26 13:14

クスシ

医学の進歩はすばらしいものだという。たしかに、神仏よりはるかに、頼りがいがある。
とはいっても放射線治療とがガンマーナイフとか、どなってるのかわからない施術は、信頼してるかどうか?なんて精神的なものでなく、もう預けますって事に感じる。

この国に仏教が入ったとき、といっても日本書紀にかかれる、正規な年に、天皇が自分の病気の治療に、これまでの占い・巫女に依存せず、あたらしい医術を受けると決めたことからになる。神道の神主として最高位の天皇が仏教の僧侶がもつ医術にたよるとのたまわって、それこそ大騒ぎになってしまう。

この天皇がたよった僧侶は、九州・宇佐の法師となっている。
この法師の医術のどこが新しいのかは、自分はわからないのだけど、この日本書紀の記述に注目した学者先生がいて、こういってる。医学のイは古くは「醫」。字の下に酉がある。これは、お酒をのませて病気を治すということかららしい。大歓迎です。といっても、この酉に三ずいはクスシ・薬師のこと。天皇を治癒した九州・宇佐の法師は「毉」。字の下は「巫」がつく。薬だけだなく、巫術を加えることだという。

いまのあたらしい治療は、この巫術といってもいいのじゃないか?なんて感じる。仏教の導入が正史として記憶された6世紀のことだが、受け止める側の感想としては、医学はますます複雑になって受け止めるか決めるがしかない、ようだ。判らなくなってるってことだろう。一生懸命の努力が医学をすすめているにちがいない。が、その施術をうけとめる気持ちとのギャップの感じる。すこし不安でもある。
午後に和歌山電鉄にのって、伊太祁曾神社へ。境内にピッタリのものがありました。
d0089494_19313426.jpg

零石「おさる石」
この石に触ると心が落ち着いてきて、首から上の病気によい!そうです。出雲系の神様はどこもやさいい。国津神に守られてたら、あの天皇は仏教に帰依しただろうか?いっぱいなでなでしておきました。

薬だけだなく、広い意味の治療を考えているお医者さんはたくさんおられるようだ。体動かせ!ゆっくり生活しろ、よく寝ることだ!といってもらう。シメシメ、自転車乗ろう!っと。
[PR]
by forumhiroshima | 2010-05-24 19:42

森の神々

司馬遼太郎「街道をゆく・紀ノ川流域-森の神々」より
樹齢数百年という楠が八股の太枝を四方にのばしているかと思えば、まだおさない榊が古木の根方に自生し、そのかたわらに苔と羊歯を装った古槙が老酋のような威厳をみせている。おそらく伝説の神代から手付かずの原始林にちがいない。
信じがたいことだが、これだけの原始林が和歌山市内にある。それも、JRの和歌山駅から東三百数壱メートルという、市井で・・・町中である。・・・古神道を知るには、書物よむよりもこの森にくるといい。樹間に小さな神々の祠がある。・・森の中に・・神々の宮居が、八十余もある。いずれも小さく、すべて苔むしている。

こう書かれるのが日前国懸神社だ。「私にはこの宮の起源がわからない。わからぬままにこの境域がすきで、和歌山市にくるたびにここにきているのである。司馬遼太郎」

治療におとずれた医院はこの神社前の和歌山電鉄の駅の次にある。約束の時間までは3時間もある。検査・治療の時間を待つ間に参拝は出来そうだ、だがこの十数キロの営業路線の間に散らばる紀の国の神々を尋ねることはできそうにない。歩く時間も、また一時間に2本の運行スケジュールでは。自転車があれば!。

卓上でこの神々をたずねてみよう。
まず古代の海岸線を地図に記入する。「中世、紀ノ川下流のいまの和歌山市域が雑賀とよばた・・。それ以前は名草と呼ばれた。名草は渚だろうという人が多い。わたしもそのように思っている。司馬遼太郎
海抜6から7mまでが古代の海岸線とおおざっぱに思っている。縄文時代はもっと海が高く標高15mぐらいまでは海岸線であったろうといわれる。この和歌山市域のように紀ノ川ほかいくつもの川があり、ちいさな島(であったろう)が点在するリアス式の海岸線がうかんでくる。古代から中世にできた古熊野街道は、いまの海岸からはなれて、山中とおもえるルートになっていることも、海岸線のイメージになる。
この海抜は自転車で走れば、すぐに感じることができる。また尾根の谷間から流れる川が平野にはいりこむ場所にある神社やお寺の集落をむすぶ峠の古道が、尾根沿いに平野を通れなかったころの記憶
だともわかる。神社やお寺のある場所はめったなことでは手を加えることができない。
そんなセンサーを起動させて、地面をトレースするマシンが自転車だと、思っている。そのマシーンは開発という時間の侵食をうけないちいさなスポットに確実に反応してくる。田んぼにつながる尾根が、じつは古代には海につくでた岬であるってことなど、どこにでも見つかる。

古代の予測海岸線を地図にかきこむと、日前神社の場所は平野の真ん中であっても、その境内よい他から2mばかり高い。古代地図に鳴神貝塚と記載される尾根からのびた砂州の上とも想像できる。
司馬遼太郎「弥生時代のひとびとは、大河が洪水のたびに土砂をはこんでき、沖にむかって土を積み上げてゆく作用を神々の技と考えた。」

和歌山鉄道の沿線をすすむと、カマ山神社のおおきな鳥居のある駅につく。神話に神武天皇が九州をでて、大阪から奈良へむかおうとしたとき、それを止めた勢力との戦いがあって、そのとき神武天皇の兄の彦五彦命が負傷、撤退してこの和歌山で死去。その地がこのカマ山で、ここにカマ山神社がある。

電車で4つ目の駅、時間で10分ほどで、伊太祁曾神社に。この神様はスサノオの息子イタケルとムスメのオオヤヒメ・ツマツヒメ。神社所在地すぐそばが、須佐。出雲と石見と一緒。スサノオは近くの有田に神社があるというし、和歌山電鉄の終点にオオクニヌシ神社がある。

日前・カマ山・伊太祁曾を地図で直線に結ぶと、不思議な関係が現れた。日前神社とカマ山神社は東経135:12.:09できっちり南北線上。カマ山神社と伊太祁曾神社は北緯34:12:06できっちり東西線上。
d0089494_15313542.jpg


d0089494_15315053.jpg


日前・タマ山の両社はアマテラスオオミカミに関わる伝承がある。ただ司馬遼太郎「伊勢神宮は内宮と外宮の一対でひとつの神社をなしている。ここも対の神社である。日前宮ヒノクマノミヤ/国懸宮クニカカスノミヤ 合わせて「日前国懸神宮」というのだが、土地の人たちは”ひのくま”という訓みがわずらわしいのか”にちぜんぐう”とよんでいる。・・私には この宮の起源がわからない。」という。
日本の神々/紀伊では、「伊太祁曾神社は日前・国懸神社のある宮郷にあったが、日前大神がこの地へ遷座することから、今の地へ移った、という不思議な伝承がある。」と記載がある。おなじくカマ山神社の項目で所在地が和田という地名について「一体は今平野であるが、古くは海浜が湾曲し、曲・ワダになっていたことから和田の地名がついたようである。」と。
いや、この東西と南北の交差を曲がり・ワダでは、??

紀の国は熊楠の奮闘もむなしく、明治の廃仏毀釈が強くおこなわれ、日本でいちばん神社のすくない県になっているが、その少ないが代表する神社をだきかかえるこの一帯をつきぬける鉄道は、やはり地元にとっては、無くせないなにかがあるのでは?
[PR]
by forumhiroshima | 2010-05-21 15:54

精霊たちの出現

12世紀の京都に「けまり聖」とよばれた、藤原成道が千日やすむことなく蹴鞠を続ける「千日業」を祈願し、それを達成した。その満願の祭式を蹴鞠の名手たち300名をあつめて催した。この300の鞠は途上に落ちることはなかったという。
その祭式も終わって、成道がひとりでいると、3匹の顔は人であるが体は猿の童子があらわれた。何者かと尋ねると「鞠の精霊」だという。「あなたほど蹴鞠を好んだ人はいません。そのことを伝えたくて現れました。蹴鞠がおこなわれている間中は鞠についており、おわると柳の木のきもちよい森に帰ります。日々人々の心はたえず思いみだれ、心にうかぶ思いのほとんどが罪の種になっています。しかし蹴鞠をこのむ人は、いったん庭にたつと、それからあとはただ鞠のことのほかには余計なことは思わなくてすみます。そうなれば、自然とこころの罪はなくなってゆき、死後にもよい影響をもたらす縁がうまれます。私たちはいつでもあなたを守護し、あなたはますます上達されるでしょう」と
いってかき消すようにいなくなった。{成道卿口伝日記}

今ならサッカー選手のリフティングの名手だろう。TVコマーシャルでみるリフティングはリズムをもって、ボールがけっして空中をはなれることがないようにみえる。TV画面の中の選手ははたして「マリの精霊」に出会えるのだろうか。死後の平安までもが、もたらされるのだろうか。

マリは常に空中に留まり続けるように、上手にけられる。それは、たとえばブランコにのる人が空中たかく漕ぎ出し、そして円弧をえがきながら落下をはじめる。最下点でふたたび上昇することに加速をくわえると、また空中にほおり上げられる。人や物が地上に落下することなく、いつまでの空中にとどまろうとする状態を作り出す。その時、バランスを取り続けようとするとき、あるリズムがうまれる。そこに重力から開放されて、いちまでも空中に滞在できる。重力からの自由が実現された空間に精霊が出現する。「中沢新一」

この浮遊した感覚は自転車をのる方なら、きっとご存知だろう。はじめて乗る時に感じる、あのコントロールとれない感覚が、自分のへその下あたりにコントロールのボタンを見つけ出すと、一挙に自在に路面をダンスしはじめる。そんな一瞬を名人は千日だって、いつだってできる、ってことなんだろう。精霊が守護してくれる人の喜びなんだろう。動く流れにただよう、そしていつだってまた風になれる、時間なのだろう。

南方熊楠は日本の学校制度から脱出しアメリカの渡ったが、そこの学校にも失望し、サーカスの人々を放浪をはじめる。「あらゆるものは動きながら、或る時そこここで一時の休憩を記す。空を飛ぶ鳥は巣をつくるために、ある所にとどまり、休むべくして、ほかのある所にとまる。同様にして神も歩みをとめた。あの輝かしく、すばらしい太陽が、神が歩みをとめた場所だ。月、星、風それは神がいたところだ。」
自転車を止めたとき、それは休止点でなくてはいけない。なぜなら、降りるとすぐに。いとおしさで満たされてしまう。空中に留まろうとする人々は流れをとめることはできないのだから。

和歌山鉄道・貴志川線の沿線には、紀の国の主要な神が鎮座し、廃線に危機を乗り越えてきたとパンフにある。だって、和歌山駅から、同じ東へ・奈良への和歌山線があって、この間4kmほど。
この不思議をつきとめるのは、自転車しかない。と、思っている。
d0089494_16531073.jpg

どうして?
[PR]
by forumhiroshima | 2010-05-20 16:53

トーテムポール

南方熊楠は自分の名が熊であり楠でること、そう、自分が自然と一体である名をもつこと、を誇っていた。人と自然が一体であるととらえる世界を、人が自然を支配するとする世界からは、その社会を未開と文明の物差しになって、トーテミズムを持つこと、すなわち未開。そんな気分はいまも自分のなかでモゾモゾと起き上がってくる。

紀伊田辺の町からでて、昼近くに約束された時間に自分の体の検査と治療が和歌山で待っていた。その場所はJR和歌山駅からでる和歌山電鉄・貴志川線
d0089494_19375520.jpg
の神前駅のそばだという。和歌山駅には、その貴川線の案内もキップ売り場も見当たらない。改札口の駅員さんにたずねると、無言で構内通行券を渡され、9番ホームと小声で伝えられた。
まだ約束の時間には早いが、確かめておこうと9番ホームへむかった。早朝でもいくつかのグループがおられる。その人たちの手にあるパンフレットをホームにあるちいさなキップ売り場でみつけた。開くと、そこに「日前宮」そして、「伊太祁曾神社」「大国主神社」とならんで紹介されている。

これまで国東、周防大島、石見、出雲と数え切れないほどの神々の社をたずねて、参拝してきたが、そのかいもなく、ご利益もなく、ではないけど、体の検査と治療をうけなければいけない身となって、このプラットホームにいるのだが、電車の路線の鎮座する神々の社すべてに、出逢いたかったのだ。ただただ、今はプラットホームで電車をまっていることになった。そうです。自転車もってきてないのだ。

南方熊楠先生が力説したように、人が自然を支配することという科学の希望に失望しはじめた時代にいま生きてるのだろう。そうだから、自分は熊のように強く、楠のようにしなやかに、ありたい。それよりも自転車で鹿のように地表をすべるように移動して、自然と一体に暮らした祖先たちの見つけた神々を共有できたら、。

日前という名は周防大島に集落であります。ここは7世紀の朝鮮半島に約4万の兵士を送り込んで唐と戦った戦いの兵站基地であったといわれてます。その舟は倉橋島でも作られたそうです。そして、その船員たちの頭は紀の国の人々であったろうと。そのかれらの守護が日前の神であった、のでしょうか。ここは不思議な境内で、国懸神社と日前神社が森の中に左右に分かれて鎮座し、その間に朽ち果てた小さな祠がなんでる、そんな境内、というより、森の中です。
d0089494_19372160.jpg

d0089494_1938541.jpg

[PR]
by forumhiroshima | 2010-05-19 19:39

紀伊田辺

わけ合って、和歌山県の紀伊田辺にいってます。

田辺は民俗学者の南方熊楠で有名です。民俗学というより、植物それも苔の専門の植物学者で、その保護から神社の鎮守の森に注目しその保護をうったえた人とおもってます。半端じゃない人物で引かれていました。
その熊楠がイキリスの留学から帰ってすみついたのが紀伊田辺です。その家は記念館になってます。ただお休みが多いようです。
d0089494_21175676.jpg
彼が保護をさけんだ闘鶏神社の森がJR田辺駅から見える森にあります。熊楠は和歌山生まれで、和歌山市のその誕生の地に銅像が駐車場にポツネンとありました。
d0089494_21141681.jpg


闘鶏神社は源平の戦いの際に、どちいにつくかをここの水軍(というより海賊でしょうが)が紅白の鶏を戦わせて、白の源氏についた由来からの名だそうです。けっこういいかげんというか、プライド高いっていうか?闘鶏神社ではないのですが、町にあった神社の御手洗にこんな手拭がありました。
d0089494_21191288.jpg


熊楠は、明治政府の宗教政策に徹底して反抗するのですが、この紀州の伝統なんでは?って感じです。

「この国にトーテミズムが残されている。たとえば三島の神社の氏子はうなぎを食わない。祇園の氏子は神社の神紋のきゅうりはくわない。金比羅に参るものは蟹は食えない。冨士に登るものコノシロをくえないなど、その痕跡だ」といっている。それは、自分の名、熊楠は藤白王子神社の神主が名付けしたもので、この地では、子が生まれると神社に詣で、この神・楠神に無事な成長を祈り、楠、藤、熊などの一字を受ける。熊楠などは幾人いるかわからにほど。動物や植物の名を人がいただくことで、自然と一体になることができる。それが森を切り開き、破壊し、自然を収奪し動物や植物の命をもらうことで生きている人間が、自分が所属している、たとえば熊楠にとっては楠木を傷つけないことによって、自然との全面的な対決を回避することができる。」と彼は考えていたようです。

出雲の大東に鮭神社がある集落があって、そこの住人はサケを食べないのですが、町で暮らすと、どうしてもサケが避けられないことがあると、サケでなくサクラマスと思って食べるそうです。牛丼の吉野屋の朝定食はサケでなくてマスですから、OKですね。そんなちいさなかかわりが、心をホッとさせるのがわかるでしょう。自分にのこされた、古代のトーテミズムなんでしょうか?

そんな彼の努力の結果かどうか?ですが、闘鶏神社の楠はすごい勢いで立ってました。
d0089494_21573846.jpg


田辺の町は小さな路地が交差して、車社会が進入できないようです。自転車が一番です。が、今回は乗れなかった。ふと気付いたのですが、子供が多いのです。それと老人がしゃんと歩いてます。出雲でも石見でも、路地のある町はそうなんです。紀伊田辺の旧市街はまだまだ個人の商店が元気でシャッターの町並みも少ないようです。備後・府中も旧市街には有名店が健在でした。
ふとトーテミズムの街、アナログな街にみえました。店先の商品は少ないのですが、そこで選んだ生活が生き生きとしてるようです。
早朝に街のはずれの「かまぼこ通り」にでかけました。お店の奥で三人のおじいさんがかまぼこつくってます。そして幾人のおばさんが買いにきました。まるでお豆腐やです。これが「紀伊田辺」ですね。

紀伊田辺には、広島アジア大会のとき日本の自転車チームの監督だった,長さんがパン屋をやってるってきいてたので、探したのですが、判らなかった。またここへ、いかなければいけないのですが、楽しみな街です。もちろん自転車もってゆきます。
[PR]
by forumhiroshima | 2010-05-15 21:59


最新のトラックバック
presiden jok..
from plus.google.com
venuscozy.com
from venuscozy.com
whilelimitle..
from whilelimitless..
http://while..
from http://whileli..
http://www.v..
from http://www.val..
fashion mich..
from www.mikaelkors..
biber hapi
from biberhapisipar..
iphone 7 cas..
from myiphone7cases..
máy xay cầm ..
from goo.gl
ultimate testo
from ultimate testo
ライフログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧