こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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太田という地名

西宮にいて、和歌山へ定期的にゆくことがあります。これが、太田という土地に近いってことがあり両方ともゲットですね。

8世紀中葉にできたという「播磨国風土記」に「昔 呉の勝・スグリ、韓国より渡り来て、始め。紀伊の国名草郡大田村に至りき。其の後、分かれて摂津の国三嶋賀美郡大田村に移りき。」そののち播磨の国太田へもわかれたという。
その「大田」が、はたして広島の太田川に関係してるかどうか????なんて、おかしな興味で走っている。

ちょうど和歌山の田辺からお呼びがかかった。午後からは、明けてよねと、スケジュールを押し込んだ。いいのかいな??和歌山の大田はここ。
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摂津の国の太田はここだ。
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和歌山といえば、日前・国懸神社だ。「樹齢数百年という楠が八股の太枝を四方にのばして、いるかと思えば、まだおさない榊が古木の根に自生し、そのかたわらに苔と羊歯を装った古槙は老酋のような威厳をみせている。おそらく伝説の神代から手付かずの原始林にちがいない。信じがたいことだが、これだけの原始林が和歌山市内にある。それもJRの和歌山駅から東三十数メートルという、市井で・・。司馬遼太郎/街道を行く・紀ノ川流域」
その原始林の前に駐車して走り出した。

摂津の茨城・安威の将軍山古墳は、この紀の国の青い緑色片岩で覆われている。この石は紀ノ川の河口、和歌山で採取される。
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茨木市立文化財資料館の写真
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この写真ほどは青くないけど、きれいな平たい石です。
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この写真は和歌山・風土記の丘の資料館でみた、黒田太田遺跡の古墳の再現モデル。

和歌山城も紀伊三井寺もこの石でかこまれて、それどころか古い集落の石垣はすべてこの青の石です。つながってますね。風土記うそ書いてないですね。そうなるとあとは播磨の太田へ、ですよね。
だからといって、なにかわかるかってことないですよね。でもなにか「感じる」のですよね。でもまだまだ表現できないです。でも表現したいですね。目の前に古代があるのですから。

茨城から高槻の北摂の山きわは古墳だらけです。
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ゴルフ練習場も古墳だらけ(塚原)。墓を暴く、墓どろぼうって怖いことだとおもってました。でもどうしようもなく狭い国ですから墓場を足蹴にして生きていくのでしょね。でも、ちょっと、威風堂々ですよね。こちらがはずかしいです。

マンションの間の古道をぬけていたら、真新しい神社にでました。高速道路で移転されたのでしょうか。その神社は「闘鶏野神社」これでツゲノってよむのだそうです。
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たしかに鶏は時告げる鳥です。が戦ってるとき、告げるどころか、ずーっと告げてますよね。えーっと、そうですよ、「闘鶏神社」は和歌山の田辺の神社です。
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ここは闘鶏で勝負していたそうです。神のご信託を鶏がやるのだそうです。めずらしい名にであってびっくり。

和歌山で太田へ走るついでに「栗栖」へ。この栗栖は太田川・広島の戸河内や加計の古代の豪族の出身地で、いまも栗栖って多いのです。その小さな集落の神社へ。最初に見つけた鳥居の場所にあった神社は合祀されて県道わきの神社になったとおばあさんにききました。県道脇の神社は「丹生神社」とありました。水銀の神様です。仁保姫神社も同じ水銀関係ですし、加計の奥八千代の壬生も丹生だそうで、なんだかわかったような、なぞが深まったような。
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by forumhiroshima | 2010-09-27 19:59

藤原鎌足のこと

司馬遼太郎の「街道をゆく24」に奈良街道がある。そこで司馬さんは奈良の好きなもので興福寺の阿修羅像と東大寺の広目天像と、談山神社の社人で洋画家で歌人であった六条篤を挙げている。その歌人は明治の廃仏毀釈で社人をはなれ、郵便局を営んでいた。その詩を紹介している。
「風景入りのスタンプの中の若い三等郵便局長R氏はいつも海ばかりみている。  どの異邦人・タビビトも  どの異邦人・タビビトも   海へゆく方向・ミチを尋ねる 」
奈良は海がないところだと。この所がこのシリーズで一番印象に残った。旅するシリーズらしい。
この談山神社は鎌足と中大兄皇子とがクデターの相談をした場所だという。「創建当時、この山上に槻・ツキの木が二本生えていた。おそらく神木だったのだろう。司馬遼太郎」この二人が最初にであったのは、飛鳥寺の槻の木のしただという。槻の木は神の寄り付く木だと。
この神社は明治の廃仏毀釈いぜんは寺院であって、その寺院は鎌足の息子がここに十三重の塔をつくって鎌足を祭ったことからだという。その塔が「街道を行く24」の表紙になっている。
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「いま存在している塔は1532年の再建だが、朱塗・檜皮葺の色調といい、十三重のつりあいの美しさといい、破調がほしくなるほどの典雅さである。本殿についても同様のことがいえる。藤原氏は華麗を好み、その氏神をまつる奈良の春日大社の社殿も桃色に息づく少女のようなはなやぎを持っている。この談山神社は春日造りである上に桃山様式が加わっていっそう華麗になった。司馬遼太郎」
鎌足にささげる御食・オンジキも華麗なもだ。「日本の神々。白州正子」掲載から
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この鎌足さんに、摂津の国の高槻でであうことになった。

しらない場所のガイドブックに「日本の神々」シリーズをつかったりする。各地の神社と由来をその土地の方々が紹介する。紹介の文に個性が感じられる。
摂津の国の紹介の中に「安威神社」があった。アイの発音が出雲の阿井と同じで、こんな地名もけっこうあるのだと覗き込んだ。「西国街道の西河原の西の交差点を北に折れ、ゆくとそのあたりが三島野古代遺跡群の一画で耳原遺跡、塚原遺跡、太田遺跡などが点在する。ほどなく西前方のやや高い地に、別世界のような民家の集まりを発見する。それが安威の集落で戸数約500。ここは以前、三島郡安威村と称し、集落の北端花園山の中腹に阿為神社が森に囲まれて鎮座する。」
すごい案内で古道と遺跡を知らなきゃとおうする?って。でも「別世界のような民家の集まり・・・森に囲まれて鎮座する社」なんとしても、いかなきゃ!!
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サラッピンの住宅地に倒れそうになった古墳の案内の石柱がある道路からすこし登る。いきなり!タイムスリップ。道せまの折れ曲がり。もうぐるぐるですよ。中央の小学校のちびっこたち、えらく沢山いるいる。あの金ぴかの住宅の子もいるのかな。ここいいよね。すっかり地図が頭にインプット。
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道側のお地蔵さんもニコニコ!
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そうして神社へ。藤原氏の祖先という天児屋根命・アメノコヤネミコトが祭られてるのだそうだ。めずらしく祝詞が聞こえる。どうも女子の神主さんのようだ。振り返えられる。おばあさん。目があって、するとガラス扉を引いて仕舞われ出した。なにせ神様は都の貴族の神様で、きたない自転車乗りではね。感じ悪!!
神社まえから、また細くてうねうね道。またご機嫌。すると将軍山住宅なる新興住宅地に飛び出た。
「藤原鎌足公墓所」の掲示がある。なにこれ。とにかく行かなきゃ。だれが作ったのだという住宅地の登坂から、一番奥にその墓所「大職冠神社」の石碑がどーんと石段の上にみえる。
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むきだしの古墳の石墓の奥にちいさな祠があるだけ。そばに教育委員会の表示・この古墳は6世紀半ばのものであります。とある。これは「大職冠神社」の案内になってない。

コピーしておいた「日本の神々3」の安威神社を取り出す。この墓所はにせもので、関係なしと。ならあの「墓所」カンバンなんとかしておいてよ。そこに、実は昭和9年にこの安威の集落の北東の阿武山に京都大学の地震研究所を建設する際に古墓がみつかり、そのなかに漆塗りのカンのなかに男性の遺体がみつかり、その遺体は数百の玉でつくられた枕と全身が錦でおおわれ頭から金の糸がたくさんみつかった。これが、歴史上唯一、鎌足にあたえられた、貴族最高位の大織冠だろうと推測され、貴人の墓と大騒ぎになったそうだ。なにせ帝国日本時代で、天皇に関係する人であると不敬になると内務省と憲兵隊が出動して埋め戻されたという。その際にとられたエックス線写真が戦後みつかってどうも鎌足氏らしいが・・・となっているという。
阿武山の山腹に目立つ塔がみえる。どうもあれが地震研究所らしい、古墓はそのそば。研究所へは車道がはいっているから、いってみようか!
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やっと着いた研究所はしっかり門が閉まっている。と犬をつれた老人がスーとその門のそばのすきまから侵入。向こうから登山の様子の二人ずれがスー。けっこうここルーズ。自転車はおいて歩き出した。研究所に到着。あの塔がある。
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ちいさな案内板で古墓へ。平地にまるくかこまれた木立。そこが古墓。
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えらくシンプルな墓所。盛り土もない。がお棺は外が黒中が赤の布を漆でかためた日本発のものだと。これが鎌足公の墓なのか。さきほどの「大職冠神社」には江戸時代に九条家から毎年お供えが届けられたとある。この九条家は京都の九条でなく談山神社の九条家では。だったら、奈良の九条家はこの秘密しってるのじゃないかな。あの 異邦人は海へゆく道を尋ねたのじゃなくて、墓?・・・。

フトあれ、ここは高槻市。あの槻の木の・・・。「槻」の木はケヤキの木のことだから、と森を見渡してさがしてみた。
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by forumhiroshima | 2010-09-26 12:14

田舎へ

西国街道を東へ。茨木の山すその太田周辺にも住宅化の大津波が洗っていて、「一戸建て住宅にすむ」は都市の神話なんだと、その威力に上代の神々の話もふっとんでしまってしまった。

このあたりの古墳は、そこに塚原の地名がのこるように、すさまじい数で点在していて、それでもまだ一軒やの住宅地をおしとどめているようにもみえる。そんな古墳めぐりのうちに、「キリシタン」の標識を見つけた。それって、なに?
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この茨城にキリシタン大名があって、たくさんの信者がうまれた。その中心地が三嶋であったという。太田から南へ、淀川の河畔からこの大田ほどが古代三嶋になるのだろう。神々の神話の後に、現代の神話がおしよせるその前に、あたらしい神の神話がここに存在した。

西宮から茨城へは西国街道を走っている。といっても江戸時代よりあと、明治の県道ってほどの自動車も通る整備された道なんだけど。その県道のバイパスが国道171。その喧騒をそばに聞きながら、住宅地を走っている。そんなサイクリングは、緑が足りない。街道にはたくさんの遺跡と掲示板が整備されて、それなりに「旅」なのだけど、自然がほそい。そこに、イエスが出現したのだ。

北摂の山中へはいる車道は、そこそこの交通量で、カタツムリの速度の自転車もオジャナってほどの迷惑はかからないようで、幅寄せされることもない。から、ますますカタツムリ化してしまう。
「キリシタン」の里はおおきな表示が道路のうえに掲示されていて、迷うこともない。幹線道をはずれる峠道にはいると、やっと自然が顔をみせだした。
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家々にたたづまいもりっぱなもので、「クリシタン」への自分のイメージとはかけはなれている。大阪の夜景がみえるのでは?という高台に「キリシタン遺物資料館」の白い建物
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があった。
入館無料とお弁当中のおばあさんがパンフレットを渡してくれる。すぐに来館の人、けっこう繁盛している。お弁当が減らない。
ちいさな展示場はすぐに終わってしまう。十字架のある墓碑へと向かった。小さな表示がオシャレだ。
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くもの巣のやぶのなかに、その墓標が一つだけおいてある。一つだけなのだ。
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資料館の集落の奥の集落にも遺物があるとパンフレットにあった。山道にもすこしなれてきて、もう一山いおってみるか!
小さな郵便局のそばの小山の上にその遺物のあるお寺がある。そこでみつかった墓標は手洗い水の台座などであったとある。
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寺からすぐの民家の納屋からも遺物がはっけんされている。
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信仰が、いきのびてここにあったのではなくて、ここに17世紀に信仰があったという印象だった。緑の景色は、秋を引き寄せていて、稲穂がそまりはじめていた。やっと、緑につつまれた。
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by forumhiroshima | 2010-09-21 09:56

オオタ

広島の太田川河畔は良いサイクリングコースだ。空と川面と山の青が、遡江すればするほど、混ざり合って、そこに走りこんでゆく時間が現れる。「青」に混ざり合ってしまうようだ。天候の下り坂に、ガスってくると、一面のホワイトアウトもご用意できている。

その「太田」の地名は全国に散らばって、たとえば広島県世羅西や甲山は太田だった。
古代の記録にも「太田」が現れる。
「播磨国風土記」に「呉の勝・スグリの一族が紀伊の国の名草の太田にやってきた。呉は高句麗かとも、言われる。その後攝津国三嶋の賀美(上・カミ)太田に留まり、そして播磨国・揖保郡の大田に移動したと記録される。古代に太田郷とよばれた加計・戸河内に記録される支配者の「栗栖氏」は紀伊の国の名草の大田の隣の栗栖からやってきている。どこか、似ている。

茨木市の北部、北摂の山々の入口にその太田がある。そこに太田神社が鎮座しており、その隣に大田茶臼古墳/伝継体天皇陵がある。安威川がそばに流れている。「青」の景色はあるのだろうか?
西宮から西国街道の旧道をなんとかトレースしながら、やっと大田の地名を見つけた。
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西国街道の古道が住宅地をやっとぬうように走るすこしの高度のある丘に旧道に石灯籠をたてて、その参道にも住宅が立て込んだ、その突き当たりの松の林に神社は鎮座してあった。
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松の林の東にこんもりとした深い森が堀にかこまれて、またフェンスにも囲まれて、天皇陵といわれるが、学術的には太田茶臼古墳があるようだ。それもちいさな住宅にびっしりとかこまれて、堀の向こうに洗濯物が風にゆれている。その家並みがとぎれた石畳の参道の奥にその墓所の拝所があった。
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表示の古墳の地形図はいつもの鍵穴のような姿を記載してあるが、ふと、古代の人々は、この空から俯瞰する鍵穴の形をどのようにして、イメージして、この墓所をつくりあげたのだろうか?と。鳥たちと会話できなくては、とても完成させられないだろう。

神社前の、太田東芝町と名付けられた訳になった工場はひろい空き地となってこれもフェンスに囲まれていた。この地名は1500年はもたないだろうな。その向こうに千里丘の丘陵地帯と、南には大阪梅田の高層ビル群がみえる。その下にはビッシリと住宅がうごめくように、広がっている。ちらばったカラーが、午後のすこしかすんだ光にしずんでいる。あの「青」が、対比されてよみがえってきた。
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by forumhiroshima | 2010-09-16 10:17

自販機がオアシス

現在、兵庫県でくらしてるが、その東の大阪との県境に猪名川がながれている。
この猪名川の名となった猪名の国が古代ここにあって、広島と関わる話が記紀に残っている。

大和朝廷の東国の遠征で捕虜となった蝦夷とよばれる人たちが強制されて奈良の三輪山に置かれた。ここで彼らは大騒ぎするからと、次にこの猪名川へ送られた。こう書くと、捕虜をひどい扱い、だといった印象になるが、彼等の任務は宮城12門を守る軍人としてあつかわれていて、けっこう税金を投入していたと、記録にある。後の防人のようで、任務の厳しさは、待遇に関わらず伝わってくる。
 
 この猪名川でも彼等はやかましく、再度転地させられる。その国に安芸の国が入っている。さわがしいというその理由を司馬遼太郎は「外国語を聞くとき、耳障りだと思えるから」といっている。
 その軍団の親分を佐伯といって、広島の佐伯にその名がのこることになる。転地の理由はやかましいってことだけでなく、記紀にもいひとつ逸話がのこっている。

 天皇と皇后が高津宮で暮らしているとき、毎夜鹿の鳴き声が野から聞こえてきた。悲しい声で、二人はこの鹿をきずかっていた。ところがある夜からプッツリと聞こえなくなって、なにかあったのだろうか?と話し合っていた。そこへ猪名の県・アガタの佐伯部が、鹿の肉を献上してきた。天皇家も公家も薬として、けっこう肉食をしている。が、この度は「あの鹿」のものかもしれないと、佐伯部を安芸の国へ移住させている。のちに平清盛が厳島神社本殿造営のときの神主はこの佐伯の子孫になる。宮島の鹿の素性やいかに??
 
 広島とそんな近しい関係がここに古代からあったのなら、なにか痕跡があって、ブログネタにならんかのー。と、うろうろ。
 猪名川が北摂の山から平野へでると、川西・池田の市街地へ入り込む。いや、猪名川の流れがここに扇状地を形成して、そして川西と池田がその上に発生するのだけど。その扇状地のすぐの川上に小さな扇状地ができていて、そこを多田という。そこに二つのタダ神社があって、ひとつは多田神社。と、多太神社。
 この多太神社は古代からの記録のなかにあって、奈良・三輪の神様をお守りした、オオタタネコの子孫がこの神社をお守りした。かれらオオタ一族は陶器製造の人たちで、ここにかれらが居住するなにかの訳があったのだろうと。そのオオタが太田になり多田になったという。三輪の神の神主であったオオタ一族と、ここに「うるさい」と三輪山から移された蝦夷たち、なにか匂ってきませんか。

 暑い、暑いといわずにこれです。
「秋萩を、しがらみふせて 鳴く鹿の 目には見えずて 音のさやけさ 読み人知らず」
 秋でしょ。まだですよ。
 この日は、まいった。暑くて、自販機をたずね走った一日でした。
 その多太神社は、これまで見たことの無い彩色がしてあります。モダンです。涼やかな「白」でした。
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by forumhiroshima | 2010-09-05 18:14


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