こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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自転車道

サイクリングロードに「なにわ自転車道」とつくと、道を極める求道者っへ感じがする。

尼崎の町はとても活気があって、それに古さのいっぱいで、震災の影響がすくなかったと聞くと、そうなんだろう、とうなずいてしまう。災害ってこの国にはつき物っていうが、そのすごさを西宮の新しい町にいると、古さのなさに、落ち着かないことで、感じてしまう。

地震でなくて洪水の災害で町が死んでいたときいた。それも「大阪」がである。
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古代大阪は文字どうり水の都である。ただし、沈んではいるが。

「日本最古の都市は奈良か飛鳥かとおもわれがちだが、大阪である。日本書紀に「孝徳天皇、都を難波長柄豊崎に遷す・・。初めて京師・ミサトを修め・オサメ・・・」を信ずれば都市計画された最初の都市で、かつ首都は大阪の地ということになる。
 その難波も、都が京都へ遷った古代の中期以降から没落をかさね、中世末の1496年に本願寺の僧・蓮如はこの地に石山御堂を創建するまでの約700年間はいわゆる「虎狼の棲処・スミカ」といわれるまでに「無住の地」と化したのである。上田 篤、橋と日本人から」

奈良にしても京都にしても、淀川の水運が物資の動脈であったことは、自動車も飛行機もないことを想像すれば、理解しやすい。もちろん、役に立たないが「自転車」もない。
がその淀川が洪水が運んだ土砂で水運がうまくいかない。そこで、尼崎から遡る水路が古代に開発されたという。それが神崎川。文字どうり神が割いた川になる。
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掘削されたのは摂津の安威川と淀川本流の間で、土砂がうまる淀川の河口をさけて、水運を確保したのが古代奈良時代だという。その入口の尼崎がにぎやかであったのは、歴史的事実ってことなんだ。それが今ににぎやかであることはすばらしいこと。
郊外の田んぼをつぶして、全国におなじような「にぎわい」をつくって、ガッポリって人たちに、ぜひ「一泡」お願いしたいものです。

さてこの神が割いた川を走るとなると、船で無い以上、ドウスベエ!だが、自転車は尼崎の商店街の縮小版、地方サイズをみつけることができる。すでに、かまぼこ・ねりもんは尼崎で、こぶの佃煮は高槻で、豆腐は摂津とこれまで、成果あげてる。ならば、淀と神崎にかこまれた「島」へ。
が、この島は中州として形成されたもので、埋立地とかわらない。神の仕業は人かのちがいだ。これが自転車で走ると、「埋立砂漠」となる。方向感覚がさっぱり。山がなくて、ひろい空があるだけ。
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が、さすが商人に町、大阪。うろうろしててもいつの間にか商店街へ引き込まれる。そそてそこに電車の駅がある。この場合ここに「神様」は鎮座してない。残念!!。
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うろうろしながら、淀川からの取水口に到着。いまは水門があって舟は行き来できない。残念。省エネの極致の舟はきっとこの国にはこれからいるだろうに。老人たちは、いま間に合わなくても、待てるのですよ。
なんて考えてると雨が降ってきた。川岸に「なにわ自転車道」のカンバン。ここならノンストップで尼崎にうまくゆけば帰れそう。でもすごいネーミングだよね。「なにわ〇〇道」
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by forumhiroshima | 2010-10-31 20:17

都市の資格・■?

大げさなタイトルです。
「都市の定義は、古来馬に食わせるほどある。今日では、農村漁村が物の生産場であったのにたいして、都市は情報生産の場であることに、多く一致してきた。都市は科学技術、芸術、スポーツなどの分野で情報活動を活発におこなっている。その情報生産の担い手は大学であり、官庁であり、マスコミや会社なそである。ところが昔は情報生産の担い手は神様だった。神様のいるところに多くの人間があつまり、情報が交換され、そのおかげで生産が向上し冨が蓄積された。都市は神様のいるところ、つまり神殿のある所では、梅棹忠夫」
 一方、都市はミヤコとイチバでできる町だともいう。ミヤコは政治だ。政治は情報であるが、イチバもそうだといえる。宮本常一が「ある市場に金物屋がきた。釜を買おうと思ったが釜がない。来年持ってきましょう、となった。その来年にやってきたが、釜が小さかった。もう一年まってやっと釜を手に入れた、」話を書いている。都市はこれが毎日となっている。
 その市場の主役だった商店街が衰退している。と思っていた。たしかに郊外型といわれる商業施設は売れない店はすぐに交換されて、情報を先取りって歌い文句で、ダイナミックに運営されてる。地方で地元でおなじような商いでは、ついてゆけないかもしれない。情報が先取りされてれば、そこへゆけば、あたらしい情報を買える。
 が、ふしぎにそこには神様は、いない。
 茨木市の神社を訪ねた。市役所そばってことで、わかりやすい。茨木神社と天石門神社という。神社オタクにはとても興味ある設定。そこに、阪急本通商店街があった。ここには阪急電車が入ってるが、ここは茨木のお城でしょうが・・!。
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すっごい!にぎやか。お祭りみたい。「茨木」ってなにが名物かいな??茨木ってどんな町??。この市場で、茨木みつかるかな?
 どれもお店、しっかり長そうな歴史がありそう。宮本常一さん「商い」はアキナウ。ナウは縄をナウのナウ。秋は収穫の秋、だから年一回の市。だという。時間を取り替えるとうなトレンドと、ここでしか生きてゆけないという商店街の戦いは、いかに?
 尼崎の商店街のすっごう元気だ。
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阪神電車の尼崎駅から西に、ながーい商店街。そばにおおきな鳥居のえべっさん。です。ここも神様セットされてまっせ。
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尼崎は海の町、ならば、なにか海がないかな?それが地元??観光客だけがそう思うのだそうです。
でもありますね。テンプラの店。経験からいうと尾道の桂馬って感じ。儲けましたってビルの店舗に、買うなら打ってやるっておばさんの雰囲気。これたまらんほど、好きです。だってこんな感じでやってると、いつなにがおきるか?しってますか?。でも、老舗の余裕、そうはならないわよ。です。で、いくつも、テンプラ買ってしまった。
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 そんな自分がすこし悲しくてながーい商店街の端まで走って見た。おっと、ここは自転車禁止状態、押してます。
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おくまった商店街がこれです。電気代だれがだすのか?なんて心配です。
ここにもう一筋商店街が走ってます。あやしいお店がならんで、繁華街ってことばおもいだします。ふと、これ!ってお店発見。
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吹き抜け、店員さんがそとに立ってます。「あいてますよ、自転車さん!」なんで判るの?オレの気持ち。オデン100¥時代は¥80ですよ、コンビニじゃないから、しかたないか??。なんて考えて、でももう暗くなるし、あと15kmあるし。
帰ります。「軟弱者!”」神様がいるのが都市だと、思ってるだろ!郊外型の神様いるのかよ!!「すみません、出直します。ウ、フッフ。ッフフ。出直し、楽しそう!。でも自転車どうする??
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by forumhiroshima | 2010-10-26 20:35

生まれる国

尼崎へ。アマは海女、海人、海部、海士のアマだ。武庫川と猪名川から分水された流れがクネクネと町を区分する。尼崎の歴史資料館に古代の尼崎の地図か掲示してある。そこには鉄道の阪急、JR、阪神が記載されていて、判断できてありがたい。が、JRは東海道本線とあった。西国街道は西宮まで、そこから山陽道と古街道が区分されている。JRもそうなんだろうな。
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阪急のタチバナ駅から南下していると「生島神社」を見つけた。ここは古代の海岸線地図では陸地になりそうだ。この古代の地図の示す陸地はいまの標高が3m以上に場所になっているようで、尼崎の海岸は-1mと地図に記載されている。「生島」と呼ばれるから、あたらしく生まれた島かとおもっていたが、この神社は海人たちの信仰をうける神さまなんだそうだ。
尼崎の市街地に海の人たちの町つくり、つまり路地を期待していた。東西は水路と呼ぶほどの川が行き止まりをつくるが、南北は規則正しくある幅で道が走っている。うろうろしてると、海岸線に走る高速道路の高架下まで来てしまった。自転車にとって高速道路の高架のしたは幹線道路にもなっていて、川のように、すぐに渡れない。道にそってうろうろ。大きな神社へでくわした。「貴布禰神社」とある。あの京都市街地の北、鞍馬山そばの貴船神社は、京都御所の真北に鎮座していて、なにやらそこに秘密ありそうだけど、ここに掲示板があった。その京都に鎮座するまえに貴布禰の神はここ尼崎に上陸し、ここから京都へ、とある。
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「伝説によると第18代の反正天皇の御代(1600年程前)の御創建といわれています。
浪花の津(大阪湾)に黄色い船に乗った女の神様が現れ、「われは玉依姫なり、この船の留まるところに社殿を建てて、そこの神様を大事にお祀りすれば国土を潤し、庶民に福運を与えん」とのお告げがあり、その船は淀川、鴨川をさかのぼって水源の地・奥宮辺りの川のそばから水の湧き出るところに船を留め、そこに御社殿を建てたと伝えられています。」これは京都・貴船神社のHP。
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面白い!!その掲示に、この神社はおなじ尼崎の長洲にある貴布禰神社を分祀したものだという。つまり、神様の上陸地点はここじゃないのだ。ならば、ゆかねば!と路地に裏切られても、あたらしいおもちゃをみつけた。
が、国土地理院の地図には神社の名はない。そこで、長洲あたりの神社をすべて、ご訪問ときめた。神社アルアル!ありすぎ。
片端から訊ねてみた。八幡、吉備津彦、天神・・・。どうしても「貴布禰」がわからない。さきほどの神社の大きさからすると、この家々に立て込んだ中で、かつ鎮守の杜がそびえてる・・はず??
やっとのことで、出逢えた。
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ちいさな路地の風通りの悪そうな場所だ。あの京都の華々しさなんてないのだ。どこかで「川床料理」なんぞ、期待してたかな。
でも神社ずらーと並んでた。吉備津彦神社は平安時代の貝塚が見つかってると表示してあった。このズラーが、古代の海岸線がのびたラインなんだろう、なんて考えた。
 
車道にでると「佃島」への表示。
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そうなんだ、ここの佃島の漁師たちが、江戸の家康に呼ばれた。移住した場所を、故郷とおなじ「佃島」と名付けた。神戸・明石の「釘煮」。江戸の佃煮、ってことらしい。ならば、佃の神様は、どなた?
島はすべてといっていいほど工場地帯。島の北の突端に神社があって、その側はマンション地帯だ。このあたりが漁民集落後ってことだろう。神社は田蓑神社とあった。
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アマガッパってことかな。そんな訳ないと、由来をみると、住吉神社とおなじ神々、そこに住吉と呼んだ時代もあったとある。
ここまでの海岸ラインの神々で、住吉さんがおられないと、心配してた。なにせ大阪の海の神は住吉さんにきまってる。ここにおられてよかったね。
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by forumhiroshima | 2010-10-25 18:43

古代、摂津の国にいた佐伯という人たちが、安芸の国に移住させられた記録がいくつかある。その佐伯が地名にのこっている。

生まれてからずっと広島でくらして、初めて移住したのが西宮市になった。そのそば東に猪名川が兵庫県と大阪府の県境になって流れている。この川の左右の地域を古代、摂津の国の猪名野とよばれて、そこに佐伯氏がいたことになる。

安芸の国から摂津の国へ。神戸から大阪までびっしりと住宅や工場や高層建築がたてこんでいる中にいると、緑それも濃い緑にとても会いたくなる。摂津平野の北川、北摂の尾根の際まで走って見たが、とても緑の中には入れない。ここは人々の営みのちからが緑を、おおい尽くしていると、感じる。

そうなら、佐伯氏がいたという猪名野をさがしてみようか?とキョロキョロしている。きっと安芸の国と攝津の国とが体の中でぶつかりあっていて、出会う景色に喜んだり、不満になったりしている。摂津の中の安芸なんて、どこかで結び付けたいのだろうか。
猪名という地名はとてつもなく広がっていて、尼崎、伊丹、茨木、箕面に点在している。稲とつく地名も猪名からだというからだけど。

伊丹の飛行場の西に猪名川を分ける大きな中州の島があって、その西の対岸に打ち捨てられたような、だけどとても自然な森が、細い古道と民家と工場の裏側にあった。民家との仕切りもなく、森に幾筋の踏み跡の道が交差している。
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その踏み跡が森をでるところに石柱があって、猪名寺廃寺跡とある。そこにちいさな遊具と祠の神社と、コンクリートのお寺がこれもくぎりなくある。コンビニのビニールの袋がちらばっているが、このゆったりとした空気がいい。
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ほっておかれたような、それもけっこうな広さと、降ってくるような小鳥のさえずりのある場所は広島ではであったことがない。というより、ずーっと昔空き地が点在して、そこを持ち主でない誰かがきゅうりの畑にしていて、その所在を大人たちが問題にすることもなく耕作がゆるされていて、だから子供たちは罪悪感なくそこのきゅうりをかじっていた。そんな昔のあのワクワク感が、ここにあった。

古代よりもっと前に、地球の温暖化により海水が上昇し大陸と切り離されたこの列島は、それまで草原であったのが、黒潮の暖流が北側、日本海にはいりこみ、そこへ大陸からの冷風が海面の水蒸気を雪にし、雨にすることで草原は森へと変わり、草原の動物・マンモスなどが死滅してしまったという。その動物たちを食料としていた古代の人々は、生存の際へ追い込まれたが、あたらしい森が生産する小動物や木の実、海流のはこぶ暖流のよる豊富な海産物へと生活をかえることで、生き延びたといわれる。その喜びの対象が「杜」として神の所在となったのだろうという。上田 篤。

もう一つ、やはり、ほっておかれた「杜」を見つけた。
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それは阪急の電車のすぐ側にある日野神社社杜。一切手は加えてませんとばかりに、落ち葉が積み重なって、ふるい小さな石造りの祠はひっくり返っている。ちょうどいまその杜で、神社ほ本殿と拝殿がまあたらしいヒノキでつくる工事がすすんでいる。祠のちゃんと直されるだろう。そばに武庫川からひかれた疎水の澄んだ流れもある。杜からも湧き出す流れがあるのだけど、工事でその泉水はみていない。それをさがすことがたのしみ。
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明治時代に上地令・アゲチレイという法律で政府が神社の土地を収用したこともあったという。その土地は政府によって売られ、収入とされた。地域の神社を一つに統合する法律でたくさんの鎮守が失われた。
神社のそばに幼稚園や小学校や公園がひっついてるってことが、多い。戦後の復興で土地が売られたことも、また戦前の皇国日本とのかかわりから、公共に土地が貸し出されたともいう。
杜の管理も大変らしくて、このごろ落ち葉を境内で燃やすことができなくなっている。ダイオキシンの発生ということからだ。杜の落ち葉はごみとして引き取ってはくれないという。量がおおすぎる。
老齢化した神主さんにはとても手におえないことだろう。

縄文時代、人々は森のなかで生きようとした。農耕や牧畜は行なわなかった。つくられたものには「力」がないとおもっていたようで、たとえばニワトリは時をつげる鳥であっただけで、食料となったのは江戸以降だという。にわとりは自然の中で生き抜く「力」がないと考えられていて、そのような弱いものは、自分の「力」をなくすと思われていた。ニワトリはヨタヨタ歩いて、かつ飛べない。農耕や牧畜をしらなかったのではない、という。その後稲作がはいってくると、山と野との区分が引かれる。「ここより上は神の地となすことを許す。ここより下は人の田となすべし。今より後、吾、神の祝・ホフリとなりて、とこしえに敬い祭らん。常陸の国風土記」こうしてヤシロをつくって祭ったという。ふたつの文化は共存した。都市と日本人・上田 篤。

この攝津の国では、「ほっておかれる杜」がありそうな予感がする。これほど人々の強いちからを感じる場所では、きっと法律やなにかで、杜をまもる手段がなくなってしまったのだろう。そこで「ほっておく」って知恵がでてきたのでは??なんて!!

移住させられた佐伯氏が神主として歴史に再登場した場所が宮島だ。平清盛の厳島神社建立の陣頭指揮を佐伯氏がになっている。神社の「杜」は地図に原始林と記載される。
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by forumhiroshima | 2010-10-22 17:21

泉水

初めて走る土地で自分の位置がわからなくなったら、まず郵便局、交番のマークを地図でさがす。訪ねて聞くって?「私はいまどこにいますか?」と郵便局で訊ねたら、「ここは◎◎局です。書いてあるでしょ・」なんてことになる。が、この二つをみつけて地図にあわせると、バッチリってことがおおい。いま走ってる摂津の国、淀川の右岸の町はびっしりと家並みとビル街で、判別がつかない。地図で平面に記載される高速道路と電車の高架はまず判別できない。
そのビッシリの町並みでもひたすら高い木々の森を見つけると、神社だとわかる。ランドマークとして、一種のオーラを感じる。間違っていても公園や学校だったりしても、緑には腹はたたない。

神社の杜は鎮守と呼ばれるが、はたしてなにを鎮守しているのだろ?ボソボソになった杜は、ランドマークとしてはありがたいが、ボソボソだと悲しくなる。
沖縄の神話「おもしろそうし」に「あの森の 森の側・ナエシ 島立ちも よしやげさ」とある。島はヤクザ屋さんのシマ・なわばりと同じ囲われた場所ってことのようだ。あたらしい村をあの森そばにつくろう!ってことだという。
今びっしりと家並みがつづくこの攝津の国の生まれたてのころ、だれかが「あの森で生活始めよう」とおもった森がいまに残って鎮守の森だと、すこーし信じている。

生活には森の木の実や動物たちの狩猟も必要だが、水が一番だろう。森は地下から水をくみ上げる。汲み上げると、地下水がすくなくなる。するとそこにあたらしい水が流れ込んで、そのうちその土地になかで沢山の水がながれこむ場所に泉水ができる。この逆に、泉水があって森ができる。その場所を開拓者たちは見つけるワザをもっていたのだろう。つよい吸水のエネルギーの無い場所では、ただの湿地となり、水がくさってしまう。木々の力がどうしても泉水には必要なんだ。

その泉水を神として伝承をのこしている神社がある。山城の国との境にちかい、水無瀬神宮に「離宮の水」があった。都を追放された天皇・後鳥羽上皇の離宮であった場所をその御魂を祭る場所としたというところ。13世紀建立。ネーミングがバツグン、人並みがとぎれない。
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水無瀬から西へ茨木の中央に磯良・疣水神社があった。ここに「よるべの水」がある。古代のジャンヌダルク、神功皇后が朝鮮半島へ出兵した際ここによりこの泉で顔を洗うと顔中に疣やしみができた。女でなくなって戦いにでた。帰還してまたこの泉水で洗顔すると、その疣やしみがすっかりなくなったという。「便・ヨルベの水」ともよばれる。現代のコラーゲンが噴出しているのだろうか?ここも境内につくられた蛇口の前に列ができてる。いぼみずさんともよばれる。ここが「天照御魂神社」であったが、のちにその境内にあった泉の神が中心となったという。その光景をみていると、おじいさんが自転車で走ってる様子だが、ぜひこの水をもっていけ!と勧めてくれる。コンコンと湧く泉水にカエルが泳いでいても、飲んでしまうが、蛇口からではね。モーターで引き出す水ではね、とはおもったが、ちゃんとペットボトルに入れてスタートしたよ。
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「石はしる垂水の上の早蕨・サワラビの萌えいづる春になりにけるかも」志貴の皇子{万葉集}は知ってるよね?なんだか聞いたような・・ですよね。
この皇子のお父さんは中大兄王子で後の天智天皇。この茨木・吹田はその王子とともに大化の改新をおこなった藤原鎌足の故地。ここ吹田の千里が丘に南斜面に垂水神社がある。歌がここを示すというものはいそうだげ、境内に歌碑が座っていた。ちょうど秋祭り。
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泉水はないが、岩はしる水がちいさな滝となってこぼれていた。境内の後は切り立った山だが、その北川の尾根なで民家がせまっている。ほんのわずかな残された森かをしぼるような流れのほんの一筋の水がこぼれていた。
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by forumhiroshima | 2010-10-21 19:43

油屋さん

韓国には店頭でゴマをしぼって売る店がたくさんあると聞いてる。大阪でないかな・とキョロキョロしてるが、発見してない。オリーブオイルもゴマ油も、しぼりたては、おいしい!!のだ。

サントリーの山崎工場からすぐの山城の国との国境の石柱を右折してほそい坂道をくだると、おおきな神社にであう。
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この南から淀川とよばれる大河が三つの川をあつめて流れ出す。対岸にはおおきな丘陵がぽっかりと浮き出ている。その尾根に石清水八幡宮がある。とりあえずの今日の目標地点。ここからすぐに対岸へわたる橋はない。北上してからおおきく右折して回り込むことになる。
山崎は文字どうり、「山のさきっぽ」でそこに大河があって、対岸にはおおきな尾根の丘、そしてここが都の瀬戸内海への出口。道も海路もここへ集まるほかない。山崎の山は天王山、決着をつける所になる。

その細い筋道の南が石清水八幡、でこの神社はと?「離宮八幡宮(石清水八幡宮)」とある。これなに?
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おおきな掲示板があって、「平安時代の初めに、清和天皇がわが身に太陽がやどる夢を見たときのお告げにより、九州の八幡宮から神霊を奉じてきた僧侶がここで夜の闇に光る霊光をみた。そこでこの地を掘ると泉水がわきでた。そこでここに「石清水八幡宮」を創建した。鎮座後対岸の男山にも分け祀られそれ以後対岸が石清水となり、ここは天皇の離宮であったことから「離宮八幡宮」と号した」とある。
清和天皇の即位の前後に男山の石清水八幡は建立されていて、そのころ清和天皇は9歳だというから、この掲示板の夢見伝承は・・・?かな。
石柱がもう一つ建っている。
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掲示板にこの神社の神職がえごまを搾って油にする道具をつくり、えごまの油の販売独占権を獲得し売り歩いた。えごまの油は灯明に使う物だそうで、ススがでにくいという。食べたことはあるが、無色で無臭にちかくて、上品。火をつけたことは無い。境内にはこの油売りの銅像もあって、えらく強調されている。神紋も八幡宮の巴でなく杉紋という、オシャレなものだ。
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これって奈良の三輪神社の神紋でオオクニヌシの神社。「アレー?」拝殿そばに、カンカンが並べられている。油のカンカンだ。そのそばに「油祖離宮八幡宮崇敬会」という名簿が打ちつけられている。有名な会社ばかり。
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調べるとこの会は1896年発足だという。日清製油は「日清オイリオ」。吉原、豊年、味の素は「J、オイルミルズ」。日本油脂が日油。すっかり数が少なくなってしまってる。崇敬会ももうないのだろうな。でもあたらしい会員がそばにいるじゃないかね。ごま油・セサミンのサントリーですよ。
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by forumhiroshima | 2010-10-18 11:03

しぶといヤツラ

西宮に暮らし始めてもう半年になる。ふしぎな時間がすぎているようだ。
そのもっと、不思議にJR西宮駅そばで、であった。
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古代ここは内海で、津門という港があった。今その海岸線は標高差1mで、地図のなかに残っている。それに、津門神社として。
JR、以前国鉄という公共企業は、その公共という役目から、その町の流通を支えるべく設置され、それが成り立つかどうかは二の次、それが公共というものだった。其の分がいまも、廃線とが無人駅とかの形で努力されているが、ふと訪れたような場所では、その町の幾分か前の時代のにおいを残していてくれたりする。そこが儲かりそうだ!って、駅うつすわけにいかない、のがつらい、ってこのごろのご時勢。だから、そこになにか!なにかあるのをみのがしてはいけない!。「どうして、いけないの}なんて聞かないで。

西宮は、阪神大震災からもう十五年だと聞く。町はその傷跡もないような復興をつづけているようだ。なにも無かったとしたいような、熱いものすら感じる。すごい、としか半年ほどの滞在の時間では思うほかないようだ。

が、復興から半世紀以上の故郷・広島の同じような景色をどこかさがしている自分にであうことになった。昔をかえられないって所もあるのだよって。復興したが、それはその意味どうり「そのまま」の再現。でも戦後生まれの自分には戦前の広島は知らないのだが、なにかその昔のままだと、確信する景色が復興されてるとおもっているところがある。それは広島駅横の荒神市場、いまは友愛市場という所がそうだ。そこは、商品は飾ることなく、台に広げられていて、飾るところは無い。それが品物への自信なのか、ただめんどうなだけか?そのどちらでも、イイヤってほどの迫力と倦怠感が、とてもクールだ。

西宮でそんな「クール」にだあった。西宮のJR駅の南口の西にある「西宮東卸売市場」がそれだ。
以前ここでみつけた「カツオブシ」屋さんのある市場。広島ではみかけないカツオブシ専門店で卸屋さん。震災ですっかりつぶれたトタン屋根のアーケイドと店舗を起して立ち上がったが、いまはすごい雨漏りで、後悔しているそうだ。
が、そこにならぶカツブシの器械が、その天上を支えてるほどの迫力で鎮座している。
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けずるカツオ節はすべて一本釣、網でのカツオは使えない!!とい親父の迫力はすごい。これも天井を支えてる。これみろ!と、送ってきた箱に手書きで一本釣のカツオとある。
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真っ黒なカツオブシをたたけば、「コーンコーン」と澄んだ音色。まじ、こんな世界がまだこの日本のあるのだ。あまりにも、説明に熱い親父をさけて、すぐ前の店先をみた。えーこれなにやっとるん!。そうたずねた、カツオブシやの若旦那が、「卵焼きですよー」と低い声。早朝からですから、もすすこしで終わりますよ。時計はまだ7時半をさしている。
熱いカツオブシのおやじを無視して卵屋へ。「卵ください、売ってください!!」イイヨー、と是も低い声。どうしても残したい物がここにあるってことか!。厚焼き五つで395円。ウッソ!ヤッタ!イタダキ!ウレシイ!!・・・。   ウメー!!。
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by forumhiroshima | 2010-10-13 21:12

街道

岩清水八幡宮へ行きたくなって、西宮から西国街道を東へ走った。走るのにもってこいの季節と休日とで沢山の自転車乗りたちにであった。おどろくほどMTBが多くて、ジャージをきこんだヘルメット姿は、出逢うことがなかった。岩清水八幡宮からの帰りは淀川堰堤をつかったのだが、ここはロードレーサーのバリバリコースだった。使い分けなんだろうかな。
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西宮の図書館で旧道の資料をさがしていて、西国街道と中国道、山陽道とが、どうも使い分けされてるって印象があったのだけど、それがどうしてか?は判らないままだった。
伊丹から茨木に入る街道に「西国街道は古代から京都と西国とをむすぶ重要路で、江戸時代には幕府は管理する五街道(東海、中仙道、日光、奥州、甲州)に接続する脇街道で、伏見から分かれて、山崎、芥川、郡山、瀬川、混陽、西宮の各宿をへて中国道につづくまでを山崎道としこれが西国街道」とかかげてあった。
六甲の山が陸路を阻んでいただろうってことは、神戸の町の崖にはりついたような景色で理解できる。都からその六甲の山を越えるってことは、とても大変なことだったろう。ここを「武庫」と呼び、それが「向こう側」のムコで、ムコを六甲と当て字したって話も面白い。

が、西国街道の一部、京都から九州・大宰府までの中国地方分が中国道で山陽道だと、思ってきただけに、この説明では、「脇街道」のそのさきの街道が中国道になるって、少々どころか気分よくない。道はよく整備されて、山陽道のように消えてなくなってるってところもないようだし、道は走ってればここが街道って判別できる。ところどころに標識も設置されて、カラー舗装ってところまである。
でもそれだけにコースすべてが街中で、その中の自転車走りのオアシスってことなんだけど、瓦屋根のむこうの空は高層ビルに占められている。
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ただただ走る!ってシンプルさは古道にはない。それだけに、ゆっくりとすぎてゆく景色と空から吹き込んでくる風はほしい、ところだ。ロードは河畔の専用道、・・・ってことなのかな。さびしいな。

新幹線でみる「サントリー山崎工場」そばまでくると、なんだかウイスキーのにおいが漂ってくるのじゃ、なんて、すっかりコマーシャルに洗脳されてるから、クンクン。残念ですね。酒どころの西宮の酒蔵もでっかい工場群で、においなんてどこにもない。
道が直角にまがり下るところに、おおきな石柱が鎮座している。これより東は山城国。その側に関所のようなふるびた神社と建物。うーん、やっと、旧道の風が正面からやってきた。ここスピード禁止!です。
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by forumhiroshima | 2010-10-12 10:48

御霊、御魂

茨木の御魂神社の朝日遥拝から、茨木の神社訪問となった。
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この中心になるという福井地区の新屋坐御魂神社は太陽の遥拝だけでなく、南北に30度、45度、60度に神社を配置した構造も持っているという。それが訪問のわけだ。
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日本の神々に記載された太陽を遥拝するシステムはここだけでなく、京都にもあるという。
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茨木の町はどこか古い感じが残っている町で、あの震災の被害も神戸にくらべて小さかったのか?とおもえるほど、景色が鄙びていて、歩いている人々が近くかんじられる。そんな一画に溝咋神社と茨木神社の中に天岩戸別神社があった。

天岩戸別神社は、なつかしい名前で、石見の浜田の市内へ入る国道のそばに鎮座してある。背景に大きな岩場があって、これが「石見版天岩戸」かいな!とながめたことがあった。もう一つ広島県大朝にこの名の神社がある。ここには大きな岩はなかったように思うげここも国道の側にある。ここには思い出がある。こんな写真を見つけたことがあった。
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このストーンサークルまがいの岩をさがした。もちろんあったようだ??のことは判っていても、なんだ。
古代の日時計ってことか?天体観測用か???なんて楽しいじゃないですか。

わざわざ春分・秋分の方向を確かめて、その基点になったのだろうと、学者の先生たちが、それできっと苦労してるだろう、この神社の配置の一つに、ずーっと昔の測定器をもっていたと、うわさされる神社も加えてるって、ことだったらおもしろい。

「天」とつく古代の神々と、そのほかとくくられる「国」神の違いはこの太陽を見据えるか、いや月がわかりやすいというか、なんだろうと思ってるが、そうとばかりはいえないのが、このストンサークルが「天の」神々がこの国に出現する、ずーっと前にあるってことだろう。「国」神の国・出雲にもストーンサークルが現存している。
 
その回答ってワケじゃないが、太陽を使って、なにか考えてる「天の」人々がいるように思える。シンプルに太陽を受け入れて感謝したり、おそれたりしてはいないような。でなきゃ、こんな神社で装置をつくるってバチあたりなことはしないだろうよ。

茨木神社からでると、西宮の方向に千里が丘がそびえている。あの「万博」の丘。むかしここで、ロードレースあったっけ!古い。
そうだ!太陽の塔に会いたい!!

休日で塔のしたまでは入れなかったが、すっごく「なつかしい」と感じた。1970年親父がなくなって、自転車やになった年。大阪のメーカーさんへの挨拶周りにきて、万博の会場へはいろうか?まよって入らずに帰った。人々のざわめきに追い出された気分に取り巻かれた。
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[縄文聖地巡礼」なる本を坂本龍一/中沢新一のビッグコンビで出版された。「パワースポット」案内かいな?などとつぶやきながら、買ってしまった。「世界の根源は、墓地。意味も吹き飛ぶ、分子も吹き飛ぶ、その上に湧き上がってくる歓喜というもの・・太陽の塔」中沢新一。「井戸尻考古館の土偶は太陽の塔にそっくり」坂本龍一。
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1970年遠くからこの塔を見たとき、太陽なのに、なぜ避雷針があるの、どうしてフクロウの顔なんだろう、夜じゃないのに、胸に北風小僧がいるの、いいのかな。っておもったっけ。
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by forumhiroshima | 2010-10-08 17:19

神々の設計図

9月22日早朝5:20遅れたよ!って飛び出しました。明日の23日が秋分の日です。が雨の予報。秋分の日は真東(って言葉あるのかな)から太陽が登ります。雨では日の出がみれないのです。
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茨木市の安威はよく残ったとおもえるほど古風な集落です。そのそばに新屋坐天照御霊神社が三箇所鎮座している。「日本の神々、神社と聖地3」の摂津の国のページにこの三つの御霊神社が紹介されていて、この三つの神社の位置関係が。夏至と冬至の日の出の位置に関わっているとある。その夏至と冬至の中心線が春分・秋分になる。ならば、その神社から真東を見てみよう!と考えた。
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三つの御霊神社のうち、その基点といわれた茨木市福井の神社へ。日の出は5:45ごろとあって、着いたのはもう6:00をとっくに回っていた。でも本殿にはまだ日差しがかかってはいなかった。すこし境内でまってみる。拝殿に日差しが差し込んできたが、すこし南に寄っている。ほんとうに、真東に向いてるってことだはないようで、すこしガッカリだ。
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この様な神社があるシステムの一つであることは、けっこう証明されている。古代それも縄文時代の環状列石遺跡もそういったシステムで、そこに神が鎮座するのでなくて、神の在り処をその施設が指し示すという、とても神秘的なシステム。たとえば、同じ御霊神社の鎮座する京都を見てみよう。
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蚕の宮とよばれる木嶋天照御霊神社・コノシマニイマスアマテルミタマジンジャは京都の周囲の山の頂をつなぐ直線の交点に鎮座している。指し示す山々は、京都の最初の開拓者といわれる秦氏にかかわる山だ。古代湿地であった京都に浮かんでいた島を中心に秦氏は耕作地を拡大していった。治水工事もでき、木嶋を中心に太秦という土地ができ、そののち平安京に発展する。その中心は御所でなく、この神社なのかもしれない。今の賀茂御祖神社の「糺の森」はこの地から移転された名だという。「元糺の森」である。秦氏がこの国に持ち込んだ絹の生産拠点であったとして「蚕の社」ともいう。ここで養蚕がさかんであったということでの「社」ではないようだ。古代に山々の頂上を結ぶ直線の交点は、頂の交点であって「弥盛地・イヤシロチ」という古代中国の風水思想での聖地をいう。ここが古代京都の中心の聖地だったという。そこに御霊社が鎮座する。
この境内に三方向をむいた鳥居があって、有名だ。
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この正三角形の正面は双つ丘へ対峙されて設置されてる。この丘には秦氏の古墳の集積地がある。

ではこの安威の御霊神社はなにを示しているのか?
なんて、判ろうはずも無い!のだ。ただひたすらあとの二つの御霊神社をたずねるほかできないのだ。
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by forumhiroshima | 2010-10-01 20:23


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