こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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巫女たち

暗峠の上り口で、であったおじいさんに、ふと石切神社の場所を聞く気になった。このあたりは地図で路地の宝庫の様子。そのおいしい路地めぐりには、峠の下りの歩きでパンパンになった足は頼りないし、ここから西宮へかえらなきゃいけん。だから路地裏探検は次回とおもってたけど、そのおじいさんがフト、自分の健康法を話し出して、歩くのが一番だという。自転車が気になってるようだけど、どこか意地はってる。散歩コースは?ときくと、石切さんだという。すぐ側らしいく、走って見た。

石切さん、は以前悪性腫瘍をきったが、再発をくりかえす人がおられて、もうダメって医者に宣告されたが、そうならとこの石切さんにお願いすると、満願の日に腫瘍が消えた。と聞いてた。その記憶がよみがえって、「切る」ってことの連想だろうと、忘れていた。が、そばにきていた。

おおきな門の奥に石の鳥居がある。
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その側の駐車場へ車が長い列でまっている。鳥居の向こうの本殿の前を渦になって人たちが早足で回っている。お祭りでもなさそうだけど。
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お参りするのに、その渦の外から。みなさん、真剣そのもの。コーナーは体が傾いて回ってゆく。

鳥居側の閉まった事務所のガラスにハリガミを見つけた。
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お百度を踏まれていた。その事務所の東の生駒の山中に、神社の上の宮があって、そこまでの間に近鉄の駅があると表示。その間が商店街の横幕。すっごく賑やかだ。
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石切剣箭命神社・イシキリツルギヤノミコトが正式な名称。生駒山だろうといわれる、哮峯・タケルミネに降臨した神をまつるという。
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この神を祭る人たちを古代の部族の物部氏とよび、河内一帯にひろがっていたという。河内はここに大きな湖があって、この生駒山のすそまで湖がひろがって、瀬戸内海とつながっていた。
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そこへ九州から神武天皇が遠征してくる。そして生駒の山麓の日下に上陸しようとするが、物部一族およびナガスネヒコの一族に追い返される。神武一行は紀伊半島を南下し、再度上陸して熊野から奈良へ。

由緒ある土地なんだね。商店街のお店はどこも清潔感がいっぱい。せんべいのおこわもつけものも、そんな手作りのお店がならぶ。パッケージされた「おみやげもの」は見当たらない。けっこう登ってくた。ほそい参道のそばにお不動さんが苔むしてある。その前でわかいお坊さんの護摩修行が始まって、護摩が炊かれだした。参道はお参りの人が足を止めている。リンとした風がふいてる。
そこからのぼりと、いきなり「占い」のカンバンが林立しだした。ちいさな小部屋はガラス張りで其の中に女性が正面にすわってお客さんをまっている。というより、どこも一杯のお客さん。護摩の煙がひろがってきて、読経とほら貝の音がきこえる。
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もう一つ自分のこころの奥のページがきっとありますよ!って感じさせられた。
河内言葉は神武さんより前のこの国の標準語だといってた大阪の友人を思い出した。

また神社前までかえってパンフレットをいただく。そこには「御神体は神武天皇の蹴り上げ石」だとある。ここは神武天皇をけりだしたところだよな?
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by forumhiroshima | 2010-11-30 11:23

暗峠

大阪と奈良とを結ぶ道は生駒の山越えになる。生駒山は大阪湾から東にみえる一番高いピークで、瀬戸内海を東へと進んだ船旅の終点のランドマークになるだろう。
西宮の甲山からみると、山頂に電波アンテナが林立している。すぐに生駒だと判別できる。この山頂によく雲がかかっている。が、大阪の町は高層化していて、とてもランドマークにはならないだろう。広島だったら、南の似の島の安芸の小冨士をふくめて、山並みが四方のどこかにある。

生駒の山頂のすぐ南の鞍部に「暗峠・クラガリトウゲ」がある。ウィキペディアでは、関西酷道マニアにとっての聖地とあるように国道308に指定されている。が「国道とはいえ自動車で通行するのは困難なほど道幅がせまく」ともある。
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この峠に行ってみたいと思いだしたのは、「飛鳥と難波」というちいさな写真集をみてからだ。
「生駒山麓にある枚岡神社の北から、山越えで奈良に入る道がある。難波と奈良を結ぶ要路で、古くは直越・タダゴエといった。峠は440m、そこを暗峠というが、かっては峠茶屋が発達して町並をつくっていた。いまは農家数戸となり、むかしの石畳を残している」と解説。峠の茶屋に石畳とくれば、わすれられない。暗峠ってネーミングがすばらしい。これまで、いきたかった。
MTB全盛期に大阪や堺の自転車乗りに人気というか、足つきナシの登りコースだと知れわたっていた。部品メーカーのテストコースだとも。

枚岡神社境内は紅葉狩りのハイカーさんがいっぱい。峠へはいるとコンクリートにカンズメほどの滑り止めのマークの路面。たしかにすごい傾斜が続く。峠道にだんだんハイカーさんが増えてくる。斜度まますますきつくなる。コーナーは半端じゃない。押すか?と自転車を降りようとするが、ペダルはずす間がない。やっと路肩の拡がりにはいって、フー。ハイカーさんの注目をあびる。「アブナソー」「無理無理」という視線がきつい。
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そばにあった民家の横に自転車押し込んだ。退却はできないよ、あの石畳みるまでは。歩いて登ることにした。SPDのクリートがコンクリートにすべる。ここから2km強あるみたい。
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すこし上ると、道の脇にロードが二台。レースシューズのライダーが展望を楽しんでる。ここまできたか!が、ここまで、らしい。下り、大変だよね。
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そのすぐ上にトラックが落ち葉でスタックしている。通行人を数人呼びとめ、落ち葉を掃除してやっと動いた。ここに入っちゃいけんよ、と運転手さんおこられてる。そのスタックをジーット車中で待ってた軽四乗用車がビーンと登ってく。手伝ってから、登れよな!と車おした全員の感想。自転車置いてて、大正解です。

峠のピークは、コンクリートから石畳になってる。これ、これ。
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この写真が1973年の出版のもの。農家の前で野菜や漬物を売ってる。ハイカーさんたちがしっかりご購入。繁盛してる。
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峠の中ほどに芭蕉の句碑があった。1694年9月9日ここを大阪へ下った。
「菊の香に、くらがり登る節句哉」とある。9月9日は菊の節句。この峠の奈良側は知らないのだけど、「くらがり下る」が実感。くだりで足がパンパンになってしまった。芭蕉はこのあと大阪で死去されてる。銀杏の御堂筋にその石碑がある。

下って枚岡神社よこでおじいさんに声かけられた。この自転車軽いか?。峠あがれるか?。まあ軽きけど、峠、上がれませんでした。そうか、今日朝たくさん、こんな自転車が上がってったよ。
マジかよ!!。大阪むかしから自転車強いよな!いるもんだよな!まいったな!。はよカエロ。ゲロゲロ。
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by forumhiroshima | 2010-11-29 17:32

沖縄タウン

大阪の古い写真をみてると、どこかなつかしい写真を見つけた。
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自分が生まれた原爆ドーム周辺の川岸は川面へ半分もつきでた家で埋まっていた。廃品回収の一家が隣にあって、そこもこの写真に似ている。昭和の30年代のことだ。

「大阪の市が南へ南へ伸びてゆこうとして何十年か前までは田舎であった土地をどんどん住宅や学校や病院などの地帯にしてしまい、その間へは長屋がたくさんできて、野原の名残が年毎にその影を消していきつつあるというふうな町なのであった。梶井基次郎・のんきな患者」
そんな町のふくらみは、この大阪の淀川がはこぶ土砂によて、より南へひろがってゆく。大阪湾の河口から二十数キロさかのぼった茨木市に溝咋神社・ミゾクイが淀川の支流のそばに鎮座する。
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この神様は杭をうって溝をつくり、川がつくる砂州の水を抜く杭をうち、そして灌漑をする神様だとわかりやすく解説する先生もおられる。わかりやすいね。

新幹線の新大阪駅のある大阪湾へつきだした島の南へ写真のあった景色みたいな名残はないものかと、入り込んでみると、自転車道路の表示にでくわした。工場と民家がびっしりつまった町にえらい余裕やんけ!と乗り込むと、エー。自転車道路は真っ青にペイントされて、「雨が降るとスベルよ」と注意書き。ならが塗るな!公園になってる自転車道の木々は紅葉のまっただなか。赤や黄色に青い道。にぎやかで、これって大阪の趣味かいな。ふと気付いた。青色は川の色やんけ。
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ここは埋め立てられた川の跡だと石碑がある。中島大水道跡とよばれる。この川は江戸時代にこの中島の農民が排水のために開削したものそうだ。ここにも「ミゾクイ」にお神様が出現したのだ。が、神様はこの工事をお上の認可なにに決行したがために、とがめられて自害したと表示されてた。

写真の場所はこの中島の隣の隣、大正区の北恩加島の一部で、台風ののちに出現した大地がくぼ地で水はけもわるい場所だった。このあたりに木材貯蔵の海と製材所がたくさんあって、そこになる材料でそのくぼ地にバラック小屋をつくって住み出した人々だという。
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大阪港と沖縄とに航路が明治からつけられていて、このくぼ地に家を密集させた人々は出稼ぎで沖縄からわたってきた人たちで、いまもここの住人の多く、半分以上が沖縄をふるさとにするという。そのために、ここには沖縄が出現する。
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くぼ地を「クバンガァー」と沖縄の方言でよんでいたといわれる。写真の場所は水没している。
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自然がつくる大地が足りなくなると、人間は土砂をわが手ではこび、海を埋める。この埋め立て地に出現する山は、たとえば江戸時代に大阪じゅうの人たちでおこなった川ざらえででた土砂をうめた天保山、もうひとつ大阪万博にいそいでまにあわせた地下鉄の工事からでた廃土をつみあげた昭和山。
どちらも公園に整備されてる。どこか「オオサカ、でんな」と思ってしまうな。
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by forumhiroshima | 2010-11-26 17:57

オオサカ・ウオータフロント・クルージング

早朝のスタートはすこし遅くなった。どうもシャキとしない時間の中にいる。

天気予報は15度と寒くないはずが、指きりの手袋ではすこしシンドイ。どうも調子だあがらない。「飲みすぎ」ではないぞ!!

西宮から大阪へはいつものR2号線。幹線道路はこのごろ整備されるごとに自転車が排除される。神戸から大阪への開通したR43は尼崎の陸橋は自転車通行不可でそばの階段通過になった。R2号線も広くて側道が走りやすい。がふと気付いたことがある。普通に走ると「橋」を通ってることに気付かない。スムース!。
「現代の橋の思想は、一口でいって橋そのものをなくすことにある。橋の上であることを感じさせないような橋、たんに道路の延長である橋、それが理想とされる。
橋の中央部がふくれあがると、見通しがわるくなり、あまつさえそこが橋であることに気付いて、ドライバーが両側の景色をのぞきこんだりして前方への注意力をそぎ、渋滞や事故をおこす原因とみなされるからだ。上田篤」
たしかに!ってことは、よそ見するな!ほかの車のジャマになるな。気に入らなきゃ、走るな。羊なんだよ、お前たち!・・・ってことかな。

R2も大阪に入って、歌島橋の交差点は地下へ降りなければいけない。登るとすっかりすすむ方向を失った。なにせ5交差点のJR高架まである。見渡せば空にはおなじ高層建築。あとは埋立地のおきまりのランドマークなし。
また上田篤先生の解説を「埋立地はだいたいにおいて恣意的にふやされていってるから、通りの方向も一定してはいない。盆地都市ではないから周囲に目印になるような山もない。そうなると人々は都市のなかで方向感覚をまったく見失ってしまう。「埋立砂漠」といわれるゆえんである。上田 篤」

自転車はますます路地へ向かうのだ。

自転車に路地でなく川がある。それも大都会の大阪にだ。
淀川が運ぶ土砂が大阪を海へと成長させる。人はそこに住み、仕事場をつくり、船をいれる。土砂のつくる島は川の流れを止めることはできない。川の神々のご機嫌をうかがいながら、そこに生活をつくる。が、島々の連絡は途絶えさせることは、生活がなりたたなくなる。島々を連絡する橋がいる。が、問題が起きる。橋は船の邪魔になる。巨大な生産空間・生産現場をつくるこの都市は、その矛盾に海面よりとても高い橋をつくる。その下を巨大な船を航行させるために。
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その結果歩行者と自転車の行き場がなくなった。車しか行き交えない場所はとても不便なことになる。そこで川に路地が発生する。
また上田先生に出てきてもらおう。「棲み分けとかナワバリとかいった構造のもとに、異種の動物とか、あるいは同種でも力の強いものと弱い物が共存できる。
テリトリーとかナワバリとかそういうものを個人個人でつくってゆくと、迷路・メイズにならざるをえないのです。しかも、弱い物は迷路で助かっているのです。弱い物は迷路であるから住んでいられるのです。ねずみしか通れない穴をつくっているから猫は通れないのです。そういう迷路はお城みたいな、城壁みたいなものです。みえない城壁だとおもうんです。住んでいるものにとっては、迷路は迷路ではないんです。迷路が迷路に見えるのは訪問者です。」
川の路地は自転車と人しか運ばない。それが「渡船」


大阪の都市は海へ突き出してゆくサキッポ。昔なら「岬」と呼ぶだろう。そこにいくつもの渡船が設置されている。その場所は江戸時代、この島々、いまの埋立地(実はその基礎は川の神々の造型なのだが)に設置された場所だという。すべて大阪市営で無料。
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この渡船を自分のように、遊びで使っていいのか?な。と思っていたら、船員さんが船にこんなハリガミ。
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きっと、この渡し舟がスキなんだろうな。だって、すっごくきれいな景色の連続だもの。
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10月末からユリカモメきてます、って告知もしてあった。
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夕方はすっかり混雑だ。
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夕刻の渡船って、とっても気持ちいい。開放感があふれてくる。たとえ毎日サンデー、の人だって。
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by forumhiroshima | 2010-11-24 22:16

重層する時間の中

西宮から京都は約70km弱の距離。往復8時間かな。
気まぐれに京都の寺社へいってみようか,と思うことがある。このごろ朝の走りができてなくて、体がもやーとしてきた。「おかしい、かな?」って思ったら走るにかぎる。まちがいなく自己診断ができる。それは強化された自分ではなく、ゆっくりと老いてゆく感じの確認なんだが。

先日鳥羽へ走ったとき、京都へでなく、宇治川を遡るとすぐに宇治の町だと気付いた。自転車で行けそうだと。なら平等院だな。

西宮から尼崎。ここから伊丹、豊中、吹田等々市境もないビッシリと住宅が連なる行き止まりの町。ここをぬける道は西国街道と、いくつかの幹線。古道がありがたいが、時間がかかる。道幅が広くて、左の白線と路側まで広い道が走りやすい。そうなると、ここではR2号線。梅田へぬけずに途中で北上する道をえらぶ。ここはどこも路地っぽい車道でレフトラインと側溝の細いところを踏む走りはぜったに肩こりになる。そんな時間がやってくると、いきなり路地へ。豊中や吹田はおおきな門と高い塀の農家とおもえる集落と建売住宅とが複雑にからまって、引き込まれる。自宅をゴミ置き場にしている家もあれば、森の中に消していってる家もある。
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このおじいさん、まだまだ、だそうだ。イギリスのガーデニングにも負けてないね。

高層マンションと二階建ての住宅とふるい民家のカクテル風景はこのあたりのあたりまえの景色。
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小さな地蔵堂や戎の祠、石柱の道しるべや赤い前掛けの仏たち。大木のある神社や、でかい屋根がそびえてるが、いつも門が閉まったお寺。その前や横の隙間につっこむ駐車する車や自転車。
時間と言い表すより時代が重層する景色。

豊中の市内をながれる川のそばに蔦のからまった廃墟のアパート。
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宇治・平等院の境内はひとひと人。なぜかお坊さんはみえなかった。
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すっかりおそくなって、R1号線でやっとたどりついた大阪・梅田。8時間はとっくにすぎた。
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重なる時間をすごしてきた。それをいつか繰り返していると、今の景色の中にはない景色、すぎさった、景色に出逢えるような気分につつまれた。大阪が淀川のはこぶ大地として現れたころ、いや、もっともっと前、マンモスのいたころ、今につながるときのすべて、を知りたくなってくる。重なった時代を逆にたどることができれば、できそうだ。

平安から今を、一日景色として追っかけた自転車。十三のとても気になる居酒屋、尼崎のもっと気になる居酒屋をただ通り過ぎなくてはいけない自転車。アア、自転車。
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by forumhiroshima | 2010-11-19 11:26

大阪・梅田、祝杯!

このごろ、なんだか調子がわるい。自転車ころがしても街中ばかり、がいけないのか?どうだか。

日曜日ごとに掲載される新聞の書評で「一万年の旅路ーネイティブアメリカンの口承伝」があった。

摂津の国を走っていて、神社の構成た古墳の製作といった古代の活動の中の、方位とか単位とか位置とかのありようがすごいってことはわかっても、それがはたしてどんなにして行なわれたかは、さっぱりだれも教えてくれない。わずかに大英博物館から出版された書物がエジプトやギリシャの事例を示すばかりで、それがあたらしい土地を走ろうとする意欲を減退させていた。街でみる高層建築はいまのところ地図では示されない。グーグルほどのHPでも3Dがその建築を判別させない。それは地図ではなくて、コマーシャルだからだとおもってる。それに、これが強く思うことだけど、GPSで今の自分の位置を確認したとたんに、なにかが体からぬけてゆくのだ。GPSが教えて、考えなくてもわかるってことと、自転車で自力で走るってことはきっと自分の中では、相容れないのだろう。

「一万年の旅路」は一万年どころか10万年もかけてアフリカから旅立ったモンゴロイドの人々が中央アジアをぬけ日本海沿岸を北上し、ベーリング海峡をわたり、北アメリカの五大湖の湖畔に到達した記憶の伝承だという。そのモンゴロイドが日本海で分離し朝鮮半島を経由して、氷で覆われていた対馬海峡をわったって、この国の縄文の文化をになった人たちと考えたら、こりゃ大変だ。出雲風土記の国引き神話と混線してしまうほど、面白い。ヤマトに敗れて信州諏訪へ逃げた神様は、縄文の神様だともいう。諏訪神社の御柱祭りが縄文の祭りだというように。

さっそくに「一万年・・」をさがすと、大阪梅田の紀伊国屋にあるようだ。日曜日の朝日新聞の書評だから、きっとだれか、オレとおなじような反応してるだろう。書店の在庫は一冊だという。
今日、ギャンブルで梅田へ出かけることにした。在庫の確認もしてない。先日星野道夫さんの著書もいくつかもらえた。植村直美さんの文庫も読み返してる。エスキモーたちが、位置、単位、方向を計る情報がそのなかにないかと。でもその情報は見つからない。なぜ、このおもしろいこと、古代の人々の科学、が紹介されないのか?。だったら「一万年・・」にもないかも。でも本屋の在庫があれば、ラッキーにその中にヒントがあるかもしれない、と賭けにでてみた。

ありました!一冊だけだが、発見です。
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しっかりだきしめて、ソソクサと向かいました。梅田・紀伊国屋からJR大阪へぬけるそばの阪急の食堂街へ。ここ昼間っから遠慮なく、アル中と、おもわれることなく飲める街です。路地と小さなお店の集合体で、今新しく建設される阪急デパートの隣、JRのガード下です。ねずみの穴にネコは通れない、からネズミは安心、が路地です。昼酒安心が路地ですね。
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ここにもう30年前から、といっても出張があるときだけですが、立ち寄る串揚げやさんがありますね。こんな表示がしてあります。
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といっても床はきれいです。お店の容器もステンレスのピカピカです。
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張り紙があって、「冬来たなば、春遠からじ、・・雲水クロガネ」なんて張り紙。漫画家の書置きでしょうね。「ここでのんでら!一緒、だね」この店もう40年、だけど持ってる本は一万年、こりゃ縁起がいい。なぜかそう思ってしまった。

ビール一本でお店でて、また紀伊国屋へ、すこし歩くと胃の中が落ち着いてくるね。店の正面に、志水辰夫の「行きずりの街」が積み上げて、11/20映画化公開とある。シミタツは一時もう書かないなんっていってたよね。筒井なんとかと同じかよ!とパラパラ。そばで若人が雑踏のなかかわいい女の子に一生懸命になにか伝えてる。自分の夢らしい。きになって、シミタツの文庫のうえをすべる。彼女、彼をみてうなずいてる。「もう大丈夫だよ、君の言ってることは彼女きっとさっぱりわからないだろうが、君のことしっかりわかってるよ」

文庫もってまた串揚げやさんへ。胃袋すっかり落ち着いて、これからが本番。ついでに、おばさん写真撮らせて、と、ビール一本と、ブタと若鶏!キャベツがスー交換され、とあたらしくなった。ゴミは書いてあるが、キャベツ無料です、なんてこと、書いてないのがクールだよね。ブタ串、アツッツッツ。
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by forumhiroshima | 2010-11-16 16:41

知りたいねん。「その街は今」柴崎友香

「・・やっぱり大阪の、このへんの知ってる場所の写真が見たいな。ずっとこのへんうろうろしてるやん。ここが昔どんなんやったか、知りたいねん。」別の街で暮らしていたら、やっぱりその街の写真を集めたと思う。ただ、わたしはこの町のこの道を歩いていた。」その街の今は・柴崎友香

関西に住みだしてもう半年。もう、っていっていいのか?はわからない。判ったふうな言葉使えないってことも、いや、印象ってはじめだ、って思ったり。どちらにしても、家がたてこんで、ことしの秋がきたのかどうか・わからない。まれにきずくイチョウの紅葉もただハッパが枯れただけみたいな、気分で見過ごしているような今。


「・・なんていうか、自分が今歩いてるここを、昔も歩いた人がおるってことを実感したいねん。どんな人が、この道を歩いてたんか、知りたいって言うたらええねんかな?自分がいるとこと、写真の中がつながってるっていうか・・・。だんだんなに言うてるんかわからんようになってきたけど」その街の今は。柴崎友香。

大阪の作家、柴崎友香さんの「その街の今は」を読んだ。家並みと高層ビルにびっしり埋め込まれて、道も川を埋めてて、それでもたりないことから、空中にのびた道の町をみると、立ちすくんでしまう。
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「古いおおきなマンションと、かに道楽、駐車場、水色に塗られたラブホテルの入口。普通の家族が住んで子供たちが遊んでいたことを想像するのは難しいけれど、ただ一ヶ所だけ、前庭のある公民館か集会所のような白い建物がある。ずっと前から、なんに使われている場所なのか気になっているけど、人がいるのを見たことがない。そのかわりに、庭の植物はきちんと手入れされていて、痛んだコンクリートが目立つ景色の中で、その緑が余計に鮮やかに見えた。その脇には路地があり、こういうところに昔の家が残っていたりしないんだろうか、と覗きこんでみたその街の今は・柴崎友香。」
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大阪は古代海だった。その街はその海になだれ込んだ台地に存在している。
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柴崎友香は古い写真を探す、その、そうだった、土地をさがして。
「昨日バイトの帰りにジュンク堂によったら・・片隅で昔の絵葉書を売っていて、・・すこし高いような気もしたけど、買ってしまった。(三十枚ほどのしっかりくくってあった使用済みの絵葉書の束から)大阪の写真を三枚見つけることが出来た・・戦前の道頓堀の中座の前あたりの幟やかんばんが立ち並んで人が大勢歩いてる風景は、なんとなく今その場所と賑やかさは似ていて、でも建物の密度が違うせいかやっぱりとても昔のように感じた。・・目の前の角を曲がって真直ぐ行くと相合橋にでて道頓堀川を渡ると、この写真の中座のあった場所にでる。・・この葉書を送った人が実際に中座に行ったのかどうかわからないけど、もしかしたらこのあたりまで歩いてきたかもしれない。」

自転車の登りがすぐに体温を上げる、すぐにきた下りにいきなり風の寒さを感じる、大阪には「
八島の祭り」があったという。流れる川が瀬戸内海になだれ込も場所にそれを阻止する海があって、そこに川に運ばれた台地が出現する。それが八島。それを自転車の前輪がさぐってくる。微妙な上り下り。もしかしたら、古代出現した八島の名残なのかも?
写真はいらない。ホイールがハンドルから伝えてくる鼓動がわかれば、その街が伝わってくる。登るときの汗と下るときの寒さは、きっと初めてこの大阪の八島におりたった古代人とおなじ、じゃない、だろうか?
きょうはしっかり酔ってます。です。
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by forumhiroshima | 2010-11-14 17:23

方位と位置

京都の寺々をあるくには、やはり平安京の最古の遺構である東寺を出発点とするのがふさわしくまた京都御所などよりもはるかに古い形式の住宅建築である御影堂を見、その前に立ち、しかるのちに他の場所に移ってゆくのが、なんとなく京都への礼儀のような気がして、そうゆうぐあいに自分をなじませてしまっている。「古寺巡礼京都・司馬遼太郎」

京都の羅生門は10世紀には消えてしまって、東海道や大阪道、西国街道の都の基点は東寺になっている。司馬遼太郎の古寺巡礼も東寺を基点にして都へ入ることになる。司馬さんらしい京都の案内のスタートにされている。
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東寺はどこか(いってもいないけど)英国や米国のカレッジににているようにおもってしまう。それほど京都の他のお寺の建物の配置とがちがっていて、広大な境内はグランドのようで、そこに平行に巨大な校舎がならんでいる。大好きな空間だ。

この寺を天皇から貰い受けた空海はここを真言の根本道場とした。羅生門をはさんで東西に平安京ができたころ東寺と西寺が建設され都の鎮守をになわされた。「太平記」にでてくる話にこの東西の寺の対抗戦がある。ある日照りの年に雨乞いの祈祷を東西の寺がすることになった。最初に西寺の守敏という僧侶がおこなたが、効果なく、のちに空海がおこなった修法で雨はふったという。こののち東寺は栄えに栄えたが、西寺は衰退してしまった。という。
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羅生門跡から西へ走ると、静かな公園がある。遊具もなく楠木が中央にそびえていて、石柱に西寺跡とあった。
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平安京は南北に「路」を通し、東西に「通り」を架ける。そうして正確に方形の町並みを構成する古代の都市計画の町。ではその南北を走られせた基点は?というと、船岡山になるのだという。
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古代の都市計画はこの南北の中央ラインを基本に設計されるが、じつはそんなに正確でなはい。
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極北にはけっこうな誤差がある。が、そうともいえないこともある。先日尼崎で、ここの海岸に上陸した貴船の神が平安京の中心になる御所の真北に鎮座し、都の水の神となったことを書いたが、この位置関係はじつに正確なのだ。
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地球上で同じ緯度に位置することは、太陽の光の照りつける角度がおなじであれば、また春分た秋分の真東からのぼる太陽を基点にその後とか、前であってもタミーの柱を立てることでできそうだ。
が同じ経度上にあるように設計することが、この時代できたのだろうか?このことに、このごろすっごくこだわって、なやんで、やせてない。
北をおおざっぱに判定することは、自分のようにすぐに路地へはいりたがると、とても地図あわせで必要なんだ。走れる!って自信のがあれば五万分の一とかのおおきな地図がつかえて、掲載範囲が広い分目標をさがしやすい。路地に対応した二万五千分の一では広げるとまず北方向を決めなければいけない。自分は真直ぐに立ってるだろう標識とた電柱の陰を腕時計の短針にあわせる。そうすると日時計の反対で12時が北になる。おおざっぱだけど、平安京レベルは確保できる。
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日時計はまず北をきめて時間を判定する。
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もっと正確に北を知りたければ、昼飯の時間、まず垂直に棒を立てる。それを中心に円を描く。いまその円と交差する棒の陰を円にしるしする。飯がおわったら、また棒の陰を円にしるす。そのしるしを結ぶと東西の方向。これの直角が北になる。
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自分に位置が人生ではさっぱりつかめない。漂ってるが、自転車のって旅するとき、平安京の祈祷師たちが、貴船神社の場所をきめたように、きっとしっていただろう経度の計り方手に入れて、漂わないようにしたい。わかったら、おしえます。
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by forumhiroshima | 2010-11-05 20:18

鳥羽作り道

京都の都に淀川をさかのぼって物資がはこばれる、ってことは了解!だったが、そのルートは淀川の河口が氾濫源で砂州や島ができて、舟の運行に支障があることから、尼崎から猪名川そしてそこに合流する安威川をつかうことを考え、安威川の中流域から淀川へ運河を切り開いて、そこを淀川河口からのバイパスにした。神崎川という。8世紀のことだ。

その時代、いまの尼崎の河口より川下の神崎というところが川の港で、そのすぐの川下の砂州の島に佃の人たちがいた。港のメンテナンスをしていたのだろう。神崎にはたくさんの遊女がいたといわれ、このあたりの一番の繁華街だったようだ。いまも国道が二本、高速道路も二本、JR、阪急、阪神がここに集中している。高架になった交通の幹線の下にびっしりと住居や工場が積み重なっている。高層ビルも点在していて、空が細い町だ。ぐるぐると町並みを回ってみても、当たり前に古代の賑わいはない。この当たり前さ、が続くと「あたりまえ」でないことを探す元気もふぉそくなる。神崎川の淀川からの河口は「江口」でここもおおきな港であったという。ここも巨大なマンションがそびえる町で、古代、海の様といわれた淀の川面もおおきな堤防にかくされて、あのマンションの高層階の住人だけの楽しみになってしまっている。ゆきかう自動車の騒音はにぎわいとは、いえんね。

淀にでた舟は川を遡る。舟を引く仕事もここにはあったという。
河原がいくつにも区切られて、グラウンドになっていて、いくつもの車止めにいったん停止という走路がつづく。ここの空はおおきい。
桂川、宇治川と木津川の合流する地点は、大きな池であったという。今渡る橋がどの川にかかる橋か?わからない。ひろい。そこに町らしい場所が出現する。信号機に「淀」とある。そして「納所」。お上の物資をおさめるところのこと。
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そのそばに森がひろがり神社が鎮座する。そこが淀城。
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ここから桂川にそって古道が北上してゆく。その側に秀吉がつくったという土手があって、そこに遊歩道があるようで、たくさんの自転車がとおりすぎてゆく。
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桂川と鴨川との合流点で鴨川をわたると鳥羽にはいる。ここからほぼ直線で北上する道へ。これが鳥羽作り道だという。
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平安京が作られたとき都の中央の朱雀大道の南の門、羅生門へ入る。が今作り道の先はつぶされている。ちいさなお寺とその裏に羅生門跡の石碑とちいさな公園がある。朱雀大道はどこへ?

「平安京の大路は朱雀大路の84mはちょっと別格としても、ふつうの大路は24mから36mまで、小路は12mまでと当初は厳しく定められた。ただ、これらの古代の都市計画はその後秩序を欠いて、平安時代後期には「巷所・コウショ」と呼ばれ私有地化していった。道路周辺の住民他が地理的条件や治安のゆるみに乗じて、かってに私有地化した。 屋根の日本史 原田 多加司」羅生門の公園にある表示には、「11世紀はじめに、藤原道長が寺をつくるために、この門の礎石を持ちさった・」とある。羅生門は10世紀後半に嵐で倒壊してからは、放置されていたらしい。それまでも「羅生門も10世紀の中ごろには荒廃し、鬼や異業者の棲家であった。原田 多加司」

黒澤映画の「羅生門」をおもいだした。10世紀には平安京は、「北には一条延びたが、南は七条までに縮小した。七条以南は人家が途絶え、九条にある東寺あたりはもはや京とはいえな。朱雀大道も京ではなく、その外になった。幅51メートルに設計された二条大路はおおきな空き地になった。(寺社勢力の中世)伊藤正敏」

公園をすこし東に移動すると、そこに真直ぐ北上する路地があらわれる。これが朱雀大路のなごりのようだ。ここもすこし北上すると遮断される。JRの路線がそこに横断している。あとは水道局のたてもの。ここに鉄道をひいた時代にも人家が途絶えた状態があったのだろうか。ここから北上する山陰本線も朱雀大路をなどるように設置されている。

公園の東の家並みの向こうに東寺の五重塔が見え隠れしている。
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鳥羽作り道からこの塔がランドマークとなる目標だったという。この塔は8世紀初頭につくられている。いくども雷のよる火災で焼失しているが、そのつど再建されていまの塔は江戸時代初期の建立で6代目だ。羅生門は嵐での倒壊で再建されているから、ふたつが並んだ時もあったことになる。いま京都の空は京都タワーと東寺五重塔と二つのランドマークをもっている。あと先年先、どちらが京都の空にそびえているのだろか?
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by forumhiroshima | 2010-11-04 15:02

やはり、家康は、すごい??

先日関西の佃島を走った。これが江戸へ遷った訳は、家康がここで川をわたり、寺に参拝したときの縁だと説明されてる。漁民たちは江戸へ佃煮をつくりにいった??わけないでしょう。が、なぜ?

こちら西宮に来て、ここに縁がある方々から懐かしそうに、実は、そのあたりに、・・って。その中で関学のことが多かった。その大学のある上ヶ原が佃島に関係があった。
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「江戸初期、尼崎藩が神埼川治水に尽力した佃村の住人にこの上ヶ原の新田開発をみとめた」とある。ここは高台で水がないために、荒地だった。またここにあった寺を豊臣秀吉が焼き討ちをかけ、廃寺とさせた歴史もあって荒廃していたようだ。荒地であるのは、そんな歴史もあるが、水がないことであったよう。
その水を送る工事ができることから「佃島」が必要となった。
工事は難工事で30年もかかったといわれる。その開発から入植した人たちは、それまでいた村のお寺の寺に属したため、ここに寺ができなかったという。

朝よくこの上ヶ原へ走る。台地になっているが10mもない標高差なんて、へっへ。
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用水は澄んだ流れで、散歩の人も多い。きれいな水には人が集まる。ただし年とってないと、そこらはわからないだろう。って景色だ。
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用水が台地へ分配される場所は神秘さもあるほど、神聖な場所とも思える。
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残念なことに、いまこの水は「かけ流し」状態。すごく澄んだ流れが贅沢にあふれている。

用水が出来たとき、この台地に入植する人たちに水路が区分けされたという。その名残が地名の「上ヶ原〇〇番地」だという。
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この上ヶ原が田んぼかた学校にかわる。1926年関西学院が神戸からここへ移転してきた。専門学校から大学への昇格が悲願であったと、HPにはある。学院があった神戸の敷地を阪急電鉄が購入し、電鉄が所有していたこの上ヶ原の土地を学院が購入するという契約が成立。そのころのお金で265万円が阪急が学園に支払っている。1929年移転完了。
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学園はいまもこのベージュの低い建物で構成され、木々もうつくしい。
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秀吉が寺院を焼き討ちし、家康がみとめたディベロパーの佃の漁師たちがここに水を導き、いまうつくしい教会がたつ。歴史は重層する。
でも、なぜ阪急電鉄は高額な地代を払ってまで、ここに学園を誘致したのだろうか。一番ちかい駅もこの台地の下。けっこうな登りがあるのだけど。
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by forumhiroshima | 2010-11-02 19:55


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