こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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棚田

長野県の先般の地震で棚田が崩落しているときいた。能勢の田園の中にいると、この景色が天災ばかりか、なにかしのびよることで、立ち入り禁止に?なんて妄想がつきまとって、・・。現地でもないのに、だけど、どう思っていたらいいのだろう。
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それでもこの景色はあたりまえに、きれいだ。
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東北の田植え歌に「腰の痛さよ、この田の広さ、四月五月の日の長さ」があるのだそうだ。稲作は苗床から苗取り、田植え、草取り、稲刈りと前かがみの姿勢がとても辛いという。
「水田の耕起に畜力を使わなかった地帯の水田一枚の大きさを見ると、だいたい五畝以内である。その面積はもと一日の労働力を示すものであるとは、各地の古老の語るところである。その面積は同時に田植一日の労働単位を示す物であった。それが牛耕ならば、一日一反が可能になる。そういう所では苗が疎植えされるので一日一人の田植量が一反になるといわれる。宮本常一/昭和31年」
田んぼは水を張るから水平に作られる。その水を留める畦は等高線にそってつくられる。この作業は田植えの前に田起しで水と土を拡販して静まって田植えにあるとき、畦から同じ高さに水面があるように設計されるのだろう。棚田では等高線にそってつくられる畦が屈曲して美しい。
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このごろは田の大きさが圃場整備事業でかわってきて、大きくなっている。これは老齢化による機械化の必要からだそうだ。この圃場整備は石垣もなくして新しい景色にかわってしまった。でも雑草が刈り込まれたおおきな畦には花もさいてきれいだ。しかし、道路は整備された田の真ん中に直線て登っている。もう軽自動車道路専用状態で、自転車にはきついのです。
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田植え機もすごいとおもう。車輪は細くて、ところどころにちいさなシャベルのようなフロートがついて、泥に浮かんでいるように動く。苗は後でロボットアームがあるように四角につくられて苗が栽培されたプレートからつかんで泥に埋め込んでいる。
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苗は水にしずむことがないように、深さがかんりされている。MTBで山道を走っている頃、タイヤが細いとヌタ場という湿地や腐葉土の深い登山道が走りやすかった。すこしタイヤがしずむところあいがいいのだ。しかし、深く沈むとスポークに泥がまわると、重くて動けなくなる。田植え機についてるゴム製のフロートがあったら、バッチシ、だったかな?

機械化は腰の痛さをなくしてくれただろう。が、先日書いたように、田植えは生産の神様が女性であるように、女子の仕事という神聖なものだったことが、なくなってしまったようで、其のうち女性が運転されるだろうか。
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「西アフリカ・サバンナ地帯の住民の身体の使い方には、腰のところで鋭角に上体を折って前屈し、頸/クビの後ろのすぐにあたる脊柱の上部がくぼみ、側方からみて緩いS字形を描くような深前屈の作業姿勢が、農作業や家事洗濯をはじめとしてきわめて多い。川田順造」
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「胴長で手足の短い日本人だと、田植えの姿勢でも、背中は小山のように円く湾曲する。川田順造」
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「西アフリカの住民たちは肱から先の前腕と、膝から下の下腿が相対的に長く、しかも骨盤が前傾しているという特徴にもよるだろう。川田順造」

ロードレーサーでの前傾姿勢もこれと同じように腰痛や頸痛がでやすい。走り終わってストレッチにいそしむのは、この姿勢ではいつも背中と腰が緊張しているってことで、骨盤が前屈の姿勢に適応しにくいこと、があるようだ。寝てる骨盤は立てにくいってことになる。まあ、日本人だからしかたないと。

そんなこと、言ってはおられませんですけど。どうする?
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by forumhiroshima | 2011-05-29 17:46

口丹波

東能勢から東へ。麦の畑が周囲の濃くなる緑のなかで、黄色一色に広がっている。ヒバリの声がする。ヒバリは日晴れが名前なんだという。高くあがって鳴くと晴れらしい。今日は、南の海に発生した台風や、早い入梅で曇り空なんだけど。「美空ひばりの、川の流れのように、は雲の流れのように、だよな」なんてしょうもないこと考えるのは、勾配がきつくなったから。そうそう、江戸時代の検地のお役人にお百姓が、うちの田畑は小さくて、検査いらんでしょ?なんて聞いた。お役人はおまえのところで田畑でヒバリ鳴くけ?ってきくので、鳴きまっせ、と話あわせたら、ヒバリの巣があるほどの田畑なら、検査じゃ!といったという。ヒバリはやはり広い敷地の御殿がいるらしい。
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歌垣山の堀越峠にとりかかった。
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ひばりをさがして空見上げたとき、カラスが飛んでいて、なんだか目があったようで、ひつこく頭上を飛んでいる。さきほど目があったミミズクの神様とくらべて、お前はねえ!!って感じ。こいつきっと、クソ攻撃してくる。しろい爆弾。急ぎたいけど勾配が・・。クソっと足つき。えーこれがクソ攻撃だったか。と、そばにベチャ!当たらなかったよ、セーフ。

峠を下るとすぐに小さな集落とその家並みへの旧道の分岐。これに入る。すぐに無住らしいお寺。境内に杉原小学校跡地の石柱。そばに教育委員会のこの寺と古城の説明。それによると、ここは丹波に所属していたが戦国の世、国境が変わって能勢になってるとあった。地図でなぜか複雑な今の国境の線がみえる。
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峠を下ると東西の別院って名がつく地名の集落が山中に点在して地図でみえる。このような場所は、昔時間が流れたりしている場所に出逢うことが期待できる。が、地図読みがみつかしい。尾根の先をまわると、ちがった景色。民家の集まりはだいたいに南斜面にあって、ひばりのように太陽光線をみのがさない。そのぶん複雑な地形の影にあるようにおもえて、すぐに自分の位置がわからなくなる。集落の入口に地名のカンバンがあるところ、すきだね。

ちいさな峠のトップにちいさな鳥居があって、えらく柵で囲まれている。こりゃなんじゃい。小さな池があった。そこにおかしな二つの蛇口から水が出ている。「この水は検査の結果飲料水にお勧めできない!」と、太い毛筆で書いてあって、蛇口にいっけないように柵があって鍵までかけてあった。
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峠のトップでの泉だけでも、希少価値だとおもうけど、それも二口の蛇口付き。きっと名水だっただろうな。その無念さがカンバンに見えるようだ。でも鍵までかけるより、呑める手立て探て・・・。

その先にめずらしい、というより始めてみた国境の石柱が斜めに建っている。たってる場所が道にでてるから、まがるんだよな。ここが京都と大阪の境界だって。ここか北が口丹波。先ほどの清水の神様が厳島神社の口丹波弁財天。口丹波、ってなんだかかっこいい呼び方。丹波いいとこでっせ、こいこい。
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がこの石柱には訳があった。この峠を下って大阪方面へ入る道そばの集落の牧は弁天様のある神地と丹波所属でなく摂津所属を望んでいた。能勢の学校も峠ひとつ(これきっつい峠なんだけど、トンネル付きです)郵便局の配達も能勢から、って訳だと。この二つの集落はがんばっていたが、とうとう神地が脱落したけど、牧は大阪所属に。越境合併ができた。領地争いでなく学区変更がその理由ってことか!
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なんだかすっごい地名の神地はいま、ついてないな。でもまた日は昇る。ヒバリになろうよ。神の泉がすこし汚れたかもしれないけど、口丹波の弁財天って神様は口丹波にいないと、いけんよね。
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by forumhiroshima | 2011-05-28 09:53

遭遇しました

能勢に走ってます。能勢の領域に二つの谷が平行にあって、西と東になるかと思うけど、西東の地名はないようだ。役場が中心とすれば西の谷間になるが、ここを拓いたというか、記憶される地名とした人々は武士の源氏だという。その本拠は谷をくだった川西市の多田にある多田院。その支部って感じなのか、その領地として能勢があったという。その能勢の領主がつくった寺が能勢妙見だ。能勢氏は能勢の東の谷を中心としたという。

大阪平野の古代の道の想定図がある。古代の要路は直線におかれたという。その一つに能勢への道があって、その道をルートして東の谷の能勢へ。
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この道は宮本常一さんが大正時代に歩いた記録もある。その道が能勢の谷へ入る峠から巨木が見えた。
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樹齢は1000年をこしているとある。そばから縄文から弥生の遺物と、鎌倉時代の屋敷跡が調査されていて、この地が数千年も前からの人々とのかかわりがあったことになる。
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そばにそんな資料を展示する「能勢町けやき資料館」がある。電動自転車のレンタルもある。妙見社へは、電動にしようかな?なんてふと。
資料館の事務員さんが、「ホレ、ミミズクがきとるよ」とケヤキを指差した。どこに?
巨木の足元で一人カメラをのぞいている人を指差して、あの人の正面の木の枝にとまっとるよ。
飛び出してそのカメラマンのそばへ。とてもどこにいるのかわからない。すると、カメラナン、振り向いてこられ目があった。ミミズクはどこですか?ホレ、あそこ!わからないです。ならこれ観なさい。とカメラのフェンダー。覗くとばっちり、ミミズクとも目があってしまった。これって、数千年前からきまっている行事なんだろうな!神様の使者のご降臨だ。数千年繰り返されたご降臨と、それを待つ人の関係はカメラマンとなっても、繰り返される幸せ!なんだろう。
で、このフェンダーから自分のデジカメで撮れますか?
さあって、。と考えておられる間にカシャ。と、フラッシュがピカ!ヤバ、神様のミミズクさま、おどろいたりして!カメラマンがもっと驚いて、フラッシュ切っておきましょう。いえ、これ一枚で満足です。すみません、ありがとう。
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そうだ!篠山の神社にも、降臨されただろうか?ウーン、ここからは篠山盆地、遠いや。いや、おまえ、軟弱者。それひどすぎるよ、ミミズクサマ!
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by forumhiroshima | 2011-05-27 12:28

田んぼの風景

今の季節、田に水が張られ、空と山をうつして、すきな光景だ。町中は走ってはおられない。「水があり、水平に保てる土地があり、日当たりがよければそこを水田となし、稲をつくる。水田は水をうけるタライだ。土地の傾斜がおおきければタライは小さくなり、その下のタライとの段差はおおきい。緩やかであればタライはおおきく段差はちいさくなる。稲作の風景だ。日本的風景考/斉藤晃」
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水田の中を走って勾配にかかると、段差の石垣だけを見るようになる。路面と石垣だけの景色がつづいて、木々の間に入る。このあたりが野良と里山の境界ってこと。石垣が高くなると、当然勾配がおおきくて、きつい。それどころか、田んぼはずれてからの峠道がおもいやられるのだ。
この景色をもっと観察した名人がいる。「部落と部落の境にある水田はそこにたいてい不整合な線がでていて、二つの集落の境をかぎわけることができるのであるが、その場合どちらの部落が早く開けたかは不整合線の張り出し方で推定せられる。宮本常一/集落・耕地」
「江戸時代の初めにひらけたといわれる水田はまた違った様相を呈する。ただし自力による小規模開墾の行なわれた地帯であるが、そういうところでは田の畦が必要以上に曲がっている。これは検地のとき、面積をせまく見積もらせるためのものであるという。江戸時代あいついでおこった検地事業が人々をして反抗的にさせた結果だとおもう。宮本常一」

北海道の写真をみると、畑が尾根そのままにうねって続いていることがわかるけど、勾配を予想することは、難しいのではなか?と。田んぼの石垣の高さはたしかにこれからくる勾配の予想にはなるけど、だからって自転車こいでるかぎり、準備なんてできない。ただただ、その勾配をひきうける素直な気持ちをつくるだけだ。だから北海道の畑作地帯も、おなじだろうな。そんな景色いつか走りたい。
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このごろは峠に上がる道沿いの石垣の高い場所の田んぼは耕作放棄で、すっかりブッシュ。開けた場所は圃場整備で石垣もなくなって、ひろい一枚の田にかわった。この田で田植えがおわって、その畦そばに早苗が置いてある。あまり物なんだろう。なんだか、もったいない!感じ。
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機械植用の早苗はみごとに同じ高さで作られる。さすが日本人って感じ。
「田の植え始めをサビラキ、植え終わりをサナブリといった。サビラキにはまず最初に植える田にちいさく12株を植え、その間に薄を差した。これが植え始めの標である。別になにも供えない。
田植は女だけで行い、男は田地を準備するのが役目であった。女の田植のときの仕度はきまっていた。前垂、脚絆をはき、若ければ赤いたすきをかけ、年取ればあり合わせのたすきをかけた。宮本常一/著作集25」

圃場整備の田んぼでは田植機にご主人がのって、そのそばで女性はそれをみている。よく出会う景色で、機械植えだから一人で出来そうなのに?と見ていた。
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[田植えは女だけで・・・」なるほど、おかあさん、仕事というより、女の仕事という、神様との約束の田植えを取られてしまって、どうしようか?なんて、空虚な気分に包まれてるのだ。田植えのおわった機械が植え残した隅っこに、おかあさん田植えしていた。それって、もったいない、だけじゃないようだ。
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by forumhiroshima | 2011-05-24 09:30

柊峠

摂津と丹波の国境をフラフラと走ってる。北摂、南丹の山の標高は500mから800mを切るとあって、低山と紹介されてる。といっても、峠は峠でして、・・。

どうせ走り出すと、峠はそれはしかたないこと、になる。なにも考えなく、登ることしかない。単細胞がいちばん。
そんな国境の峠でも、「エー」ってほどの登りですませるところがある。おいしい峠。そんな峠のトップには、国境の石柱とか、その由来とかのカンバンが置いてある。どうしてもここが、国境のありがたい峠なんだよ、低いってバカにしなさんな、ってことらしい。

能勢と亀岡との境に吉野という集落がある。そこの峠が国境で、堂々の石柱がたっていた。写真は手振れですが。
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そこの表示にこの峠が、吉野タワとか一本松とか、また柊峠とかとも、呼ばれたとあった。
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柊は節分にいわしの頭といっしょにかざる木で、その葉にあるトゲが災いをふせぐおまじない。ここの峠には柊が二本たっていて、丹波側、つまる亀岡サイドの柊にはトゲがあるが、能勢サイドの柊にはトゲがないのだそうだ。
京都と亀岡との間の峠は老い坂と呼ばれる。これは亀岡側の王子に大枝山という場所があって、ここに鬼がいた。大江山酒呑童子の鬼は、日本海に面してる大江山でなく、この大枝山にいたのだという伝承があって、その鬼が攝津にやってこないように、トゲトゲの柊を峠においたのだと、説明されている。
どうもこの話が見えない。トゲトゲが片方にないってことの説明ができてないようにおもって、しばしの考察。が、そうよ、峠は単細胞でいかなきゃ!だった。
石碑に大阪難波の宮から天神、長柄と経由して、池田をぬけるここまでの道程が10里7丁とある。摂津・丹波往環道。下りにかかるとそばに古道がある。いい感じ。それに下りです。いい感じの二乗です。
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ちいさなサイクリストにも、出逢った。
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by forumhiroshima | 2011-05-23 10:43

丹波と攝津の関係

能勢へ二回目のサイクリング。猪名川をさかのぼるようにルートしている。阿古谷という場所で、寒天の干し場にであった。道そばにこんな説明が掲示されていた。
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宮本常一さんが攝津の寒天工場をたずねている。「寒天工場が仕事をはじめるのは十二月初旬で、それから二月初旬までザッと七十日間仕事をする。職人は丹波からくる。丹波は但馬などと同じく冬の寒さのためにその時期を稼ぎにでた。そうして多くは西宮に酒造場で働いたものであるが、寒天小屋にもでてきたという。土地の者はあまりこうゆうことをしない。寒さに弱く、また労働の激しさに耐えぬからだという。一方丹波の職人は辛いといって家に帰るわけにもいかぬ。帰ると辛抱がないといって、村人に笑われる。そのためどんな辛抱もした。著作集25」

地元の人には読ませられない文章だけど、地元には年中通しての仕事があるってことなんだろうけど。しかし、この初夏までも、というより年中通してのことらしい。この土地はよく晴れる。天日干しができるから、という。この寒天は和菓子の材料。注文分だけの生産ときいた。
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峠を越えると、丹南市の標識。道路の案内版は亀岡と京都へ、に変わる。こちらは摂津を走ってるつもり。あわてて地図で確認。たしかに丹波、らしい。ここまで、猪名川流域では奥にむかう谷間までちいさな住宅地開発がそこかしこ。標高が400mをこえて、大阪から30kmほどの場所にも空き地のめだつ住宅地がある。ここらは京都圏内?大阪圏内?どちらなのか。だって買い物する店もない。さきほどから腹がへってるけど、お店ないのだ。

小さな集落に酒蔵がある。古い民家に格子戸が赤く見える。
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そばのおおきな農家の長屋門も赤い。柿渋塗りってゆうのか、たしか丹後半島でであって、その優雅ってゆうか、おしゃれってことの印象が大きかった。石見でも出雲でもみなかったような。
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そう思って民家をよくみると、結構みな赤いのだ。
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すっかり「旅」気分。そうすると家々の石垣が目に付いた。美しいだけなら、どこにもあるのだけど、なんだか石の大きさが不ぞろいだけど、じつに精緻。
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出稼ぎにでて、いつかこの摂津に定住なのか?な。
そこかしこの、売れ残りの点在する住宅地は、これから埋まって、お店も進出してくるのかな?
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by forumhiroshima | 2011-05-22 16:36

大阪のタクシードライバーの考古学

大阪平野が古代には大阪湖であったことを、工事現場を訪ね歩いて、その地層を採取して実証した論文が1986年に発表された、その論文は大阪十三の郵便局長さんと大阪市立大学の地質学の先生のふたりだった。
その発表された本を手に入れて、すぐに走り出した。ごみごみとした家並みが目の前から消えて、湖とそのむこうに生駒の山々が現れた。もちろん幻想だが。その幻想がこの古代の湖の上にできた街道を走らせる。
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生駒の山から大阪城の南にある四天王寺に太陽が沈む春分や秋分の日に、それを見る場所があって、その場所にある寺に人々が集うときいた。生駒のその寺から四天王寺は真西にあたる。その東西のラインに街道がある。俊徳道とよばれる。これに平行して暗闇峠越えの奈良街道や、古堤街道などと、いくつかの東西に古道がある。
司馬遼太郎が日本最初の国道といっている竹内街道も東西に走る。この竹内街道は巨大な古墳の応神天皇陵と仁徳天皇陵の南端をとおるが、二つの古墳の南はまさに東西になっている。といっても地図で確認することで、古代に古墳が作られたときにははっきりとこのラインは東西をみわたせただろう。

そのラインに注目して、この二つの古墳と難波宮の大極殿との位置関係を直角三角形のそれも90度、60度、30度の三角形で説明したタクシーの運転手さんがいて、自費出版で1987年に発行しておられる。これをアマゾンで手に入れた。無職にはトホホの・・・。
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大阪には二つの大道という地名があって、この二つと難波の大極殿とが直線に位置していて、これが古代の朱雀大路であると1971年に提唱されて、発掘調査で確認された。大阪を流しているタクシーの運転手さんにとって地名は商売。そこから河内と攝津の国境が南北のラインでそれが古街道になる。その路と朱雀大路とがパラレルと気付かれて、巨大な三角形の発見となったようだ。
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その勢いから巨大古墳の形の設計図をコンパスと三角定規とでつくられることに気付く。航空写真で撮られた古墳と、宮内庁に発行している古墳の実測図とをわあせて、自分の方法による古墳の設計を完成させ、発表されたというわけ。
90,60,30度の三角形の三辺に√3が必要。また正三角形から古墳を設計するには正三角形の頂点から対辺へ下ろす垂線が√2。また直行する二辺は古代の寸法の一尺24CMで割り切れている。いま大工さんがつかう「さしがね」で正三角形の対角線の長さ、√2が裏側にきざまれたメモリで読み取れるのだそうだ。古代の職人の後継者が大工だといっている。
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国境については、難波宮朱雀大路とのパラレルについては、大阪湖を立証した「大阪平野のおいたち」では、湖、といっても大阪湾の海とつながるラグーンだから、潮の干満があって、この満ち潮ノラインが国境となったといっている。摂津とはもとは港の管理の役所で、国としてあったのではないから、この管理する幅をこの干満のラインにおいたのだといっている。
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道を走っていて、ここが国の境だと平地でであったら、なぜだろうか?と強く記憶してしまう。そのあたりはタクシーの運転手さんの気持ちがわかる。

道路にしても都にしても古代に、ナゼそこに、それを置いたのか?が、それが三角形だったり円だったる正方形だったりすると、どうしても、なぜか?と引き込まれる。地上に置かれた巨大な設計図をひたすらたどるだけでも、自転車っていいもんだ!とおもってしまう。空とぶ鳥たちかれすれば、飛んでみたら!なんだろうな。

たとえば、こんな設計図があるのだけど、走ってみたくなりませんか?
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難波宮のあとにつくられた奈良の藤原京の京極殿の位置が大和三山を結んだ三角形の真ん中にあるのだけど、その位置は大和三山のそれぞれの頂点から対辺へ下ろす垂線の、交点になるのだ。
さあ、どうする。
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by forumhiroshima | 2011-05-19 17:06

土地の成り立ちの歴史

すっかり緑は濃くなって、あの新緑のフワーとした幾千万の緑色も、わたしの緑!と木々が決めだした。北摂とは響きのよい地名で、というより北とつくと、「北帰行」とイメージはひろがって、ロマンチックに受け入れてしまう。
北摂とつくからは丹波でも但馬でもない。北の摂津だ。その北限、丹波になるけど、北摂にどうしても個人的にいれたい場所がある。というより丹波と攝津の区分は、摂津は文字どうり港の行政機関のことで、山奥は関係ないのだ。北摂はその意味で、フワーとした山中なのだ。海からの帰り道が北帰行なのだ。北摂という地名に無理があるのだ。

その山中を緑色は濃く濃くなって山が同じ緑の濃さになる季節は、この中にへたっていようか!なんて思っている。

後川/シツカワは篠山盆地の南の尾根を越えた谷間にひろがる上、中、下と三つの集落に地名は分かれているが、その区分がつかない。家々は散開している。その上に竜王、春日神社がある。
この神社の境内は手入れされた杉の森で、荘厳だし、本殿をおおう保護のための小屋もおもしろい。
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杉木立はここまで大きくなると、さすがに神の社だ。木漏れ日をうけるかえでの緑が舞台装置だ。
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本殿の覆いにたくさんの穴があいている。
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キツツキの仕業らしい。この神のお使いはきっと、赤いマフラーのコゲラ、?、だろうか。
神社前に説明のボード
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おとずれた場所でこのような表示によくぶつかる。奈良、平安の時代の話にはなぜか引き込まれる。この表示の荘園もそんな昔の話だ。この後川は東西に流れる川がつくった平地の集落だ。ここが瀬戸内海へながれでる川の源流、日本海との分水嶺。それほどの高度に川は流れる。その川がつくった平野と川の流れの高低さは源流域だけにちいさい。
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山々の標高もおおきくない。ならば豪雨でもこの谷がうける水量と普通にうける水量とは、この皮がひどく反乱するほどのこともない。としたら、ここはもっとも安全に自然に米作りできる場所になる。それでも豪雨はこわい、だから竜神と神社につく。川からすぐに用水が引ける場所は、この国の稲作が始められた場所だ。そして水を止めることで冬は田んぼを乾かせる。だから田植えができる。それが稲作。
この後川は、新しく平安の時代に開墾され、東大寺の登録されることになった、と。緩やかに河上にのぼる道が、そんなことを知らせてくれるようだ。

川がおおきく湾曲にて道は南へと登りだした。温泉地をこえて幹線道路に合流して、そこがこの川の源流域になる。天王という。
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ここの神社で、この土地の代官様が二人もまつられていると表示されてる。
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神社は古く、威厳がある。
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ここ天王は土地が北向きで、尚且つ川の流れのあるように北へ下がっている。南からの太陽の東を斜めにうける土地になる。この自然の有り様が、税金を軽減させる代官たちを神様にしたわけになるだろう。
8世紀に東大寺の荘園となって節税に配慮した後川、江戸時代18世紀になってもお上の収税におびえた天王となるのだろうか。同じ名の川がながれているのに。天王の神社にはキツツキはきてないようだ。でも正面におおきな小学校と、賑やかな子供たちがいた。
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by forumhiroshima | 2011-05-14 21:43

篠山の昔

篠山盆地の東に郡家という地名を見つけた。市役所のある、城跡からはなれているのに、篠山警察と合同庁舎があるようだ。郡家は古代のこの国篠山の行政府ってことなんだろう。お城は江戸時に造られていて、ここでは新参って扱いなんだろうな。
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郡家には神社マークがそこかしこ。その一つに。5世紀の古墳が御神体の神社で、丹波一番のおおきなものと表示されていて、円墳で、たしかにその周囲を円く道が回っていて、ここがお堀だったとわかる。この盆地に米作りをもってきた人々の親分の墓が、作られたそのままで、たしかにホッてあるけど、それ以上じゃない状態で置いておかれてる。
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古墳そばに小さな古墳が田んぼの中に点在するし、お堀のすぐそばに神社と古墳。
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その景色がなんといったらいいのだろうか、歴史的文化財としての扱いもなく、ただの信仰の場所。

普通に神聖って感じ。
この盆地の人たちは1500年前も、そんなに昔じゃない、みたいだ。

春の日差しが黄砂によりますます春霞!。遠くの景色もかすんで、ノソリと走る。広い田んぼのずーっと向うにサクラが満開。きっと八重。ちかくの田んぼに耕運機か代掻きの様子。カラスがその後を歩いてる。
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ピンクの花に引き寄せられると、尾根際の田んぼはもうとっくに、田植えがすましてある。もしかして、このサクラが田植えサクラか!田植えのころあいを神様が掲示するという、田植えサクラ。我が家の守り神さま。
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同じ土地でも田んぼは場所と引き込む水の温度で、まったく違う管理がいるそうだ。TV「人生の楽園」の農業新参のみなさんは、みな野菜造り。日本の農業は米造り。それぐらい、フカーいのだそうだ。

戦前から戦後すぐのころ、この篠山の人々は冬に出稼ぎだった。いまは40人を切ったといわれる、杜氏さんも5000人いたというし、大阪・北摂の名物だった寒天つくり、和歌山と大阪の境の和歌山山地の高野豆腐もこの土地の人たちの出稼ぎだという。
「酒屋米搗・サカヤコメツキは麦種生まれ、うちで年取ることがない」麦が年内に蒔かれる。出稼ぎも正月家にいることがない。そとで年取る。ってこと。
その人たちが、春になると仕事を終えて、帰ってきて、田植えを知らせる田植えサクラの満開をみる。古墳の時代からひきつがれた「春」がある。
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by forumhiroshima | 2011-05-06 20:53

百四代目の子孫

篠山盆地のパワーにすっかりやられて、また摂津の国境をこえてしまった。

篠山盆地の東に鎮座する波々伯部神社の大木に渡来するミミズクが、春の連休あたりに渡来すると先日訪れた際に、社務所に張り出してあり、このミミズクが神様に思えて、これはぜひお近づきにと、また山越えしてしまう。

鳥取の倉吉に同じような名前の、波々伎神社がある。椎の記の原生林が天然記念物になってる鎮守の森のなかに鎮座。このハハキが伯耆の国の名となった古社。ここの神主さんは104代つづく家系だという。百四代!!
この波々伎の神様が三河の三嶋神社の溝咋姫のところへ通われたという。その通い路の途中に篠山の波々伯部神社があったのでは?その神様がいまわミミズクに変身しておられる?
ミミズクが渡来する欅の下で、寝そべっていると、軽四がとまって欅をみあげて、また走ってゆく。一台だけじゃないのだ。みなミミズクの到来をまっているように、やってくる。そして自分をみつけて、会釈される。同好の士って、運転手さんたち、わかってるのかな?
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波々伯部神社のお祭りをささえる人々は神社の社殿創建の際の職人たち、瓦屋、大工、左官、鍛冶屋、木こりなどの子孫だという。その子孫たちが、入れ替わり現れている。

この神社に立ち寄った神様がほかにも居られる。姫路から京都へ、そして四条の八坂に鎮座されたスサノオがその神様。
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説明には京都からの勧請とあるが、八坂神社の発祥は姫路か京都かと、昔すっごくもめていたらしい。姫路側は京都へ姫路の神様が登って八坂社ができた、という。そのルートは神戸経由か篠山経由か?これももめているのだ。

逆に京都からの有名人もいる。中世鎌倉幕府滅亡のきっかけを作った人、足利尊氏も京都での戦に負けて九州へと逃げた。そのときここ篠山によっている。波々伯部神社すぐそばの日置にある八幡神社にその痕跡をのこした。
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古代この盆地は東西南北の交差点ってことらしい。

丹波篠山は盆地である。からしてその周囲は山で囲まれる。ただ盆地から流れ出る川はおおきな門をつくる。その門がここから流れ出る武庫川なんだけど、一度どころか二度もはしってしまって、興味を失ってしまった。そうなると峠越えしかない。これってつらい。
結構厳しい勾配で主要道路には峠がトンネルになる。自分はすごくトンネルを自転車でぬけるのが怖い。あの自動車の反響する音が後からくると、パニクッてしまう。だいきらいだ。向こうからやってくると、それを見てしまって、そうしたくもないのに、近づいてしまう。

そこで、トンネルでない峠越えの一つを、覚悟決めて向かった。中国山地もそうだけど、尾根の北向き斜面が急勾配になってる。ここは標高差は150mほど。さて何回足つき、か、もしくは、歩きか?。
選んだのは、日置から南下して、登り勾配がゆっくりの谷をつめてからはじまる峠。できるだけ急坂は短いほうが、いいにきまってる。
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路面に杉の枯れ枝が落ちていて、そこに車の轍が路面を露出させている。うねうねと伸びてゆく。杉木立からの木漏れ日がゆらめいて、そのむこうの空が広がったり、消えてしまったり。勾配もゆっくりだったりきつかったり。自動車も離合困難な道にはほとんどやってこない。この谷は涼しい。
これです、これが自転車の峠です。なんて、すっかりご機嫌。東西に張られた送電線をおおきくヘヤピン気味に道は高度をあげて二度その下をくぐると、切通しのトップ。これも地図でしっかり読んでいた。でも、速い到着。ちょっと強気に、「もうきちゃったよ!」
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南にむかう峠の下りはえらくひどい黄砂が、遠くにかさなる尾根の濃淡をより強くする。緑のサンドイッチ。黄砂すら、ごきげん。
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神々の旅行も、百四代の神主の家系も、当然あたりまえとし疑うこともない人々の営む盆地。そこから吹き上がるナニカ?に押されるように、自転車が下りだした。この峠またこようなか。そしてミミズクに会いたいな。
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by forumhiroshima | 2011-05-05 17:42


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