こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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飛鳥 明日香-2

明日香村の南の尾根に朝風峠がある。名前にひかれて、のぼってみた。甘樫丘とかイカズチ/雷丘とか岡寺とかの地名が見えるように、ちいさな尾根や小山にかこまれた村にまだ刈り取られていいない稲穂の拡がりの黄金色が小さくチラチラとみえる。
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村はハイカーとレンタサイクルの洪水といった様相。自動車道と遊歩道がしっかり区別してある。安心安全。大きな芝の広場には子供たちの群れがいた。ここは、村ではなくて、チマタだ。古代この飛鳥に王が居住していた時代、この辺りを京師とよんだ。師はひとが多いこと(日本の古代宮都/岸 俊男)で、師走は先生が走るのでなく、だれもが走るということになる。年末には先生は走らない、先生ってもともと走らない、とおもっていた。
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葛城山麓の秋津洲の国から走ってくると、この飛鳥の地形がひどくせせこましい。それに、人波。さっそくに、走り抜けることにした。どうせ、○○跡の連続なのだから?なんて。
歩く人の間を自転車で走り抜けることに、すごくつかれる。自分は自転車に乗ってるというより、いしょにいる、と感じる。その時間は自由でないと、機嫌よくない。歩行者に気遣ったり、信号にストップかけられると、このごろ、そこから空へ飛び出したくなってしまう。ジャマしないで!!なんて。

朝風峠から飛鳥川へくだり、その川沿いをぬける。川を横断して綱がひかれその中央に稲の玉と御幣が付けてある。不思議な綱。二つあって、川上が女綱、下が男綱だそうだ。また川を渡る飛び石の標識がある。橋は掛けられないほどの急流であったのだろうか?たしかに急流。「世の中は なにが常なる飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる 古今集」。
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急流の川から農業用水を採水することは、井関をつくりそこから樋や水路でながすことになるが、急流に井関とつくる技術は大変なことで、奈良盆地は、もとが湖であって、ゆっくりと乾燥していく過程で水溜りがのこって、それを池として使用したという。(風土 玉城 哲、旗手 勲)飛鳥に王宮があった時代に急流に井関という、この工事はできたのだろうか。いま奥飛鳥という名で売り出し?の、栢森集落の入口手前に、飛鳥川上坐宇須多岐比売命神社というとても長い名で、また長い石段の神社がある。この神社は水を守る神様(日本の神々-4)だとあるが、その正面の飛鳥川に大きな井関があってここから水路が村中心へ作られていた。この井関の神様だと、おもえるけどな。この神社の創建はわかっていないようだ。

奈良盆地は雨がすくなくて旱魃の国だった、そうだけど、昭和30年代に一山越えた吉野の吉野川(紀ノ川上流)からトンネルてこの盆地へ水路を開いて、盆地の大半の農業用水を完成させている。山麓中腹にそこかしこに「吉野川分水流」の表示を見る。これで旱魃の被害はなくなったという。すごいプランだ。が、この分水からの水の補給にかわって、これまでの用水池が必要なくなり、管理もされなくてフェンスで囲まれることになった。水も濁ってしまっている。

飛鳥に古代、時代を開いた王宮の人々も、この盆地に三本の南北を連なる、幅24mともいわれる直線路をつくっている。自転車で物好きにもこの古代の道を全部走ってみた。ルートは、すべてが残ってるのではなく、あぜ道や小さな路地をつなぐ場所がおおい。とぎれてもいた。それに、直線ではない。幅24mほどあったと発掘で証明されているから、その幅の中での曲がりかとも、思うけど、そうとは見えなかった。

が、中ツ道とよばれるルートは天の香具山の山頂を通る設計で、とても古代らしい。このルートが古代寺院の飛鳥寺西門に面し、つぎにやはり古代寺院の河原寺東門に面するという。そして橘寺をぬけて、朝風峠のある、ハミ山(カミ山)とう字のある丘に到達するということから、その存在証明じゃないかといわれる。(日本の古代宮都/岸 俊男)。これもでかい工事だ。でも誰も喜ばなかっただろう。軍隊の騎馬隊の人々を除いて。
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この飛鳥から琵琶湖のほとりに都を変え近江京を作ろうとし、その工事が進められていたいたとき、珍しいものが発掘された。青銅製でおおきい筒のような鈴、大きさ1m70cm、5尺5寸。そのとき「銅鐸」と名づけられたが、何に使うかわからなかった。この京の工事は百済の人々ですすめられていた。この報告は天智天皇と藤原鎌足に伝えられたが、彼らは、何もいっていない。知らないのか、知らないフリしたのか。
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もう秋津洲の銅鐸の祭りは、時間に流されて、忘却の中の時がきていたようだ。自然と力任せに対峙するという、時代の始まりがここ飛鳥なんだ。
自分の中にはまだ秋津洲のトンボの飛ぶ記憶が強くて、真直ぐに自然を設計する人たちは、なんだけニガテに感じる。この人たちと秋津洲の人たちには連続する関係はないようにおもうほど、違ってみえる。なぜだろうか?
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by forumhiroshima | 2011-10-19 12:13

明日香、飛鳥

明日香へ走っている。これまでも、葛城の山麓を下って、ちょっとだけ明日香へたちよってみていた。往復の距離がこのくらいで、いっぱい。走る距離の限界を思い知らされる。でも、これでは、足りない、のだけど。もっと向こうへゆきたい。
明日香へ葛城の山麓が金剛山の山麓にかわって、紀ノ川へくだりだす奈良盆地の南西の端に、風の森の峠がある。いい名前だ。この峠には風の神様・シナツヒコ命が居られる。シナはしなる、だろう。風は見えますよと、どこかで教えてもらった。草原や稲原を走る風はよくわかりますよね。草木はしなってます。が回答だった。
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この峠が紀ノ川へ下りだす斜面からの吉野の山々の展望は、このごろの、すこしウツっぽい気分に入ってしまった自分を幾分か華やいだ中にもっていってくれる。そばの高鴨神社の森の遠望も好きだ。それに紀ノ川へのあかるい下りが、まってるようだ。まだまだ先がありますよ。人生にも。って。
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この斜面に佐味という場所があって、この地名は4世紀とも5世紀ともいわれる時に葛城山麓の主だったカツラギソツヒコが、朝鮮半島へ出兵した記録が、記紀にも、またそのころの半島の国・百済の記録書/百済記にもあってソツヒコは実在だろうといわれる。そのソツヒコが捕虜を連れて帰り、この佐味に置いた記録が書紀にあることを思い出した。ここの人たちも捕虜として置かれたこの場所では、けっこう落ち込んでいたりして。なんだか身近に感じるね。ソツヒコはまた京都を開発したという、秦氏一族も連れてきている。現地語ペラペラ、スピードランニング!愛好者だったのだろうか?ね。

風の森峠から東にむかって、飛鳥へ。途中に兵庫、薩摩、吉備、土佐などの村が並んでいる。この村々が古代、朝廷に徴用された人々が故郷に帰れなくなって、集団で居住したという。また、ここから明日香へむかうルート沿いに、ソツヒコの時代よりもっと下った時代、朝鮮半島から渡来したという人々の村々が点在する。明日香の村のある場所は、昔は今来郡であったという。今、来た人々の場所ほどの意味。
「桧隈/クマはコマほどの意味か、高句麗がコマ」「栗原 /クレハラであったようでクレはクリからの変化で古代国家・高句麗をクリと呼んだことから」「稲淵 /南淵・ミナブチ請安の墓がある。608年から640年まで中国へ。百済人。南が稲/イナに変化か」「栢森/カヤノモリ カヤはカラで韓・百済、からか」
地名は古代のその人たちの故郷の国々だと、いっているのだそうだ。
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飛鳥、明日香の地名は、安宿・アンスクから興ったという。「古代、航海のとき、船から鳥を放して、その飛んだ方向へ船を進めたという。それは鳥たちは陸地を感じることができるからだと。次に、島影を見つけると、その海水をなめて、塩の味が薄くなると、川がみつけられるという。上陸して安棲しえた場所が安宿であり、鳥が安棲しえた場所が飛ぶ鳥の安宿だ。 日本人はどのように国をつくったか。片岡智子」
自分たちを鳥に託した古代の人々の望郷が伝わる地名だとおもう。

明日香村の北端に豊浦寺跡がある。古代の宮殿の跡だという。下関に豊浦がある。浦は海に面した地名のようだが、浦は裏で表と裏の接点。海の「浦」は海の最後の場所で陸の始め。明日香の「浦」は田園の最後の場所で山の始め、じゃないだろうか。豊浦はここから下関につながり、半島へつながっていたのだろう。
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いま故郷から引き剥がされた人たちがこの国におられる。フクシマは日本の「浦」ではない。ど真ん中です。帰還きっとできます。
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by forumhiroshima | 2011-10-18 13:30

湧く水

秋津洲のパンフで、御所市の南の田園の中にある野口神社のそばに湧水池と記載があるのを見つけた。湧水って聞くと、ワクワク、です。野口って地名は、この奈良盆地にびっしりひろがる条里制の四角に仕切られた一番端っこをいうのだそうで、そこが田と野の境界だという意味らしい。野口の地名はこの平野のそんな場所に幾つか残っている。ここの野口神社は蛇穴・サラギという集落にある。小さな境内に藁でできたお祭りに使ったヘビがもうへたってくたびれていた。そのまるいおおきな目玉の顔はすごくかわいい。
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そこから使われてない道が南へ伸びていて、草むらに立ち入り禁止のカンバン。
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なにやらアヤシイ景色だ。来てはいけない、のカンバン無視で、その奥に三角形の池、そしてそこに透明な水と、たくさんの鯉。
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池からの水は水路へ音を立てて流れ込んでいて、池の底から湧き水が吹きでている。池のすぐ横のコンクリートの壁の上は二車線の車道だ。その車輪の騒音の中、沈黙して底から吐き出す水の透明さに感動!。来てはいけない所に隠された感動。パンフにありの湧水の池。
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周囲の音が水面に吸い込まれている。池の端の小さな水門から、使われていない道の側溝にこの池から水が溢れ出している。その流れはまず神社にぶつかるように激しくむかっている。あたらしい音が生まれる。
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その流れにそって集落を走る。野口神社のそばをぬけた水路は急流でながれる。集落の家々の中を折れながら、音を立てて、民家の向こうにひろがるまだ黄金の田園の中へきえていった。

「蛇穴/さらき」の集落は大阪・淀川に最初の護岸工事・茨田堤をつくったと記録される
茨田連・マムタノムラジが、ここに移住して出来た村で、その名のサラキのサラはサラッピンのサラ、新品であたらしい、キは来た、新しい人たちのムラって意味だという。(日本の神々-4 大和/野口神社)
そうなら秋津洲の神武天皇でなく、ずっと下って仁徳天皇の時代ってことになる。大阪・河内の王者だ。古墳時代ってことになるのだが。この国の古代の土木建築家たちは、この湧く水をどのようにデザインしたのだろうか。神社はこの流れを二又に分けるところに鎮座している。ヘビは水の神様。だからお祭りはヘビさま。ここが新村ってことだけなら、わざわざ蛇の穴って地名にすることもない。なんて思いながら、パンフの秋津洲の道をたどって、そこにあった古代天皇の御陵立ち寄った。そこは深い森のなかにふたつの墓があるようで、広くて森閑としている。竹藪もひろがって、薄緑の色はざわめいている。木漏れ日が落ちる、その森に石積の美しい参道の階段が登っている。
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その足元に、ふと動く物を感じた。ちいさな蛇さん。うつくしい紅葉色。長さ15cmほど。7mmほどの胴体。
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もうずっと以前、石見の大麻山の山腹の巨大な彼岸サクラの木のしたの小さな石の祠から顔をだした、あの紅葉色の蛇と同じだとおもった。目があっても動かない、あの蛇と同じだと。彼は(彼女は?)石段からすこしでたまま、こちらを見ている。また、お会いしましたね。どこの神様ですか?と、問いかけてしまった。まだこちらを見ている。

石見でであってからも、これっていいこともなかったし、いまもいいことなど、まったくない。せっかくお会いできたのに、なにか吉兆をくださいよ。「まあ、そんなこと考えずガンバ!」っていわれた。
グチいってしまった自分がすこし惨めな感じ。
 
ザワッ、と竹藪が動いた。見上げて、また眼をもどすと、もうどこかに消えてしまっていた。なにか、聞き忘れた気分だ。もう少し話したかった。
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by forumhiroshima | 2011-10-15 12:16

秋津洲の景色は?

近畿自然歩道-葛城の道の表示にトンボのマークが書いてある。
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この町のマークかな、とおもっていたが、入手したパンフレットに秋津洲の国をめぐる遊歩道とのタイトルとトンボが書いてあって、古代ここが秋津洲・アキツシマだった、ことからのようだ。秋津はトンボのこと、洲はヤクザのシマほどの意味だ。領地というか支配地域っていうか。同時に水田の広がる場所ってことの意味もあるようだ。
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大和朝廷の最初の天皇、神武天皇が大和平定のおり掖上/ワキガミの嗛間/ホホマの丘から、この国はトンボがトナメ・交尾しているようだといったので秋津・トンボの洲、秋津国とよばれるようになった。その秋津洲が御所市のあたりだという。ここに、ワキガミの地名がJRの駅名でのこっていて、ホホマは本馬の地名にかわっている。神武天皇の王宮だという神社も健在だ。
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隣町の橿原市の神武天皇を祭る橿原神宮は大正時代につくられたもので、秋津洲の本拠はここ御所市だと、ちいさな神社が主張しているようだった。秋津洲の出現は紀元前660年2月の即位だとなっている。いまの建国記念の日はこの神話を再現する。さて、どちらが神武天皇の王宮なのか?
それにしても、トンボが交尾する国って名称、“ジャパン・クール”。かな?。

秋津洲の景色、弥生の村々がどんな景色か?司馬遼太郎はこう語る。
「これは独断かもしれないが、農耕は段々畑の形式しか、しかたなかったのであろう。山の中から落ちて来る水を、階段式につくられた水田によってダンダンに受けてゆく。大和葛城山麓は、すべて上代人がつくりあげた段丘形式の水田である。ところで弥生式のいつほどか、ひとびとは平地にムラをつくる能力を序々にもった。農業用水をつくるという知恵と技術を身につけたからである。
 もっとも、この私説はあまりあてにならない。
大和における弥生式の土器の出土状態からみると、湿地帯のほうが古く、非湿地帯のほうがあたらしいという説があるからである。弥生式農村の歴史は、出土品から推定して湿地帯からだんだん山よりの山麓地帯に移っていったというもので、いわば定説にちかいが、ども私にはうなずきにくい。司馬遼太郎/街道をゆく/葛城みち」

秋津洲の景色を想像からでなく、復元作業をする、とする歴史学者は、
「大和平野の中心地は弥生時代50m等高線よりやや低いところまで湖沼地帯をなしていたと考えてる。大和川が亀が瀬地峡をへて河内平野へでるあたりで、当時なおせきとめられていたと考える。四周の山々から流れ出る諸河川はこの湖沼に流れ込み、その下流部は乱流し、あるいは流路をかえ、そのところどころに成立した三角州的高みに弥生人が住居を定めている姿を考えてよい。
・このような耕地は住居趾に選ばれた微高地にまして、頻々と水害に襲われたにちがいない。水害は土地を流すようなものだけではない。水はけの悪い湿地では湛水が一定の限度を越えれば稲の育成を不可能にする。・・・これらの土地の再建は繰り返されたが、この地から分かれて山麓部に移り、新しく山麓斜面の湿地を稲作地とし開いた人々は、そこに安定した住居をえて、やがて次代の人々もその地を居住区として、発展してゆく蓄積を可能にしたものであろう。 土地に刻まれた歴史/古島 敏雄」

弥生時代の祭りの祭器だといわれ、或る時いっせいに埋められたり、こわされたりした「銅鐸」にトンボが刻まれている。野鳥も刻まれている。銅鐸の絵は水辺にあつまる動物、鳥類はツル、ガン、カモ、両生類はカエル、イモリ、カメなど、魚はコイ、虫はカマキリ、トンボ、クモ。いずれも淡水の水辺や草原の生物で、秋の季節のものだという。秋津洲にピッタリ。
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山すそのため池にであった。池の向こうの白い鷺とねずみ色の鷺がこちらをみている。池の端の杭にアカネが飛んできた。刈り取った稲藁を燃やした白い煙が低くひろがって、柿の実がその中にうかんでいる。雨模様なのかな。秋津洲の景色も煙のむこうの様子だ。
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by forumhiroshima | 2011-10-15 12:05

再現される国譲りとは

葛城の一言主の神様が、やはりここに祭られる事代主神となんだか似てるようで、気になっていた。そこにこの神様が鎮座される中間にある神社の記録に、事代主神は一言主の神と同神なれば・・(長柄神社・日本の神々4)とあった。

天皇の怒りをかって土佐に追放された一言主は300年もたって、呼び戻されることになった。神々の様にたくさんであってくると、この国の天皇たちは決して神々の味方、保護者ではないことがよくわかる。なにせ「神を追放する」のだから。そこらが、皇国日本といった人たちに尋ねたいところだ。

事代主の神様といえば、出雲の美保の岬の美保神社に鎮座ましましておられる。が、じつは美保岬にはおられないことになっている。
大和朝廷の創始者のタカミムスビの神が天孫降臨を指示し、その準備に降臨予定地の出雲へ先遣隊を派遣するが、これが出雲のいごごちの好さから居座ってしまって、役に立たない。そこで、新しくタカミムスビの神はフツヌシとタケイカズチを派遣する。この二人は出雲の稲佐浜に駐屯し出雲の神オオクニヌシに国譲りをせまる。するとオオクニヌシは息子の事代主の神に聞けという。そこで使者が事代主が釣にいってる美穂岬へ急行して、その話をすると、「しかたないね」と国譲りを認め、そのあと海へ入水して消えてしまう。このことを今も4月7日に青柴垣神事として美保の人々は再現するお祭りをされている。このあとオオクニヌシも入水して消えてしまう。ここでも事代主は追放される。
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葛城山の南に金剛山があり、その中腹に高天神社と高天原があって、そこにタカミムスビの神が鎮座されてある。
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後に三角形のヒモロギの山をひかえ、参道には巨木の杉が林立している。
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その北にひろい台地があって稲穂が揺れている。
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そのタカミムスビの神が、平野の鴨都波神社に鎮座する事代主を追放したとかんがえる学者もある。「とかく神話というものは、ただの空想の所産であると考えられている。だが実際にはそうではない。過去に経験された歴史的事実にもとづいてつくられたものである。もちろん時代の経過とともに、その歴史的事実が次第に神話化され、説話化されるようになる。さらに古代の物の見方、すなわち思考方法が時代とともに変わっていって、そこには時代の差がみたらす観念的な相違も起こる。そのため後代の人たちには、理論に合わない空想的なものと映じるようになる。しかしその根底には、時間の流れのいかんにかかわりなく、過去の歴史的事実がふくまれており、それを探り出すことができるものである。日本民族が古く神々のいます天を、高天原と名づけとらえたのも、ただ観念的・空想的にその言葉をつくったのではない。そうした言葉ひとつも、現実の生活の中からみつけたものである。葛城の山の中腹のひろい台地に神々が集い、そこで神々の神遊びが行なわれると感じたのは、当時の思考としてはあたりまえのことであった。その神々のいますひろい台地を彼らは高天原とよんだのであった。神々と天皇の間/鳥越憲三郎」

出雲国風土記は古事記に20年おくれて完成しているが、その中に事代主神は記載されていない。葛城の地から追放された人々が、その記憶をもって出雲のそれも北の半島の最先端にたどり着いたとき、そこでいまも続く青柴垣の神事がとりおこなわれたとしなければ、それが追放という試練への再生の神事としなければ、いけなかったとは考えられないだろうか。入水した事代主の神は毎年、この神事で再現されるのだから。そしてそれを再生させる人々は「神々の神遊び」のことを理解しているにちがいないのでは。
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by forumhiroshima | 2011-10-09 22:16

弥生時代の景色

奈良盆地の南西、葛城へ。三度目。
ここに葛城の道とよばれるルートがある。近畿自然歩道の一部分で、近鉄が公開している「散策・ハイキングマップ/K‘s PRAZA」の葛城の道、を使わせてもらっている。
司馬遼太郎/街道をゆく-1/葛城みち では、「葛城の神々をたずねようとおもい、まず地図をひろげてみると、葛城山麓をひとすじの古道が走っている。「大和街道」といまの地図には書き込まれているが、あたらしい名称であろう。ここでは葛城みちとよぶ。」とある。この大和街道の道はすこししらべてみたが、判別できなかった。そのなかで「近鉄・葛城の道」をみつけた。この道は山麓の寺社をとりあえずむすんだほどの状態で、車道からあぜみちまである。けっこうみなさん歩かれていて、あぜ道や山道で歩行者にであうと、自転車を後に隠すようにおいて、挨拶を声かけして、そっとやりすごす。チラっと自転車に眼をやって、オオ!困ったヤツ!という視線で一瞥されて通りすごされる。自然歩道は二輪禁止なんだから、ね。

そのなかで、たくさんの参拝のある神社が一言主神社だ。長い杉並木の参道も鄙びて、感じがいいのだが、ほかに、この一言神に楽しい神話がある。
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大和盆地の東の三輪山の山麓の王、雄略天皇がこの葛城へ狩りにきたとき、天皇一行とまったく同じ一団があらわれる。その一団が一言主の神の一団であると名乗る。同じ衣装、同じ家来としてあらわれたことに雄略天皇が怒り、一言主の神を土佐に追放してしまう。が300年後にまた呼び戻されて、この葛城の山麓に鎮座しなおしたという神話だ。これを聞くとちょっと訊ねたくなる。街道をゆくを読んでから、ずっと訊ねたいとおもっていた。境内に銀杏の巨大な古木が印象があるが、特にかわってはいなかった。
 この神様を土佐から呼び戻す朝廷への運動をしたのは、この神社から南へむかたところにある高鴨神社の社人・高賀茂田守で、この葛城山麓の古代の住人一族の鴨氏だという。

葛城山麓から金剛山山麓に鴨族の神が一番高い場所に高鴨神社。
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その北、山麓の斜面をくだると中鴨神社とよばれる御歳神社。
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そして盆地の平坦部に下鴨神社と呼ばれる鴨都波神社。
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司馬/街道をゆく・葛城みちの最後に「葛城・金剛のすそ野は大きく、段丘水田の景観は雄大で、いかにも古代鴨族の本貫の地たるにふさわしい。ほどなく鴨族がその結合の中心としてきた高鴨神社の森にゆきあたり、森のなかに入った。入るとすぐに古色をおびた池があり、葛城・金剛の山みずをここに溜まるというしくみであったことが、ひと目でわかる。この森の池が鴨族の段丘田園をうるおし、その人口をやしない、さらにはこの水のほとりにその族神をまつって、水のまもりにしたのであろう。この森をふくめた段丘の風景ばかりは、おそらく弥生のころから変わっていないようにおもわれた。」
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金剛山の山麓に、伏見という地名を見つけた。伏した水、湧く水のある地名だ。段丘をのぼって、そこにある寺をたずねた。その隣の神社との間に強い湧く水の流れが音をたてていた。
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伏見の集落をはなれて、風の森峠とあるカッコイイ名の丘へ。その途中に杉のおおきな独立樹がある。その根元からも湧く水が湧き出して、その水は高鴨神社の池にむかっていた。
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これが弥生の人々が居住した景色、なんだろう。なんといい景色だろうか。ここで一服って場所だけど、禁煙してしまった。

一言主の神が追放された神話で、この鴨族が京都に上賀茂、下賀茂神社をつくり、京都盆地の東に賀茂川をながし(この川は人工的につくられている)、京都の北を葛野/カドノ(葛城のカツラ)と呼び、その西の川を桂川とよぶのは、この葛城の記憶からだろうか。
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by forumhiroshima | 2011-10-09 10:26

葛城山麓

このごろは、奈良盆地の南西部、葛城山の山麓へ走っている。

「この葛城山山麓で古代さかえた王朝-葛城王朝といっていい-が、その後大和盆地で成立する天皇家より当然古いという印象は、あくまでも印象だが、どの古代史家も否定できないであろう。その葛城古代国家の村々が葛城山麓に点々として残っている。「国ツ神」の村々である。「記紀」では、天ツ神の子孫(神武天皇や崇神天皇)があとから大和盆地にやってきて先住の国ツ神を平定したのだが、その古い聚落が、葛城の神々をいまなお祀って森の社を護持しているというのは、当然といえば当然だが、なにやら歴史の可笑しみのようなものを感ずる。司馬遼太郎/街道をゆく-1/葛城みち」

この歴史の可笑しみを感じたくて、古代葛城王朝の国へ走る。

街道をゆく、葛城みちのなかで、「この松林もちかぢか建設省の手で伐られるのだという。二上山のほうからここを通って和歌山へ行く産業道路ができるそうで、その道路ができればいまの葛城山麓の古色はまったくなくなってしまう」と嘆かれた産業道路・R165をルートして葛城山麓へ入っている。これが大阪から葛城の山麓への、もっとも短いルートなんだけど、どこか、司馬さんにケツ向けてねているような、どこかこそばゆくて、古道へ入ってみた。が、すぐに自分の位置を失ってしまう。条里制という四角のブロックの角を曲がるたびに、地図をみて確認するが、位置確認が地図上でできない。やはり国道へ。

「・・枝道から枝道へ入って。ややこしいですから私も覚えていません。なんなら自転車でね。」司馬さんが地元の友人に訪れたい集落への道を尋ねたときの会話だ。この訊ねたい集落「笛吹」への入口はR165にある「笛吹整備工場」のカンバンですぐにわかった。そこが集落への入口。道がつよい登りになり、家のかたまりをぬけると、笛吹神社があった。自転車だと、たしかにちいさなカンバンも見つけやすい。
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笛吹という名に印象があるが、山口県周防大島にこの名の峠がある。そのそばには山中に不思議な名のある場所と、その尾根の西端に北辰の神社が鎮座する。古代の製鉄や青銅の生産設備のなごりでは・などといわれる。笛吹の集落の神社は笛吹とまた「葛木坐火雷神社」とも呼ばれる。笛吹は火吹、火吹男はヒョットコで、タタラ製鉄にかかわるってこともあるようだ。また笛吹きのまま、笛をふいて朝廷に奉仕していたともいわれる。
境内中央にふるい大砲がおかれて、笛吹のあの音色を想像するたおやかさは、ドンと吹き飛ばされた。
拝殿に注連縄と御幣がかざられて、風に吹かれる。木漏れ日がその白色にこぼれていて、どこかに吹き飛ばされた笛の音色がまた聞こえたようだった。

笛吹の村からくだって、葛木と地名にある場所へ。四角に道でかこまれた村ごとに神社があって、いつのまにか、町並みにまよいこんだ。おおきな鳥居のある古道で鳥居をくぐって神社についた。祭囃子がきこえる。境内はそれといって祭りの様子もない。拝殿の階段にひとり男がすわって、そこから笛がきこえる。チョット、出来すぎ、です。
お願いして、写真一枚いただいた。
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追伸
火雷神社の御幣は雲からわきでる雷だときいた。
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笛吹神社からすこし南下した場所にある当麻寺の参道でこの注連縄をみた。これ舟にみえませんか。
風をはらむ帆と、海をかく櫂。
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古代この葛城にやってきた人々の海の記憶では?
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by forumhiroshima | 2011-10-04 09:15


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