こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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昼、人が作り、夜、神がつくる

奈良盆地の西南の葛城山の山麓、御所市で弥生時代の初期、つまり稲作の始まった頃の田園が発掘され、それがこれまでの最大の広さで約2万平方キロ、2千枚の田の連なりだと新聞に報道された(11/9)。
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先日まで、はまっていた葛城王朝の中心地、神武天皇の宮廷があった場所のそばがその発掘現場。秋津嶋の国が、その一部を見せ始めたことになるのかな?。トンボと銅鐸の村々の国。
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そのトンボが舞う国に覆いかぶさって、できた国が敷嶋の国。それは盆地の東南の三輪山の山麓に発生したという。

秋津嶋の国の今の御所も大和高田も、家並みは固く扉を閉ざして、ひっそりと沈んで身を潜めている。でもその古びた家並みの隙間から、黄金に輝く実りの田園や、笛も太鼓も踊りだすお祭りが、見える。近い時間に古い時間がともにある景色なのだ。

秋津嶋の国の大王も敷嶋の国の大王も、「御肇国天皇/ハツクニシラススメラミコト」と同じ名でよばれる。天皇の初代が神武天皇で十代が崇神天皇とどちらも始めて国をつくった天皇だと記紀にある。この解釈は多様で、それぞれに面白いが、自転車転がすことではそこらは、さっぱりイメージがわかない。わかりません!と肩すぼめるほかない。
その敷嶋の国は多くの古墳をこの三輪山周辺に残している。その中で「昼は人がつくり、夜、神がつくる」と説明された、箸墓古墳がある。この埋葬者は三輪山の主の妻/ヤマトトトヒモモソヒメだという。神の妻の墓。ここから西にみえる二上山から石を手渡しで運んだ伝承がある。ここから約15km。そのモモソヒメは邪馬台国のヒミコだとも。
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その箸墓の中心線は東の弓月岳に向かい、山頂付近にあった上穴師神社を指しているという。いまその上穴師神社は山麓にあった下穴師神社に合祀されているが、いまも位置は古墳の軸線にある。穴師は鉱山の坑道の穴で、いまもその跡がみられるのだそうだ。神社は山辺道のたくさんの歩行者の間をぬけて、車道を登るとある。そこからの展望は、ちょうど雲間に太陽がかくれたこともあるのか、どこか、カリカリとしている。古代が今の時間に削られて、その残骸のように点在する古墳しか見られない、と感じる。
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秋津嶋の国は朝鮮半島から鉄を買っていたが、敷嶋の国は、砂鉄から鉄を作れたってことなんだろうか。彼等が銅鐸を打ち砕き、人々に山中に埋めさせることを強いたのだろうか。
鉄でつくった道具が潤沢にあればこそ、人と神がつくるといわれるスピードで箸墓ができたのだろうか。

出雲の国で銅剣や銅鐸を山中に埋めるほかない時代をつくった敷嶋の国は、ここ三輪山に出雲のオオクニヌシだといわれるオオモノヌシを祭り、その南に出雲という地名を残している。箸墓は出雲の人々の祖先といわれるノミノクスネの子孫の土師氏のハジからの「ハシ」だとも。
色々わからん??が、判ったことがある。私は秋津嶋がスキです。敷嶋の国の人々も、どこかでトンボの国の時間にひかれていたりして。
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by forumhiroshima | 2011-11-23 13:07

万葉集の天文学

奈良盆地の中央に南北のそれもおそろしく正確に、三本の道が等間隔でひかれた時代が飛鳥の時代だという。そのラインのそって藤原京、平城京、平安京とつくられている。測量の力量は、古代とバカにはできない。と、えらく感心していたところに、天文観測の力量が万葉の歌、それも柿本人麻呂が、万葉集のなかでも雄大だと太鼓判をおされる歌に隠くしているという。その歌われた場所が奈良盆地の南東の桜井から長谷寺のある西峠をこえた大宇陀で、その時代に「阿騎野/アキノ」であった場所だというのだ。いかなきゃ!が、遠いよな。
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その歌は「東の野/ヒムカシノノ に、炎/カギロイ の立つ見えてかえり見すれば月かたぶきぬ」柿本人麻呂。阿騎野にて歌う。阿騎野冬狩歌。

この歌の解説に「阿騎野にやどった翌朝、日の出前の東天に既に暁の光がみなぎり、それが雪に降った野にも写っている。その時西の方をふりかえると、もう月が落ちかかっている。斉藤茂吉」であるといわれてました、そうです。が、「この阿騎野へは、孫である軽皇子をつれて祖母、持統天皇が冬狩りを計画した。その訳は軽皇子の父で天皇を後継するこであった草壁皇子の死去により、幼年であった軽皇子を天皇の後継にすることであった。急逝した父のもつ天皇霊を呼び起こし、その霊が生命的な活動へとなる状態で後継者に摂受されるとなることから、もっともその摂受ができる日に、霊幽の世界に働きかけ、それを感応する。その為の冬狩りであった。」白川静/漢字の世界観・松岡正剛

この阿騎野は古代社会の特別な結界で多くの霊/ことだまと触れ合う場所であって、ここで人麻呂はこの「コトダマ」を歌う仕事で参加し、持統天皇も軽皇子らも、参加者は旅人でなければならなかった。と松岡さんがいってます。

もうここまでで、自転車引っ張り出さなきゃいけんですね。ことだまの場所ですよ。遠い???。
この冬狩の日は東に太陽が輝きはじめ、そのとき西に月がかたぶく光景がなければならないし、生命が復活へと活動はじめる、冬の冬至でなければならない。実はその日が確定されているのです。西暦692年12月31日の午前5時50分ごろ、すくなくてもその一週間前後。この計算は東京天文台がおこなっています。ずばり持統天皇6年。すごいぞ、古代人!

遠くても、いく、いく、いくぞ!!
太陽の活動が再び活発になるその時間は真夜中になります。だから朝日と西に沈む月が歌われるのです。が、自転車は真夜中走れません(いや、走っておられる方がおられることは知っておりますが)。が、ことだま、と触れ合う場所です。いくぞ。

大宇陀は神武天皇が奈良盆地へ吉野からむかうときに入った場所です。ここの前に吉野で鵜飼の人にであってます。なんと大宇陀の川に鵜がいましたよ。
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阿騎野は特定されていて、そこに万葉公園がありとしってました。すぐに見つかりました。柿本人麻呂が騎馬状態でお出向かえでした。
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そばの阿紀神社も昼下がりの秋の陽が深く差し込んで、「秋」ですね。
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そばの小山が元阿紀神社鎮座地だとか、ここもパワースポットのカンバン。
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広い谷の西の斜面にもやっている巨木がみえます。有名なんだそうです。「又兵衛桜」。巨木でそれも桜は、それだけで木霊がただよいますよ。
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空も悠々の雲の旅人でした。
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やっぱ、遠かった。フウー!?
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by forumhiroshima | 2011-11-09 20:42

道、首が、すすむ、場所?

奈良盆地の中央に古代の三本の道が南北に平行して残っている。「上ツ道、中ツ道、下ツ道の三本の南北縦貫道であるが、下ツ道は奈良盆地中央を走る幹線道で、のち平城京の朱雀大路になり、・・・中ツ道は下ツ道の東約3.1kmを平行して走っており、・・・南は香具山の頂上を通って飛鳥に出て、・・・つぎに上ツ道は下、中、二道路と同じ間隔を保って併行して走っていて」「この三道は等間隔をなすが、3千分の一の地図上で計測すると2118mとなる。この数値は当時の測定寸法であった高麗尺・約35.3cmで換算するとほぼ6000尺という完数を得る。これを大宝律令で規制された高麗尺6尺=1歩とすると1000歩と称すべきである。おそらくこの三道は1千歩という完数で設定されたのであろう。」「この三道が相互に等間隔を保ちながら香久山を越え飛鳥に達しているという事実、つまり三道は飛鳥中心に設定されているらしいということである。日本の古代宮都/岸 俊男」
飛鳥に宮廷がおかれたのが592年というからこの道は6世紀にはその姿があったということになる。発掘された下ツ道は幅が24mもある大道だった。
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この三本の古代道路を座標として藤原京、平城京、平安京が徐々に北上して設置されてゆく。真北とわ、こしずれているがほとんど南北の軸を移動している。そのずれは1000mすすんで7mほど西へゆれるほどの精度だ。
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が、この三道を走ってみて、上ツ、中ツの道はその痕跡もない場所が現在はあるということと、いまのルートは真直ぐでなくて、うねっているってこと、だった。古代が消えかかっている。
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上ツ道より東の盆地の東端の山麓の山辺の道もすっごくひさしぶりに。でもここは自転車でくるところではないくて、ずっと押して歩いた。山辺の北の出発点、石上神社は
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「石上のイソは、やはり海岸の磯の意味のように思うがなあ」と私は・・。なぜなら大和盆地は古代にあっては一大湖沼であったからである。古代集落は盆地のまわりの麓ら高地に発達したから、いまでも磯野、浮孔、南浦、磯城島といったふうに磯くさい古い地名がおおく残っており、となれば石上の地形からみてこれは磯ノ上にちがいないと思うほうが、穏当のような気がする。司馬遼太郎/街道をゆく・竹内街道。

古代この盆地から生駒と葛城の山並みの中央にできた亀裂から湖水が大阪湾に流れ出しても、弥生時代にはまだ多くの沼や湿地が残っていた。山辺の道は古代ここが湖水だっかころの湖畔の道で、上ツ、中ツ、下ツと残された道はその湖水の岸辺の後退していった記憶ではないか・なんて考えていた。飛鳥の人々は生きた時よりもっとふるくこの盆地にあつまった水は北のナラ山をこえて木津川から淀川へとながれていたという。その古代の水路をきっと彼等飛鳥人は見極めていたとは、考えられないだろうか。標高75m、同じく60mそして50mとそれぞれの道はいかにも水平でおなじ高度の上にそれぞれあるようにおもえた。その場所に溝をほって、乾燥させ稲作をすすめたのでは?記紀に大きな溝をつくったと記載もされてもいる。が、それにしても24mの道幅は・・ねえ?などと、走りながら考える。

自転車は自分をいちばん自然にしてくれる乗り物だとおもう。風に乗れるし風に向かえる。が、その乗り物も「道」がなければ、ましてレース用の自転車となればなおさら整備された道がいる。自然のフールドを縦横に、とはいかない。
その「道」はなぜ?首は進む(シンニュウ)場所なの?「道」という漢字の発生は?などと平坦な道は、つぎつぎと思いをふくらませる。登りがなくて楽に走れるから!

「道の安全には、さまざまな力あるものの犠牲を随所に配したのです。道祖神もそのひとつです。それでも道は正体不明の“さばえなす邪霊”が跳梁跋扈・チョウリョウバッコするとこであって、由々しいことは頻繁におこりうる。そこで、氏族の長や従者たちはあえて異族の首を掲げて行進しなのです。怖ろしくも「道」に首がついているのはそのせいなのです。白川静/松岡正剛」古代の漢字研究家に白川静の入門書からの抜粋です。
これは古墳時代の大和盆地にいた豪族の位置の地図です。この豪族たちはみな大和朝廷の配下になって、記録に残っています。ここにのこらなかった豪族の人々だっていたでしょうね。そして、「首」だけになって、この道をすすんでのですかね。怖ろしい!
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この大和の盆地に現れた武力集団は、その力を北上する真直ぐな道に、反抗した豪族たちの首を掲げて行進したのでしょうか。それも三度も。どこかパリの凱旋門の上のナポレポンを思い出させます。

こんな空想?妄想を三つの道が自転車の前輪から伝達されました。
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by forumhiroshima | 2011-11-06 21:18

停滞

ツーリング中に休息の幾日かをすごすことを、停滞といっていました。同行の友人に“ここで停滞、停滞!”と叫んで、自転車おっぽりだし、です。さあ、殺せ!!。もう走れないぞ、走らんぞ!。「停滞」って、暖かい言葉でした。

いまマジ、自分は人生の大停滞の生活に、そんな「停滞」って時間をさらに重ねたくなって、それって、おかしいだろう?とかなり心重いのですが、山口県と島根県の県境の仏峠を西にくだって、出会う広い空の下に流れる田万川の河口へ向かいました。そこでキャンプ生活です。
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河口は日本海の強い波に砂が戻されて、河口をせき止めているように砂洲がはりだして、その隙間を川が海へはいっています。いま川岸はすっかり護岸工事で固められているのですが、古代には干潟だったろうと想像しています。
海側からの河口
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川上の橋からの河口
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コウノトリのいる円山川の亀岡、というより城崎温泉のある場所も、古代河口が閉ざされて、そこを蹴破った神様の伝説があって、その神様は出石に祀られています。この田万川河口に、そんな神話の蹴破られる前の景色が今に残っているように想像していしまいます。その昔にコウノトリも舞っていたのでは?
干潟がある土地はハカタにしてもニイガタにしても歴史ある場所で、それが生物の影が濃い場所でもあるのですが、だからまた神話や伝承が残ってるのです。でもこの田万川には、そんな話さがしても、まだ見つけてないです。江崎の集落にはすこし昔の暮らしが残っています。
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ひじきって秋が旬だそうです。春じゃないんだ。

その河口に神話を想像するだけのために停滞したいのでなくて、便利なんです。じつはここにはキャンプ場と海水浴場と温泉施設とレストランと道の駅とコンビニとスパーと郵便局がそろってるけど、民家はみあたらないのです。なんとバラバラなんだけど、リゾートなんです。つまらないほど便利です。ってことはここが、新しく開発?された場所で、それまでは干潟につもった砂と芦のハラッパだったのです。数十年も前にここを走ったとき、真夏ですが、砂洲にキャンプしてました。海で泳いで、その後に川で泳ぐとサッパリできました。地名にも瀬尻とか松崎とかに、その面影を感じます。いまも早朝にカモの一団がやってきます。ケンカしてます。サギもナワバリにして一羽まけてません。タカもやってきます。もちろんカラスはうるさい。自然、豊かです。河口の朝は海霧でみたされて、漁船がやってきます。そんな場所に温泉施設をつくった人たちに脱帽です。ありがとうです。自分もここに、いつもひきつけられます。そして停滞します。その人たちもそうなんでしょうね。

今回は、西隣の須佐のJR駅そばの食堂で、透明な採りたてのイカくって、ビールやって、ふらふらキャンプ場に帰ってきて、温泉入ってました。大人の「停滞」ですかね?軟弱ですね。情けないけど、いいんです。

河口の海岸から岬への遊歩道が入っていて、その途中に展望台があって、夜のイサリ火もばっちり。「イサリ火って哀しいね」なんて、心のマッサージもできますね。キャンプ場は街灯があって、夜半まで点灯してますが、消えると満点の星の空、田万川をうつしたように、薄っすらと天の川も。
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あまりの軟弱さに、反省がてらそばの標高530mの高山の山腹にある高良という地名の場所へ。結構な登りがウラウラと上がっている途中にその集落の場所があります。扉のはずれた祠の仏様は健在です。秋の草を燃やす煙も昇っていて、まだまだ健在な農家が点在してました。「高良」って場所にはどこでも、気付いたらいってみてるのですが、どこもけっこう高い場所にあって、コウラは古代の朝鮮半島の国、高句麗の別名とか?。九州の筑紫平野の守り神が高良神社ですよね。ここも高い。備後・府中にも地名としてだけのこってますが、ここも高い。高いから高良なんて??
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その場所が古代の山城って伝承もそこかしこにあって、この田万川には?、と。

ひろいあおい海原が目の前に広がっていました。
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by forumhiroshima | 2011-11-04 09:22


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