こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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古代の国道

奈良時代の国道1号線」が発掘の記事が12月14日の朝刊の一面にのっている。その道は「下ツ道」と呼ばれたと紹介されていた。奈良時代なら平城京の朱雀大路とよぶだろう?なんて、知ったかぶりしてしまった。だって、もうこの道を幾度も走ってきたのだから。
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古代のこの奈良盆地に、それも飛鳥の時代・7世紀初頭に設計された道があったという。
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この地図はネットで掲載されている古代道路地図ってことだけど、奈良の平城京が出来る前にすでに、上、中、下の道はあったという。そうなると、道は明日香の藤原京から真北にむけて設計されたことになる。まだ奈良の都ができていない時代に、どこにむかって付けられたのだろうか?
三輪の大神神社の掲示に、当時の国道という表現があって、その道が「山辺の道」なんだけど、ネットの地図にも山辺の道は三輪山の麓にあった海柘榴市(ツバイチ)という市場から大神神社を経由して、天理市の石上神社(イシノカミ)へ、山麓をぬって続いている。
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先日この山辺の道を自転車押しながら歩いた際に石上神社から北の奈良市内への道が「山辺の道-北」としてあると知った。まったく予想もしてなかった。

古代の道で国道と表現される道があると知ると、道フェチとしては、はずせないのだ。で、天理市へ。ちょうど奈良マラソンの開催があって、この山辺の道-北コースはマラソンコースになっていて、そこかしこで通行止になっている。
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山辺の道も、車道があったり、あぜ道があったり、で幾度も地図をみながら、そして通行止をさけながら、北上。それだけに、印象としては、これは東海自然歩道だと確信した。といっても、大神神社がいうような「古代国道としての山辺の道」は、文献で見られるほどのことで、これです!ってほど確定されたルートではないようだ。
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ちなみに大正14年の国土地理院の二万五千に北ルートはみられないが、いまの地図には記載されている。
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山辺の道が、文献にみられるのは、日本書紀にある有名な歌からの推測のようで、恋人を天皇に殺された影姫がその恋人を追って走った道をしのぶものだという。葬送の歌だという。その歌詞に地名がでていて、それぞれに現在の場所を特定されているが、その特定される場所もいろいろな説がある。そしてそのほとんどはこの北ルートの上にはない。

古代の奈良盆地の道路図をつくった岸俊男は、この歌は上ツ道を示している(日本の古代9/中公文庫)と書かれる。同じ京都大学の古代史の上田正昭は、山辺の道北ルートだ(大和路の旅角川選書467)と書かれる。北ルートがそのまま影姫の葬送歌だとは言われていない。いま山辺の道北ルートは東海自然歩道の標識でルート案内されている。
ってことは、山辺の道-北コースは、なんだろうか。すこしだけ、これを走りにきた自分の気持ちの置き場がなくなって、通行止になったマラソンコースを係員さんに頼んで横断するとき、自分は、なにしてんだろう?なんて思ってしまった。が、そもそも「古代国道としての山辺の道」は、まぼろし、でいいのだろう、と思う気分も浮かんできた。それが大和の時間のもつ力なんだろう。それにしても、飛鳥の天皇たちは、なぜ三つの直線の道を等間隔に設計して、そして北上させたのだろうか。影姫の恋人、平群のシビは盆地の北、乃楽山/ナラヤマで殺害されている。兵士たちの騎馬はこの上ツ道を駆け抜けていったのだろうか。そこが知りたい。これから奈良の町から北上して木津川河畔へ走ってみようか。
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by forumhiroshima | 2011-12-16 11:13


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