こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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潜む神

能美島・大原の国土地理院の25000分1地図に、観音さんと薬師さんの位置に鳥居マークが置かれている。間違いに違いないのだが、間違いとは言えない何か?を思ってしまう。
というのは、大原は古代にここの開発者であったろう山野井家の守護神の大山祇の神が見当たらない。山野井家の分家の開発とおもわれる中町や宗崎には、大山祇が鎮座して、山野井は、伊予・河野氏と同系統といわれ、その河野家が古代に越智氏と名乗り、もっと古くは“小千・オチ”として大三島の大山祇神社を崇拝し、その神官であったこととに、空白を感じている。地理院の神社マークの間違いと、ここにいない大山祇の神とを、比べてウナッてしまう。
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郵便局は旧道、昔のメイン道路に残っている。旧道のバイパスとされたメイン道路には、広島銀行支店の姿、が広島県の西部でみかける景色。その支店もポツポツと消えて行っているこの頃だが、大原では顕在で町の中心の四つ角を占めている。その正面に豪壮な邸宅が毅然と建っている。文部大臣を歴任した灘尾弘吉氏の生家だと町の歴史資料館で教えてもらった。造り酒屋であったという。
江戸末期に山野井家は海を埋めたてて新田開発に着手し、そこでの塩田事業も始めた。また酒造も行っていた。が、これらの事業が不振で、酒造の権利も失った(大柿町史)。
灘尾家がその権利の継承者かどうかの資料は見つからなかったが、家の裏の元作業場とおもえる空地から、山際に一本の道が通っていて、その行き止まりに小さな社があり、標柱に八幡社とある。この道は確かに参道である。酒造家・灘尾家とこの小さな神とのかかわりが、ナイってことはない。どころか、酒と神は一体なのだ。古道は参道を横切り、灘尾家作業場跡前を横切っている。この配置は神社境内というより、神の庭を感じる。
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灘尾家そばを流れる八幡川の名称は、川上の亀山(神山?)に新宮八幡宮の存在によるのでありお、川下の八幡社は新宮八幡宮祭礼のお旅所なのだろう。神が川筋を往復される。この神は亀山の東の峠を越えて下った海岸の柿浦のすぐ沖の鳶ケ島に、ある夜現れた赤き輝く光として現れ、大原の亀山に鎮座されたという伝承がある。国東半島の宇佐八幡からの勧請といわれ平安時代931年創建。
この伝承と、灘尾家そばの八幡社とが重ならない。祭礼の神輿は峠越えで柿浦へ出向くことになるのじゃないか?などと、大山祇の神が現れないことにいらだったり、している。
国土地理院の間違った鳥居マークからも、この灘尾家作業場跡広場からも、なにかがでてくる。
「神は隠されている。」

大山祇の神が鎮座する伊予・大三島の西端に、日がな、神を探した宗方の集落がある。
「大三島の人の定住を見るようになったのは弥生時代からである・・。その後この島の沿岸には海人の定住する者があったと見られる。島の西南隅にまつられる宗方神社の祭神は市杵島姫命で、筑前宗像神社の系統に属する社である。厳島神社からの分請ならば、厳島神社と称したであろうが、宗方神社と称したことは九州から直接ここへの分祀があったと見て差し支えあるまい。さてこの神は海人によって祀られたものではあるが、せれが主として航海に携わる海人であった。古代に外征がしきりに行われて多くの水師(スイシ・海軍)を度々動かした七世紀の中頃から、漁撈・塩焼を主とするものと航海を主とするものとは次第にわかれていったとみられる。そして航海を主とする人々によって宗方神社は祀られたと見られるが、その人々は神社付近に住居する人たちであったであろう。宮本常一・瀬戸内海の研究」

宗方へは大三島橋の取り付きから外れて、大三島の脊梁の山並みの東の広い車のこない車道を西へはしると、全面に斎灘の海を見る。島影もなく、秋の午後には雲間から幾筋にもなった陽光が海面に散らばる。
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ただただ走ると道は登りになり、峠を越すと休校学舎の憩いの家にでて、すぐに集落に入る。埋め立てられて、放置されたような海岸から集落に入ると鎮守の森が見つかる。広い駐車場のような広場に鳥居たたち、小山にあがる石段が森の中にみつかる。鳥居の神額には八幡神社とある。
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参拝ご、また集落の路地へ入った。

集落の中を流れる小川の岸道を幹として、枝に分岐しながら、畑に消える道をいくつか上り下り。石垣でしっかりと組み上げられた漆喰の土塀に二階建ての大きな屋敷がいくつも軒を迫って建っている。
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でかい家がどうしてここに集まっているのだろうか。
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住人の仕事は・・・。普通の集落じゃない!
屋敷と呼べる古い、もう朽ちそうな家々に引き込まれて、うろうろ。
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神社もお寺もないと気付いたのは、屋敷めぐりに飽きてからだった。

覗いてみた食料品店も留守みたいで、海岸の車道まで下りてやっとお婆さんにであった。宮島さんの神社はありますか?いや宗方神社でしょうか、ありますか?あの八幡さんの他に神社ありますか?  ありませんよ。

オイ!常一、どうなってんだ!

八幡神社の石段を再度登って、境内に戻った。
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境内の小さな祠を見落としたのだろうか、と。
すると、本殿を囲む石垣の一部に小さな石段を見つけた。うっそうとして暗い。落ち葉と繁みの中に、ボーと祠が建っている。
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ドキドキした。これが宗方神社だったら、常一さん、ごめんなさい、です。祠の神様の名のある表示をさがしてみた。あった!。が、護国神社奉加一覧、とあった。

八幡神社本殿の真後ろに鎮座していた祠の神は市杵島姫命だった、と、おもっています。照葉樹の暗い森の中のあの祠のお姿は、姫神にちがいない、と。
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島々のどこの墓地にも頭のとんがった墓標が林立している。この鉛筆頭はすべて戦死者の墓標だ。とても多いし、ひとかたまりに集めてある。めだつ。海軍兵士として、船になれたこの海の若者を徴兵したであろうことは、すぐに想像できる。古代からの水師の島なのだから。戦死した彼等の魂と姫神と。海神・ワダツミ。
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by forumhiroshima | 2015-07-23 11:52

神さん木

大原の町の尾根筋と谷筋を行ったり来たり。路地は家と家をつないで、次の空間に空地と畑と森が現れるがまた家。黒瓦の立派な屋敷が現れたりする。

「山野井氏の祖先は初代3代能美城に居住し、4代になって山下に居をかまえたという。能美城、麓城、土居、堀、馬場、船蔵など今日に伝わる地名が、堀を廻らせた土居は平時の本拠で、主家と多くの家来下人を住まわせ、牛馬を養うにたる様々の建築が集まり、家来の武術・馬術の練兵場の馬場を控え、当時の入江に面して軍船を収容し修理もできる船蔵も聳えていたであろう。 大柿町史 S29刊行」
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山野井本家邸宅が存在しているらしいが、発見できていない。

尾根から谷への路地の空地が、山野井氏居住時代がそうであったかのごとく、妄想で、ありもしない屋敷で埋まってくる。
「伊予  あのあたりを旅行した人はよく知るごとく、阿波、土佐にかけて土居という地名が無数にある。『小松邑誌(愛媛県小松町史)』は伊予各郡の土居53か所を列記している。何れも河野家の家人であるらしい。 柳田国男」
愛媛県で走っていて、よく土居の地名にであいました。土井でないのが、残念でしたネ。
土居は河野氏には親しみのあった地名であったらしい。大柿にもこの地名があることで、山野井氏と河野氏とのかかわりを妄想する。
1365年伊予の河野本家当主・河野通朝は、讃岐の細川氏に攻められ敗死。その子河野通堯は一族を引き連れ山野井家を頼り、能美島に逃れ、かくまわれた。この敗走支援は山野井家と河野家同族のことによると歴史家は語っている。
この河野氏敗走集団500騎に正岡子規の祖先が加わっていた。(HP山野井家-探索・探訪)

“天つ空 青海原も一つにて つらなる星か いさりする火か ” 正岡子規。
子規に海賊のDNAが入っていた?。“坂の上の雲”秋山真之を思います。“天気晴朗なれど波高し”。我アパートの広島湾に面する楠那町に東郷平八郎揮毫の鎮魂碑がありますよ。このあたり、どこも、坂の上の雲の海です。
ただ、この子規の祖先能美到来伝承はHPほか見付けられなかった。この歌も鎌倉の海を詠んだとされる。興味深い話なんだけど。
.
麓は、能美・中町の麓でみた小さな小山の森と同じ地名だ。麓城址という小山の西側にうねった古道に沿って民家が点在している。このあたりが土居だろうか。そこに小山へ上がる狭い石段が登っていいた。上には古墓が列でならんでいた。墓標に山野井家とある。一族の墓所だ。
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石段を下り地図にある、谷筋の馬場へ。三叉路角に石柱と灯篭と登る石段。登ると、境内に雑草がまばらに繁る堂。馬場観音堂。豪族・能美氏の昔の時が、漂ってくる。
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観音堂といえば、朝にゆく広島・南区の黄金山観音堂には雑草はない。自分が参詣する時間は、いつも二人と一匹が、とても楽しそうに掃除されて花を供えている。二人のうちの一人おじいさんは、そっとお墓で民謡?うたっている。いや、うなっている。鐘つきお婆さんと子犬のリリーとは、すっかりお近づき。リリーもこの頃やっとシッポ降ってくれる。黄金山観音堂には生気がある。黄金山観音堂墓地の朝は明るい。
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リリーを思い出したおかげか、大原を走っていて、気持ちの中にもやっていた、“ここ、どこかに似ている?”の場所を思い出した。府中町の小さな森の小山の室町時代の出張城址の東にこじんまり、西と北側に尾根が遮り、談斜面に古道が連なって、そこは出張城を築いた白井氏の配下の居住地だといわれ、一角に崩れかかった的光庵・尾首観音堂があり、そばに首洗いのいかにも中世、の伝承の小さな池も金網フェンスの中にある。斜面に平地を作るに等高線ぞいに拓くことで、路地が曲線に連なる。そんな地割の景色が、大原と府中を結びつける。
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路地を廻って自分の位置確認ができなくなると浮かんでくる“浮遊感覚”が中世にワープさせる。きっと、この景色は長い時間とどまってきているのだ、と。アスファルト、コンクリートと厚化粧させられても、路は自転車のフロントから人々のこれまでの来し方を送ってくる。読み切れるか、どうか。
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ほぼ直線ラインのここお馬さん走ったよね、の馬場の車道を尾根に向けて走ると、能美城址の森が右手斜面にある地点に能美城址とカンバンがあった。
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大柿町歴史資料館でここ大原の遺跡・史跡の地図を尋ねたが、見当たらない。係員と思われる老人に尋ねた山野井家本家の位置もわからなかった。能美城址のカンバンも観光協会のものだ。
薬師堂を探して尾根を見ながら登ってみた。コンクリートの壁に「夜郎自大」と大書されている。これ学生時代の反安保反米帝のタテカンそっくり。どうもここ能美が、合併で江田島となったことが、御不満な様子。いわく、海兵を美化し、公報パンフ・チラシを使い洗脳的方法で市名を江田島とし、能美島の歴史文化を抹殺している。と。オレと同世代のおじいさんなのだろうな、言い回しのステレオタイプが懐かしい。でも、確かに山野井氏の歴史は抹殺されている、と。入れ込んでいる大原、バンザイの気分で、賛同しています。(が、江田島市市役所本庁在所は能美島三高でしたよね)
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コンクリートカベカンのそばに、やっと水田を見つけた。
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大原の町からずっと登った。古代、最初の水田は、水の流れが小さく絶え間ないところの湿地に溝を掘り、側に板を打ち込んで、水抜きをして造られた。農耕の人々のフロンティアは海岸線から奥まった高地に取り付いた。そんな場所をここでは河内と呼んだようだ。古代豪族物部氏が大阪・生駒山山麓で取り付いた場所も河内と呼ばれる。ここの鎮守に御智・オチ神社が生駒の最高峰・高安山の西に鎮座する。この神社は古墳に築かれ、祭神はモノノベ・ニギハヤヒと言われる。伊予・河野氏の祖先、小千・オチ氏に物部氏の系統があるといわれ、その河野氏の流れが能美・山野井氏だとも。目の前の田んぼが、古代人たちの建造かな?と、えらく輝いてみえる。もうこうなると、古代幻想障害シンドローム。病気認めます。戦後すぐの大原の土地利用図です。埋め立てられた干拓地の水田がひろがってました。
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河内とよばれた土地の山際にあった宝持寺が土石流で流され、そこからすこし上流尾根に再建された場所そばにため池が広い空を湖面にうつしている。
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この尾根をトレースする小道に先に独立樹が阿弥陀堂そばに起立している空が近い墓所がある。この木はクロガネモチと表示されて、阿弥陀堂は中世・室町時代に山野井家により建立と、手書きでお堂壁に貼ってある。
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クロガネモチの巨木は、中町の西尾根の上がった処・森木にもあった。
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木の下の壊れそうな祠に壁に「神さん木」とされた張り紙があった。
「このクロガネモチの木は、春にになるといっぱい花をさかせるんで、その蜜を吸いに蜜蜂がマア来るは来るは、群がってちょうど飛行機が通るときのような音がするんよ。昔から夏になるとノ、この森木は、水にこまりよった。毎日下への水汲みがアマナ業(ちょっとやそっとの苦労)きゃあなかったんよ。ほいで、この木の下に井戸を掘ってみたんじゃ。そうしたら、なんときれいな水がでたんよ。この木に神さんが宿っとってんじゃと、祠を建てて、水神さんを祀ったんじゃ。」

森木のクロガネモチのそばにも墓所があった。入り口に六地蔵が置かれている。地獄の通行料は六文で、この地蔵に一文づつ供え、天国へいかせてもらう。そんな言い伝えと、見上げるクロガネモチの「カネ」がオーバーラップした。

太原・阿弥陀堂からつづらに道が下り、峯とよばれる場所の明慶寺の山門にでた。17世紀末建立と由来がかかげてあった。16世紀初旬の山野井家の建立との説(大柿町史)もある。寺の前の道を挟んで小さな広場「青山こども村」のカンバンをみつけた。気持ちが「青山」の名に動いた。
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「私は”青“が古い時代には墓所・墓地を示す言葉だったことを立証するために、地名の分析をはじめて、この十年ばかり以上全国の”青“地名を取材し、確信した。 青の民俗学・筒井功」
青はどこかに、心動かす響きがあると、おもいませんか。

種田山頭火「分け入っても 分け入っても 青い山」自分の周囲全てを山頭火は死地と感じていたのかもしれない。いや、死地を探していたのかもしれない。それは「青い山」と呼ぶ場所だったのだろうか。筒井はその本の中で、686年飛鳥で天武天皇崩御に際して、“人々、ミネ奉る”と葬儀の始まりを紹介している。「ミネ」は大声を発して泣くことという。

古代象形文字として漢字を解析した白川静が「ミネ」は神が寄り付く木であるといい、山を横や上につけるのはその木の場所を示すともいう。能美ではクロガネモチが「神さん木」にされたのだろうか。
寺の山門越しに見上げる峯の名は、陀峯山。この国は神仏習合です。
 「雲の峯 幾つ崩れて 月の山」 松尾芭蕉 霊地月山登攀ののちの歌

ブーンを蜂の羽音がした。蜂はミネの虫??
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by forumhiroshima | 2015-07-13 10:18


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